幕間の楓恒⑬ 広いラウンジの中央。三月なのかが良く跳躍の際にジャンプを行うその場所に新人開拓者の星は正座をして座り込んでいた。反省の気持ちを示しているがそんな星を見ている丹楓はそれでも尚冷ややかな視線をやめることはない。いつもであれば、そういつもであれば星と丹楓の間に丹恒が入りやめるように言うだろうが。
どういうことなのか、当の丹恒は丹楓の服の袖を掴んで離さない。それも、幼い姿で。
「申し開きがあるのならば聞こう、星よ」
「…不慮の事故だったの」
しおしおと項垂れながら星は口を開く。
曰く、ルアン・メェイから荷物が届いたのだという。始めてのことに戸惑いはありつつも好奇心が勝った星はその箱を開けて中身を確認した。そこに入っていたのは見たこともない虹色に光る液体の入った小瓶が一つと、試作品と言う文字の書かれただった。
カードを裏返してみれば、なんとこの薬を飲むともう一人の自分を作り出すことができるらしい。それも数日間限定で。後遺症は無いことが予想されると。
こんな素敵なもの飲まないわけにはいかないと、星はラウンジでコップを借りその液体を注ぎ何処で飲もうかと歩き始めた。それがまずいけなかったのだと今ではわかる。
液体に夢中になっていた星は、自分の前方からぴょこぴょこと歩てくるパムの姿が見えていなかった。これもいけなかったことだ。
そして前を見ていなかった星はパムとぶつかってしまい、コップを宙へ投げてしまう。これもとてもいけなかったことだ。
運悪くラウンジへ同じようにコップを借りにきていた丹恒がそのコップの落下地点に居たこと。落下地点にいたとなれば必然的にその液体は丹恒にかかってしまう。
勿論星も自分が悪いと思いすぐに丹恒に謝った。その時の丹恒はとくに問題はないが、服が汚れてしまったから着替えてくるとラウンジを後にしていったのだ。
丹恒の様子から飲まなければ効果を発揮しないものだったのだと、星は一安心していたのだが。一時間後、星の前に現れた丹恒は既に幼い姿になりぶかぶかの洋服を身にまとって丹楓の袖をしっかりと握りしめていた。
「もう一人の自分と言うが、このように丹恒は形こそ小さくはなったが二人にはなっておらぬが」
「…それは私にもわからない」
「ほう…?」
丹楓の目がどんどん剣呑な光を宿していて星は心の中で泣きそうになっていた。一体何があって丹恒はこんなことになってしまったんだろうか。
「少しいいかしら?」
ラウンジで優雅にコーヒーを飲んでいた姫子がゆるりと手をあげる。星を睨みつけていた丹楓は姫子の方へ視線を向け話してみろと顎でしゃくる。
「丹恒は頭から薬品を被ったのよね? もしかしたら既定よりも少ない量を飲んでしまったんじゃないかしら? それなら二人にならなかったことも理解できるわ」
「ならばこの姿に関してはどう答える」
「それは今の星の話では答えられないわね…でも、元々数日限定のものなのだから規定より少ない量と過程すればもっと早くに元に戻ると思うわ」
「ふむ」
ゆっくりと目を閉じた丹楓に、星はほっと胸を撫でおろした。さっきまでの空気は星には地獄のような空気で、このまま居たら気絶したかもしれない。
目を開けた丹楓は、今の姫子の説明で一応納得はしたようで丹恒と手を繋ぐと踵を返す。帰り際に星へ振り返ることも忘れずに。
「戻らなかった場合は…わかっておるな?」
「……うん」
まだ胸を撫でおろすには早かったらしい。早く丹恒に戻ってもらわないとと星はスマホからルアン・メェイの連絡先を探し今起こったことをそのままメッセージで送信した。
すぐ返事が来ることは無いが、電波が良くなった時に返信してくれるだろう。
丹恒を連れて資料室へ戻ってきた丹楓は膝に丹恒を乗せるとこれからどうしたものかと目を閉じる。
朝、目を開けた時一瞬見えた姿は普段の丹恒の姿であったのだ。だが、胸を抑えたように思えた次の瞬間にはこの姿になっていた。
着ていた洋服はサイズが合わずぶかぶかになり、幼体になったことで雲吟の術で姿を保てなくなったのか角と尻尾が出て髪も伸びてしまっている。
