鳥籠の価値【オル相】 難しい顔をしてずっとスマホの上に置かれた指がスクロールとタップを繰り返している相澤に食後のコーヒーを差し出してオールマイトは画面を覗き込んだ。
そこには、グラマラスな女性がチャイナドレスを着た画像がデカデカと表示されている。
こんなにも堂々と恋人の家で浮気の打診だろうか、なんて狭量な考えは髪の毛一筋ほども浮かばない。何故なら、相澤が見ているのはショッピングサイトで、ドレスを着用したモデルの画像の下にはプライスがしっかりと表示されていたからだ。
しかしながら相澤がチャイナドレスの選定をしている理由はわからず興味があったので、自分の分のコーヒーを啜りつつソファの隣に腰掛ける。
「何に使うの?」
まさか自分とのコスプレエッチに使用したいなんて考えていてくれたらどうしよう、私そんなにコスプレに興奮する方じゃないでも相澤くんがしたいなら勿論構わないけど、とオールマイトがいらぬ気遣いをしながら話し掛けると、相澤は決して機嫌が良いとは言えない視線をオールマイトにちろりと向けてまた画面に戻す。
「今度潜入捜査頼まれたところの衣装を探しています」
「チャイナドレスで男の人にエッチなことする店?」
「の、VIPルームで取引されてる未認可の薬」
主題をそこに持ってくるなと暗に威嚇され、オールマイトはなるほど、と取り敢えず納得の様子を見せてからマグカップを両手で包み込むように持ち、なみなみと注ぎすぎたコーヒーをちびちびと飲む。
「でもそういうお店って店員さんの衣装は支給じゃないの?」
「最初は自腹だそうです。バックれるやつが多いんでしょう。捜査は来月ですし今買わなくてもいいんですが俺のサイズが量販店に駆け込んで売ってるかも疑問だったんでリサーチを」
「VIPルームはどうやって入るの?」
「客に気に入られた店員は同伴できるそうで」
「でも、それならこんなペラペラの安い衣装じゃダメなんじゃない?」
オールマイトの指摘に相澤は図星を指された表情で眉を寄せる。その可能性は自分でも感じていたらしい。
「塚内さんには領収書くれれば対応するとは言われてますが、あまり高価なのを買っても意味がないでしょう。二度と着るものでもないでしょうし」
「ふうむ……」
考え込んだオールマイトに相澤は嫌な予感がしたが、そこから先オールマイトが特にチャイナドレスの話題に触れることがなかったので、気乗りしない大きめサイズのドレスを探すこと自体を相澤も諦めてまだ湯気が立ち昇るコーヒーに手を伸ばした。
予定表に打ち込んであった店の摘発が近付いてきた週末、相澤はオールマイトに「今日うちに来れる?」と珍しい誘いを受けた。
恋人として一晩を共にするときはもっと前から予定の擦り合わせがある。互いに忙しい身だからあらかじめ共通の予定を入れておかなければ永遠に一緒に過ごすことができそうにない。予定だって結構な確率で反故になり、ほんの一瞬でも人目を避けた部屋で抱き合い唇を交わせれば良い方でもある。
だからオールマイトの誘い文句が恋人へのそれではなく、教師である相澤消太もしくはプロヒーローイレイザーヘッドへの声掛けであると判断し、今夜でよければと答えた。
オールマイトは、うちで待ってるよと優しく告げて席を離れる。職員室で堂々と声に出すということは、やはりそういうことに違いなかった。
耳聡いマイクは速攻で聞きつけている。
「おうちデートっすか?」
「ハハハ。ちょっと塚内くんからの預かり物があってね。事情があって他の人がいるところに持って来れないんだ」
塚内の名が出たことで相澤は例の件のことか、と納得した。人に見せられない預かり物ならチャイナドレスだろう。相澤が頼みあぐねているうちにオールマイトが塚内と世間話の延長で用意してくれたのかもしれない。
ひとつ手間が減った安堵はチャイムの音で掻き消える。
「行きますよ、オールマイトさん」
「準備できてるぜ」
両手で教科書と資料にプリントの束を持ち上げて誇らしげな顔をするオールマイトをドアへと視線で促して、相澤も教科書と出席簿を持ち職員室を後にした。
放課後、自主練をする生徒が下校したのを確認してオールマイトがお先にと帰って行く。
お疲れ様でしたと椅子に座ったまま声を掛け、相澤はオールマイトが共有した今日の報告書に追加で文章を書き添えて保存する。外部からのメールの返信をまとめて処理し、凝り固まった肩を回してバキバキと音を鳴らした。パソコンの隅に表示されている時刻を見、あまり遅くならないうちにオールマイトの家に着いていた方がいいだろうと判断して相澤も帰り支度を整えて校舎を後にする。
帰り道、塚内が用意したであろうチャイナドレスをげんなりした気分で思い浮かべた。ロングドレスの深いスリットから中年太りのエロ親父に手を差し入れられる状況は想像するだけで鳥肌が立つ。しかし避けられない。
