がこにこ下書き。 シーツが肌に直接当たる感触で、月光は目を覚ました。
窓から曇り空の、弱々しい朝日が差し込んでいる。
なんで全裸……。
昨日は、同じ店の先輩ホストの日光と飲んで、それから全く覚えていない。
床では、日光がパジャマを着て、布団にくるまっていた。
「日ちゃん、起きてください」
「……あー……。おはよぉ……」
「あの、なんで俺は裸なんですかねえ」
「……覚えてへんのかいな」
「……な、何かしちゃいましたか」
「いやっ、何もしてへんけど。酔ってゲロゲロだったからシャワー浴びさしたくらいで」
服は洗濯してるけど、まだ乾いないと、窓を指差す。
「珍しく飲みすぎたんやな」
「す、すみませんでした」
どこまでも優しい日光は、タンスから新品の下着を取り出して投げてよこした。
ご飯の用意するし、とさっさと着替えてキッチンへ向かう。その背中を見ながら、月光は頭を抱えた。
「……こんなはずでは……」
本来なら、酔ったふりして、ベッドになだれ込むはずだったのに。
気合が空回りして、飲みすぎてしまったんだろう。
朝日が差し込む窓辺で、自分の横で、日光が目を覚ます……はずが、ベッドと床で別々なんて。
今日は月曜日、店は定休日だ。おりしも、時短営業を余儀なくされているため、月曜と火曜は休みにしている。
目玉焼きと、野菜炒めと、冷凍食品の唐揚げ。日光の見た目に反して、きちんとした朝食に月光は驚きつつ、勢いよく平らげた。飲んだ後吐いてしまったので、いつも以上に空腹だ。
「月ちゃん、おかわりする?」
「いただきますね」
「ふだん、ちゃんと食べてへんやろ。月ちゃん食細そうやし」
「結構食べますよ。カップラーメンとか、おでんとか。唐揚げとか」
「栄養偏りそうやなー」
食べ終わっても、服がまだ乾いていない。日光のジャージを借り、テレビを見て過ごす。
「休日のお父さんか」
「ははっ、すみません。どこか出かけませんか?」
「今日、これから雨みたいやで」
「そうですか……。じゃあ、服乾いたらタクシーで帰ります」
そうしよ、と日光は換気のため窓を開けた。掃除機をかける間、することがない。のんびりと掃除をし、洗った皿を片付ける日光を見ている。
(エプロン似合いますね……)
当然ながら、ホストクラブでは家事をする日光の姿をみることはできない。しっかりとアイロンをかけた、シンプルな黒いエプロンは、普段からきちんと家事をこなしていることが伺える。
梅雨に入った蒸し暑い空気が、窓から吹き込んでくる。
駅から徒歩15分ほどのマンションの8階。夜の街で稼いでいる日光の部屋は、物が少ない。シンプルなテーブルとテレビ、テレビ台にはレコーダーが2台と、お笑いのDVDがきちんとタイトル順に収められている。
「お笑い、ほんとに好きなんですね」
「好きやで。元気出るし オススメあるし、一緒に見よ」
ソファに二人並んで、オススメの芸人のDVDを次々変えて鑑賞する。デリバリーのピザを頼み、小学生の夏休みのように過ごす。
「あ、雨降ってきよった 卵買ってくれば良かった」
洗濯した服はいい加減乾いているだろう。まだ18時を過ぎたばかり、帰れないことはないが、明日も休みだし、泊めてもらうことにする。
今夜こそ、チャンスを作る。
ピザとポテトをつまみ、だらだらとビールを飲む。
日光は冷蔵庫の残りもので肴を作った。見た目は地味だが塩昆布パスタは、ビールによく合う。たたききゅうりはツナと和えてあり、サッパリして美味しい。
「料理、上手ですね、おいしいです」
「ありがとな、一人暮らしだと、自炊するしかないやん? いつもラーメンでも飽きるし」
帰り道に行きつけのラーメン屋があるから、今度行こうと笑う。
夜も更けて、いい感じに酔ったようだ。先に日光に風呂に入ってもらう。
湯船からお湯が流れる音が、否応にも緊張を高める。
……風呂に突撃はダメだ。いくらなんでも引くだろう……。
「月ちゃーん」
「はい?」
「一緒に入らへん?」
