幕間の楓恒㊿ くあ、と大きく欠伸をして丹恒は大きな布団の中で小さな手足を動かして大好きな温もりを探す。自分よりも僅かにひんやりとしている肌に触れた時の安心感を思い出しながら、手を動かしていると求めていた熱を見つけ、そっと胸元へ顔を埋めようとしたところで自分ではない何かが定位置にいることに気づきピタッと体の動きを止めた。
「ふ、ふーに…?」
ぴょこんっと布団の中から抜け出した丹恒が見たのは自分と同じような髪質でどことなく自分と同じ面影のある、けれど特徴的な角も尾もない、髪も短い自分と同じくらいの年齢の知らない誰かだった。
「…、…?」
「…!」
いつもの丹恒の定位置。丹楓の胸の中で眠っていたその誰かがゆるゆると瞼を押し上げる。丹楓よりも先に彼が目を覚ましてしまったことに丹恒は慌てながら近くにあった昔丹楓からもらった大きな蒼龍のぬいぐるみへ手を伸ばしその影に隠れようとする。
「ここは…、……そこにいるのは、おれ、か……?」
「………? おれ…? こーは、おれじゃない…」
「こー……」
ぬいぐるみが大きくても丹恒の体の全てを隠すことはできず、丹恒は知らない彼に見つかってしまっていた。
目の前の彼は、丹恒のことを見るなり目を見開くと次いで自分の手の大きさも確認しているようだった。
きっと目の前の彼も良くわかっていないのだろう。
丹恒は丹楓は起きるまでに目の前の彼を丹楓から離そうと、大きなぬいぐるみの影から顔をひょこりと覗かせて彼をじっと見つめる。
「なまえ…」
「…、おれはたんこうだ」
「? こーとおなじなまえ…?」
「………そのようだな」
「こー、なまえ、うまくいえない…」
目の前の自分と同じ名前らしい彼は自分の名前をちゃんと言えているのに、丹恒は未だ自分の名前をちゃんと呼べず、自分のことを「こー」と呼んでいることを思い出して、尾がへたりと力なく項垂れた。
「……、いえなくてもつたわればいいと、おれはおもう…」
気まずそうに小さな声で溢された言葉に丹恒は視線を上げると、いつ目の前に来ていたのか自分と同じ名前の彼がこちらを見ていた。
「つたわる…?」
「ああ、すくなくともおれには」
それならいいかと思い直した丹恒が表情を緩めると、目の前にいたはずの彼が突然視界から消えた。
ビクッとしながら彼の姿を探すと起きてきたらしい丹楓に抱き上げられている姿が見えた。
「ふーにぃ」
「っ…、たんふう…」
「……どうなっている?」
自分が抱き上げた存在へ視線を向けて首を傾げている丹楓に、丹恒はぽてぽてと近寄ると袖を引いた。
同じ名前だからかどうしてかはわからないが、丹楓が目の前の彼を手荒に扱うところを見たくはなかったからなのだが、丹恒へと視線を向けた丹楓は丹恒が袖を引いたのは違う意味があると思ったのか、彼を抱き上げたまま丹恒を抱き上げる。
丹楓のそんな動きに今度は丹恒が首を傾げたのだが、彼の咳払いに2人揃って顔をそちらへと向けることにした。
「…おれのはなしを、きいてほしい」
そう切り出した彼の話を聞くために丹楓は二人を抱き上げたまま応接間へと向かうと軽く人払いをし、先を話すように催した。
座り込んだ足の間に丹恒を座らせていることに何か言いたげではあったが、触れないことにしたのか首を左右に振った彼が口を開く。
「おれは、べつのせかいのたんこうだ」
「…ほう」
「……?」
目を細めた丹楓の表情と別の世界の丹恒の間を丹恒の視線が行ったり来たりと往復する。
ゆっくりと話を始めた彼曰く、自分は別の世界でナナシビトをしている存在であり仲間と一緒に居たところをここに迷い込んでしまったそうだ。
自分自身も何故この姿になってしまっているのか、これからどうすれば戻ることができるのかもよくわかっていないらしい。
丹恒には彼が言っていることはまだ難しく良くわかってはいなかったが、彼が悪い存在ではないことと丹楓が彼を警戒していないことだけはわかっていた。
彼の話を聞いていた丹楓はゆっくりと瞬きをすると、小さく息を吐き出した。
このようなことが今まで起こったことはなく、どうすれば良いのかもわからないが目の前の彼から自分と同じ蒼龍の気配を薄らと感じることだけは確かだ。
そんな彼をこの屋敷の外に出せばどのようなことに巻き込まれるかもわからない。かと言ってこの屋敷の中でずっと匿うこともできない。
だが、今日一日程度であるならば屋敷に誰も入れぬようにし様子を見ることくらいはできるかもしれない。
そう納得した丹楓は一度深く頷くと、目の前の別の世界の丹恒へと視線を向けた。
「其方の言い分はわかった。できうる限りのことはしよう」
「そ、そうか…たすかる…」
丹楓の膝の上に居た丹恒はそんな二人の様子を交互に見た後、何を考えたのか突然立ち上がると庭の方へと足を向ける。
「丹恒」
「ふーにぃ、こーには、ないしょのおはなし」
「……ああ、そうだな」
