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    久々に青空文庫を読み回り、気に入ったものを参考に壊毒の短編を書きました。


    下記の作品を参考にさせて頂いております。

    まれびと
    室生犀星 「星より来れる者 『虫』」

    陽炎の手引き
    梶井基次郎 「Kの昇天ーー或はKの溺死」

    欺けども愛
    芥川龍之介 「悪魔」

    報恩は果たされず
    室生犀星 「蛾」

    嫁入綺譚まれびと


     星月夜、壊のところへ迷い込んできた一匹の生き物はただ一言毒蛾と名乗りそのまま家の隅に居座った。毒蛾は膨らんだ外套を脱ぐと丁寧に畳み、自分の隣にそっと置いた。その背には大きく分厚い一対の白い翅が生えていた。
     毒蛾について何ひとつ明らかにならないまま昼と夜が繰り返された。
    人のような、翅虫のような、朝靄のように物静かな生き物は何をするでもなく、ひがな日と月の光を浴びて過ごしていた。壊は何も問い質そうとはしなかった。いつしかこの謎めいた生き物を心から好ましく思うようになっていたのだ。
    ふと毒蛾の背中に目をやれば柔げな翅が呼吸に合わせてなだらかに揺れ、時折ふるりと身震いしている。この翅を毟ってしまえば何処にも飛んで行けないのではないか。こうした昏い誘惑はしばしば壊の胸に飛来したが、その度自らの理性によって撃ち落とされていた。翅もまた壊の愛する毒蛾の一部であった。
     ある春の朝のことである。毒蛾は変わらず家の隅でかしこまり、雪見障子の玻璃越しに白んでいく山の端を眺めていた。壊は微かに震える翅に目を凝らした。その眼差しは確かな熱を帯びていた。遥か遠くの星々に焦がれるような眼差しであった。
    「これがお気に召しましたか?」
    はたと目を上げると毒蛾が真っ直ぐにこちらを向いていた。人とは違う虹彩が朝日を吸って一段と瞬いている。
    「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
    毒蛾は思い詰めた様な表情で後ろ手に翅を撫で付けていた。
    「もし、この翅を差し上げたなら、ずっとここに置いて貰えるでしょうか?」
    唐突の申し出に思わず面を食う。それは壊の望みに沿ったものであったが、些か正鵠ではないようにも感じられた。
    「それではお前は飛べなくなるだろう。」
    壊の言葉に毒蛾は小さく首を振る。
    「この翅で風に乗ることは叶いません。柔らかく脆すぎるものですから。」
    ならばお前はどうやってここに来た、そう尋ねると毒蛾は事もなげに自身の足を指差した。
    「この足を使いあなたの元に辿り着きました。…これを差し上げればよろしいですか?」
    段々と昇る陽光がふたりの体を暖めはじめる。壊は静かな声でその必要はないと答えた。毒蛾は困った様に眉を寄せ、その目は潤んでいるようだった。壊は毒蛾に歩み寄り、白磁と見紛う滑らかな頬にそっと手を添わせる。
    「変わることなく側に居るとだけ約束をしろ。そうしていつまででもここに居るといい。」
    毒蛾はぱちりと瞬きをして壊の目を見上げた。しばらくの間ふたりはそのまま見つめ合っていた。そうして毒蛾はひとつ頷きをして立ち上がり、初めて星に手を伸ばす子供のような慎重さで薄い手のひらを壊の無骨なそれに重ねた。



    陽炎の手引き


    「こんばんは」
    黄昏時、自分の影に向かってそう呟くのは幼い頃からの習慣である。両親も友人も気味が悪いと一様に顔を顰めるが、毒蛾はこの儀式めいた慣わしをやめるつもりは毛頭なかった。
    「今日こそ連れて行ってくれませんか?」
    灼けつくアスファルトを黒く切り取ったまま影は微動だにしない。
    「では明日は?」
    影はあくまで影であった。
    「じゃあせめて、オレを残して消えてしまわないで下さいね。」
    その時、頷くように影が揺らめいた。毒蛾の他にそれを見た者はいない。人に話せば見間違いだと笑われるような些細な出来事に過ぎなかった。毒蛾にとってはそれで十分だった。
     自らの意思とは別に影が震えて見えるたび、毒蛾は幼い頃に意味の分からぬまま文字を追ったある小説を思い出す。月光が作る影の中に何かを見出す男の話。毒蛾は小説の中の男を羨ましく思った。月光の作る影ならば一晩中見つめていられるではないか。毒蛾の影の寿命は短い。それは赤く熟れた太陽が地平に掛かってからすっかり力尽きてしまう迄、僅か寸刻限りの逢瀬だった。
     今日もまた毒蛾は日の沈む時刻を待ち望む。毒蛾には予感があった。来年のこの季節、自分はもうここにはいないだろうというものだった。何一つ根拠はない。しかし毒蛾がそう思い、影がそう思わせているのならそれが真実となる気がした。この影の中から伸びた腕は自分の手を引き、そのまま影の海へと沈んでいくのだ。毒蛾は堪えきれない喜びに胸を躍らせた。十七歳の夏、見知った街を行く足取りはこの世の誰のものより軽い。