仕方ないですね、と言いながら大急ぎで服を脱いで浴室のガラス戸を開ける。
緊張を悟られないように顔を洗う。温まってピンク色の日光の乳首を見ていると、それだけで勃起してしまいそうになる。
「布団敷いとくから、ゆっくり入って」
「あ、ハイ」
「開いてる部屋あるから。別々の方がええやろ
「え、どういうことですか」
「どういうって……。寝る時は一人の方が落ち着くやろ。使ってない布団あるし」
一緒のベッドでいいですよ、といも言えず、体を洗う。シトラス系の爽やかな香りのボディーシャンプーだ。どこのメーカーだろうか。
「……」
湯船から上がる際にチラリと見た日光の、立派な一物に生唾を飲み込んだ。
パジャマを借りて、別室に敷かれた布団に横になる。
(寝れない……)
一緒に風呂にまで誘っておきながら、なぜ別室なのか。
誘っているのではないのか。
帰れとは言われなかった。風呂で見た裸を思い出して、股間が熱くなる。
「……」
日光の部屋を、そっと覗いてみると、小さく喘ぎ声が聞こえる。
「んっん……、う……」
暗い部屋を、スマートフォンの画面の光がチカチカしている。
動画を見ながら、手でしているようだ。
これは見なかったことに……。
……できないでしょう。
「……なんだ言ってくれれば」
「あっ……、月ちゃん…… なんで……っ」
慌ててスマホを放り投げる日光の手首を押さえる。
俺がしてあげますね、とフィニッシュ間際の肉棒をしごく。
「あかんっ、出るっ、ダメ……」
「いいじゃないですか、男同士なんですから。……イク顔見せてください」
「……あっ あっ…くっ……う! んッ……~ッ!!」
勢いよく亀頭から飛び出して、手のひらを濡らした。ドロリとした熱い精液をこぼさないように、片手でティッシュの箱を引っ張る。
「溜まってたんですね」
「は……。なんで……」
「ほら、ティッシュ、ドロドロですよ」
精液を拭き取り、もう一度、日光自身に触れると、まだ硬さを保っている。
頬にはうっすらと赤みがさして、首筋を流れる汗が光る。
「……」
軽く手で日光の腹を押さえ、パジャマのズボンを足から抜き取った。
呼吸が荒くなっているのが自分でも判る。抱きたい、今すぐにでもぶち込んで、気持ちよくなりたい、きっと日光なら許してくれるだろう。
下着を脱ぎ、日光の手を昂りに導く。理解してくれたのか、優しく扱いてくれる。
「あ……、はー……。イイ……」
「月ちゃんも興奮してもうたん」
横になってと、ベッドのスペースを空けてくれた。横になって、お互いの肉棒を優しく扱きあう。
「月ちゃん、こんなにエッチだったなんて知らへんかった」
「お互い様じゃないですか……。腰、揺れてますよ」
我慢汁でぬるぬるになった手のひらをオナホ代わりにして、うっとりと快感に身を任せている。
「あ、あぁっぁ…! ヤバ……っ、イッちゃ……!!」
二回目の射精で吹き出た精液が、顔まで飛んだ。
ぺろりと舐め取って、その苦さを味わう。
(これが……日ちゃんの精液……)
扱いてもらいながら、初めて口にした他人の性の香りにくらくらする。
手だけで終わるのはもったいない気がするが、すでに限界だ。
「……くっ……」
我慢できず、日光の手のひらに精液を吐き出した。
「ぎょーさん出したなあ……。手、洗ってこよ?」
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月曜日は店が休みのため、日曜の夜に日光の部屋に泊まる。
気がついたら月光に家に居座られて、マグカップや箸、着替えが増えていった。同じ店で働き、生活パターンが同じなのだから、楽で当然だ。
クリーニング店にスーツとシャツを月光の分まで引き取りに行った帰り、
「もうウチに引っ越してくれば」
と日光から言った。
「……いいんですか」
「狭いけどもう一部屋あるし、そこで良ければ。ほとんど毎週来てるやん。家賃は半分な」
「同じ部屋でいいですけど」
「別に恋人じゃないやん」
