幕間の楓恒㉗ 白珠が目の前に紙を並べていく動きに合わせて丹恒の体もゆらゆらと動く。白珠が良いことを思い出したと並べ始めた長方形型に切られた紙は普段丹恒が見ている紙とは少し違う。
「良いですか、丹恒。これは乞巧奠で使われることのある紙なんですが」
「きっこうでん?」
聞き覚えのない言葉に丹恒は首を傾げながら白珠が並べた紙を一枚手に取る。材質は何処にでもある紙となんら変わらず、丹楓がいつも文字を書く時に使っている紙そのままであるだろう。
「本来であれば、裁縫の上達を願い由来するものを吊るす行事なのですが、丹恒は裁縫をしないでしょう? それなら、此方の方が良いかと思いまして」
白珠はそう言うと机に向かい、自分が並べた紙を一枚手に取ると筆を走らせる。丹恒が読めない字もところどころ散見されるが、願い事を書いているように見えた。
「こうやってこの短冊に願い事を書くんです」
「ねがいごと…」
「丹恒の一番のお願いをこの紙に書いてみてください」
朗らかに微笑んだ白珠は、立ち上がると先ほど自分が座っていた位置に丹恒を座らせる。まだ、文字はそれほど多く書けるわけではない丹恒は何を書こうか悩んで首を傾げてしまっていたが、ピンッと尾を跳ねあがらせて思いついたようにゆっくりゆっくりと筆を動かし始めた。
ところどころ線が太くなったり細くなったりするところはまだ文字を習いたてなのだろうということが伺えて白珠は小さく笑う。
「…ん!」
「書けたんですね、そしたら…」
「ふうにぃにみせてくる!」
「あ、丹恒駄目です…! え、えーと、えーと、あっ! 笹に吊るす前に願い事を見せてしまうと叶わなくなってしまうかもしれません!」
「……かなわなくなるのか?」
「そうです! だから、飲月には内緒にしましょう!」
「ん…」
書ききった短冊を抱えて、少し離れた所で仕事の話を続けている丹楓の元へ駆け寄っていきそうな丹恒を白珠は慌てて止める。
本当は叶わなくなるなんてことはないが、ちらりと見てしまった丹恒の願い事は丹楓に見せたらきっとすぐに叶ってしまうだろう。丹楓ならば「それくらいなら叶えられる」と口に出してしまうかもしれない。
そうしたら、また丹恒は悩んで願い事を書くことになってしまうかもしれない。書いたは良いがそれは一番の願い事ではないと落ち込んでしまうかもしれない。
この楽しいだけの行事でそのような顔をさせたくはなかった。
「丹恒、何かあったか」
「ふうにぃ」
「飲月、えーっとこれは、その…」
丹恒に名を呼ばれた時点で丹楓の視線が此方を向いていたことは白珠も気づいていたが、まさか丹楓が此方に来てしまうとまでは考えておらず視線を彷徨わせる。
そんな白珠の様子をちらりと伺った丹楓は白珠には何も言わず丹恒へと視線を向けた。
「丹恒?」
「…ふ、ふうにぃには、ひみつ……」
丹恒は白珠に言われたことを守るように書いた短冊を後ろ手に隠すと丹楓から顔を背けてしまう。
丹楓は訝し気に丹恒の方を見ていたが、僅かに尾を震わせながら何かを堪えている様子を見ているとそれ以上追及する気にもなれず、小さく息を吐き出した。
「良い、だが何かあったのならば必ず言うのだぞ」
「…! ん!」
「飲月、後で笹を見てくださいね」
白珠の言葉に小さく頷いた丹楓は、直ぐにまた仕事の話へと戻っていってしまった。緊張していた息を白珠はお腹の底から吐き出すと丹恒の方へと視線を向ける。
丹恒が今より小さい頃からではあるが、丹楓の過保護は丹恒がどれだけ育ったとしても変わらないのだろう。
「それでは、丹恒。吊るしに行きましょうか」
「つるすのか?」
「ええ、これを笹に吊るしてお祈りしたら終わりです」
笹は、今日丹楓から丹恒の面倒を見て欲しいと頼まれた時に既に準備をしてあった。庭にある笹一本を使いたいのだと丹楓に許可を取りに行けば何に使うのかわかっていたのかすぐに許可が下りたのだ。
まだ、何も吊るされていないその笹に白珠はまず自分の短冊を吊るす。
「こうして、吊るすんです」
「わかった」
丹恒には笹が少し高いのか、つま先立ちで背伸びをしながら自分の短冊をなるべく高い位置へと吊るしていく。お世辞にも綺麗とは言い難い文字で書かれた丹恒の願い事に白珠は笑みを浮かべると短冊を吊るした達成感からか息を吐き出している丹恒の手をとる。
「このままだと笹が寂しそうなので飾りを一緒に作ってくれませんか?」
「ん」
こくり、と頷いた丹恒と共に室内に戻り白珠は色紙を何枚か取り出す。作り方もゆっくりと教えながら出来上がったら、丹恒と共にまた吊るし。それを丹楓の話し合いが終わるまで何度も繰り返した。
*****
宵の月が浮かぶ頃に、丹楓はゆったりと体を起こした。自分の隣で体を丸めて眠っている丹恒は昼間に白珠と色々なことができて興奮していたのか、寝る前に丹楓にどんなことをしたのかこういうことができるようになったのだと嬉しそうに話しをしていた。
だからだろうか、いつもより寝つきは悪いようだったが、深い眠りに落ち丹楓が起き上がった程度では起きる気配はない。
夜着の上に羽織を着て、丹楓は昼間に白珠に言われた通りに笹へと向かう。
丹恒があれほど隠していた願い事とやらは、どういったものだったのか。あの時はそれ以上追及したところで丹恒は話してくれなかっただろう。
勝手に見てしまうことは悪いことのようにも思えたが、元来丹楓は乞巧奠の伝承事態をあまり信じていない。願いがあるのであればそれ相応の努力をすべきだとすら思う。
だが、あのように小さな手で大事に願い事を記し抱える丹恒を見るとこの風習も悪くはないのだと思える。
「此れだな」
庭の中でひと際飾り付けられた笹は遠目からでもすぐにどれかわかる。この紙の飾りも白珠と作ったのだと、丹恒は楽しそうに話しをしていた。
どれも拙い作りではあるが、よくできている。明日の朝、褒めても良いだろう。
その中に吊るされた短冊の一枚を手に取った。まだ綺麗に文字が書けないと練習をしている丹恒の字は此方の短冊の筈だ。
「…『ふうにぃといっしょにいられますように』」
ああ、あれほど大事に記し抱え、余には秘密だと言った願い事が丹恒にとって一番の願い事は此れなのだ。
「ふ…」
小さく笑みを浮かべ、丹楓はまだ机の上に残されていた白珠が持ち込んだ短冊に己の願いを記す。
『丹恒と変わらず共に』