    欺けども愛


     とある男が花嫁を迎える。そのため方々から所縁あるものがこの教会を訪れ、明日のよき日を迎えるべく早くも宴に精を出していた。かくいう自分もその内の一人である。男とは近しい間柄でありながらどうにも互いに馬が合わず、此度の婚姻も花嫁への同情の気持ちを禁じ得ずにいた。ただそれは己が思ったところで詮ないことでもあった。
     夜が更けてなお宴は終わりを見せず、涼やかな風と秋の豊穣がその勢いに薪をくべていた。別段酒に弱いというわけではないが、何事も過ぎれば体に障る。少し夜風にあたろうと喧騒を離れ、当てもなくがらんどうな教会に足を向けた。
    ふと聖堂に目をやると、誰も居ないはずの告解室に小さな明かりが灯っているではないか。先程墓地を巡回する神父とすれ違ったばかりである。となればあの小さな部屋に入っているのは誰なのか。
    その時の自分は少し酔っていたのかもしれない。
    厳粛な足音を装い、物々しげに扉に手を掛けて、司祭のための小部屋に身を滑らせた。音を立てて扉を閉め切った後、顔も知れぬ罪人が小さく息を飲んだのが分かった。


    神父様、ああ、どうか己の罪をお聞きください。そうして我が主の御心に僅かながらの温情を共に祈って頂きたいのです。
    おれはあのひとを死の国へ連れてゆく、ただその為に造られ、この人の世に遣わされたのです。
    ですが、純白の翼も黄金の喇叭も持ち合わせてはおりません。あるのはおぞましい毒の唾液ただ一つ。口づけの毒、あのひとの命を奪う、忌まわしき毒。
    まさか、こんな事になろうとは。こんなつもりではなかったのです。あのひとに惹かれるなんて夢にも思っていなかったのです。ですがあの甘やかな視線で、声で、温もりで、畏れ多くも地獄に堕ちることさえ厭わないと、そう思ってしまうほど愛してしまった。
    …逃げてしまえばいいとお思いでしょう。それができればどれほど良かったことか。何もあのひとへの愛を惜しんで、見苦しく留まっているのではないのです。
    この身は、ただ明日の為だけに造られている。そういう風に出来てしまっているのです。どれだけ逃れてしまいたいと願っても、炎に飛び込む夜蛾の如く、おれがあのひとから離れることは叶わない。

     
    そこで声は途切れてしまった。微かに啜り泣くような音が聞こえる。長い長い沈黙が続いた。
    声は花嫁のものであった。悲痛を極めた告白の内容からしても、それ以外に考えようが無かった。
    やがて花嫁は微かな衣擦れの音を連れ、告解室を後にした。足音が消えるのを待って小部屋を抜け出てみると、やはり花嫁の姿はどこにもない。辺りは再び沈黙に包まれる。
    ふと視線を上げると男が祭壇に腰掛けていた。
    祭壇は誰が見ても神聖な物であったが男にとっては取るに足らない物の一つに過ぎないようだった。その視線は今しがた花嫁が戻っていった方向にのみ注がれ、口元には微笑を浮かべている。
    これだからこの男は嫌なのだ。
     種を明かせば、男もまた花嫁と同じ人成らざるものであった。その魂は窮屈な肉体に押し込められていた。毒を含んだ口づけを交わし甘き死によってその枷を捨てた時、本来の姿を顕現させるのだ。つまるところ、全ては予定調和な筋書きで、花嫁が憂う事など何一つありはしなかった。
    天と地とこの世全てを差し置いて、男はただひとりの花嫁だけを深く愛していた。それは人の持ち得る愛情とは異なる形、異なる熱量を孕んでいるというだけのことだった。花の綻ぶような清らかな笑顔も、胸の内で荒れ狂う苦悩の濁流も全て自分の物にしなければ気が済まない、そういう類のものであった。
     男はこちらに気づいているだろうに挨拶どころか目線のひとつも寄越すことなく花嫁の後を追って行った。花嫁の残していった灯りを手に取り、自らも出口へと向かう。
    今回招かれた参列者は皆どこかおかしなところがある。蜥蜴の形をした妙に精巧なマスクを外そうとしない男、真っ赤な瞳に瞳孔を開かせた愉快げな女、体から下げた無数の杭を自在に漂わせる男…。此度の百鬼夜行、その正体を知らないのは花嫁ただ一人のようだった。
     明日、太陽が最も高く昇る頃、婚姻と再誕の典儀が執り行われる。花嫁は泣き腫らした瞼を隠す薄いベールの重みに耐えながら、この長く短い道程を進むのであろう。思わずついて出たため息が暗く広い聖堂にこだました。
    花嫁の祈りが聞き届けられることはない。なぜなら彼を造った主とやらは既にどこにも存在しないのだ。その引導を渡したのは他でもないあの男であった。全てが決したが故の婚姻だった。花嫁は身も心もとっくに男のものになっており、その事を知らないのもまた花嫁ただ一人であった。
    なんと憐れなことだろうか。あのような意地の悪い魔性に見初められてしまったばっかりに。



