フライデーからサタデーナイト【オル相】 オールマイトのゴシップというものは、すっぱ抜く方も社運を賭けていると言っても過言ではないかもしれない。何しろ相手は品行方正の代名詞、敵には容赦ないが市民には優しくファンサービスも忘れない紳士たる平和の象徴なのである。
ベット先を間違えると世間から非難を喰らうことになるハイリスクリターンゼロにも思える賭けは、やはり可能性はゼロではないという言葉を信じて穴の開いた船で嵐の海に漕ぎ出す命知らずを失わせるにも至らない。
そんなオールマイトという唯一無二の存在の想い人は確かに世界中の関心ごとであるし、あわよくばなどと立候補したり実力行使に出ようとするものも多い中、オールマイトはパパラッチの波を上手く躱していた。
時折女優や一般人がお相手として名を並べた本やネット記事が出回ることもあるけれど、その時は瞬時にオールマイトは相手を傷付けることないようフォローしつつ丁寧に関係を否定した。その流れが完璧にできている。
そんな六月末のある日、マイクが「おい見たかこれ」と冷やかしながら相澤の肩を引っ掴んで抱き寄せるように自分のデスクのディスプレイを見せた。
「ヤダいちゃつかないでよこんな時間に。卑猥だわ。もっとやって」
ミッドナイトの的外れな冷やかしが右耳から左耳に流れていく。
ディスプレイには、オールマイト熱愛発覚!と断定形で記された煽り文と、オールマイトが女性をエスコートしてどこかの店に入るところの画像が映っていた。
後ろ姿だけでもとても背の高いグラマラスな女性だということがわかる。オールマイトの髪色に良く似たショートカットの金髪、仲良さげに隣を歩くオールマイトに絡められた細い腕の色の白さに目が行った。
「マイティ彼女居たんだなァ。あんまプライベートに立ち入るのも悪いと思って聞いてなかったけど」
「……そうだな」
「反応薄ッ」
「興味無い」
マイクの腕を解いて相澤は自分の画面に視線を戻す。まだ半分以上空欄の書類に無言でキーボードを叩き続けた。
「えっ?オールマイトに彼女?」
ミッドナイトが声を輝かせて寄って来る。
「本当かどうかわかんねえっすけどね」
マイクは椅子ごと横に引き、相澤に見せた画面をミッドナイトに見やすいように移動した。
「腕組んじゃってるじゃない。オトモダチなら流石にここまでしないでしょ。これ誰?アメリカの女優さん?ああ、来日してたのね、カレシに逢いに」
それから二人は延々とこれまでのオールマイトゴシップの思い出話を始めた。
やれあの時は相手の女優の暴走だっただの、あそこのホテルは写真を撮られやすい穴場があるから気をつけた方が良いだの、よくもまあぺらぺらと次から次へ話題が尽きず話し続けられるものだと感心しながら相澤は上書きボタンを押した。
「相澤くんは聞いてないの?オールマイトの彼女」
「知りません」
「聞いといてよ」
「ご自分でどうぞ」
相澤はミッドナイトの要求に愛想なく返事をし席を立つ。職員室のドアを開けて出た廊下で、周囲に誰も居ないことを確認してからポケットから携帯端末を取り出す。
そこにはオールマイトからの着信もメッセージもなかった。
相澤消太はオールマイトと交際している。
自分だけがそう思っているのか、或いは弄ばれているのかと疑ったこともあったが、オールマイトはことあるごとに相澤に愛を告げるしその態度もどう贔屓目に見てもこちらを騙しているようなものではなかったから、多分オールマイトの今の恋人は自分のはずだ。
だから、交際を始めて二ヶ月になろうとしている今、交際中としては初めて公に、しかも大々的に報じられたこのオールマイトの熱愛報道に対しどんな態度を取るべきなのか皆目見当がつかない。
(どうせすぐにオールマイト側から否定のコメントが出されるだろ)
前例に照らし合わせるなら明日の朝にでもそれは発表されるはずだ。
だから相澤は、面倒臭い女のように「あの女は誰なの?!私だけじゃなかったの?!」などとオールマイトに問い詰めたい気持ちなど微塵も浮かばなかった。それどころか同情の気持ちが湧いて来る。
(オールマイトさんも大変だな……)