そもそも、男性が対象の性的サービス従事者に自分を適任だと依頼して来た塚内の見る目がおかしいと嫌気を責任転嫁する。アングラの仕事を受けるヒーローが少ないのも自分の個性が希少価値が高いことも承知の上で、八つ当たりとしか言えない悪態を吐くことくらいは許して欲しかった。
気乗りしないままオールマイトのマンションに着いた。合鍵はあるが在宅と知っているのでチャイムを押す。程なく、相澤の滅入る気持ちとは裏腹な明るい声が相澤を出迎えた。
「お疲れ様」
「どうも。で、ブツはどこですか」
「せっかちさんだなあ。リビングに置いてるよ」
フローリングの床をのそのそと歩いてリビングへむかうと、ソファの上に大きな紙袋が載っていた。書いてあるロゴは知らないマークだ。袋の中に手を突っ込み、布を掴んで持ち上げて相澤は首を傾げた。
相澤の知るチャイナドレスの生地ではない。光を受けててらてらと輝く、シチュエーションによっては上品にも下品にも見えるであろうあのスマホの画面で見ていた安物とは明らかに違う光沢の少ない生地のロング丈の服だ。それがおそらくチャイナドレスの一種であろうと判断したのは襟周りのデザインとチャイナドレスに良く使用されるボタンの形状から。
「……これは?」
「男性用のチャイナ服だよ」
「……はあ」
これでは普通の服ではないか。スリットから手を入れて悪戯をするエロ親父が喜ばない。
喜ばせたくないのに喜ばないのは困るという最大の矛盾に自分の中で折り合いがつかないまま相澤は肩の部分を持ち服を重力に従って垂らした。
首元から右側面に向かって生地を留めるためにボタンが大きな間隔で並んでいる。最後のボタンは腰のあたりで終わっていて、女性用のそれとは大胆さと見た目が違うが服を脱がさず手を突っ込んで悪戯するという主目的には問題がなさそうなデザインだった。袋の中にはもうひとつ服が入っている。掴み上げるとそちらはズボンだった。スリットから男のナマアシを惜しげもなく晒すのはどうかと思うが、ズボンを履けば悪戯は不可能になる。
「数あるキャストの中から自分を選ばせる魅力を短時間で発揮しなきゃいけないんだろ?私はね、こう見えても君の魅力に関してはちょっと詳しいんだ」
「……それは思い込みでしょう?」
「何言ってんの。塚内くんが君を指名したのは、ターゲットの好みが華奢よりは細マッチョからごつめの間、黒髪で無愛想な男ってドンピシャな容姿をしているからだよ」
「潜入要員の腕を買われたわけでない、と」
「それもあるよ!ある!一回こっきりの勝負なんだから成功率は高い方がいいだろ。だから塚内くんに頼んで君を魅力的に仕上げるお手伝いを申し出たんだ」
申し出た、ということはこれはオールマイトが用意したということだ。
全くもって知りたくもないが相澤が今手にしているこの上下のチャイナ服は、スマホで見ていたペラペラのドレスと桁がひとつ以上違うことくらい想像がつく。
「無駄遣いはやめろとあれほど」
相澤が小言モードにスイッチを切り替えたのを見てオールマイトは強気に言い返した。
「無駄遣いじゃないよ。必要経費。じゃあはい、着替えて」
「は?なぜ?」
「言ったろ。成功率を上げるんだって。君にはこれからチャイナドレスに身を包んだ男性が溢れるフロアで一人だけ趣の違った服を身に纏って目を惹き、VIPのターゲットをその体で籠絡する訓練をしてもらうよ。私が許すギリギリのラインでね!」
相澤とて好き好んで身を任せるようなことはしないし危険を察知すれば自衛もする。しかしどう取り繕ったところで状況によっては抱かれるようなこともあり得る。体を使った捜査を恋人が知った時点で別れ話になってもおかしくはない、のだが。
「……あなたが相手役を?」
「そうだよ?」
相澤の質問に、私以外にいないだろうと目を丸くするオールマイトがいる。
「あなたが相手ならギリギリのラインなんかないじゃないですか」
「それを君の体に覚えてもらうのさ。これ以上触らせたら嫌だなあってところをね」
「本当は着飾った俺を視界に入れさせるのも嫌なくせに」
呆れた物言いで手早く着替え、手櫛で髪を整える相澤を天辺から爪先まで二往復分ゆったりと眺めてオールマイトは悦に入る。
「私は君が何を着てても興奮するし独り占めしたい。そして君がそれを知ってるってことが、大事なんだよ」
オールマイトは早速相澤の肩を普段とは違う手付きで馴れ馴れしく抱き寄せソファに密着して腰を下ろすと、耳に唇が触れそうなくらいに近付けて下腹に響くような含みを持たせて囁いた。
「買ったばっかりの服じゃ体にしっかり馴染まないからね。汚したら直ぐに洗って乾かせるよ。安心して」
「……エロ親父」
苦し紛れの悪口にオールマイトは口元を大袈裟に釣り上げる。
「そうさ。君に悪戯したくてたまらないエロ親父さ」
指先が膝からそうっと撫で上げる。内腿を掠める布地の肌触りの良さに値段が二桁違うのでは?と悪寒が走る。気が散って汚すものも汚せない。
相澤は現実逃避し始める頭を切り替えて隣のVIPをどうもてなそうか考え、手始めにその大きな手に手を重ねて太腿の上に置いた。