    報恩は果たされず


    その男はしがいない漁師であった。集落から離れた河べりの家で一人暮らし、魚や鰻やらを売って日銭を稼いでいた。
    男の漁場はたいそう豊かな大河で、そこでは四季を問わず多くの命が育まれていた。その河には主たる大蛇が棲んでおり、決してその機嫌を損ねてはならないというのが男の祖父のそのまた祖父の代から続く言い伝えであった。
     ある時、男が家に戻り釣果の検分をしていると、網の間に一匹の白い蛾が絡まっているのが見えた。蛾で腹は膨れない。放っておいても良かったが、なんとなく胸の騒いだ男は網をほどき、生きたまま草むらに離してやった。
    そうして普段と変わらず市へ魚を持ってゆき、魚と引き換えに手に入れた米や野菜で夕餉を済ませた。夜遅く、男は明日の漁の準備をしようと再び網を手に取った。するとカランと何かが床を擦る音がする。網の底をよくよくあさるとそこには一本の短剣が絡まっていた。
    柄巻は蛇腹に編まれた絹糸で彩られ、丁寧に漆の塗られた鞘には見事な蛇の刻印が施されている。その輝くような細工の数々から、やんごとない身分の姫君が嫁入りの時分に懐に忍ばせる懐剣ではなかろうかと思われた。
    その時である。
    家の外から何者かが人を呼ぶ声がした。何もやましいことはない筈だが、男は慌てて懐剣を戸棚の奥に仕舞い込んだ。
    声はなお続いている。
    恐る恐る戸口から目をやると庭の垣根の向こう側に満月の光に照らされた白無垢の麗人が佇んでいた。
     男はふらふらと垣根の手前まで足を進めた。夜分にすみません、そう言って白い息を吐く麗人はこの世のものとは思えないほど美しい顔立ちであった。
    「大切な嫁入り道具を無くしてしまったのです。確かこの辺りだと思うのですが、何か見かけてはおりませんか。」
    男はすぐにあの懐剣を探しているのだろうと気がついた。悲しげな瞳の麗人はさらに言葉を続ける。
    「あれがないと嫁に行かれないのです。
    猶予を与えられております。次の新月まで見つけてくるようにと…。」
    男は麗人にこう伝えた。何も見ていない。今日は夜も深く、探し物など出来はしないだろう。明日あたりを見ておくからまた訪ねてくるといい。
     それからというもの、麗人は毎夜男の家を訪れては失せ物の行方を尋ねてゆく。垣根を越えて家に入るようなことは決してせず、決まって河原にほど近い小道の端からの問い掛けだった。男はその清艶さにすっかり魅了されてしまっていた。ひやりとした面差しもさることながら、身に纏う白無垢は一片のけがれも見当たらず、光の当たり具合によって見事な柄が浮いて見える。七宝の模様と思っていたそれはよく見ると少々歪で、無数に連なる蛾の翅のようにも見えた。
     麗人の訴えは日を追うごとに必死さを増していった。
    「本当に何も見つかっておりませんか?このままでは恐ろしい事が起こってしまうのです。」
    麗人の美しさに目の眩んだ男は聞く耳を持とうとしない。それどころか本心ではこのまま破談になってはくれまいかとさえ思っており、懐剣はやはり仕舞い込まれたままだった。
    翌晩もまた麗人はやってきた。その表情はこれまでで最も暗いものだった。
    「明日が約束の新月なのです。これを過ぎてしまえばもう自分には手の打ちようがなくなってしまう。」
    男はもう何度目かになる嘘を口にした。
    麗人は黙ってそれを聞いていた。
    表情はやはり悲しげで目線は男の家の奥に注がれている。そうして男へ向き直りただ一言「先日はありがとうございました」と深く頭を下げて、それから闇にうち消えるように男の家を後にした。
     翌日はじっとりと生ぬるい風が肌を濡らす嫌な一日であった。
    月のない夜、男が戸口に立って麗人を待てどその気配はない。今日はもう来ないのかと手燭を掲げたその瞬間、不意に蝋燭の火が消えた。明かりと入れ替わるように暗闇の中ズルリ、ズルリと何かを引き摺る音が聞こえ始める。男は気味が悪くなり急いで家の中に引っ込んだ。しかしどういうわけか家中の灯りが消えてしまっている。男が灯りをつける間もなく地響きの如く家全体が揺れ始める。
    その時、カラン、と何か物の落ちる音。
    今の音は懐剣を隠したあの戸棚のあたりからではないか。血の気が失せ、体を震わせる男を追い立てるよう外では何かが古家の周りを蠢き、締めつけ、そしてーー。

