「 ……ゲンは男としては華奢な方だが、手はカッチリしているのだな 」
ふいに背後から手元を覗き込まれて、仕込袋を取り落としそうになる。
「 うわびっくりした!……藪から棒にどうしたの、コハクちゃん」
「 いや、別段。モヤシだミジンコだと言うので、思ったより手がしっかりしていて驚いただけだ 」
しかし、やはり指は細いし長いな。
などとつぶやきながら、指の形や手のひらの厚さ、皮膚の硬さなどを確認してくる。
若くて可愛い女の子に触られて悪い気はしないが、流石にちょっとどうかと思う。
……なんだか最近、千空ちゃんに似てきたような。
「 うん、手とか指は商売道具だからね。所謂パワー型ではないけど、鍛えてはあるよ 」
俺の手は、岩を割る手じゃなくて人の心の糸を手繰る手だから。
そう嘯くと、コハクはなんだか納得したような、煙に撒かれたような顔をしていた。
「 え〜と……とりあえず、手、離してもらっていいかな?」
いつまでもぐにぐにと感触を確かめられていると、鞣されるのではないかと言う気になってくる。
「 ああ、すまない。仕事の邪魔をしたな 」
「 ううん、それはいいんだけど。何か用があったんじゃないの?」
水を向けると、思い出したように。
「 そうだった。もうしばらくしたら、ラボに戻るように千空から伝言だ。……昼も近いし、手元の作業が終わったらそちらへ向かってくれ 」
そう告げられて、手元を片付け始める。
今度はどんなドイヒーな作業が待ち受けているやら。
……そして、今度はどんなものを見せてくれるのか。作業が苦ではないと言えば嘘になるが、次々と千空の手で生み出される新しい科学アイテムに、わくわくしているのも確かだった。
ラボに戻ると、薬品の調合中だったようで、緊迫した空気が流れている。
流石にこんなところでニトロでもないだろうが、集中を途切れさせぬよう、するりとラボに滑り込んだ。
「 うし、これで…… 」
千空が一息ついた瞬間、手元でちりっと火花が散って。
直後、ドォン!と派手な爆発音が響く。
「 あ"〜、悪りぃテメーら大丈夫か?」
もくもくと煙が立ち昇る中、無事を確認する声がした。どうやら、爆心地の千空は大事ないようだ。
「 あ、うん。怪我はしてないんだけど 」
言い淀むと、怪訝そうな足音が近づいてくる。
「 とりあえず、棚を支えてくれると助かるかな〜 」
両手指に試験管とフラスコをめいっぱい。
頭と背中にもビーカーをいくつか載せて、器用にバランスを取るゲンに、千空が感嘆の声を上げた。
「 すげぇな、それどうやってバランス取ってんだメンタリスト」
「 ん〜、それは企業秘密♬……ただ、そろそろキツイからなんとかしてほしい 」
千空ちゃんに褒められるのはなかなかのレア体験だけど、頭と背中のビーカーはそろそろ限界が近い。
そう伝えると、クロムがてきぱきとビーカーを棚に戻してくれた。
「 いくつかダメになったやつあるから、ちょっとカセキのじーさんとこ行ってくるわ」
そう言って、そのままクロムはラボをあとにする。
その間も両手に持った試験管とフラスコがぴくりとも動かないのを、千空はしげしげと興味深そうに眺めている。
「 これもマジシャンの技能か?」
「 うん、そうね。アイソレーションとかジャグリングもたまにやるから、こういうのは割と得意。このままのバランスで一時間くらいはいけるかな」
興味を持ってくれたのが嬉しくて、つい饒舌になってしまう。
すると、おもむろに千空は手首から二の腕までをぺたぺたと触りはじめた。
どこにどう力が入っているのかに興味があるのだろうが、この体勢でそれはなかなかハードモードだ。
……やっぱりコハクちゃん、千空ちゃんに似てきてるな。
ふいに、先程のコハクを思い出してそう独りごちる。
「 ね、ねぇ、千空ちゃん、そろそろこれ置きたいんだけど 」