全く火のないところに煙を立てられ、それを火事ではありませんよと否定して回る労力を思えば損害賠償くらい請求しても良いのではないかと思う。しかし、あまりその辺の話を突っ込めば「じゃあ君との交際を発表してもいいかい?」などと聞いて来るに決まっているから、それを断る手間と天秤にかけて何も言う気になれなかった。
本日オールマイトは既に帰宅済みだ。
(興奮して大騒ぎした生徒たちで明日の授業に支障が出ないといいんだが)
ペンのインクが付いていた手を洗面所で石鹸をつけて丁寧に洗う。鏡の中の自分の顔は、ノーダメージに見えた。
結局翌朝になってもオールマイトからは何ひとつ連絡が届くこともなく、生徒達の大騒ぎよりも先に職員室の姦しい雰囲気に出勤した相澤は顔を顰めた。
当のオールマイトは誰かに話題を振られてもハハハと否定も肯定もせず曖昧に笑うばかり。
何も聞かない相澤に対しては何も説明する必要がないと思っているのか、オールマイトは完全に同僚の仮面を外す気配もない。一緒に弁当を食べた昼休みですら。
公式に出されるはずの関係を否定するメッセージもなく、オールマイト側が沈黙を貫くものだから「何も言わないということは本当なのではないか?!」と勘繰ったメディアが校門前に押し寄せる騒ぎになったのだ。
校長は困ったねえと全く困っていない顔をする。
そろそろ下校時刻になろうというのに一向に居なくなる気配のないマスコミに相澤の堪忍袋の尾が切れる方が先だった。
職員室でお茶を入れていたオールマイトにボヤいてしまう。
「あの人たちどうにかして貰えませんか」
「そうだね、生徒にも周囲のお家にも迷惑がかかってしまうから帰って貰うようお願いして来るよ」
「否定すればいいだけでしょう」
いつもみたいに。なぜ今回に限って否定メッセージの公開が遅いのか解せないと見上げる相澤は、見下ろしたオールマイトの薄い笑みにぎくりとした。
「……否定は、しないよ」
オールマイトの答えに言葉を失った相澤の横を通り過ぎオールマイトは校長に校門に行ってきますと声を掛けて職員室を出て行った。
(……否定しない、って、なんで)
オールマイトの、恋人は。
「どうしたのイレイザー。顔色悪いわよ」
「異常ありません」
相澤は努めて平静に、淡々と山積みの業務を片付ける。
『オールマイト交際認める!』
『お相手はアメリカ在住の女優』
『結婚秒読みか?!』
「ほえ〜。オールマイトの記事すごいねえ」
麗日は緑谷の机の上に積まれたスポーツ新聞の見出しを眺めてそんな感想を呟いた。
「オールマイト、確かに最近機嫌が良いなあとは思ってたんだけどこれが理由だったのか……」
「ケッ。ケツと乳がでかいだけの女じゃねえか。オールマイトも即物的だったってことか」
「でかいことに越したことはないだろ?!」
爆豪の謗りに峰田は反駁し、オールマイトよりお相手の女優の写真を値踏みするように舐め回し、印刷のインクの点描すら詳らかに眺めていた。
「ほら少年少女、予鈴が鳴ったよ。席に着きたまえ」
「あっオールマイト!交際おめでとうございます」
教室の後ろの席から入って来た緑谷に礼儀正しく祝福され、オールマイトは少し困ったように笑った。
「そのことに関してなんだけど」
がらりと前方のドアが開く。険しい顔の相澤は教卓の前に立ち、授業に関係ないものをしまえと言い放った。
「オールマイトさん。プライベートな話で授業の邪魔をするのをやめて頂けますか」
「すまないね相澤くん」
「……いえ」
相澤の注意ひとつで教室はどこか浮ついた空気を残しながらも冷静さを取り戻したように見えた。
校門でオールマイトが記者に何を言ったのか正確なところはわからない。ただ、記事を読めば決定的なことを言わないオールマイトの心情を慮ったマスコミ各社が交際を歓迎ムードに盛り上げているということは想像がついた。
「おいイレイザー、帰らねえのか?」
「時間が惜しい」
そうかい、と呟いてマイクが帰って行く。
誰もいなくなった深夜の職員室で無言でキーボードを打つ。
(……俺が知らないうちに、ひょっとして俺とオールマイトさんの付き合いは終わっていたのか?)