     翌朝男の家の周りには人集りができていた。巨大な何かに押し潰されたかのように無惨にひしゃげた家屋の残骸。家主の姿はどこにもない。きっと河の主の怒りに触れたのだ、誰もがそう確信しては慄き、来るであろう災禍に絶望した。
    しかし、予想を裏切るようにその年の河はいつにも増して穏やかだった。漁に出れば船一杯の釣果があり、質の良い水のお陰で田畑の作物も豊作が続く。人々は首を傾げつつ、その恩恵に預かった。
     ある時、徳の高い法師が河のほとりを通りかかった。人々はこれ幸いと此度の顛末を口々に伝え、河の様子を見て貰いたいと頼み込んだ。法師は造作もないことだと請け負った。
    法師が大河をぐるりと見廻して言うことには、河の主はかねてから懸想していた相手を無事伴侶に迎え、互いに睦まじく過ごしているとのことだった。主はいたく機嫌を良くしており、少なくとも数年は今年のような豊漁が続くだろう、とも。皆が胸を撫で下ろす中、あるものが男の行方を尋ねた。河の主の怒りを買ったであろう男はどうなってしまったのか。思い思いに話をしていた人々は一様にしんと静まり法師の言葉を待った。法師は何も言わず、河べりの積み重なった岩のひとつを指さした。岩の上では小さな蛙が一匹、物悲しそうに喉を震わせているだけだった。



    夢の跡先


     人知の及ばない厳しい霊峰の最深部。創世より何人も踏み入ることのなかった清き水晶の洞窟に、まさに今、1人の男が踏み入ろうとしている。
     その男-壊は張り付くゴーグルを引き剥がし、全身に張り付いた雪を落としながら洞窟の奥へ足を進める。入り口から入る僅かな光が氷の壁を反射して、洞窟の内部は驚くほどに明るかった。
    「あなたをお待ちしていました。」
    洞窟の奥にはひとりの青年が座っていた。黒檀の髪と胡粉色の肌、その相貌は見事なもので一際目を引く両の瞳は満月を写したように美しく、壊が夢で見た通りの姿だった。青年の周囲には繭のような白い袋が無数に吊り下げられている。
     青年は毒蛾と名乗り、自らの役目を語った。
    「朝が来て眠り、夜が来て紡ぎ、そうしてまた朝が来て夢を見る。夢の中で見たあまたの人生を薄氷と生糸を織って作った紗で包み、幸せを願って水晶の洞窟に飾っていくのです。」
    これが毒蛾の唯一の使命であった。

    「俺が来ると分かっていたのか。」
    「はい。今朝はあなたの夢を見ていましたから。」
    そう言って毒蛾はにっこり笑い、壊は眩しそうに目を細めた。
    「あなたがこの山の麓に立っているところから始まって…。あまりの吹雪に二日ほど立ち往生されてましたね。」
    「ああ。」
    「案内人の制止も聞かず、あなたが登山を続けた時は驚きました。」
    「そうか。」
    「最後の難所で滑落しかかった時は心臓が止まるかと思いました…。お怪我はありませんか?」
    「問題ない。」
    「あなたを大切に思う人はさぞかし心配していることでしょうね。」
    話を続ける毒蛾をよそに壊は背負っていた荷物を下ろしていく。
    「これを。」
    そう言って大きな荷物から取り出されたのは、ゴーグルやウエア、グローブといった一揃いの雪山装備だった。見たところ、壊の体には小さ過ぎ、毒蛾の体に申し分ない寸法のようである。
    「山を降りる。早く着替えろ。」
    毒蛾はこれ以上ないほど狼狽えた。
    「…もしかして、オレも一緒に?」
    壊の表情に変化はない。
    「そのためにここまで来た。」

