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    もちごめ

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    もちごめ

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    ※10月10日の神なぎて3で出したいと考えている神ナギ原稿の進捗です
    ※ポンチ吸血鬼によってシンデレラの世界に飛ばされる神ナギ
    ※シンデレラを魔改造しまくりです
    ※『いつもの神ナギ』と『王子のシンジ×灰かぶりの辻子(女体化/四月馬鹿関係無し)』の2組が存在する設定
    ※281死に初登場のキャラが出ます

    #神ナギ
    amaterasuOomikami

    灰かぶりと山羊目の王子/神ナギ ここは魔界都市新横浜。ここでは今日もいつものようにポンチな吸血鬼が現れ、ポンチな術を撒き散らかしているのだった。
    「我が名は吸血鬼 童話の世界大好き!諸君らにはおとぎの世界に旅立ってもらう!お前も、お前も・・・おおっと!今、目があったそこのふたりにもだ!」
    そう高らかに笑う吸血鬼が目をつけたのは、偶然にもヴァミマから出てきたばかりの神在月。それと、そのアシスタント兼恋人であるナギリだった。彼らは事態を把握するよりも先に、素早い相手の術中にハマってしまう。そして、訳も分からない内に、ふたりの意識は得体の知れないものにぐんぐんと引っ張られ、どこかへと飛ばされてしまったのだった。

    ***

    「いてて・・・」
     意識を取り戻した神在月は、瞬きを数回繰り返した。どうやら先ほどの吸血鬼との遭遇後、しばらく気絶していたらしい。すぐさまナギリに声を掛けようとした神在月だったが、それよりも先に目の前に広がる光景にあっけにとられた。どこまでも広がっていそうな雄大な森の姿がそこにあったのだ。だが、振り返って自分が背中を当てていた硬いものを見れば、彼の驚きは一層に増していく。そこにあったのは石を組み合わせて作られた建物。ゆっくりと視線をあげていけば、それが巨大な城だということに否が応でも気づかされる。西洋の写真や絵本。映画や漫画の中でしか見たことがないものが、今、目の前にあるのだ。友人のあだ名にもなっている某ネズミーなテーマのパークにある建物で代表格ともいわれるものが、確かにそこに存在していた。
    「えっ」
     突然のことに神在月はただただ混乱する。そういえば気絶する直前、あの吸血鬼は『おとぎの世界』がどうたらこうたらと言っていたような。もしかしたら、自分はその世界に飛ばされてしまったのだろうか。しかも、恋人ともバラバラにされて。
    「辻田さんを探さなきゃ!」
     きっと彼も不安に感じていることだろう。そう思いながらすっくと立ちあがるものの、次の瞬間、当然の疑問が浮かび上がる。
    (どうやって・・・?)
     なにせ、神在月はこんな世界のことはなにひとつ知らない。吸血鬼の催眠の類なら、現実世界で退治人による暴力その他もろもろの力で相手が倒されたら帰られるのかもしれないが、それだっていつになるのか分からない。
    「どうしよう・・・一体、どうしたら・・・」
     とりあえず落ち着こうと考え、神在月は再びその場にしゃがみこむ。しばらくそうしていると、頭上から声が聞こえた。
    「あの・・・大丈夫、ですか? どこか具合でも・・・」
     恐る恐るといった声色は、ひどく聞き覚えがある。それを不思議に思いながらも、神在月は顔をあげた。そして、ふたりは同時に目を丸くさせることとなる。
    「「ぼく!?」」
     なんと神在月に声をかけてきたその男は、自分とうりふたつの姿をしていたのである。ただ違うのは、向こうの方が年齢がそれなりに若いといったことぐらいだろう。向こうも想定しない事態に、ひどく動揺している様子だ。まさに生き写しとでもいったところだろうか。顔も背格好も、とにかくそっくりなのだ。
    ふたりの心情に呼応するように、強い風が吹きつけ、植物たちががさがさと音を鳴らす。しばらく見つめ合ったまま固まっていたふたりだったが、そこへ誰かが近寄ってきた。その人物を避けるようにハッとした顔で、男は神在月の手を取る。『とりあえずこっちへ』と誘う男に逆らう気も起きず、神在月も彼につられるように駆け出していくのだった。

