やきもちの愛情割り。アルコールは抜きで。「おい、俺にもそれをよこせ」
ある日の夜、辻田さんがそう指をさしたのは、僕が飲んでいるチューハイの缶だった。初めてのことに、僕は数回瞬きをする。なぜなら彼はお酒そのものが嫌いで、これまで口にしようとしなかったからだ。
そのレベルは飲むのが嫌いだけに留まらず、僕がお酒を飲んでいる状態でくっつくと、明らかにこめかみをビキビキさせて、ひっぺがすレベルである。そんな辻田さんが、お酒を、よこせと。これはもはや天変地異が起きるようなできごとではなかろうか。
「よこせ、と言っているんだ」
黙ったままの僕に、そう辻田さんはしびれを切らす。
「いいけど・・・辻田さん、お酒嫌いだったよね?どうしたの、突然」
当然ながら浮かんだ疑問を、僕は素直に口にした。彼はバツが悪そうに視線を泳がせて、それからこちらを見ないままこう続ける。
「・・・いつもお前らだけが騒がしいから、癪に触っただけだ」
複数形を使ったのは、きっとわざとだ。今日は僕がひとりで飲んでるけど、最近ではクワさんやミッキーを誘って家飲みをする機会が増えたので、そのことを指しているのだろう。
僕も最初は辻田さんは飲めないんだし、ふたりを呼ぶとしてもお酒はやめた方がいいかなと考えた。だけどそれに首を横に振ったのは、辻田さんの方だった。アルコールの匂いも嫌いなのに、それでも僕らとの交流を選んでくれたのだ。それで、僕らもそんな気持ちに対して我慢するのもかえって失礼だからと、遠慮をしなくなったのである。
でも、こういう風に言うということは、やっぱり嫌だったんだろうか。そんなことを考えながら、僕が言い淀んでいると、手に持ってた缶を勢いよく攫われた。
「つべこべ言わずに、寄越せばいいんだ」
そう言うなり僕が止める間もなく、辻田さんはチューハイを煽る。ちょっと!辻田さん!そんなにいきなり沢山飲んだらダメだよ!そう言おうと口を開く前に、辻田さんは缶に残っていたそれを勢いよく喉に流し込んでしまったのだ。そして、ダンッと音を鳴らして缶を机に叩きつけたかと思うと、数秒おいて机に突っ伏してしまった。
「つじたさーん!」
悲鳴のような声で叫びながら、あわてて彼の横へ移動する。すると、少し間をあけてむくりと彼の顔があげられた。
「うるひゃい!」
「ひぃ、すいません! って、もう酔ってる!?」
すでに舌ったらずな口調で話す彼の顔は、真っ赤に染まっていた。はやい。いくらなんでも酔うのがはやすぎる。これは世界新記録ではなかろうか。いやいや、そんなことを考えている場合じゃないだろ。
「・・・よくもこんなまじゅいものが飲めるな。おまえの血より、まじゅいんじゃないか?」
そうため息をつきながら、辻田さんは缶を軽く揺らしてみせた。どうやら、まだ少し中身が残っているみたいだ。とりあえず残った酒を回収しようと僕が手を伸ばすと、わりと辻田さんはすんなりとそれを返してくれた。だが次の瞬間、彼はにんまりと笑ったのだ。それは悪戯を思いついた子どものような顔つきだった。
「いっておくが、おれはまだのめりゅ。おい、シンジ。おまえが、これをくちにいれて、おれにくちすいをしろ」
「くくくくく・・・・口吸い!?」
突如飛び出してきたワードに、僕は仰天した。いや、別に付き合っているんだから流石にキスが未経験なわけではない。むしろ、その先だってお互いに知っている関係だ。だけど、こんな特殊なシチュエーションでキスをせがまれたのは初めてのことだった。え。なにこれ。エロ同人? エロ同人のシチュなの? ねぇ。
「おまえに・・・ヒック。きょひけんは、なぁい」
そう笑ったまま、辻田さんは僕に口づけた。そしてすぐにその唇は離れていき、目の前ににんまりとした顔がひろがる。正直に言おう。めちゃくちゃ、可愛い。可愛すぎる。許されるのなら、このまま食べちゃいたいぐらい!
