幕間の楓恒㉞ 突然の来訪を謝罪する手紙を開きながら、丹楓は小さく息をついた。
普段務めに忙しく、丹恒との時間が少なすぎると白珠に言われ時間を作ったのが今日であったのだが、手紙の内容を見るに今日これから此方に来る旨が書かれており景元が急ぎこのような手紙をよこしてくる理由等、良い事柄ではないだろう。
今日も時間を作ってやることができず、丹楓は再び小さく息を吐き出した。
「…ふーにぃ?」
小さな植木鉢を両手に抱えた丹恒が、ぱちぱちと瞬きをしながら丹楓を見上げてくる。
手に持っている植木鉢は数か月前に白珠から巷で流行っていると丹恒に贈られたもので、丹恒が毎日世話をしていたものだ。
蕾ができ、数日のうちには花が開くだろうと今日は丹楓と一緒に丹恒は花のお世話をするつもりで持ってきたのだろう。
「…丹恒、急な務めが入り其方との時間をとるのが難しくなった」
「つとめ…?」
「そうだ」
「………、ん…」
表情を曇らせ項垂れていく顔と尾に、このような表情をさせたいわけではないと思いながら丹楓は、丹恒の頭を緩く撫でる。
「終わったのち、其方との時間をとると約束しよう」
「…ん」
尾は項垂れたままだったが、あがった顔からは先ほどのような悲しい色は無くなっていた。
落とさないように植木鉢を抱え直し、部屋へと向かっていく丹恒の後ろ姿を確認してから丹楓は応接間の方へと向かう。
景元の急用がどのような事柄かはわからないが、面倒ごとでなければいい。
*****
「すまない、今日は丹恒殿と約束があった日だったのか」
「御託は良い。用件はなんだ」
景元が苦笑いを浮かべているのはわかっていたが、丹楓は目を細めながら言い放つと花弁と花の実が入った籠と、書を渡される。
丹楓はちらりと、花弁と実の方へ視線を向けた後に書の紐を解き中の文章に視線を落とす。
「言葉を囀る華、か」
「正確に言えば言葉を話す花もあるということだが、問題は花の扱い方だろう」
「誤って花を食した者の声が出なくなったか」
書の症例の一つとして大きく取り上げられているのが、失声。次に饒舌。どれも声に纏わる症状のようだった。
その症例のどれもが、花を食したことによって引き起こされ、自然と戻った者もいれば未だに戻っていないものもいると書かれている。症状の出ている患者は多くはないが、神策府では事態を重く考え原因の究明を求めているようだ。
「丹鼎司の方からも数名遣わそう」
「ありがたい、恩に着るよ」
それで症状が無くなるのであれば、それで良い。だが、もしそれでも症状が無くならなかった場合は丹楓自身が患者を診ることになるだろうと結論付け、席を立つ。
「丹楓、件の花で耳に入れたいことがある」
「……?」
景元の言葉に足を止め、丹楓は片眉を上げながら景元の方へ視線を向ける。先ほどよりも真剣な顔つきで、此方を見つめてくる景元に良い情報ではないだろうと丹楓は息をついた。
「数か月前から、この花は羅浮で流行っており、当然色々な者が買っていったらしい」
「ほう…数か月前……」
「白珠殿も二株買っていったそうで、一株を此方の屋敷に届けたそうだ」
「……そうか、知らせてくれたことに礼を言おう」
「丹恒殿の花が、害の無いものならば良いのだが」
「彼奴の花はまだ咲いていない」
景元の話している情報からも丹恒が抱えていた花が今回の花であることは明白であった。見ているだけならばただ話すだけの花である。それ以上の害はないだろう。
丹恒が己が育てた花の花弁や実を食すとも考えづらい。だが、この屋敷に居るのは丹楓と丹恒だけではない。丹恒のことを疎く思っている龍師も居るのだ。
丹恒の育てた花が開いた時、どの花を育てていたかがわかる。龍師がその花を悪用しないとも限らなかった。
