アリス世界線「鏡の国のハートの女王様」アリス、アリス、僕はアリス……?
いや。
【僕】はハートの女王様。
この世界に、アリスは要らない。
ここは【僕】のワンダーランド。
【僕】が支配するワンダーランド。
さぁ、アリス。
今こそ、永遠の眠りにつく時だ……
「うわーーーっっ!!女王様!!わかった!!わかったから鎌をッ!!あっ!!首斬れる!!首斬れるってぇッッ!!!!」
「大人しくしないと一回で終わらないよ」
「その前に息の根が終わるってのーーー!!!!」
とある日の不思議の国。
零夜の気分で首を斬られかけているアタリ。これはごく普通の光景だ。追いかけっこをして、捕まったら首を斬られる。これはこの世界の自然の摂理。
誰が決めたわけでもなく、元からある決まりなのだ。
しかし零夜はそんなに簡単に誰かの首を落としたりはしない。住人達は自ら首を差し出してくるが、零夜が斬りたいのは面白おかしく命乞いをするアタリの首。
そしていつもいつも面倒事を起こすマルコスとサーティーンの首なのだ。
「ったく……ペンキの色が気に入らなかったくらいでさ……」
「……僕は緑がいいって言った」
「白い薔薇は昔から赤いペンキで塗るって決まってるだろ!」
「む……」
「そんな顔してもダメなもんはダメだからな」
鎌をしまい、アリスに戻った零夜。その姿を見て、アタリは前から抱いていた疑問を口にする。
「なぁアリス。アリスはいつもハートの女王様は要らないって言ってるのに、何でお前の中には女王様がいるんだ?」
「え……?」
「よくよく考えたら何でかなって。前からそうだったから、変なことではないんだろーけどさ」
「……」
零夜は顎に手を当てて考え込む。
そういえば、そうだ。
この不思議の国ができて、少ししてからだろうか……突然自分の中に別の自分がいるように感じた。
それは零夜という存在であるなら普通のことなのだが、彼は別世界線の自分との交信を遮断している為に他の自分が介入してくることはありえないはずなのだ。
ならば───────"彼"は一体、誰なのか?
思えば振り回している大鎌もいつの間にか手にしていたものだ。
それに零夜にとってハートの女王……つまり支配者は、元の世界の"奴"と同じ。そんなものが存在するくらいなら、国を作る女王も国を変えるアリスも自分が担えばいいと思ったのだが。
何故……"女王"と呼ばれる、自分でも自覚していない人格ができたのか。
「……」
「アリス?」
ぴょこん、とアタリの頭に生えた白いうさ耳が頬をくすぐる。零夜は考えるのをやめて、はぁ、とため息をついた。
「僕はアリス。ただそれだけの話だよ」
「……アリスがそう言うなら、まぁいっか!」
アタリの笑顔にほっと安心して、二人は今日の国の見回りへ出向いた。
【どうして言うことが聞けないの!?】
いたい。
【無愛想な子ね!何よその目は!!】
くるしい。
【気持ち悪い!こっちを見ないで!】
やめて。
【アンタなんか引き取るんじゃなかった!!】
嗚呼。
【居候のくせに!!言うことくらい聞きなさい!!】
これは───────
「っ……!!」
零夜は飛び起きた。そこは、チェシャ猫の森の中の、花畑。いつも零夜が昼寝をする場所だ。
(こんな夢……ここに来てから見たことがなかったのに……あれ?)
しかし零夜には、昼寝をした記憶などない。
(どういう、ことだ……?)
