幕間の楓恒㊳ がやがやと人が行き交い忙しない門の側で丹恒は自分が着ている着物の裾をきゅっと握りしめた。
丹恒の数歩先に居る丹楓はこれから向かう討伐の為に色々な者に指示を出しているところで、そんな丹楓を丹恒は少し遠くから見ていた。
数日屋敷を留守にする丹楓の為に見送りに来た丹恒だったが、屋敷の門の所で忙しそうにしている丹楓を見ていると、丹楓がいない静かな屋敷のことを思い出してしまって。
けれど丹楓に、静かな屋敷に居たくないとは言えず。まだ小さな自分が着いて行きたいと伝えることもできず。ただ、少し遠くから丹楓を見つめながら堪えるように着物を握りしめていることしかできなかった。
「丹恒」
指示を出し終えたのか、丹恒の方へと歩み寄ってきた丹楓に丹恒は俯きがちだった顔をあげる。
なにか言おうと口を開こうとするが良い言葉が浮かばず唇を閉じてしまった。
「……ふーに」
「…、数日で戻る」
「…ん」
丹楓の言葉に丹恒はこくんと頷くが、表情は相も変わらず暗いまま。丹楓の方へ顔を向けることもできない丹恒に、丹楓はなにを言うでもなくただじっと丹恒を見つめた。
あまり表情が動かない丹恒がどのようなことを考えているか、顔など見なくとも丹楓にはわかってしまった。力なく下りた尾がどこかしょんぼりとしているように見えていたからだが、丹楓はそんな丹恒には何も言わずただ緩く髪を撫でると星槎に乗る為に屋敷を後にする。
丹楓の手が離れた刹那、顔をあげた丹恒の表情が僅かに歪んでいたように見えたのは丹楓が丹恒の表情をよく見ていたからかもしれない。
丹恒を屋敷に残し、忌み物の討伐に出かけることは初めてというわけではない。
丹楓の記憶の中では、初めての時の方が一人で留守番をするということを体験していなかったからか普通な表情をしていたように思う。
だが、それが二度、三度と繰り返される度に徐々に丹恒の表情が変わり、反応も変わっていた。屋敷に独りにさせることについて丹楓も何も思っていないわけではない。
見送りにくる顔が、数を重ねる度に曇っていくのを見て何も思わないわけもなく。
だが、討伐に連れていくわけにもいかない。
丹楓もどうしたものかと考えてしまっていた。
*****
「ぬいぐるみなんてどうでしょうか?」
「…ぬいぐるみ」
無事に討伐を終えた帰り、丹楓が小さく零した言葉を拾った白珠に言われた言葉を鸚鵡返しにして呟く。
ぬいぐるみ。存在自体は知っていたが、丹楓の屋敷にはそんなものはなく丹恒にも見せたことはないだろう。身近にないせいか無意識に思考から外していた其を想像する。
見かけたことのあるぬいぐるみというものは丹楓から見れば小さく、丹恒の留守番を守る物としてはどことなく心許ない。
「大きいものはないのか」
「でかけりゃいいってもんでもないだろ」
「でも、一人でお留守番を頑張ってる丹恒には大きい物の方が良いんじゃないかと私も思います」
丹楓と白珠の視線を一斉に受けた応星は、反論をしようと開いた唇を閉じるとわかりやすいため息を吐きだし、両手をあげた。
降参ということだろう。この様子ならば、応星が丹恒に合った物を作ってくれるに違いない。
「で? どういうものにするんだ」
「……ふむ」
いざという時には丹楓の力を移し丹恒を守る盾とも矛ともなりえる物の方が望ましい。丹楓は己が戦地で繰り出す水龍を想像しながら、近場にあった紙に要望をすらすらと綴ると応星へと手渡す。
「大きさは其方に任せる」
「……また、えらい注文の多いことで」
「ふふ、でも私も楽しみになってきちゃいました!」
「しょうがねぇなぁ」
そう言葉で言いながらも応星は嫌そうな顔は一つもせず、丹楓が渡した用紙へと何かを書き始める。ぬいぐるみを作る為の材料なり、人の手配なり応星が考えることは多いのだろう。
丹楓はそんな応星を横目で見ながら、星槎から外を眺める。丹恒のいる屋敷に戻るまで数日はかかる航路に自分達はいる。屋敷で何事もなく過ごせていれば良いがあの屋敷に出入りしている龍師は丹恒にとっても丹楓にとっても安心できるような相手ではないだろう。