景元へと礼を告げ、応接間へと来た時よりも足早に部屋へと戻る。今頃の丹恒は、まだ咲かぬ花を見つめているか見つめていることに疲れ眠っていることだろう。
まだ花が咲いていなければ良いと思いながら、部屋の扉を開ける。
「…丹恒」
返事はない。
部屋の中を見渡した丹楓は、己の机の上に花茶のようなものが見え体の動きを止めた。丹楓がこの部屋を後にした時はこのような物は置いては無かった。丹恒が一人で花茶を淹れたとは考えづらい。そして、今日この部屋には丹楓の友人たちが来る予定はない。
そう考えるとこの花茶を置いていったのが、屋敷に居る者ではないかと考えられる。
ただの花茶であるならば、それで良い。
だが、先ほどから『花』が問題にあがっているのだ。どうしてか、この花茶も疑わしい目で見てしまう。
「丹恒」
再度丹恒の名を呼ぶが返事はない。
だが、部屋の隅でぴくっと震える塊を見つけ、丹楓は其に近づいていった。
「丹恒、何故返事をしない」
部屋の隅で体を丸め、まだ花の咲いていない植木鉢を大事に抱えているいた丹恒は大きな瞳からぽろりぽろりと雫を溢れさせながら丹楓の方へと視線を向ける。
「―、―…」
「…丹恒?」
口を開き、何か音を紡ごうとしていることはわかる。
だが、開いた唇から零れるのは空気の掠れる音のみで言葉は聞こえてこなかった。失声なのだと、瞬時に理解した丹楓は未だに涙を流しながら唇をぱくぱくと動かしている丹恒の唇に指先で触れる。
「聞こえておる、名を呼んでいるのだろう?」
「―…!」
ぱちりと瞬きをした丹恒の瞳から、また一滴こぼれ落ちていった。こくん、と頷いた丹恒は丹楓に気づいてもらえたことが嬉しかったのか、丹楓の手に擦り寄るように顔を動かしてくる。
その様子を大変愛らしいと丹楓は思うが、このまま丹恒の声が出ないままにしておくことはできない。
丹恒の側に、やはり花茶が入っていたであろう茶器を見つけ丹楓は其を拾い上げる。
この屋敷で使われている茶器で間違いはない。そして、まだ飲みかけだろう茶の中に白色の花弁が一枚浮かんでいた。
此れが食したものの声を失わせる花弁なのだろう。
記録によれば、食したものでもすぐに声が出るようになったものや、数日出なかったもの、症状は同じでも日数にはかなりばらつきがあった。
何かしら原因があるのだろうと、茶器を机の上に戻し丹恒の頬に触れる。
「丹恒、其方の症状を確認する。口を開けるか」
「………? ―、…」
「そうだ、そのままじっとしていろ」
ぱかりと口を開けた丹恒の口の中を覗き込む。小さな牙と小さな舌、とくに変わった様子はない。
しかし、喉の近くに白い花弁が張り付いているのが見える。此れが全ての原因の可能性がある。
此れを取らなければならないと、丹楓は丹恒の頬を両手で包み込み上を向かせる。
「…? ―、―…?」
先ほどまで涙を零していたせいか、目元を紅く染めた丹恒が丹楓を見上げ大きな目でぱちりぱちりと瞬きを繰り返す。
「苦しいだろうが、我慢できるな」
「………、―…」
こくんと頷いた丹恒の動きを確認し、丹楓は小さく息を吐き出すと己の唇を丹恒の唇に重ね合わせた。
「……―!」
ぴくっと震えた体と、落ち着かないように揺れている丹恒の尾の動きが見えたが丹楓は動きを止めることなく深く深く丹恒と唇を重ね合わせる。
ぬるりと差し込んだ舌で口の中を舐めると、丹恒の体がびくびくっと震え、息も苦しいのか小さく荒い吐息が聞こえてきた。
「…っ……」
喉まで舌を入れられれば苦しいだろうことは、丹楓にもわかってはいたが花弁をとる為に丹恒の喉へと舌先を伸ばす。
びくっと丹恒の体が大きく震え、尾がびんっと跳ね上がる。
「…―! …ふ、むぅ…っ!」
丹楓の舌先が喉に触れ、花弁を舐めとった瞬間、丹恒のくぐもった声が聞こえ丹楓は花弁を飲み込まないよう気を付けながら舌を丹恒の口から引き抜いた。