    ***

     男に連れてこられてやってきたのは、森の中にある湖のほとりだった。そこには木を組んで作られた長椅子があり、そこで座って休むことにした。その時、神在月はふとズボンのポケットに小さなメモ帳とペンが入ったままになっていることに気がついた。普段、ちょっとしたネタを思いついた時にメモをするためのものである。どうやら衣服の中にあったおかげで、こっちの世界にも持ってくることができたようだ。なんとなく身近なものがついてきてくれたことに安堵しつつ、それを取り出してから彼は腰をかけた。

    ふたりは体力がないところまでお互いそっくりなようで、しばらくは会話もできずにゼェゼェと息を吐いて時間を過ごす。しばらくしてから口を開いたのは、男の方だった。
    「・・・突然、驚かせてしまってすみません。ちょっと誰かに見つかると都合が悪くて・・・強引に、ここまで引っ張ってきちゃいました」
     申し訳なさそうに、彼が頭を下げる。それが自分の顔とそっくりなものだから、神在月はひどく奇妙な感覚に襲われた。
    「いえいえ。別に、大丈夫です。ちょっと、疲れただけで・・・はは。それにしても、こんなことってあるんだなぁ。なんか、漫画みたいだ」
     くしゃくしゃの顔で笑いながら、神在月は不思議な状況に持ち前の好奇心を膨らませた。ただでさえ不思議な世界に連れてこられてしまっただけでなく、自分のドッペルゲンガー(仮)と出会えるなんて思ってもみなかった。
    「・・・まんが?」
     すると、男は神在月の零した単語をオウム返しに呟いた。ああ、そうか。確かにこれがおとぎ話なら、そもそもこの世界には漫画というものが存在しないのかもしれない。
    「えっと、漫画というのは・・・こういう風に絵を組み合わせて、物語を作っていく創作物です。それを描いている人のことを漫画家って言いまして・・・僕も、そういう仕事をしています」
     神在月は説明をしながら、手にしていたメモ帳に簡単なイラストを描きだした。男は食い入るようにそれを見つめながら、感嘆の息を漏らす。
    「・・・すごい! 僕も絵は描くんだけど、こういうものは初めてみたよ」
     言われてみて、神在月は彼からただよう独特のにおいに納得がいった。これは、油絵具のものだ。よく見れば、服の裾も、茶色い絵の具で少しだけ汚れていた。
    「その画材も、この国にはないものです。他所の国から来られたんですか?」
     好奇心にあふれた瞳を向けられて、神在月は少しだけ言葉に詰まる。しかし、嘘を言ったって仕方がない。それに、もしも自分なら信じてくれるだろうという打算も抱え、思い切って本当のことを打ち明けることにした。
    「えっと、僕・・・実はこの近辺に住んでいる者じゃなくてですね、違う世界からこちらの世界へと迷い込んでしまったみたいなんです。それで、その時に一緒にいた方もここへ迷い込んでいるといけないと思って、探さなきゃと思いつつ途方にくれてまして」
     相手は自分そっくりのひとだというのに、それでもどうしようもない程の緊張が駆け巡る。俯かせていた顔をおそるおそるあげると、当然ながらうりふたつな瞳と視線が合う。その目は大きく見開かれていた。しかし、次の瞬間である。その瞳からだばだばと洪水のように水があふれ出したのだ。
    「俺でよかったら何でも言ってくれ。できることならする」
     そして、流れ出るそれを拭おうともせずに、どこかで聞いたことのある言葉を口にする。なんだかその姿の前にした途端、神在月の胸から、どことなく緊張と不安が抜けていった気さえした。こうしてあっさりと男は、神在月の言うことを信じてくれたのであった。

     善は急げという言葉があるように、神在月はとりあえずナギリの似顔絵を描いてみせることにした。描いている間もじっと男は自分の手元を見つめ続けている。しかし、次第にその表情は信じられないものを見る様な目つきに変わっていった。それに気がつかないまま神在月は、ひたすらにペンを走らせる。
    「これが僕の探している人で・・・」
    「知っている」
     笑いかけながらそう話す神在月の言葉を遮るように、男はそう口にした。その表情はひどく悲しげである。
    「僕の・・・恋人、だった・・・ひとだ」
     その言葉に、今度は神在月の方が瞳を丸くさせた。お互いに、何も話さないまま時間だけが過ぎていく。流れゆく風がこの葉を揺らす音が、ただただ辺りに響いていた。