「日ちゃんのベッド広いからそっちでいいです」
「なんで 付き合ってないし」
泊まるたびに、手で処理する関係は続いている。
確かにキスはしていないし、それ以上のことはしていない。ただのセフレという認識だからこそ、一緒に住んでも構わないと言っているのに、月光は不満そうだ。
「付き合ってないのにヤるのは平気なんですね」
「え、気持ちよければ良くない?」
第一、手で処理するだけだ。
「月ちゃんに誰か好きな子できたら、また部屋借りたらええやん」
「……そう、ですけど……」
昼食を済ませると、今日は帰ると月光は部屋を出た。
二週間ほど、月光は泊まりに来ていない。店は相変わらず短時間営業でほとんど仕事がない。
開店の準備をしながら、もう二週間、会っていないのかと日光はスマートフォンの日付を見た。
「あ、日光さん、お疲れさまです。月光さんが時計忘れてて」
最近入店した新人が、呼び止めた。
「そうなん? 金庫に……、いや、忘れるか。俺が返しておくし」
「お願いします」
今度いつ会うかなと思いつつ、答える。
月光をしばらく泊めていないが、なんせ営業できない以上、シフトを減らすしか無い。すれ違いで、全く会っていないことに気づく。
「日光さん、月光さんと同じ高校だったんですよね」
「……え? そんな話……本人がしたん?」
「月光さん、言ってましたよ。月光さんも関西出身なんですね」
そんな話は聞いていない。
同い年で同じ高校なら、その話題を出さない方がおかしい。
店はガラガラで、今すぐ呼ぶのも不自然だ。どうせ20時で閉めなければいけない。
客も来ないし、いっそ早じまいするかと、残っていたスタッフを帰らせた。
戸締まりをして店を出ると、月光からメッセージが届いた。
『ご飯行きましょう』
どこの店も、すぐ閉まるので、日光のマンション近くのラーメン屋で待ち合わせた。
「お疲れ様です、今日もヒマだったでしょう?」
「ヒマやったよー」
ここのラーメン屋は麺以外にも炒飯も唐揚げも美味しい。別々のセットを頼み、少しずつ分け合う。
「いつ来ても美味いなー」
「通ってるんですか?」
「たまにやで。夜中に食べると太ってまうから」
会計をし、帰ろうとする月光を
「お茶ぐらい出すし」
と引き止めた。コンビニで酒とおつまみを買い、帰宅する。
ほんの少しの間、泊まっていなかっだけなのに、月光がいるとほっとする。
乾杯して、おつまみの袋を開けた。
「月ちゃん、ちょっと聞きたいんやけどな、高校、俺と同じトコ?」
「ええ」
地元の進学校の名前を言うと、やはり同じ高校だ。
「知ってたなら、なんで言わなかったん」
「……そっちだって、覚えてなかったじゃないですか」
800人近い生徒数の学校だ、全く接点がなかった生徒も多い。それでも、部活や学校行事で話したことがあれば別だが。
イベントごとにあちこちの部やクラブに呼ばれていた日光としては、少しでも接点があれば覚えているとはっきりいえる。
「月ちゃんはなんで俺のこと」
「3年の運動会で……。最後のリレー、A組はあなたが4人抜いて逆転して、優勝したじゃないですか。今でも覚えてます」
他にも文化祭で漫才をしたことや別の日にバンドでギターを弾いていたこと、合唱コンクールに出たこと等、本人よりも鮮明に月光はその時の状況を話し続けた。
「ずっと友達になりたかった」
「……」
「卒業式のあと、一本違う電車で、先に帰ってしまって……。呼び止めたけど間に合わなくて」
東京の大学に行くと人づてに聞いたと、俯く。
「もし最後に話せていたら、俺はあなたを諦められていたんです」
『諦められていた』。
ただの知り合いに向けられる気持ちではないと、さすがに判る。店に来た時から感じていた、兄弟のような親しさの理由。まるで昔からの友達のように仲良くなれたのは。
きっと会えなかった時間を埋めようとしていたから。
「……なんで、ウチの店にいるって」