「もう。ちょっとだけだよ?」
バクバクと鳴る心臓を無理やり押さえつけながら、僕はチューハイの缶を煽る・・・フリをして、口内に酒を含まないまま、それを離した。そして、そのまま約束通りに辻田さんに口づける。だって、これ以上お酒飲ませたらダメだってことぐらい、分りきっているから。
「・・・ふふ。いいぞ。もっとしろ」
バレるかな? そうドキドキしたのは僕の杞憂だったみたいで、辻田さんは楽しそうに笑っている。それにホッとしながら、僕はまた酒を飲むフリをして、彼の唇を奪っていく。その度に欲が膨れて、舌をいれてしまいたい願望にかられたけれど、なんとか僕は耐えていた。きっと今の辻田さんは嫌がらないだろうけど、酒の勢いでシちゃったなんて、酔いが醒めた後でショックを受けるかもしれないから。
キスを何回も繰り返していると、プライシーボ効果なのか。それとも最初のお酒がまわってきたのか。辻田さんは、少し眠たそうな目つきになってきた。その姿を見て、僕はちょっとホッとする。このまま寝てしまえば、起きた時にはもうアルコールは抜けているだろうから。思えばお酒を煽る前から、辻田さんはどこか様子がおかしかった。だから、明日、改めてちゃんと話を聞いてみようと思うんだ。
(二日酔いにならないといいんだけれど)
うとうとと船をこぎながら、時折それを振り払うように首を振る辻田さんを見つめて、そんなことを考える。すると、ふいに辻田さんと視線が合った。彼は数回ぱちぱちと瞬きをしてから、しんじ、と小さな声で僕を呼ぶ。
「おれは、さけがきらいだ。あじも、においも・・・きらいだ。きょうのんでみて、あらためて、おもいしった」
それから、やけに悲しそうな声でそう吐き出すのだ。先ほどとは打って変わったその様子に、僕は驚いた。彼の腕が、恐る恐るといった様子で、僕を抱きしめる。しんじ、しんじ。そううわごとのように何度も呼ぶ声は、どこか幼かった。
「おれのいけないところで・・・あんまりたのしそうにするな」
そして最後に、抱きしめる腕に力をこめて、そう呟いたのだ。数秒遅れて、静かに寝息をたてはじめた彼の背中を、起こさないように優しく撫でる。僕はなんだか、いろんな感情で胸がいっぱいになっていた。
辻田さんだけが飲めないものを3人で味わっていた申し訳ない気持ち。傷ついていたことに気がつけていなかった罪悪感。そして、その状況にやきもちを焼いていたんだと告白された、愛おしさ。最後のは、辻田さんからしたら、こんな時に喜んじゃっている僕は本当にひどいやつかもしれないけれど・・・でも、それでもどうしようもないほど愛おしくて仕方がなかった。
「ひどいやつでごめんよぉ。辻田さん」
愛してるよ。届かないことは承知の上で、ひとりで思いを綴っていく。しばらくの間、僕はアルコールのにおいのする彼をそのまま抱きしめていたのだった。
その後、目を覚ました辻田さんは、僕が声をかけるよりも先に一目散にベッドへと移動した。そして、まるでヤドカリが貝に籠るかの如く、布団を頭から被ってしまったのだ。つじたさぁん。情けない声でおろおろとそちらへと近づいていくと、布団から顔を出さないまま、彼の声だけが飛んできた。
「全部! 忘れろ!! いいな!?」
主語も何もかもが吹っ飛んだ指示が、布団の分厚い生地をすり抜けて耳に届く。その声量に耳がびっくりして意識を失いかけたのを、必死に僕は引き戻した。それから僕は、怒られるのを覚悟で、布団の上からぎゅっと彼を抱きしめたのだ。
「二日酔いには、なってなさそうだね。よかった」
まだ彼が言葉を発さぬ内に、とりあえずそれだけ確認する。返事がないのが不安だけど、多分大丈夫なのだろう。うん。その後も、意外にも彼は怒ったり、言い返してくることはなかった。なにせ布団をかぶっているため、表情は全く分からないのだけれども、僕は思い切って話を進めてみることにする。
「ごめんね。僕って鈍感でさ・・・前に辻田さんがいいよって言ってくれたことに、きっと甘えていたんだと思う。でも辻田さんからしたら、僕がクワさんやミッキーと目の前でお酒飲むのを止めるって言ったら、それはそれできっと嫌な気持ちになっちゃうよね?」
昨日、まだお酒を飲む前に彼が癪だと言った段階では、目の前でお酒を飲むことを止めると提案しようと思っていた。だけど、その後の告白をきいて、きっとそれは僕らにとって根本的な解決にならないと感じたんだ。相変わらず、辻田さんは何も言わない。だけど、その代わりに少しだけもぞりと布団が揺れた。僕はそんな白くてまあるいふわふわを、もう一度抱きしめる。
「そこで、僕から提案があります! そういったみんなでのお酒の席とは別に・・・僕と辻田さんだけの特別に楽しいことを、やりませんかっ」
緊張とわくわくが入り混じった想いで、僕はそう言ってみせた。すると、ずっと布団にくるまっていた辻田さんが、恐る恐る布団をまくって、顔を出してくれた。それが嬉しくって嬉しくって。僕は思わず涙ぐむ。
「・・・聞いて、やらんこともない」
消え入りそうな声でそう呟く辻田さんの顔は、アルコールじゃない理由で真っ赤に染まっていて。僕はそんな彼を、改めて抱きしめたのだった。
それから一週間後。僕らはなんとか原稿を仕上げて一休みし、そしていよいよあの時に話してた特別な楽しいことを実行に移そうとしていた。いそいそと僕が机の上に並べているのは、牛乳をメインにした、飲み物の材料の数々だ。例えば牛乳と混ぜるとコーヒー牛乳になる給食でよく出てきたアレや、混ぜるとぷるぷるになってフルーツの味もするアレ。それ以外にも、ラッシーみたいになるフルーツと酢のボトルもあれば、コーンほにゃららやないかと某牛乳芸人がネタにしている朝食でおなじみのやつもある。
そう。何を隠そう。今回僕が提案したのは、辻田さんとふたりで牛乳とまぜていろいろ楽しんでみよう回なのであった。えっ。なんでこんなことを提案したのかって?