ゆっくりと瞼を伏せた丹楓は見送りに出ていた丹恒を思い出す。
「帰り着くまでに、完成させられるか」
「こんな材料もない所じゃ、俺には何もできんが…作り上げるように一報だけ入れておく」
「そうか」
「良かったですね、飲月」
屋敷に戻り、またすぐに討伐へと出れば丹恒に同じような表情をさせてしまうだろう。それを回避する為にもすぐにでも欲しいと伝えれば、呆れたような表情を浮かべられたものの否定をされることはなく。
なれば、屋敷に戻る前に工造司へと寄ることにしよう。
*****
羅浮へと戻り、屋敷へ向かう前に工造司へと立ち寄れば要望通りの其は既に完成されており、手荒に扱うなという応星の言葉と共に手渡される。
汚さぬようにとぬいぐるみを屋敷へと持ち帰った丹楓は、門の所で顔を伏せながら着物を握りしめた丹恒の姿が見え、小さく息を吐き出した。
「屋敷の中で待っておれと常に言っておるだろう」
「…ふ、に……?」
「丹恒、土産だ」
「わ、……ぷゃっ」
工造司の絡繰りに運ばせた大きなぬいぐるみを丹恒へと渡す。大きさは任せると応星に言ったのは丹楓ではあったが、応星の身の丈よりも大きな物を作り上げてくるとは思っても居なかった。
丹楓よりも大きなぬいぐるみはもちろん丹恒よりも大きく。小さな手で落とさぬようにぬいぐるみを抱きしめた丹恒ではあったが、大きすぎるせいでぬいぐるみに縋りつくような形になってしまっていた。
きゅぅっとぬいぐるみを掴む手が僅かに見えるだけで、丹恒の姿がぬいぐるみに隠れ見えなくなっている。
「う、ふーにぃ…おっき…」
「余の蛟龍を元に作り上げた物だ」
「りゅー?」
ぬいぐるみのせいで丹楓からは丹恒の姿は見えないが、龍の形をしたぬいぐるみの後ろで首を傾げているような気配を感じた。
顔が見えないせいで丹恒がどのような表情をしているのか丹楓にはわからないが、ぬいぐるみを抱きしめている手にきゅっと力が込められているのが見える。
「こーの、りゅー…」
「そうだな、其方の龍だ」
「ん!」
僅かに語尾が跳ねた返事は丹恒が嬉しい時にしているものだ。何も見えないが、丹恒が喜んでいることは感じ取った丹楓は、屋敷の中に戻ると丹恒に告げる。
丹楓の言葉を受けて、大事に大事にぬいぐるみを抱えながら歩き出した丹恒だったがぬいぐるみが大きすぎるのかずるずるとぬいぐるみの龍の尾の部分を引きずりながら歩いているのが見えて、丹楓は己の尾でぬいぐるみの龍の尾を持ち上げた。
ある程度は丈夫に作ってあるだろうが、地面に擦り続ければ壊れてしまいかねない。
気に入った様子でぬいぐるみを抱きしめている丹恒は、ぬいぐるみが壊れてしまえばきっと悲しむだろう。悲しませる為に丹楓は丹恒にぬいぐるみを渡したわけではない。
丹楓がいない時、一人で屋敷に居る時に丹恒が顔を歪ませないようにと準備をしたものだ。簡単に壊すわけにはいかない。
丹楓がそんなことを考えながら、ぬいぐるみを運ぶのを手伝っているとは気づいていない丹恒はんしょ、んしょと小さな声を漏らしながら大きな大きなその龍のぬいぐるみを屋敷の中へと運び入れた。
屋敷へと戻った丹恒が部屋へとぬいぐるみを置きに戻るだろうと丹楓は考えていたが、丹楓の考えとは別に丹恒は屋敷の中へ入るとぬいぐるみの後ろからひょこっと顔を覗かせながら丹楓のことをじっと見つめていた。
どうやら今は部屋に運ぶつもりはないらしい。
そのうち運びに行くだろうと、食事の支度をし、入浴をし、部屋へと戻ってきた丹楓と丹恒ではあったがその間丹恒は入浴の時以外は一度もぬいぐるみを手放さず何処へ行くにもぬいぐるみをずるずると引きずって歩いていた。
とても喜んでいるのだということは丹楓にもわかる。
だが、部屋に戻り就寝の準備をする時に自分の布団にぬいぐるみを寝かせ掛け布団をしようとする丹恒を見ていると眉目を寄せてしまう。大事にするのは良い。だが、今はぬいぐるみを大事にする時ではないのではないかと丹楓は思いぬいぐるみの側に居る丹恒を尾で引き寄せた。
