桃色の羽根【オル相】 ミッドナイトが羽根をマシマシにした扇子を片手にスツールに飛び乗って体をくねらせ踊っている。マイクはスマートフォンから大音量を流し、エクトプラズムがそれに合わせて熱唱する。
土曜の夜の教師達の寮の一階は騒がしかった。
(いつからここはパーティー会場になったんだ)
相澤は爆音を響かせる知らない洋楽に心を急速に閉じながら、スポンサーから貰ったというオールマイトが持ち込んだ差し入れの高いビールをぐびぐびと呷った。オールマイトは相澤の左隣に座って目の前の酒豪の狂乱を子供のお遊戯会でも見るような温かな目で見つめて呑気に手拍子などをしていた。同僚として保っていた握り拳ひとつぶんの空間は酔いが深まると共になんとなく失われて行って、今や相澤とオールマイトの太腿はぴたりと触れ合っている。熱だってきちんと感じるくらいなのに、オールマイトはそれを意にも介さない。
隙間の失われた部分をオールマイトに気付かれないようにちらりと睨め付ける。
そもそも寮の中での触れ合いは禁止していて、お互いにきちんとそれを守っているものだからこんな風に本当の偶然であり不可抗力で意識せざるを得ないのは、なんだかとてもどうしようもないモヤモヤが溜まってしまう。
(オールマイトさんはそんなことねえんだろうな)
離してやろうと思うのに、触れ合っているところから熱を奪えば気付いたオールマイトに意識しているんだなと思われる可能性も嫌で結局、離すことも積極的に押し付けることもできず黙って酒を飲むだけだ。
飲み会の開催は知っていた。参加しないに丸をして回覧を隣に流していたのに、部屋で仕事をしていたら食料の買い置きがなくなっていたことに思い至り、共有スペースに何か食べ物がないかと降りてきたのが運の尽きだった。部屋着で着倒している襟ぐりの伸び切った黒い長袖のシャツ一枚と毛玉が生え放題のグレーのスウェット姿のままで、目を輝かせたミッドナイトに捕まってしまった。抵抗もままならないうちにソファの奥に押し込まれ重石のように端に別の席にいたオールマイトが連れて来られた。
もぞもぞとまだ抵抗の気配を見せた相澤の腹の虫を耳聡く聞きつけたオールマイトにテーブルの上の料理を取り分けて餌付けされれば、後はもう飲むしかない。
そして今に至る。
どうやってここから抜け出て部屋に戻るか、それとも何もできないままオールマイトの僅かな温もりをもう少し堪能してから悶々として部屋に戻って抜くか相澤が迷っていると、音楽が転調して会場はますます盛り上がりを見せた。流れている洋楽のことは全く知らないので、アルコールのせいで上手く回らない頭でどうしようもなくうっすらと汗まで掻いて踊り狂うミッドナイトを見上げている。ミッドナイトは音楽に合わせて、最後の決めポーズで右手に持った扇子を真上に伸ばした。じゃん、という音と共に扇子の要から垂れていた紐を引く。その瞬間、盛られた扇子の羽根がクラッカーでも鳴らしたかのように本体から離れ宙を舞った。
「わあ」
どぎつい桃色の羽根がひらひらと、天井近くまで飛び上がってからてんでばらばらに舞い散る様をミッドナイト以外のその場の全員が見上げている。オールマイトは綺麗だねえと相澤を覗き込むように同意を求めた。
「何の演出ですか、これ」
相澤は頭の上に乗った羽根を摘んで取る。
「さあ……あ」
埋もれそうな相澤が水に濡れた犬よろしくぶるぶると頭を振って羽根を払い落とす。不意に慣れない感覚に背筋が伸びた。だるだるの首元から背中に羽根が落ちたらしい。
「取ってあげる」
相澤が顰め面をしたと同時にオールマイトは素早く下からシャツの中に手を入れた。
「自分でやります」
「いいからじっとして」
オールマイトはまるで相澤を抱き締めるように横から体を伸ばし、左手で右肩を掴む。右手が服の中に入り込み、冷えた指先は酔って火照った肌にぞくりといつも以上の刺激を与えた。
オールマイトの親切心故の行動に相澤は固まる。ただでさえ微かに触れた服越しの温もりで盛り上がった気分が、加速を増して急上昇した。しかし抱き締めているとは言いつつ相澤の肩を掴むオールマイトの手にはしっかりと力が込められていて二人の体の間には微妙に空間が残っている。オールマイトには他意はないのだと示すような隙間が憎いと思ってしまう。