零夜は立ち上がり、森を抜けようとした。
その時。
「!?」
何やら様子のおかしいトランプ兵達が零夜を取り囲む。先がスペードになっている槍が、零夜に向けられた。
「っ……何の真似だ?城に戻れ」
「……」
トランプ兵達は零夜とアタリの言うことには必ず従うはずだ。だが一人も動こうとしないどころか、
「っ!?」
向けた槍を零夜に向かって突き出してきたのだ。
「くっ……!」
零夜は反射的に大鎌を出そうとしたが、
「!?(大鎌がっ……)」
ないのだ。能力で呼び出しても、出てこない。
何が起こっているのかわからず、零夜はトランプ兵達の攻撃を避け続けるしかない。
(力を使うか……?だが……)
……この世界で、暴力は。
零夜が戸惑っている隙に、トランプ兵が槍を突き出し……
すんでの所で、その槍が掴まれた。
「なんか面白そうなことやってんじゃねぇか?アーリス♡」
「チェシャ猫……!」
槍を片手で折りながら現れたのはサーティーンだった。サーティーンは零夜を抱き抱えると、
「ちょっと失礼、アリスは俺様のものなんでな」
その場から零夜諸共姿を消した。
そして森から少し離れた場所に着いたが、
「げっ……!?」
そこにもトランプ兵達がわんさかいたのだ。
無数のトランプ兵達が向かってくる。そこへ、
「そんなにボクのお茶が欲しいならあげるよッ!」
マルコスが現れ、ポットの中の熱い紅茶をばら撒きトランプ兵を無力化した。
「マッドハッター……!」
「アリス、とっても楽しいことになってるね!ってなーんだ、チェシャ猫も一緒かぁ」
「とにかく、嫌だがお前の家に行くぞ!トランプ兵共はお前を嫌ってるから家の中まで入ってこねぇだろ」
「うっわ失礼!でも一理あるね。アリス、おいで!」
二人に連れられ、トランプ兵達を振り払って一旦マルコスの家へ避難した。
サーティーンの思った通り、マルコスの家の敷地の前でトランプ兵達はウロウロするだけ。誰も彼の家に入ろうとは思わないようだ。
「流石この国一頭がおかしい男だな」
「一番おかしいのはキミだってば。それよりアリス、これは一体どうしたの?新しいイベントか何か!?酷いよ、そんなのあるなら特別なお茶とお菓子を用意したのに!」
「……実は」
零夜は経緯を話す、が。零夜にも何がどうなっているのか分からない。アタリと国を歩いていたら突然記憶が途切れ、気づいたら夢を見ていたのだから。
零夜の話を聞いたマルコスとサーティーンは珍しく顔を顰めている。
「そういえば、森の奴らが女王サマが来たって騒いでた気がするな」
「え……?」
「ボクも通りすがりの住人から聴いたよ。でもおかしな話だよね、女王様はアリスなのに」
マルコスの言う通りだ。零夜が女王のはず。だとしたらあのトランプ兵達は誰の命令で動いているのか。
「……白うさぎは…………?」
「え?」
「っ……!!」
「あっ、アリス!?楽しそうだからボクも混ぜてーっ!」
「待てコラ!!俺様を置いていくな!!」
嫌な予感がした。そうだ、アタリが何処にもいないのだ。
いつも自分の近くにいて、こんな緊急事態ならまっさきに自分を探してくれるはずのアタリが。
零夜は裏口から飛び出し、城を目指す。
(白うさぎっ……無事でいて……!!)