丹恒と名を呼んでも返事はせず、忘れてしまったのかと名を名乗っても声を発しない。
大きな瞳を更にまん丸にして驚いたような顔をしたと思えばすぐに丹楓の袖を引っ張ってきた。
怯えているようには見えないが、声は出せないようだった。
声が出せぬとなれば意思疎通をとることも難しい。飲月時のように伸びてしまった丹恒の髪を優しく梳き、丹楓はやはりどうしたものかと考える。
この部屋に子供の好きそうなものはない。だが、このまま悩んでいても仕方がない。
まずは何か食べさせねばと膝から丹恒を下ろし部屋を後にしようとするが何も言わずとも丹恒が短い手足で一生懸命後ろを追いかけてくる。
ぺたぺたと聞こえてきた足音に、丹恒が今は何もはいていないことに気づき丹楓はしゃがみこんで丹恒を抱き上げる。思ったよりも重みは感じずおいしいものを食べさせてやらねばという心地でいっぱいだった。
落ちないように腕に力を入れると、腕の中の丹恒が小さく笑って胸に額を擦り寄てくる。
普段の丹恒からは信じられない姿に丹楓は今自分の腕の中に居るのは本当に丹恒なのだろうかと、瞬きをしてしまった。だが、そこにいるのは紛れもなく小さくなってはいるが丹恒である。
「…愛いな、丹恒よ」
腕の中の丹恒をゆっくりと撫でると更に嬉しそうに笑ってくる。
この存在を他の者に見せてはいけないのではないかと考えた丹楓は、パムから飲み物とお菓子を受け取り資料室へ戻る。
手ずからお菓子を食べさせてやると小さな口で一生懸命にお菓子を頬張っていた。飲み物を飲み、膝の上で一緒に本を読む。
その間丹恒が喋ることは一度も無かったが、瞳や動きから何が楽しいのかどれがおいしいのかを見つけだす。
そんなことをしていると、ふわぁと丹恒が小さく欠伸をする。子供の姿だからだろうか眠たくなってしまったようだ。
資料室で敷いたままになっている丹恒の布団に、丹楓は小さな丹恒と一緒に横になる。
このままでは自分も資料の整理等できない。それならば一緒に寝てしまおうと思ったのだ。
「丹恒」
丹楓はぐしぐしと目を擦る丹恒の手を握り、目は擦ってはいけないと指先に口づける。
眠気から目が蕩けてきている丹恒の体をぽんぽん、と一定のリズムで叩きながら丹楓は口を開いた。
「その姿も良いが、余は其方の声で名を呼んで欲しい」
早く元に戻ってくれと眠りに落ちている丹恒の瞼に唇を落とし丹楓も瞳を閉じた。
瞼を閉じて数分だったのか、数時間だったのか意識が眠りに落ちる前に丹恒の声が聞こえたような気がして丹楓は目を開ける。
「た、丹楓…! これは一体……」
「…元に戻ったのか」
「元に…? それより丹楓、なぜ俺は上しか服を着ていないんだ…? 下着や下穿きは何処に……」
普段と同じ丹恒の様子から小さくなっていた頃の記憶がないと判断した丹楓は、丹恒が縮んでしまった時に畳んでおいた服を指さした。
「其方が脱いだものを余が畳んでおいた」
「丹楓…それは一体どういうことなんだ…?」
まだ納得できていない丹恒の様子に、緩く丹楓は笑みを浮かべる。名を呼ばれることだけでこれ程嬉しいとは思っていなかった。
そんな丹恒と丹楓の様子を、丹恒の声が聞こえてきたので様子を見に来た星が扉越しに聞いていた。
星にしてみれば、これで丹楓から怒られずにすむとほっとしたところである。
今度何か丹恒にお詫びでもすればいいかと資料室の前を離れようとした時だった。ぴりり、とスマホがメッセージを受信した音に足を止める。ルアン・メェイからだ。
効果が切れて元に戻ったことを伝えると、ルアン・メェイは詳しく薬の効能を教えてくれた。
あの薬は効果が出た時に一番始めに目が合った人へ向ける感情によって、もう一人の自分の姿が決まるように調整されたものだったらしい。
相手に対して甘えたいと思っていたならば、それにふさわしい姿と中身になるという。
つまり、丹恒があの姿になってしまったのは。
「…これは、私とルアン・メェイだけの秘密にしよう」
資料室の前で小さく笑った星はスマホの電源を切ると今度こそその場を離れた。