接近したオールマイトの呼吸が相澤の首筋から肌を滑って鎖骨から胸元へ降りていく。
(あ)
突き飛ばしそうになる手を握り込んで堪えた。
勝手に焦れた体に、それは困る。
でもオールマイトは。
(親切、で)
音楽は違う曲に変わった。引き続きダンサブルなナンバーで、羽根の抜けた扇を投げ捨てミッドナイトはタイトスカートのスリットから手を伸べておそらく太腿にベルトでセットしていた扇をもうひとつ取り出して再び踊り始める。
「オールマイトさん、まだですか」
「うん……どこに行ったんだろ?」
腰の辺りを念入りに探っている指に羽根の引っかかる感触はない。
「こっちかな?」
するりと手が腹側に回る。
「ッ」
反射的に腰が引ける。オールマイトの左手は逃げ腰の相澤の肩を固定するように半分背に回り、手のひらが肩甲骨を指の支えにした。オールマイトの頬と鼻筋が耳の下に入り込む。誰にも見えない角度で、ねろりと舌が肌を味わう。
「……っ」
羽根が落ちたふりをして。
これは故意に触れて来ていると自覚する。しかしここで今のタイミングで声を荒げてオールマイトを突き飛ばすことはできない。
何かされていると自分から周囲に知らせるような真似は避けたかった。必然的に、相澤が出来ることと言えば平静を装うことだけだ。
相澤が気付いたのを悟ったのかオールマイトの手は最早羽根を探す手つきではなくなった。触れるか触れないかの瀬戸際を渡り歩き、相澤の左の乳首に中指の腹が当たった。
押すでもなく、捏ねるでもなく。
触れたまま微かに上下に擦られ、その微小な刺激に相澤が堪らず息を殺す。
首筋を舐めるオールマイトの顔が蠢き、舌は肌に押し付けられたまま傾斜を下った。辿り着いた先の鎖骨で、窪みを舐め上げた後オールマイトが肌に歯を立てる。
びりっと走った電流に相澤は目を見開き、ふうっと堪らず声を漏らした。
たちまち青褪めるけれど、しかしそんな喘ぎ声も誰かのおしゃべりも何もかもが音楽の渦に巻き取られて消えて行く。
とんでもないことをしている自覚に血の気が引いて、いい加減にしろとオールマイトを今度こそ突き放すために背を丸め体の間に手を入れた。
そのタイミングでまた、かり、と傷も付かない強さでオールマイトが骨を喰む。尖った犬歯の感触に今どこにいるのかを忘れて仰け反りそうになる。オールマイトの頭を抱えて抱き締め、髪に顔を埋めて頭皮の匂いを嗅ぎながら刺激に悶えるシーツの海の波間が思い出されて相澤はぎゅっとオールマイトの服を掴んだ。
肩口に乗せた額で、顔は隠れて。
強張っても離せない体が全てを物語っていた。
「……約束を守れない私を叱ってくれるかい」
そんな囁きが耳に吹き込まれる。意味を理解するより先に腰が震えた。
この欲の前にはルールなど無意味だ。
くたりと身を預け、頷くだけの相澤をオールマイトは優しく抱く。
「ちょっとそこぉ、チークタイムにはまだ早いわよ」
ミッドナイトの檄が飛ぶ。
「相澤くん寝ちゃったから部屋に連れて行くよ」
オールマイトの言葉をミッドナイトはふうんと流す。
「介抱は任せたわよ〜」
どうとでも取れるセリフを残し、お立ち台の女王はオールマイトと相澤に背を向けた。
狸寝入りの相澤を抱き上げ、オールマイトは一歩ずつ音楽の渦から離れ行く。
自分の部屋の前を通り過ぎても首に回した手を外せない。
オールマイトの熱を孕んだ視線が相澤に注がれ、引き寄せられるように唇を重ねたいのにそれもできない。声も仕草も、全てが薄氷の上を歩くようだった。ひとつの刺激で全てが雪崩を打つと互いにわかっている。限界まで溜め込み膨らんだ欲望が弾けたらどうなってしまうのだろう。その時はすぐそこまで迫っているのに。心臓が激しく脈打っている。
(俺は、期待している)
本当は禁じられてなどいない、ただの良識に基づいた取り決めをこれから破る。
猿芝居の終わりは扉が閉まるまで。
翌朝、オールマイトの部屋の床に桃色の羽根が一枚落ちていた。