幕間の楓恒㉛ 丹恒は自分の尾をゆらゆらと揺らしながら、丹楓の元を訪れる人達をじっと見ていた。龍師が丹楓のことを「飲月君」「龍尊様」と呼び、敬った口調をしていることはまだまだ小さな丹恒も気づいていたのだが、丹楓が友人だと、仲間だと呼んでいるものたちも丹楓のことは「丹楓」とは呼ばない。
丹恒が目を開けて、丹楓の顔を認識した時。言葉を覚えた時から、丹楓は己のことを丹楓と呼べと言っていたから丹恒も丹楓のことをそう呼んでいたが、もしかしたら其れは良くなかったのかもしれないと何人目かわからない龍師を見ながら丹恒は尾を揺らした。
「ふ……う、…いんげちゅ、きゅ…」
龍師が居なくなり、丹楓が休憩をとる素振りを見せたので丹恒は頭の中で何度も練習していた「飲月君」の呼び方で呼ぼうとした。
だが、やはり今まで呼んでいた慣れ親しんだ呼び方が先行して口からまろびでてしまい、丹恒はきゅ、と唇を閉じてからもう一度その名前を呼ぶ。
発音が難しく、舌が回ってはいないがなんとか呼べたと丹恒は丹楓の顔へ視線を向けるがなぜか丹楓は眉間に皺を寄せ両腕を組んで丹恒の方へ視線を向けていた。
それが丹楓の機嫌があまりよくない時にする仕草なことに丹恒は気づいてはいなかったが、丹楓の様子がいつもと違うことに気づいて首を傾げる。
どうして丹楓がそんな表情をしているのか丹恒にはわからなかった。
「ふー、に…?」
「何故、其方がその名で呼ぶ?」
「……?」
「飲月と、余のことをそう呼ぶように言われたか?」
丹楓の言葉に丹恒は頭をふるふると振った。
「こーいがい、そうよんでる」
誰かにそう言われたわけではない。ただ丹恒は丹楓のことをそう呼んだ方が良いのだと自分で考えてそう呼んだだけだった。
だから、丹楓がどうしてそんなに不機嫌そうな顔をしているのかもわからずじっと丹楓の顔を見てしまう。
小さく息を吐き出した丹楓は手を伸ばしゆるりと丹恒の頭を撫でる。先ほどまで不機嫌そうな顔をしていたが今はそんな素振りはなく、いつもの丹楓だった。
その姿に丹恒は撫でられた嬉しさも相まって尾をピンッと跳ね上げて丹楓の手の動きに合わせて尾を揺らす。
「良いか、其方は余のことを丹楓と呼んで良いのだ」
「ちゃん、ふ…?」
「ふ…、まだ丹は発音ができないのであろう? 常と変わらず楓と呼んでよい」
「ふーにぃ」
「そうだ、其は其方にだけ許している呼び方なのだから」
丹恒は小さいながら、色々な者たちのことをよく見ている。丹楓もそれはよくわかっていたつもりだったが、呼び方を変えてしまう程周りをよく見ているとは誤算であった。
丹楓が居る限り「飲月」の名も「龍尊」の名も丹恒を縛ることはないが、丹楓にもしもがあった場合その名は丹恒に引き継がれることになるだろう。だからこそ、丹恒には尊号ではなく名で呼んで欲しいと丹楓は思っていたが。
丹楓は丹恒にはそんな理由等抜きにして名を呼んで欲しいのだとも考えてしまっている。
そんな考えを晴らすように丹楓は丹恒の頭をゆっくりと何度も撫でた。
己の中にある感情はまだこの小さな子に伝えるのは早いだろうと。