「 あ"ぁ。もうちょい」
そんなことを言いながら、千空の手が徐々に下に移動する。
「 待って待ってそこくすぐったい!あぶないから!」
思わず悲鳴を上げると、腕が脇の下からがっつり固定された。
指は、まだ試験管を持ったままだ。
「 おお、頑張るな 」
千空はニヤリと笑って。
そのまま下から掠めるように、一瞬唇を重ねた。
「!!!???? 」
完全に遊ばれている。
混乱と恥ずかしさで涙目になって睨みつけると、ようやく千空は手を離した。
「 この状況でもバランスと安全制御。……やるじゃねーか」
そう言って、ぽんぽんと頭を撫でると、年相応の悪戯っ子の顔で笑う。
……ズルイ。これはズルイ。こんな顔をされたら怒るに怒れない。
どうにか、手元のガラス機材を棚に戻して、ゲンはぐぬぬと絶句した。
「 あ"ぁ、呼んだ理由はこれな。最近忙しかったからな」
そう言って、千空は何事もなかったかのようにコーラ瓶を差し出してくる。
「 ……っ!コーラを渡したら全部チャラだとか思ってるでしょ、千空ちゃん」
「 テメーは、チャラにしてくれるんだろ?」
理解しきった、人の悪い笑顔が腹立たしい。
「 ……そんな怒んなよ」
不機嫌を察してか、少し困ったような顔をする千空に、つい怯んでしまう。
「 ……しょうがないなあ」
でもあぶないから、こういう悪ふざけはしちゃダメだからね。
そう返すと、少し驚いたように破顔して。
ぐい、と抱き寄せてくる。
「 ……せ、せせせせんくちゃ……⁉︎ 」
そのまま、耳元に唇を寄せて。
「 ……ゲン、テメー……かわいいな」
低い声で、そうささやいた。
えっなにこれなにこれわかんないなんのバグなの⁉︎
すっかりパニック状態のゲンに、千空はもう一度耳元で、かわいい、と囁く。
……こんな声で囁かれたら、もう落ち着いてなんかいられなかった。
足がガクガクして、力が入らない。腰が砕けて、もう立っていられない。
それをどうにか器用に受け止めて、千空はかわいい、とまた笑った。
「 ……せんくちゃ、……も、……から、かわないでよ…… 」
心臓がもたない。さっきからばくばくと、うるさいくらいに鳴っている。
息が上がって、呂律もうまく回らない。
呼吸をなだめるように、大きな手が背中を撫でてくれたが、触れられたところからビリビリ痺れるような感触が走って、びくんと身体が跳ねた。
「 別にからかってやしねぇよ。思ったこと言っただけだろ」
まっすぐにこちらを見て、そう言いながらもう片方の手でさり、と頸を撫でる。
「 ……ひゃっ…… 」
自分の身体なのに、全くコントロールが効かない。千空の手を通して、熱が身体中に伝播しているかのようだ。
「 ……すげぇ、かわいい 」
耳元でまたささやいて、そのまま頬にくちづける。どこでこんなスイッチが入ってしまったのか。その声に、手に、翻弄されてしまう。ただ囁かれて、やさしく触れられているだけなのに、自分のものとは思えないような声が漏れてくる。下腹部に熱が蟠っているのを感じて、羞恥のあまり顔を覆いたくなった。体勢的に不可能だったため、せめてと顔を伏せると、剥き出しになった耳にくちびるが落とされる。熱った耳にひんやりとしたくちびるが当たって、息を飲んだ。
「 ……ッ 」
さらり、滑り落ちた髪をやさしい手つきで梳きながら、千空は低くひそめた声で、またかわいい、と囁く。
それと同時に、視界がスパークして。
脱力したゲンは、くったりと千空の腕に身体を預けた。
肩で荒い呼吸を繰り返すゲンを抱きしめて、千空はそっと額にくちづける。
「 ……ちっと待ってろ。クロムやコハクが呼びに来ねーように、工作してくる。ここじゃゆっくり休めねーだろ 」
それに、テメーのこんな顔、他の奴に見せてたまるかよ。
そう言って、仮眠用の布団でゲンを包むと、身を離した。