キスをした。
挿入される立場になるのは初めてだったけれど受け入れる練習をしてセックスもした。
次のデートの約束はなかった。
家に帰れば、否応無しに思い出してしまう。
あの部屋で初めて唇を触れ合わせたこと、部屋の隅に転がる練習のための道具、教えてもらった本名を呼びながら自慰に耽ったこと。
あれら全ては相澤の妄想の産物だったのだろうか。
首を傾げたくなるほどに、オールマイトは同僚の立場を崩さない。もしも別れていたのなら、もう少し気まずい思いをするだろうにそれすらも感じさせないから、相澤はオールマイトと交際していた記憶にすら手を伸ばすのが怖くなった。
(でも、好きだなんて、……言うか。リップサービスの得意な人だしな)
ネットのブラウザを立ち上げればトップに来るのはオールマイトの記事ばかり。
(こういう女が好みなんだな)
性別なんか関係ない、私は君が好きなんだと必死に口説いて来たあの言葉はなんだったのだろう。結局は乳と尻がふくよかな方が有利なのか。
憧れと反発が情を産んで、絆されたと言い訳が必要なくらいに真っ直ぐに惹かれたのは間違いないのに。
オールマイトが人の内面を良く見る人だというのは知っている。勿論君は美しいけれど見てくれに惚れたわけじゃないと熱弁を振るっていたから、この乳と尻が大きな肉感的な美女はきっとオールマイトのお眼鏡に叶う清らかな心の持ち主なのだ。
決して乳と尻に惹かれたわけでは、ないと思う。
「俺たち別れたんですか」と意を決して聞いてみるべきか。しかしながら、付き合っている自覚もない相手からそんなことを聞かれるのはホラーではないだろうか。
そう、振り返れば振り返るほど、オールマイトに好きだと言われて同じ想いを返し体も重ねたけれど、お付き合いということに関しては明言がなかったような気もしている。
二人ともいい大人だから、ただの好意を伴う肉体関係に過ぎず、相澤が気づかなかっただけでオールマイトが結婚を希望する女性が他にいたのだとしても。
そこまで考え込んで頭を左右に振った。
(……そういう人じゃねえよな)
オールマイトは器用だけれど、個人的な感情のやりくりについてはドがつくほど不器用だ。
となると、やはり相澤とオールマイトの関係は、既に終わっているか、肉体関係のみだったかのどちらかということになるのだが。
「……」
煮え切らない。
すっきりとしない。
嫌いになったとか別れたいとか、そういう類の言葉ひとつもないままにある日突然打ち切られるというのは、喪失感を連れて来る。
鬱陶しいと思われようとやはりオールマイトにこの件で一度話を求め、終わったことならばそう受け止めよう。
相澤がそう決心した矢先、廊下をドタドタと走ってくる音が聞こえる。
時計を見た。十二時を超えてこんな時間に誰が戻って来るのだろう。黙って近寄る足音がドアを勢い良く開けるのを相澤は自席に座ったまま眺めていた。
「相澤くんいる?!いた!!」
質問と答えをほぼ同時に口にして現れたのはオールマイトその人だ。よっぽど急いでいたのかマッスルフォームだった。
「……何か?忘れ物ですか?」
「そうじゃない!そうじゃなくて!」
相澤の元へ駆け寄るオールマイトは既に泣きそうな顔をしている。
何事かと眉を顰め、相澤は外からの視線を遮るもののない闇夜の窓を眺めてから席を立った。
「落ち着いてくださいオールマイトさん。仮眠室へ行きましょう」
仮眠室の壁は騒音防止で気休め程度に厚い。それにカーテンを閉めれば外から覗かれる心配もないから、オールマイトの活動時間を無駄に使わせる心配もない。
すたすたと最低限の蛍光灯だけがついている廊下を歩く相澤の後を付いてくるオールマイトは完全に何かデカいことをやらかして相澤に説教を食らう前の顔をしている。自らの起こした何らかの不始末の大きさを自覚しているそれだった。
中に入りドアを閉める。カーテンを確認してオールマイトに向き直った。
「戻っても大丈夫ですよ。何があったんです」
ぽわんと立ち上る蒸気すらどこか力無く揺れて消える。細身に戻ったオールマイトは腹から出した大きな声でごめんと相澤に深々と頭を下げた。
「本当にごめん!」
「……」
それは、別れ話ですか。
口から出かけた、確認しなければとついさっきまで思っていた事実が喉の奥で玉突き事故みたいに止まっている。
(……確認したく、ねえのか。俺は)
もし。もしオールマイトが認めたら。
大して愛を育んだなんて言える程何かをしたわけでもないこの二ヶ月が終わる。
「私が言葉足らずなばかりに君にはとんだ誤解を」
「……誤解」
(ああ。付き合ってすらいない方の認識だったのか)
