タグの楓恒② 機械音を響かせ開いた扉を潜り、部屋の中へと目を向ける。
普段であれば自室のように常住し、資料の整理をしている丹恒の姿はない。
今朝方一晩中資料を整理している様子を見て、あまり無理をしないようにと伝えたつもりではあったが、この様子では何処かへと出かけてしまったのだろう。
はぁ、と息を吐き出し壁へと背を預ける。
己の転生体であるはずの丹恒は、良くも悪くもまだ若い。経験もまだ足りなければ、知識も己に比べればまだまだと言った所だろう。
集中して物事に取り組み事は良いことではあるが度を越せば体を壊す。本人も其れはわかっているはずではあるが、集中しすぎる所があるようだ。
このまま此処で待っていて戻ってくるのか、来ないのか。些か判断に難しい。
「あ、丹恒のお兄さん」
「…ん」
この列車内でしか呼ばれぬ呼び方をされ、声の方へ顔を向ける。
開拓者たる星が、ひらりと手を振り此方へと歩み寄ってきた。
「今、忙しい?」
「いや」
「それならよかった。 丹恒がラウンジで寝てるんだけど、運んでもらえる?」
「…そうか」
どうやら、転生体はラウンジで意識を手放したらしい。
手間のかかるとは思うものの、嫌ではないと感じながら壁から体を離し星の方へ向き直る。
「一つ聞こう」
「なに?」
「なぜ他の者に言わぬ? 運べるもの等他にもおるだろう」
「…丹恒、私たちが近づくと気配で起きちゃうらしい」
苦笑いをしながら言うところを見ると、試みた回数は数知れずといった所なのだろう。
気配に敏感なのは奴の今までの経験に基づいたものではあるだろうが、あまり気分の良いものではない。
「丹恒のこと、よろしく」
「わかっておる」
星の言葉に頷き返せば、どこか安心したように息を吐き出してアーカイブ室の前から去っていった。
仲間だと認識しているものにあれほど心配させるとは、やはりもう一度しっかりと丹恒には言い含めておかなければならぬ。
ラウンジへと向かい、ソファーへと視線を向ければ書物を傍らに置き瞼を閉じた丹恒の姿があった。
パムさえ起こさないように気をつかっているのか、誰も丹恒には近づいていない。
どれだけ心配をかけているのだと小さく息を吐き出し近づいていくが、どれだけ足を進めようとも丹恒の瞼が持ち上がることはない。
星の言葉を思い出す。起きてしまうと言っていたが、余ならば起きぬだろうと言うのは丹恒が言っていたのかそれとも星がそう判断をしたことなのか。
どちらにしても、目の前まで近づいたにも関わらず目を開けぬ所を見ると起きてしまうことはなさそうではある。
丹恒の腕を掴み、抱き起すように引く。腰に腕を回し、落ちぬようにと抱え込むがその間も丹恒の目が開くことはない。
「………」
顔の傍にある丹恒の顔を見つめるが、瞼が震え持ち上がることも、魘されることもなくただすやすやと規則正しい寝息を立てながら、余の体へと寄りかかってくる。
ふっ、と知らず笑みを零しながら丹恒の体へと回した腕に力を込めアーカイブ室へと運んでいく。
歩み始めてもやはり丹恒の目が開くことはなかった。
先ほども聞いた機械音を鳴らしながら開いた扉の中、僅かに乱れた布団の上に丹恒の体そっとを下ろす。
横たえる前に、上着を脱がせばようやく丹恒が身じろぎをした。だが、まだ降りている瞼が開くことはない。
このまま何もせずとも朝まで眠るだろうと結論付け、ラウンジに置き去りになっている此奴の書物を取りに行くべきだろうと立ち上がる。
だが、歩を進める刹那、着物の裾を引かれ歩みを止めた。この場で裾を引くものは一人しかいない。
「丹恒」
「…っ…いく、な…っ…」
掛けられた声に驚き丹恒の顔へと視線を向けるが、瞼は未だに降りたまま。だが、先ほどとは違い夢見が悪いのか魘されているようだ。
悪夢の中に居るよりは起こした方がよいだろうと、傍で座り込めば丹恒の小さな声が聞こえてくる。
「い、なくなるな……、たん、ふ…」
どのような夢を見ているのだろうか。
余が消える刹那の夢だろうか。其れはいつかは来る時の正夢なのかもしれぬが、今の余は此処にいる。
夢の中の余に魘されるくらいならばと、丹恒の額に手を乗せる。
「其れは夢だ、丹恒」
「…っ…う……」
「余は此処にいるだろう」
「……、た、んふ……」
ゆっくりと息を吐き出していく丹恒の様子に、額に触れていた手を僅かに動かす。
起きたのではないかと思っていたが、瞼はやはり持ち上がってはいない。どれだけ深く夢へと落ちているのだろうか。
触れていた手を頭へと動かし、跳ね動いている髪を撫でつけるように動かすと徐々に丹恒の息遣いがラウンジの時と同じ規則正しいものへと戻っていく。
このまま手を離し、書物を取りに行くこともできなくはないが。
今はこの転生体が、安息の夢を見れるようになるまで傍にいよう。