ふいに、くん、と引かれる感触があって、振り返る。
見ると、ゲンの手が裾を掴んでいた。
身動き取れない状態で一人にされるのが、心細いのか。
そう悟って、千空は外の様子を伺う。
果たして、目的の人物は容易に見つかった。
「 スイカ 」
名を呼ぶと、文字通り転がるように駆けてくる。
「 千空、スイカにご用なんだよ?」
「 あ"ぁ。……ゲンのヤツがちいっと疲れてるみたいでな、休ませてくる。しばらく様子を見るから、昼飯は呼びに来なくていいってクロムたちに伝えてくれるか?」
「 わかったんだよ!……ゲン、大丈夫なんだよ?」
「 あ"ぁ、心配ねぇ。俺がちゃんと見とく」
心配げに首を傾げるスイカに、わずかの罪悪感がなくもなかったが、大丈夫であることを請け合って、その姿を見送った。
「 ……悪りぃ、待たせたな」
戻ると、ゲンはまだ浅い呼吸を繰り返していて。慎重に抱き上げると、またぴくりと身体が跳ねた。どうやらだいぶ敏感になっているらしい。
なるべく直接触れないように配慮しながら、部屋に戻った。
どんな相手の心理もお見通し。言葉で、所作で、表情で。
他人の心を巧みに操るメンタリスト。
それが、自分が発したほんの些細な言葉で動揺し、触れただけでこんなふうに蕩けてしまう。なんて、可愛い。
……それは初めての感情。
もっと見たい。触れたい。その表情を、自分だけのものにしたい。
「 あ"〜、……なるほどこれが、いわゆる恋愛脳ってヤツか」
面倒で非合理的な、トラブルのもと。
そう普段言い捨てている感情。
なるほど、当事者になるとこんな感じなのか。まったく、いろいろ教えてくださるぜ。メンタリスト様は。
そもそも、考えてみればあんな風に触れたくなる相手は他にいない。いくらなんでも誰彼構わずあんなことをしていたら問題だろう。
内心で自嘲ぎみに呟いて、ゲンを寝床に横たえる。覆いかぶさった姿勢のまま、耳元に唇を寄せて低くささやいた。
ぴたりと身体が密着して、めまぐるしく波打つ心音が伝わってくる。
「 ……好きだ 」
「 ……っ、…… 」
どうやら先程より刺激が強かったらしく、息を詰める音とともに、ほっそりした肩がびくびくと震える。
「 ……せん、くちゃ……?」
今自分の耳で聞いたことが信じられないというように、青みがかった闇色の瞳がこちらに向けられた。
「 回りくどいのは嫌いなんだよ。……好きだ、ゲン 」
囁くつど、湧き上がってくる熱に堪えるように、ゲンはぎゅっと身を縮める。
白い肌は首筋まで赤く染まり、目は滲むように潤んでいた。
「 ……テメーは、どうだ?」
この反応で脈なしということはなかろうが、恋愛ということであれば、非合理的なトラブル回避のためには相互意思の確認は必須……否、理屈をつける必要もない。
ゲンの口から、ちゃんと聴きたい。
……あと、今自覚したばかりなので、此方がだいぶ前後してしまったのは勝手ながらご寛恕願いたい。
「 ……ゲン?」
ささやくように名を呼んで答えを促す。
「 ……っ……ぁ…… 」
よほど聴覚刺激に弱いのか、ゲンは息も絶え絶えだ。ぱくぱくと、何かを伝えたげにくちびるが動いた。
吐息の合間にそのくちびるが刻んだ言葉に、信じられないほど気分が高揚する。
─── ……すき。
そのまま、ゲンを抱え込んで。
今度はそっとくちびるを重ねた。
しっとりしたやわらかいくちびるは、熱を帯びていて。火傷するのではないか、などと荒唐無稽な思考がよぎる。
……あ"ぁ。たしかにこりゃ、脳のバグだわ。
その温度を、感触を確かめるように、何度もキスを交わした。
頬に添えた手をずらして、頸を撫でると、ちいさな声とともにゲンの顎が仰反る。
先に触れた時にも似た反応があったため、おそらく敏感な箇所なのだろう。
……なるほど、耳と頸が弱いのか。