「ふーに…?」
「其れは其方が一人になる時分に、其方と共に居るようにと作ったものだ。一人でない時は部屋に置いておいた方が良いだろう」
「う……いっしょ、ねない…?」
「其れが布団で寝てしまえば、其方が寝る場所が無くなるだろう?」
「……う…」
丹楓の尾に巻き付かれながらも、ぬいぐるみへと視線を向けた丹恒はじっとぬいぐるみを見た後に丹楓へと顔を向けこくりと頷いた。
納得していない所があるのか、ちらちらとぬいぐるみに何度も視線を向けてはいるが尾を解いた丹楓が部屋の隅へとぬいぐるみを動かしても顔を歪ませることはなかった。
「ふーにぃ」
ぬいぐるみから丹楓へと視線を移した丹恒は、じっと丹楓の顔を見た後に布団へと視線を向けもう一度丹楓へと視線を向けた。
ぬいぐるみと一緒に眠るはずだったが、ぬいぐるみが無くなってしまったので丹楓と一緒に眠りたいという意味なのだろう。
一緒にという言葉を言いだせない丹恒は丹楓と布団を視線で何度も往復し続けていた。
「今日だけだ…、またすぐに討伐に行かねばならぬからな」
「……ふーにぃ、いない…?」
「数日だけだ、すぐ戻る。 今度はあれもあるだろう?」
「……ん…」
もぞもぞと丹楓の布団の中に潜り込んできた丹恒の髪を撫でながら丹楓もゆるゆると瞼を閉じる。腕の中からすやすやと規則正しい寝息が聞こえ、丹楓も眠りに落ちていった。
*****
丹楓が戻り数日。元々予定していた討伐の日にちが近かったせいか丹楓は再び、忌み物の討伐に向け周りに指示を出していた。
そんな丹楓を見送るべく丹恒は大きな大きな蛟龍のぬいぐるみをんしょっんしょっと運び、屋敷の入り口へと辿り着いた。
「丹恒」
「ふーに」
「運んできたか」
「ん!」
大きなぬいぐるみの影から顔を出しながら頷いた丹恒はぬいぐるみを落とさないようにぎゅっと手に力を込める。
そんな丹恒に頷き返した丹楓は小さな声で何かを呟くと大きなぬいぐるみの額に触れた。
淡く碧色に光るぬいぐるみに丹恒は驚いたのか尾を跳ね上げさせながらも放さないようにしている。
「ふむ…これでよいだろう」
「ふーにぃ、ぴかぴか…?」
「此れは其方を守るためのものだ…なればこそ、此れを放してはならんぞ」
「ん」
丹楓の言葉に小さく頷いた丹恒は、丹楓は星槎へと向かうのを以前と同じように眺めていた。丹楓が屋敷にいないことは変わらず、静かになってしまう屋敷を思い出しながらも顔を歪ませないようにぬいぐるみに顔を押し付ける。
このぬいぐるみは普段から丹楓と丹恒の部屋に置いてあるせいか、ぬいぐるみから丹楓の香りが微かにして丹恒は安堵したように小さく息を吐き出すと、門の前から丹楓がいなくなったことを確認してからぬいぐるみの尾を引きずりながらも、屋敷の中へと入っていった。
屋敷の中に居る数人の龍師にじっと見つめられていることに丹恒は気づいていたが、丹恒にとって屋敷に居る龍師は怖い存在でしかなく同じ部屋の中に居ることさえも今は耐えがたい。
ぬいぐるみをずるずると引きずりながら、丹楓との部屋に戻り丹楓の布団の上にぬいぐるみを置くとぎゅぅっと抱きしめながら横になる。
「ふーに…」
丹楓の名前を呼んでも返事はもちろん返ってこないが、龍のぬいぐるみに顔を埋めると丹楓の香りがして、其れが返事のようにも感じられた。
ぎゅぅっとぬいぐるみを抱きしめた丹恒は重たくなる瞼に逆らうことなく瞳を閉じる。
丹楓が今回はどれくらいで帰ってくるのか丹恒にはわからないが、早く帰ってきて欲しい。
ぬいぐるみをぎゅぅぎゅぅと抱きしめていても、やはり丹楓が傍にいないのは丹恒にとっては寂しいと感じてしまう。それを素直に丹楓に伝えることはできなくとも。
ぬいぐるみを抱きしめて眠り、部屋にある果物を食べ、また眠る。
丹楓が居ない時の丹恒は、龍師と会わないように変な物を食べないようにずっとそうやって過ごしていた。
