わくわくドキドキ【オル相】 寒い夜は豚汁だよねえ、とオールマイトが言ったので本日八木家のキッチンではコトコトと具材が煮込まれている。じゃがいもと玉ねぎとにんじんが煮込まれる濁って来た鍋を前に相澤は、この煮汁がカレールーを溶かせばカレーに、シチュールーを溶かせばシチューに、味噌を溶かせば豚汁になるのかと料理の不思議を思いながらオールマイトに手渡されたザルに入っていたゴボウと糸こんにゃくと豚肉を突っ込む。この時点でカレーとシチューの選択肢は消えた。あとはしばらく煮込むだけだ。
鍋に蓋をして火加減を調整しつつオールマイトが味噌を出して来る。
「そう言えば相澤くん、来年林間学校ってあるのかな」
突然の半年以上先の質問に相澤は一瞬戸惑う。
「さあ……。まだなんとも言えませんが。どうかしましたか?」
「いや。この前映画を見てたらさ、学校のイベントで夜にキャンプ場でこう……輪になって男女が手を繋いで踊るシーンがあってさ。林間学校とかでやるものなのかなって」
こう、とオールマイトが再現したポーズを見て相澤はああ、とそれが何かを理解した。
「オクラホマミキサーですか?」
「あ、そういう名前なの?」
「小中学校の定番では?」
「あー……そうか」
オールマイトの反応に相澤はひとつの可能性に思い至る。
「ひょっとしてオールマイトさんの時には運動会とか林間学校はなかったんですか」
「運動会はなかったわけじゃないけど……そうだね、泊まりがけでどこかに、なんてことはなかったな」
まだ世の中が荒れていた時代だ。学校の教員だけで多数の子供達を山や海や自然の中に連れ出すのは危険でしかなかったのだろう。経験したことがなければそのシーンで踊られていたダンスも相澤には耳馴染みのある音楽もオールマイトには珍しいものとして映ったに違いない。
そして相澤の中で最初の質問の理解に繋がった。
「高校生はどうでしょうね。踊りたがらないんじゃないですか、異性とは」
「あれって次々とパートナーが変わるんだろ?」
「そうです。好きな子まで順番が回って来るか一喜一憂してる奴らはいましたよ」
「君も?」
「俺は別に……」
「本当?」
子供時代のことにまで嫉妬するのかこの人は、と相澤が呆れた表情を浮かべたのが見えてオールマイトは慌てて弁解する。
「ち、違うよ!君も好きな子と踊りたいとかそういう感情があったのかなって」
「好きな子はいなかったのでそういう感情は当時はありませんでしたが、騒いでる奴らを鬱陶しいとも羨ましいとも思った記憶はあります」
「そ、そっか」
誤魔化し方が下手くそなオールマイトは相澤の返答にどうリアクションしていいかわからずにいる。
「踊ってみたいんですか?」
「好きな子と手を繋げるかもってドキドキするのは楽しそうだね」
「次がその子だって時に曲が終わって絶望してた奴を見ましたよ」
「……それは悲劇だ」
相澤はオールマイトを左に置き、同じ方を向いて、左で左を、右で右手を取った。
「男も女も同じステップです。あなたなら一回で覚えられるでしょ」
そう言って相澤はオールマイトを引っ張る形で数字を数えながらステップを踏んでみせた。見様見真似で上機嫌に合わせるオールマイトが、最後、くるりと回って小首を傾げ、次のパートナーに変わる仕草で相澤が手を離した瞬間表情を曇らせる。
「今のを延々繰り返すんですが。どうかしましたか」
「いや。好きな子と踊れるのは確かにドキドキするけど、その子が他の男とも踊るのかと思うとヤキモキもするなあと思って」
「……そうですか」
「来年の林間学校でやれないかな。校長に相談してみてもいい?」
「構いませんが、あなたも混ざるんですか」
「え、だめ?」
「みんなオールマイトと踊りたがるに決まってるでしょう。輪の人数のバランスが取れなくなりますよ」
「そっかあ」
かたかたと鍋の蓋が揺らぐ。吹きこぼれの手前でオールマイトが急いで火加減を弱火にした。灰汁を取りじゃがいもの火の通り具合を竹串で確かめてから味噌を溶かす。
「でも、あなたが踊るなら俺も輪に混ざろうかと思います」
小皿に味見用の汁を入れて唇に付けたオールマイトが相澤に顔を向けた。封じられた唇の代わりに雄弁な視線が驚いている。
「この歳になってキャンプファイヤーのダンスで好きな人と踊れるかもしれないってわくわくすんのは平和っぽくて悪くないと思うんで」
オールマイトはそれには答えず、改めて相澤用に少量の汁を注いで小皿を差し出した。口を付けて味を確かめた。
「……頑張って覚えるから、もう一回教えてよ」
さっきの一度で覚えてしまったくせにそんなことを言う甘え上手な恋人が伸ばして来る腕に抱きしめられ、相澤は絶妙な味に仕上がった豚汁が並ぶ数分後の食卓と未来の約束ができる今の幸福を嚥下した。