「テレビで、シンジュクの有名なホストと出てたでしょう。すぐネットで調べました。……隣にいた彼が、羨ましかったんです。お店のツイッターやってるでしょう」
まあ、ただの有名人ホストってだけで番組に呼ばれただけで、同じ業界の知り合い程度だ。
「もう友達やん。同じ店やし。話してくれても」
「……」
「俺に会いにきてくれたんやろ。これからどうする」
「これから?」
会って終わりなら、店に勤める必要はなかったはずだ。
「月ちゃんの人生はどうするん?」
「……」
「自分、何も考えんと東京に来たん」
みるみる青ざめた月光の口からは、何の言葉も出てこない。
「月ちゃんのことは嫌いじゃないけど、月ちゃんの人生の面倒までは見られへんよ? 恋人ちゃうし」
口にしてすぐ後悔した、子供ではないのだし、踏み込む必要はない。
「……今日は……、帰りますね」
ややあって、月光は立ち上がった。もっと別の言い方があったのではないかと思わないでもないが、引っ込めることはできない。
ドアが閉まって、急に疲労感をおぼえ、日光も部屋を出た。
行きつけのラーメン屋はまだ開いていた。バイトは高校生だと思ったが、この時間まで大丈夫なのだろうか。
「いらっしゃいませって、あれ?」
「また来たで」
キムチとビールを頼む。
すると、カウンターから頼んでいないビールの大瓶を出された。
「ええ……? 頼んでへんよ? ビールまだあるし」
「あちらのお客様から。ラーメン屋で何させんだおっさん」
栓の開いたビールだ、飲まないと無駄になる。
「なんか知らんけど、ありがと いただきますわ」
「何か悩み事、か」
「……まさか、ラーメン屋でナンパされるとは思わへんかったわ」
ビールをおごってくれた男は、ぎょっとするほどラーメン屋に似つかわしくない美丈夫で、明らかに普通の職業ではなさそうだ。すらりと足が長く、姿勢がいい。
どこかで見たことがある気がするのだが、思い出せない。
ついさっき月光を連れてきたのにと、気分が落ち込んだ。
友人になりたかった、それだけではないだろう。今以上の関係を望んでいる。愛撫する月光はいつも優しく、悪い気はしなかった。楽だったから、一緒にいたのに。
「……同僚と揉めてしもて」
「聞こう、か」
他人だから話せることもある。
同僚が同じ高校だったことを今までずっと話してくれなかったこと、なんとなく半同居のようになっているが、友人以上の感情を向けられていること。
「その子には、その子の人生があると思うねんな」
「そうだな。しかし、都合が良かったから、セフレだったんだろう。面倒になったから放り出すのか」
「……縛り付けたって意味ないやん」
男同士の関係なんて、どうせ遊びだ。いずれ終わるなら、引きずらないほうがいい。
「月ちゃんっていうねんけど、めっちゃ優しくてイケメンやねん。俺でなくても、勝手に幸せになれると思うねんけどなあ」
顔も気立ても良い、女が放っておかないだろう。俺でなくても、他の、どこかの美人とくっつくだろうと。
「それってさー、今、あんたが思ってるだけのことだろ。説教されるつもりなんてなかったんじゃねーの」
カウンターを拭いていた布巾を洗い、ラーメン屋のバイトが口を挟んだ。
「あんたは、相手のこと、どんだけ解ってんだよ」
「……」
「話してる途中で切り上げたんなら、冷たいんじゃねーの」
確かにそうだ。
月光の気持ちをこうだろうと決めつけてしまっていたかもしれない。
「あんたは、相手のこと、ありのままで見てんのか」
「んー……。せやなあ……」
月光が入店して半年、細かいところに気がついて、いつでもフォローしてくれて、月ちゃんといるのは居心地が良かった。
楽さに甘えて、ちゃんと話していなかったのかもしれない。
「アンタが目の前の相手と向き合わねえといけないんじゃねーのか」
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緊急事態宣言が長引き、店も休みが多くなっている。