だが、そんな丹恒の努力も虚しく丹楓の部屋を勝手に訪れてくる龍師も居る。
丹楓が討伐に出かけてから数日後。丹楓から戻ると知らせを受けた丹恒は、忙しなく尾を動かしながら布団の上に座りぬいぐるみを抱きしめていた。
「ふーにぃ、かえってくる…りゅーも、うれし…?」
ぬいぐるみから言葉は返ってこないが、丹恒は気にしていないようで尾をゆらゆらとさせながらぎゅぅとぬいぐるみを抱きしめた。
「ん、こーも、うれしい…」
早く、早く。帰ってきたら良い。
一人でお留守番ができたのだと、丹楓に知らせたい。
そんなことを考えながらゆらゆらと尾を動かしていた丹恒は、突然扉が開かれる音にびくっと体を跳ね上げた。
「…ああ、いらっしゃったんですね、丹恒様」
「…う……」
「数日お見掛けしなかったので何処かに行かれてしまったと思っていたんですよ。さあ、皆が待っております」
「…ぅゃ……」
ぬいぐるみを抱きしめた丹恒へと伸ばされる手にびくびくっと体を震わせた丹恒は、抵抗するようにぬいぐるみへと顔を埋めるとぬいぐるみを盾にするように動かした。
丹楓以外の手は怖い。暗闇の中へ連れ込もうとした時もある。与えられた食べ物を食べた後に声が出なくなったこともある。怖がってはいけないのだと丹楓から聞いてはいても体は自然とそのように動いてしまった。
龍師の手が丹恒に触れる寸前、碧色に輝いたぬいぐるみから丹楓がいつも繰り出す水龍が飛び出し龍師を飲み込むと部屋の外へと吐き出していった。
ぬいぐるみに顔を埋めていたせいで何が起きたのかわかっていない丹恒はきょとんとしながら瞬きをする。
「りゅー、りゅーだせる…?」
ぬいぐるみから出た龍は既に消えてしまっていたが、丹恒の問に応えるように淡く碧色に瞬いた。
それが、討伐に行く前に丹楓がぬいぐるみに施したものだということは丹恒はわかっていないようでぬいぐるみにすごいすごいと言いながら、小さな手で何度も誉めるように撫でている。
撫で続けていた丹恒だったが、屋敷の門の辺りががやがやと騒がしくなってきたのを感じてぬいぐるみを抱きしめると丹楓の部屋から出ていく。
がやがやしているのは丹楓が戻ってきたのだと、帰ってきたのだと丹恒は思っていた。それを肯定するように、門の方へと近づくと丹楓の名を呼ぶ龍師の声も聞こえてくる。
「ふーにぃ」
「丹恒」
大きなぬいぐるみをずるずると引きずりながら、丹楓の元へと辿り着いた丹恒はぬいぐるみの影から顔を出した。
「ふーに、おかえりなさい」
「ああ」
「ふーにぃ、りゅー、りゅーだせた!」
「…ほう?」
「ふーにぃの、りゅーといっしょ」
先ほどの光景を思い出しながら興奮したように尾を揺らしながらそう告げる丹恒に、丹楓はす…と目を細めた。
術を施した丹楓には危害を加えようとしたことも、誰が丹恒に触れようとしたのかも、全てがわかってしまう。丹楓はぬいぐるみの残滓から、龍師の顔を思い出しながらじっと丹恒を見つめる。
「そうか…其方に怪我は?」
「けが、ない」
「ならばよい」
「ん」
丹楓の大きな手が丹恒の髪に触れる。丹楓にじっと見られている感覚も丹恒にはあったが、止めることもせずただ丹楓にされるまま、心地よさに目を細めていた。
「ふーに」
「なんだ」
「りゅー、こー、まもった…」
「そうだな…大儀であった」
「ん」
丹楓へとぬいぐるみを差し出した丹恒は丹楓の手がぬいぐるみの頭に触れるのを見て、表情を緩ませた。自分を助けてくれた存在が褒められて余程嬉しいのだろう。
だが、丹楓はやはり丹恒がぬいぐるみを気にかけすぎるのがあまり嬉しくはないようで眉目を寄せると、ぬいぐるみを撫でていた手を下ろし、ぬいぐるみを尾を使い丹恒から剥ぎ取ると丹恒を抱き上げる。
「う…? ふーに…?」
「…余は帰った。もう一人ではないだろう」
「ん」
「此れには休みを与えよう。其方は余の傍に居るがよい」
「ん!」
丹楓がただ丹恒からぬいぐるみを放したかったのだと、丹恒は気づかぬまま丹楓の着物を小さな手にぎゅっと握りしめた。