幕間の楓恒⑭ バタバタと忙しない音が鳴り響く列車のラウンジで丹楓と丹恒は、アーカイブの整理をしている手を止め暫し休息の時間をとっていた。たまにはこのような時間も悪くないと丹楓がお茶の入ったカップへ手を伸ばせば、大きな音を立てながら星がラウンジへ入ってくる。
片手にはパムの形をしたパペットを手につけた星は、にこにこと楽しそうな雰囲気を纏いながら二人の側までやってくる。
「丹恒、丹楓。今日はキスの日っていうらしい」
「そうか、それでお前の手についているそれはどうしたんだ」
「これはなのから貰ったんだけど、せっかくのキスの日だから皆とこれでキスしようと思って」
「…どうしてそうなるんだ」
パクパクとパペットの口を動かす星は首を傾げながら「さっき、なのとパムとはしてきたよ?」と悪気のない表情で言う。
黙ってことの成り行きを見守っていた丹楓は、このままでは列車の皆に甘い丹恒の唇がよくわからないパペットに奪われてしまうだろうと立ち上がり丹恒と星の間に体を割り込ませる。
「星よ、丹恒はそういうことがあまり好きではない…我慢してくれるか」
「えっ……そっか、丹恒キスが嫌いなんだね」
「おい、丹楓」
言い募ろうとした丹恒を片手で制しながら丹楓は星の方へ視線を向ける。理解力が悪いわけではない星はこれでなにもしないはずだ。
「じゃあ、丹楓にしよう! はい」
「むっ」
「…っ…!」
布地の感触が唇にちょこっとあたり、丹楓は目を瞬かせた。どうやらパペットが口に当たったようだ。この程度であれば、キスという程のものでもないが万が一星の気が変わり丹恒にしてはいけない。
「…丹楓」
「どうした、丹恒」
「…丹恒?」
満足したならばあちらへ行けと振ろうとしていた手は丹恒に掴まれていた。
あまり自分から行動を起こさない丹恒にしては珍しい。丹楓が丹恒の方へ視線を向けると苦虫を嚙みつぶしたような形容しがたい表情で、丹楓を見ている。
「すまないが、俺と丹楓はこれで失礼する」
「? うん」
丹楓は己の手を掴んだままの丹恒をじっと見つめる。何か言いたいことがあることは確かで、星が来るまではそのような表情はしていなかったように思う。
だが、丹楓にとって丹恒にされることで嫌なことはとくにありはしない。手を引かれるまま、丹恒の行きたい場所へ足を進めた。
なぜかいつもの資料室を通り過ぎ、誰もいない客室に入った丹恒は突然立ち止まる。何も言わないまま無言で立っていたのだが、こちらを振り向くと丹恒の額が丹楓の肩に触れる。
ほう、と声には出さず丹楓は目を細めた。
丹恒が自分から触れてくることも珍しいが、このような行動をとることも珍しい。丹楓の記憶の中では初めてと言っても過言ではないだろう。
「丹恒」
「…………だ」
「余に言いたいことがあるのだろう? はっきり言えば良い」
ゆるゆると顔をあげ視線を向けた丹恒は、まだ瞳こそ揺れてはいたが先ほどのような表情はしていなかった。
「丹楓が……、俺以外とキスをするのは………嫌だ」
丹恒が小さな小さな声で漏らした言葉を丹楓は聞き間違えることなく一言一句嚙みしめるように聞いていた。丹楓は、胸の中で丹恒に対する愛しさを感じながら丹恒の頬に触れる。
つまり丹恒は星が持ってきたぬいぐるみに嫉妬でもしていたのだろう。普段見せない独占欲の片鱗がなんとも可愛らしいものだ。
丹楓は丹恒の瞼にちゅっと音を立てて唇を落とす。丹楓の口づけで閉じていた瞼を開いた丹恒が僅かに背筋を伸ばし、丹楓の頬へ触れる。
「余が口づけたいと思うのは丹恒、其方だけだ」
丹恒の唇に丹楓はそっと唇を重ね合わせる。優しく触れて、すぐに離れて、また触れる。
合間合間に息継ぎをしながら、徐々に深く甘く舌を絡め合わせた。
「ん、ふ…は、ァっ…んんっ…」
ぢゅる、と唾液の絡まる音を鳴らしながら深く深く口づけていく。丹恒の唇の端から混ざり合って飲みきれなかった唾液がつ…と垂れていき、丹楓の手をも汚していった。
だが、手が汚れても丹楓は丹恒へする口づけを緩めない。
「ふ、ぁ、…ッ、…んッ…た、ふ……ッん…、は、…」
先ほどとは違い呼吸すら奪うように丹恒の唇に食らいつくように丹楓は唇を重ね合わせる。かち、と深すぎるが故にぶつかってしまった歯の音も振動も今の丹恒には興奮材料にしかならなかった。
「んんっ…た、ふ、…ぅんむ、っ…は、ァ…あッ!」
「…っ、…大丈夫か」
「は、…ぁ、……なん…こしが……」
ひくんっと丹恒の体が小さく跳ねたと思えば、その場にへたりと座り込んでしまった。
当の丹恒は何が起きているのかよくわかっていないようだが、どうやらキスで腰が抜けてしまったようだ。
このままここに居るわけにもいかないと、丹楓は丹恒を抱き上げる。自分と然程変わらぬ背丈であっても丹楓は難なく丹恒を抱き上げた。
「…続きはいつもの場でするとしよう」
丹恒の耳元へ吐息と共に囁かれた言葉に、ぴくっと丹恒の体が震えた。丹楓から視線を逸らす丹恒ではあったが、降ろせと暴れるわけでもなく嫌だと言うわけでもなく。
ただ、丹楓の服の裾を握りしめていた。