体を繋げるのに耳障りの良い言葉はちょっとしたアクセントになる。感度が高まるなら言うのはタダだ。
「お詫びのしようもないけれど」
「……詫びなんか要りません」
「でも」
弾かれたように顔を上げたオールマイトはまだ泣きそうな顔をしている。
「いつも通りにしてください。あいつらのために」
生徒達を引き合いに出されればオールマイトは頷かざるを得ない。それくらいには真面目に取り組んでくれている、その姿勢を相澤は評価していた。
だから今、二人が同僚で有り続けるためにそれを利用する。
「子供達?」
オールマイトが不思議そうに尋ねた。
「何故子供達が……」
「あんたが不自然に態度を変えたりしないって言うなら関係はありませんが」
「待って、何の話?」
「俺とあんたの関係解消の話でしょう?」
「なんで?!」
今日イチデカい声でオールマイトが叫んだ。
「いやわかる私が悪いんだけど!でも嫌だ!別れない!」
突然目の前で駄々を捏ね出したおっさんに相澤は困惑する。お互い念頭に置いて話していた事柄が噛み合っていない。
「そもそも付き合ってたんですか?」
「そこから?!」
オールマイトはポケットからスマートフォンを取り出してもたもたと操作をすると相澤に画面を見せた。
「これ。君に送ったつもりになっていたんだけど送信できていなかったみたいで。君があまりにもいつも通りだったから、私まさか読まれてないなんて思いもしなかったんだ。さっき気が付いて肝が冷えて……居ても立っても居られなくて」
端末を受け取って相澤は未送信の本文に目を通す。
そこには、明日オールマイトの熱愛ゴシップ記事が出ること、相手とは打ち合わせ済みでアメリカの敵組織の摘発のための芝居であること、信憑性を持たせるためほんの少しだけ肉体接触の写真を撮られる必要があるけれどそれ以上の触れ合いは絶対にないこと、自分が心から愛しているのは相澤一人だけだから心配をかけてしまうかもしれないけれどどうか理解をして欲しいということが、懇切丁寧に認められていた。
「……そうですか」
「ごめんよ……私はずっと君に不誠実な態度を取っていたことになる……呆れられても仕方ないけれどどうか私を見捨てないで欲しい」
「こういう大事なことは、面と向かって口でお伝えになったら如何ですか」
スマートフォンを返して溜息を吐く相澤の言葉にぐうの音も出ないオールマイトはお仕事の邪魔したくなかったから、と小さく呟いたけれど、それすらも言い訳だと首を振った。
確かにここ連日午前様、もしくは徹夜でパソコンと向き合っていてオールマイトの相手などしている余裕はなかった。元からカップルらしい行動のほぼない二人は、二人きりで愛を囁く定期的な時間も持たない。
「本当に、ごめん」
またオールマイトが頭を下げる。
二房の前髪がぷらぷらと揺れた。
「……俺も、変な意地を張っていないで素直に聞くべきでした。あんたが俺にいつも言ってくれてた気持ちを信じ切ることもできなくてずっとモヤモヤしてたの、正直ちょっと、しんどくて」
「ごめん!」
「お互い様でしょう。ヤり捨てられたのかとか、一瞬だけ思いましたけど」
「そんなわけないだろ!」
否定するオールマイトの傷付いた表情は、相澤の痛みを感じ取っている。
優しい人だと笑う。やっと、笑える。
口元の筋肉が緩んだのはいつぶりか。
「オールマイトさん」
広げた腕の中に何がどう収まればいいかは互いが知っている。
抱き締めて来る腕の強さに込められた自責の念に身を委ね、少しでもそれが安らぐように祈る。
「アメリカで事件が解決したら否定コメントを出すから」
「いいカモフラージュになるんじゃないですか。俺と付き合ってるの、バレたら困ります」
「嫌だよ。私の恋人は君なんだから」
「そうですね」
「そうだよ。写真撮ってもらおうか?」
「それは嫌です」
嫌です、と繰り返し主張しながら胸に顔を埋め抱き付く腕を離したがらない相澤に、オールマイトが囁く。
「このまま君を連れて帰りたいけれどお仕事終わらないんだろう?何か手伝えることはあるかな」
「……なら。土曜の夜は空いているので、その時用のデートプランを考えてください。条件はあんたのマンションから一歩も出ないこと」
「その条件だと日曜の夜までうちを出ないことになるけれど」
「良いんじゃないですか。明日プラン聞かせてください。昼の弁当の時にでも」
パパラッチの目の届かない場所で楽しむ方法はいくらでもある。今お互いに一番失われて補給が必要なのは多分愛情の確認行為だ。
信じて期待した相澤の想いに、明日の昼オールマイトがどう答えるかとても楽しみだった。