つぷ、と伝った二人の唾液の交じった橋が丹恒の唇を濡らしているのが見え、丹楓は指先で拭う。
丹楓は丹恒の喉から剥がした花弁を口の中から出し口拭きに吐き出しながら、息が整っていない丹恒の頭を撫でた。
「…丹恒」
「……ぅ、ゅ……ふぅ、…にぃ……」
「あぁ、聞こえているぞ。丹恒」
「ふ、に……ふーに……」
きゅ、と丹楓の袖を掴み丹恒は再び瞳に涙をためていく。
この茶を渡したのは龍師で間違いなく、丹楓が戻るまでに是非味わって欲しいとでも言われたのだろう。早く飲めと急かされたのかもしれない。
茶を飲み、喉に花弁が張り付き声の出なくなった丹恒は自分に何が起こっているのか怖くなり丹楓の部屋の隅で大事に育てている植木鉢を、丹楓と約束をした植木鉢を守る為に抱えて待っていたようだ。
丹恒の説明では、どの龍師がそんなことをしたのかまでは特定はできなかったが、丹恒の無事を知り動揺した者の犯行に間違いはない。
このようなことをしておいて、何も咎めがないと思っているのならば大きな間違いであり、他の者もそのような気を起こさないようにしなければならない。
「ぅ、ふー…に…」
丹楓の袖を掴んでいた丹恒の瞳が丹楓から、別のものへと向けられる。
其れは先ほどまで、丹恒が大事に抱え守っていた丹恒の植木鉢であった。先ほどまで蕾だった筈の其れが水縹色の花をつけている。
『ふーにぃ、すき』
「…!! ふ、ふーにぃ、はな」
「ああ、そうだな」
『すき、ふーにぃ』
花が話すということまでは聞いていたが、丹恒の声音で囀るとは考えてもいなかった。花と丹楓を交互に見て何が起こっているのかわかっていない様子の丹恒は、きゅ、と丹楓の着物を握りしめると涙に潤んだ瞳のまま丹楓を見上げる。
「ふーに、…はなも、ふーにぃ、すき?」
「……そのようだな」
『ふーにぃ、すき』
丹楓の名前を呼び、好きだとずっと囀ってくるこの花が丹恒の心を反映しているものだとはきっと丹恒は気づいていないだろう。
丹楓も事前に景元より資料を渡されなければ驚いていたに違いない。
丹恒の育てていた花は、無言の花を食すと失声を引き起こすと書かれていたが、他にも隠し事を話す花や愛を囁く花があった。丹恒が育てていたのは後者の花だったようだ。
花の特徴として花をつけた次の日には枯れ、実になってしまうらしい。
今、丹楓の腕の中できょとんとした表情をしている幼龍は育てたものが枯れ、朽ちていく様子を受け入れられるのだろうか。
「丹恒」
「…ん」
「この花だが、明日には枯れてしまうだろう」
「……かれる?」
「そうだ。花は散り、実だけが残る…その実は神策府預かりとなるだろう」
「なくなる…?」
「そうだな。なくなってしまう」
この屋敷で再びこの花を育てることは難しいだろう。実からどの花が咲くのか、育てた者次第なのかもしれないが無言の花が咲いた時にまた同じような事態にならないとは限らない。
部屋の隅で蹲り声すら出せずに泣いていた丹恒の姿を思い出し、丹楓は二度その光景を見たくはないと瞳を閉じる。
「…だが、変わりに余と花を育てよう」
「ふーにぃと、いっしょ?」
「そうだ。 屋敷の一角に余と其方だけの花を育てるとしよう」
「…、…ん」
こくりと頷いた丹恒は未だ丹楓への好意を囀っている花へと視線を向けているが、この様子ならばきちんと別れを告げることができるだろう。
*****
その夜、花を部屋に置き眠りについた丹恒は朝になり花弁を枯らし散らし、実だけになった花の小さな手で包み込んだ。
「…ありあと…」
瞳にうりゅっと涙をためた丹恒の頭を丹楓はよくできたと言うように緩く撫でる。涙を零さないように頭を振った丹恒は丹楓の着物の袖を引く。
新しく、二人で育てる花を探しに行くという約束を果たしに行こう。