本人が聞いたら、言い方!などと言ってまた怒りそうではあるが、なにぶんこちらも初めてなので手探りなのは許してほしい。
唇を離して、きっちりと首全体を覆っている襟を少しずらすと、頸に顔を埋めた。
首筋からも、やわらかい花の匂いがする。染み付いているのだろう。
普段衣服に覆われているしろい皮膚を軽く吸い上げると、ちいさくゲンの身体が痙攣した。
「 ……ゃっ……せん、くちゃ……そこ、ダメ……っ 」
それに、にやりと笑って。
「 マーキングしてんだよ 」
「 …………!!! 」
マーキング。匂いづけ。自分のものだと示す行為。独占欲。
……うっそぉ………………。
普段の千空らしからぬ物言いに、目を白黒させてしまう。
千空はゲンの戸惑いを尻目に、首筋にさらにいくつか、痕を残していった。
それからおもむろに、かぷりと耳たぶに噛み付いた。
「 ……ひゃんっ……!」
自分のものとも思えない、高く裏返った声にゲンは咄嗟に口を塞いだ。
「 悪りぃ、痛かったか?」
痛かったわけではない。ただ、ジンジンと熱くて。触れられると身体に電気が走ったような、そんな感覚が走る。
ゲンの表情を窺いながら、今度は歯を立てずに唇で挟むようにして、耳たぶを口に含んだ。指の間から、くぐもったような甘い声が漏れて、どきりとしてしまう。
「 ……ゲン、…… 」
わずかに熱を含んだ声でささやくように呼ぶと、ラボでの時と同じようにびくびくとゲンの身体が跳ねた。……やはり、これが一番刺激の強い快楽であるようだ。
「 ……かわいい 」
最高に、唆るぜ?
もう一度、そう耳元にささやくと、耳孔に舌を挿し入れて、わざと音を立てて舐めてやる。
「 ……ひぁ……っあ……っやっ……せん、く……ちゃ……ッダメっ……!」
びくん、と背をしならせて、一際大きく痙攣すると、言葉にならない嬌声を上げてゲンは果てた。
快楽の名残にふるえる背を抱き寄せて、顔に貼りついた髪を梳きながら、千空は再びゲンの、今度は髪に隠れた反対側の耳を口に含む。果てたばかりで刺激されて、襲いくる波に慄くように、ゲンは千空にしがみついた。
きもちよすぎて、こわい。
言葉ならぬものでそれが伝わったのか、千空はゲンの背をぽんぽん、と叩きながら、額に、瞼に、頬に優しく唇を落としていく。
「 あ"〜、悪りぃ。テメーがあんまりに唆る表情しやがるもんだから、ちっとがっつきすぎた 」
普段絶対に見ることのない……自分にしか見せない表情。もっと見たくて、知りたくて。
……つまり、欲情していた。
欲情。合理性とは相反する、制御しがたい衝動。自分の中にも一応、そういったものは存在していたらしい。
面と向かってそんなことを言われて、ゲンは紅玉リンゴさながらに頬を赤らめる。
だいすきなひとが、自分を好きで。いつもの冷静さなど何処へやら、熱っぽい眼差しを注ぎながら触れてきて。求めてきて。
現実とも思えない状況に、身体が過剰に反応しているのがわかった。
「 ……その、……千空ちゃんに触られると、……身体がおかしくなっちゃうだけで、……いやとかじゃ、ないの…… 」
蚊の鳴くような声でごにょごにょ言うと、千空がものすごい顔になる。
「 せ、せんくうちゃん?」
何か気に触ることを言っただろうか、と表情を覗き込むと、盛大にため息をつかれた。
「 ……テメーは、俺が木石かなんかだとでも思ってんのか 」
こちとらこれでも現役男子高校生様だぞ。
ぐい、と手を取られて。触れた箇所の熱さと硬さに固まってしまう。
「 純情科学少年を弄びやがって。……朝まで泣かせてやるから覚悟しとけよ」
言葉と同時に、おもむろに耳を舐められた。
ぞくぞくと身体を駆け抜ける感覚に、急激に心拍数が上昇する。
どうやら、踏んではいけない蛇の尾を踏んでしまったようで。
その日は、朝まで離してもらえそうになかった。