ぽてぽてと足音を鳴らしながら庭先へ出て行った丹恒を驚いたように瞬きをしながら別の世界の丹恒が視線を向けていた。丹恒から見れば、目の前にいる自分の前世とも言えるこの男が話をしようとしているなど気づきもしなかったからだ。
「…彼奴は余よりも直感に優れている」
「……そうなのか」
舞い落ちてくる紅葉を追いかけているこの世界の丹恒を見ていると自分とは全く違う存在なのだと思わざるを得ないほど、言動も動きも幼い頃の自分とはかけ離れすぎていて小さく息を吐き出した。
「其方が居るということは其方の世界の余は脱鱗したのか」
「……、それは…」
「…ふ……、其方も彼奴と同じくらいにはわかりやすいな」
「………」
何故脱鱗したのか、とは聞かれなかった。聞いてこなかったというのが正しいのかもしれない。丹恒が答えづらいということを察したのだろう。
別の世界の丹恒にとってあくまで目の前にいるのは別の世界の丹楓であり、自分の世界の丹楓はすでに丹恒という存在が生まれている以上自分の世界には存在しないのだから自分の世界の話をすれば良いだけだというのに。
だが、そうなってくると今庭先で紅葉と戯れているあの丹恒の存在はどういうことなのだろうか。脱鱗をして生まれた存在だとは思えなかった。
「彼奴のことが気になるのか」
「…あいつもたんこうなのだろう?」
二人で庭へと視線を向ける。見つめていた紅葉が頭の上に落ちたことに気づかずに首を傾げている丹恒は、別の世界の丹恒とは確かに違う存在なのだとわかる。
「丹恒と、余が名付けた。彼奴は鱗淵境で拾った卵から産まれた」
「…じみょうぞくのたまごではないのか?」
「ああ、最初は小さな卵だったのだが世話をしているうちに大きくなってな」
そして彼奴が産まれたのだと、緩く目を細めながら丹楓が呟く。
その視線に丹恒はぱちぱちと瞬きをして、丹楓とこちらの世界の丹恒へと視線を向けた。あのような表情を自分はまだしたことがなかったが、色々な世界でその視線を向け合う存在を見たことがあったからだ。
「…こんなことをきいてはいけないのかも、しれないが…」
「なんだ」
「あいつのことをどうおもっているんだ…?」
「ふむ」
庭で紅葉と戯れていた丹恒が丹楓と別の世界の丹恒の視線に気づいたらしい。こちらを向いて小さく手を振ってくるのを別の世界の丹恒が緩く振り返すと丹楓の視線がこちらを向く。
「其方が想像している通りとだけ言っておこう」
「………」
「無論、其方に対しても悪い感情などは持っていない。余の後継にならぬ道を選んだ其方には其方なりの葛藤があったのだろう」
丹楓の手が別の世界の丹恒へと伸ばされる。
突然伸びてきた手にびくりっと体を震わせたが、丹楓は丹恒の髪をひと撫ですると手を離していった。
「………」
丹楓に触れられた箇所を丹恒が触れる。
幼い時の自分の姿とは大きく離れており、今のこの姿が幼い時の自分ではないとわかっているのに何故か幼い頃こうして触れてもらいたかったのではないかと考えてしまったから。
「ふーにぃ? たーこー?」
丹楓と別の世界の丹恒が自分の方を向いたからだろう。話が終わったと思ったのか庭先にいたはずの丹恒がこちらへと戻ってきていた。
別の世界の丹恒は、一度瞳を伏せると丹楓の隣で立ち上がる。
何も言わずに急に立ち上がったからか、びくりっと目の前の丹恒の尾が跳ねた。
「どうした」
「……もう、かえることにする」
「…そうか、欲していたものはわかったようだな」
「……、ふほんい、だが…」
「?」
こちらの世界の丹恒だけが、何が起こり出したのかよくわかっていないのだろう。そんな丹恒に、別の世界の丹恒は小さく笑みを向けると目の前にいる自分と同じ名前の存在の頭を緩く撫でた。
「かえらなければいけなくなった」
「いなく、なる…?」
「そうだな」
「…たーこー…」
別の世界の丹恒は光に包まれ、輪郭もぼやけ始める。光の中で、小さな体だった筈の存在は丹楓と同じくらいの大きさになり、短かった筈の髪も丹楓と同じくらいに伸び、特徴的な角も見受けられた。
「…大事にしてもらうんだぞ」
「た……っ…!」
パチンっと弾けるような小さな音と共に光は消え、目の前にいたはずの別の世界の丹恒はいなくなってしまっていた。
「丹恒」
「う…ふーにぃ…」
今までそこに居た人が突然消えるなど、丹恒は今まで経験したこともなくただただ呆然としたまま名を呼ぶ丹楓の元へと歩み寄る。
丹恒が何かをするよりも早く丹恒を抱き上げた丹楓の指先をきゅっと握りながら丹恒は最後に見えた別の世界の丹恒の姿を思い出していた。
「ふーにぃ、こーもおっきくなれる…?」
「ああ、彼奴と同じくらいの存在になれるだろう」
「ん…」
自分の名前を上手く呼べるようになり、丹楓のことも名前で呼べるようになりたいといなくなってしまった彼のことを思い出しながら丹恒は丹楓の肩口に顔を埋めた。