「ホラ。お酒って、炭酸割りとか、水割りとか・・・何かしらで割ったりするものが多いでしょ? お酒がダメでも、牛乳に変えちゃえば似た気分になれるかなぁと思ったんだ」
その言い分に、一緒に準備をしていた辻田さんも否定しなかった。
「お前はあまり飲みすぎるなよ。腹を壊したらシャレにならん」
そう忠告しながらも、なんだか彼も楽しそうでホッとした。辻田さんも、牛乳は好きだからね。僕も、ヨーグルトの方が摂取量が多いとはいえ、牛乳もその仲間である。
「今日の僕のオススメはね~・・・コレかなぁ」
そう言いながら、僕は並べたビンの中からひとつを手に取った。それは、混ぜると苺ミルクになるというちょっとお高めの商品だ。
「意外だな。ヨーグルトじゃないのか」
そう笑う辻田さんに、ちょっとだけそう言われる気がしてた僕はえへへと笑う。オススメとはいっても、実は僕もこれを飲むのは初めてだった。店先でたまたまオススメ商品として紹介されていたそれを手に取ったのには、ある理由があったのだ。
「綺麗な赤色をしてるでしょ? なんだか、辻田さんの瞳みたいだなぁって思って・・・気づいたら、これもってレジに並んでたよ」
その時のことを思い返しながら、僕は笑った。辻田さんは数回瞬きをしてから、可笑しそうに笑う。
「・・・吸血鬼なら、全員そうだろ」
そう口にする言葉はそっけないが、耳はほんのりと赤く染まっていた。さっそくコップにとくとくと苺を注ぎ、その上から牛乳をいれていく。そして、以前ミッキーが置いていったマドラーを拝借して、かき混ぜたら完成だ。ひとりで一杯だと多いので、ふたりで交代で飲むことにした。先に飲め。そう勧められて、僕がお先にいただくことにする。まろやかな牛乳の風味に、それを追いかけるように苺の甘酸っぱさが広がっていった。
「おいしい! ほらほら、辻田さんも!」
どうぞどうぞとコップを渡せば、辻田さんもコップを傾ける。それから『悪くないな』と笑ってくれた。その調子で僕達はいろんなものを試していった。酢のドリンクは辻田さんには合わなかったみたいでしかめっ面になることもあれば、僕が朝食でおなじみの奴を長い時間牛乳に浸しすぎて、へにゃへにゃになりすぎて笑ったりもした。そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎていったのだった。
片づけを始める前に、僕達は先に一休みすることにした。そこで僕は、今日の感想を辻田さんに聞いてみることにしたんだ。
「正直、思いつきでやってみたんだけど、どうだったかな? 特別に楽しいこと・・・っていうのは言い過ぎたかもしれないけれど、僕は楽しかったよ」
先に自分の気持ちを伝えると、辻田さんは黙ってしまった。あれ。もしかしたら、ダメだったのだろうか。少し不安を感じていると、彼はまだ少しだけ残っていた苺ミルクを手に取り、コップの中身をカラにさせる。それから、指先で僕の顎を攫い、そのまま口づけてきたのだ。昨日とは違う甘酸っぱい苺の香りが、ほんのりと広がった。それにつられるように、僕の顔が沸騰したように熱くなる。
「・・・特別で合ってると思うぞ」
照れくさそうに笑い、辻田さんはちゃんと僕の方を見てそう言ってくれた。それが嬉しくて愛おしくて、もっと顔が熱くなる。
「またしようね。いっぱいやろう。牛乳だけじゃなくていいからさ、こういうこと・・・たくさん、やろうよ」
高揚する想いでいっぱいいっぱいになりながらも、必死で気持ちを紡いでいく。すると、返事をするように、彼はもう一度苺の味がする唇を重ねてくれたのだった。