どこにも行く場所がない。日光の部屋へ行きたい気持ちを押さえて、電車に乗った。
お寺にでも行こう……。
駅の周辺案内図を見ると、梵納寺という寺があった。写仏体験ができるらしい。
バスに乗って、拝観料を払う。写仏体験と写経体験ができますが、と堂守が尋ねた。30分ほどでできる写仏体験に申し込む。何種類か下絵が用意されているようだ。
広い庭園に池がある。日ちゃんにも見せたい。
古そうな阿弥陀如来像にお参りをし、隣の和室で用意された和紙を広げる。
「こちらは薬師如来様です。左右に描かれているのは、日光菩薩、月光菩薩といいまして、薬師様の脇侍です」
「……日光、菩薩……?」
「日光菩薩は太陽の如く光を照らして苦しみの闇を消すといわれています。こちらは、月光と書いてがっこうとお読みします。月のような優しい慈しみの心で煩悩を消し、苦しみを忘れさせると言われています」
「苦しみ、ですか」
……説教されたかったわけじゃない。
日光と、話していたかっただけなのに。
だいたい、俺のことを覚えてもいなかったくせに。
「写仏を始める前に、深呼吸をして、心を落ち着かせてくださいね。書き終わりましたら、お名前と、ここに、仏様にお願いしたいことをお書きください。では、何かありましたら、お声がけください」
用意された筆ペンで、線をなぞっていく。
繊細なラインを上からなぞるのは意外と骨が折れた。薬師如来を書き終わり、隣の日光菩薩をなぞる。整ったすらりとした姿は、日光に似ている気がした。
まったく、煩悩は消えそうもない。
「何かお悩み」
「えっ、うわっ」
「ごめんなさいね、額にシワが寄ってたから……。ハイ、深呼吸」
堂守とは違う、ピンク色の髪をした女性が、はい、すーはーすーはーして、と両手を動かす。
お寺の人とは思えないビジュアルだが、よく見ると着物のようだ。
「邪魔をしてごめんなさいね。筆が止まっていたものだから。私は阿閦」
「ええ、悩みが……ありまして」
同僚と些細なことで仲違いをしてしまったことを話す。実際、日光は思ったままを口にしただけであるし、何の将来設計もないのは事実だ。
「告白までさせてくれなくて……」
彼はノンケ、異性愛者だ。
「その人に告白をしたいのかしら?」
「……どうなんでしょう」
阿閦と名乗ったその人は、懐から手鏡を取り出した。
「ここに鏡があるでしょ? 鏡が曇っていれば、姿を正しく移すことはできないわ。
人の心はどうかしら。自分の一方的な思いで相手に接したり、自分の考えが全てだと思っていれば、表面上で仲良くしてくれた人は、離れていってしまうわ」
「……曇っていれば……?」
「自分にかかったフィルターをまず外して、そのままのあなたで、話してみたらいいんじゃない。こちらの態度が変われば、相手の態度も同じように変わるわ。相手の態度は、鏡のようなもの。すべてを、あるがままに明らかに見るの。その中にはあなたも入っているわ」
自分が日光をどう思っているかなんて、見つめ直さなくても解っている……つもりだが、違うのだろうか。
「まず自分の内側を見つめてみて。そこには最初から本当の自分がいるわ」
「本当の自分、ですか」
「そう。あなたはなんて言ってる?」
本当に望んでいるものは、意外とよく解っていないものよと、阿閦は微笑んだ。
「大事なのは未来ではなくて、目の前のものごとと向き合い続けていくことよ」
写仏を終えると、堂守が
「お寺に奉納なさいますか? お持ち帰りもできますよ」
と尋ねた。
「仏様とのご縁を結んだことになりますから、どちらでもご利益は変わりません」
「ご利益というのは……?」
「薬師如来様は、病や心の痛みを取り除いてくださいます。お守りにと持ち帰る方も多いですよ。一度、ご縁を結んだ方を、仏様は守ってくださいます」
それなら、と持ち帰ることにし堂守が紙袋に入れてくれた。
駅にまでもつかと思ったが、途中で雨が降り出した。濡れないように、紙袋をポケットにねじ込む。電車で、日光のマンションのある駅まで戻る。