辿り着いた城はトランプ兵達で溢れていた。とてもじゃないが入れそうにない。
「……チェシャ猫」
「はいはい、わかってますよ。中に入りたいんだよな?頬にキスでいいぜ」
「……お願い」
サーティーンのおねだりに仕方なく零夜は頬にキスをする。その様子をマルコスは嫌そうにジト目で見つめた。
「ならボクは少しトランプ兵達を誘き寄せてくるよ。その隙に行って」
「……ありがとう、マッドハッター」
すると零夜はマルコスにも同様にキスをした。マルコスはしばし固まると、
「その、"ありがとう"ってやつ。また今度じっくり意味を聞かせてね」
そう言ってウインクし、門の前に立っているトランプ兵達の元へ向かった。
その様子を嫌そうに睨んでいたサーティーンは、零夜を連れて城へ侵入する。
「くそ、廊下にも溢れてやがるぜ……アリス、俺が誘き寄せる。お前は行け」
「……すまない」
「その言葉の意味はわからねぇな。後で教えろよ」
あぁ、そういえばこの国にはありがとうの他にも謝るということが浸透していないのだった。教えないといけない。その為にはこの異常事態をどうにかしなければ……
サーティーンに守られながら、零夜は城の奥へ進む。
そこはアリスのことを綴る、「アリスの本」が祀られている場所。玉座と台座だけが置かれた場所だ。
零夜以外は入れないはずなのだが。
開くと……
「!!」
そこには、驚きの光景があった。
「やぁ。来るのが遅いじゃないか、アリス?」
「……君、は…………」
玉座に座っていたのは、
───────もう一人の自分だった。
「【僕】はハートの女王……この国の支配者だ」
「ハートの、女王……?そんな馬鹿な……」
「ずっと前から君の中に居たじゃないか。なのに忘れてしまったのかい?」
目の前に座るハートの女王は、格好も雰囲気もアリスである零夜とは全く違う。しかし顔は瓜二つ。
不思議の国に新しい存在が生まれることは、頻繁ではないが珍しいことでもない。
だが零夜はわかっていた。これは、イレギュラーなことだと。
「トランプ兵達に僕を襲うよう指示したのは君かい?」
「そうだよ。だって、この国にアリスは要らないから」
「要らない……?それはどういう」
「君がいる限り、この国は変わらないからだよ」
「変わら、ない……?」
狼狽える零夜に歩み寄る女王は、零夜の顎を掴んで上げる。不敵に笑った彼は、困惑する零夜を愉しげに見ていた。
「優しさだの、成長だの。そんなくだらないものを広めようとしただろう?ダメじゃないか、そんな必要の無いものをこの国に広めては」
「っ、必要ある……!全てこの国に必要なんだ……!」
「……君自身がよく知らないくせに?」
「!!」
「【僕】は知っているよ。君がこの国を作った経緯を、理由を。逃げたかったからだろう?あの地獄から……」
あの、地獄。
チェシャ猫の森の花畑で見た、悪夢。
あれが零夜がこの国を造りあげ逃げ込んだ理由だった。
「【僕】の役目は、君の防衛。あの地獄の日々を【僕】という存在の中に押し込み、人格として形成することで封印した。そして不思議の国を造り上げた時、君がアリスになると同時にハートの女王になった。君がハートの女王は"奴"だと認識したその時から、"奴"の記憶が詰め込まれた【僕】はハートの女王なのさ」
「……まさか……君は、あの時の出来事がきっかけでできた、僕の人格……?」
「けれど、見ていてあまりにつまらないと思ってね。君はこの国を変えたいというくせに、全く変わろうとしない。変わるのを恐れている。【僕】らしくなくね」
「恐れるなんて、そんな……」
「【僕】に脅えているのが何よりの証拠さ。恐れるのは優しさなんて愚かなものがあるから。……でも君は優しさを捨てようとはしない。できない。だから【僕】が出てきてあげた。代わりに支配してあげる、【僕】がこの国を変えてあげるよ」
「そんなの望んでないッ……!!この国は僕の国だ!」
「君が逃げ込むだけの都合のいい箱庭かい?そんな物、意味があるとは思わないね。君は世界を甘く見ている」
ハートの女王は零夜を突き飛ばす。零夜の背後にはいつの間にか姿鏡があった。
それは零夜にとって、見たくない物だった。
「っ……!?」
「永遠にお眠り、【僕】のアリス。あぁ、そうだ……」
姿鏡が零夜を飲み込む寸前……ハートの女王は悪どく嗤った。
「───────君の大好きな白うさぎも、【僕】が支配してあげるから」
「……!!」
零夜が最後に見たのは……
ハートの女王の手に握られた、アタリの懐中時計だった───────