     毒蛾はなんと言っていいか分からず、壊の姿を避けて視線を彷徨わせた。そんな毒蛾を見下ろすようにして壊は黙って返答を待っている。そう長い時間ではなかったはずだが、毒蛾にとっては永遠のように感じられた。
     たとえば…、多分の逡巡を含んだ呟きが洞窟の中で反響する。
    「誰かと夜が明ける瞬間を見てみたくて…」
    「明日にでもかなえてやれる。」
    「日の光が熱いという感覚を知りたくて…」
    「夏はまだ先だが…南の方へでも行くか。」
    「天使と悪魔に会ってみたくて…」
    「アポを取っておこう。」
    「懐剣というものを、その…」
    「お前ために作らせた物を用意してある。」
    「…本当にオレが、あなたと?」
    「そうだ。」
    毒蛾はぼんやりと壊を見上げた。その頬にははっきりと赤みが差していた。
    「あなたについてゆきます。」
    毒蛾の決断に壊は満足そうに頷いた。

     踵を返し下山の支度を始める壊を眺めながら、毒蛾はふと吊り下がる無数の繭に目をやった。
    「ではもうここには戻れませんね。」
    そう言葉にした途端、急に心許なく、うら寂しい気持ちが強まった。堪えきれず、壊の袖を引く。
    「あの、ここにあるものを幾つか見ていきませんか?あなたもお疲れでしょうし、お話をして、少し眠ってからでも…。」
    壊は些か不服そうに眉をあげた。しかしそれも一瞬のことで、数度の瞬きによって眉間の皺は緩められ、せっかく身につけた装備を全て外して毒蛾の隣に腰を下ろした。
    毒蛾は自分以外の生きた人間を見たことが無かった。他人と言葉を交わしたことも、自分の願いが聞き届けられたことも無かったのだ。あらゆる奇跡が重なり過ぎて眩暈がするような心地であった。
    「どんな物語がお好みですか?」
    早速とばかりに毒蛾は垂れ下がる繭一つ一つに手を翳していく。
    お前が一番気に入っているものを、そんな壊の囁きに毒蛾は更に顔を赤くさせながら自分のすぐそばに下げていた繭を手に取った。
    「ではこれにしましょう。」
    純白の包みを二、三度軽く振ったのち、丁重に繭を縛る絹糸を解きほぐす。
    それではご案内します、毒蛾の声を皮切りに、辺りは星のみが輝く闇夜となっていく。


    「まずひとつめは、恋した男の家を訪ねる不思議な蚕のお話から…。」
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    DONE久々に青空文庫を読み回り、気に入ったものを参考に壊毒の短編を書きました。


    下記の作品を参考にさせて頂いております。

    まれびと
    室生犀星 「星より来れる者 『虫』」

    陽炎の手引き
    梶井基次郎 「Kの昇天ーー或はKの溺死」

    欺けども愛
    芥川龍之介 「悪魔」

    報恩は果たされず
    室生犀星 「蛾」
    嫁入綺譚まれびと


     星月夜、壊のところへ迷い込んできた一匹の生き物はただ一言毒蛾と名乗りそのまま家の隅に居座った。毒蛾は膨らんだ外套を脱ぐと丁寧に畳み、自分の隣にそっと置いた。その背には大きく分厚い一対の白い翅が生えていた。
     毒蛾について何ひとつ明らかにならないまま昼と夜が繰り返された。
    人のような、翅虫のような、朝靄のように物静かな生き物は何をするでもなく、ひがな日と月の光を浴びて過ごしていた。壊は何も問い質そうとはしなかった。いつしかこの謎めいた生き物を心から好ましく思うようになっていたのだ。
    ふと毒蛾の背中に目をやれば柔げな翅が呼吸に合わせてなだらかに揺れ、時折ふるりと身震いしている。この翅を毟ってしまえば何処にも飛んで行けないのではないか。こうした昏い誘惑はしばしば壊の胸に飛来したが、その度自らの理性によって撃ち落とされていた。翅もまた壊の愛する毒蛾の一部であった。
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