意外と距離があるが、今までは二人で歩いていたから気にならなかったんだろう。
日光の部屋へ帰ると、彼は出かけているようだ。
濡れた体を、エアコンが冷やしたのか急に頭が痛くなった。シャワーを浴びて、着替えてから、そういえばケンカをして部屋を出たんだと思い出す。のこのこと帰っていてしまったのは、もう帰巣本能だろうか。
寺で言われたことを思い出して、横になる。
高校の時から気持ちは変わっていない、と言えるだろうか。日光の屈託のない明るさに憧れていた。ホストとして働いている姿を見ても、あの頃とまったく変わってなくて。
本当の自分が望んでいることは、もっと小さなことだ。
「日ちゃん……」
話したい……。
寝転がって見上げた天井が少しぼやけた。床に転がっていた服を引っ張って、枕にして眠った。
鍵を開けて、リビングに入ったた途端、転がっている月光に気がつく。
(この子、俺がおらな死ぬんちゃうか)
なんで、ちゃんと着替えてんのに、床で寝てるん。しかも人のジャージを抱きしめて。
「月ちゃん、起きや」
ペチペチと頬を叩くが、起きない。寝たふりでもなし、熟睡している。
「なんで床で爆睡してんねん……。アホやなあ……」
よっこいしょと、抱えあげて、ベッドまで運んだ。
雨はまだ降り続いていて、洗濯機に、月光の濡れた服を放り込む。
「ん? なんやこれ」
ポケットからなにか、半紙のようなものが出ている。
見るともなしに中が見えてしまった。
「……」
気がついたら、ベッドに寝かされていた。
「なにしとんねん、風邪ひくやろ」
「……日ちゃん」
「腹減ってへんか? うどん茹でるし」
さっきまで床で寝てたはずなのに。しかも飯の用意までしてくれるという。
諦めるなんて、できない。
好きならこちらから行かなくては。
「……はい、いただきます」
しばらくして、うどんをお盆に乗せて日光が運んできた。
薄い出汁が関西風で、地元を思い出させた。
「……美味しいです」
こういうところに気がつく、日光の優しさが染みる。
「あの」
「ごめんな月ちゃん。俺に会いたくて東京に来たんやな。あんな言い方してほんま悪かった」
日光に先に謝られてしまった。
でも、今なら素直に話せる。
「いいんです、俺も、ちゃんと話せば良かったんです。日ちゃんが優しいから、一緒にいられたらそれでいいと誤魔化そうとしてました」
「うん」
この暖かさのそばにいたい。
「ずっと好きでしたと、言えなくて苦しかった。……俺のそばにいてくれませんか?」
じっと目を見て、日光は慎重に言葉を探している。
長い沈黙のあとに、そっと日光の手が、月光の手の上に置かれた。
「月ちゃんの好きとは、たぶん違う。でも……。月ちゃんとおると、素の自分でいられる気がする」
ラーメン屋のバイトと客に説教をされて、気づいた。思い込みで決めつけない、自分も相手も、そのままに見る。
まずは受け止めてみる。
「……付き合ってみる?」
「……ええ、ぜひ」
「俺、男やし、やっぱり女がいいってなるんちゃうの」
「ほんとのこと言うと、俺、ちゃんと女性とお付き合いしたこと無いんです」
「ウソつくな、そんなわけ……」
「日ちゃん、俺のことなんて、何も知らないでしょう?」
確かに、今まで知ろうともしなかった。
重ねた手を、逆に握られる。
「俺の初恋、もらってくれませんか」
「重いねんて。……でも、ええで」
「理想があるんです、朝日が差し込む窓辺で、自分の横で、好きな人が目を覚まして、みたいなのが」
「かまへんで。なんでも話してや」
ズボンのポケットから出てきた、写仏に書かれていた願いごとは、『素直になる』だった。仏様のご利益というものは本当にあるらしい。
今、一緒にいたいと思う、それでいい。
「夏になったら、海行きましょう」
「ええやん。初恋っぽい」
とりあえず今日は、いっぱい話しましょと引き寄せられる。
言葉を紡ぐはずの唇を塞がれた。
夜が明けたら、夏が始まる。