     長い沈黙の後に口を開いたのは、男の方だった。
    「・・・ごめんなさい。君が探している人とは別人だってことぐらい分かっているんです。だって、そっくりな僕と君だって、同じ人間ではないから。それに僕の恋人は女の人だからね・・・たけど、あまりにもそっくりだったから、びっくりしてしまって」
     寂しそうに笑うその姿に、神在月は胸を痛める。似ているからこそ、その笑顔の奥にどんな感情があるのか、容易に感じ取ることができてしまうからだ。
    「よかったら、詳しく聞かせてくれませんか」
     もしかしたら、無関係じゃないかもしれないし。そう恐る恐る神在月が尋ねると、少しだけ視線を泳がせてから、それでも彼は口を開いてくれた。
    「・・・まず、隠していてすいません。僕・・・いや、私は、この国の王子です。もしかしたら君もそうかもしれないけれど、名前を・・・シンジといいます」
     その告白に、神在月は少しだけ驚いた。だって、彼の服装はどう見ても王子のものとは思えないものなのだ。しかし、先ほど彼はやけに人目を気にしていたことを思い出す。もしかしたら変装しておしのびで城を抜け出しているのかもしれない。そう考えた神在月の予想は、見事に的中した。
    「城のみなさんは優しくしてくれますが、たまに外の世界を知りたくなって、こうして抜け出して過ごしていました。ただの国民のフリをしてね。そんな中、この湖のほとりであるひとりの人と出会い、恋に落ちたんです」
     彼が語る誰かの姿が、自然と神在月の脳に浮かびあがる。しかし、先ほどの寂しそうな彼の表情を思い出し、嫌な汗が背筋を流れた。
    「その人は僕が王子であることを知りませんでした。後ろ冷たい気持ちがあって、僕もなかなか自分が本当は王子であることを、打ち明けることができずにいました。でも、このままじゃ駄目だと思って・・・ある日、ようやくそのことを打ち明けられたんです」
     そう話す彼の瞳は、ある一点を見つめていた。きっと、その場所で真実を打ち明けたのだろう。そして、そこから視線を逸らさないまま、彼はこう打ち明けた。
    「・・・それ以来、その人とは会えていません。勿論、沢山探しました。今もこうして変装して出かけているのは、それが目的なんです。しかし色んな人に聞いてまわっても、彼女は見つかりませんでした。それどころか、誰もその人を知らないというんです。まるで、世界からその人だけが消えてしまったかのように」
    そう話し終わると、王子は何か掌に温かい熱を感じた。驚いてそちらを見れば、神在月ががっしりと彼の右手を両手で握りこんでいるではないか。彼があっけにとられていると、目の前の男はぼろぼろと大粒の涙を流し始める。まるで、先ほどの自分がそうだったように。
    「一緒に、探しましょう。きっと、大丈夫だから」
     そして、そう言葉を紡ぐのだ。その姿に、王子はあっけに取られる。そして数回瞬きした後、彼は笑い声を漏らしたのだ。先ほどのような、ガマンするような笑みではない。その様子に、今度は神在月が瞬きをする番だった。
    「やっぱり僕達、そっくりだね」
     王子がそう笑えば、掴んでいた神在月の掌から力が抜ける。その後、彼は両手で自分の頬を軽く叩いた。
    「分かったよ。それなら、ふたりで考えよう。お互いの大切なひとと、もう一度出会えるように」
     そう提案する王子に、神在月も強く頷く。そして涙で濡れたままの瞳を細め、へんにゃりと笑うのだった。

    ***

     一方、その頃──ナギリは、空を飛んでいた。件の吸血鬼に術をかけられた途端、自分の肉体が宙を浮いていたのだ。とはいっても、鳥になったとか、某ケツホバ卿のような力を手にいれたという訳ではない。それは、そう。まるで主人公に殴られた悪役が、そのまま空へとぶん投げられて星になるような漫画の描写のようだった。しかし、ナギリは星になることはなく、そのまま重力に逆らえず落下していく羽目となる。つまり、飛んでいたというのは言葉のあやであり、実際には空中から落下していたのだ。
    「クソー!! なんで俺はまたこんな目に!!」
     苛立ちながらナギリはそう口にする。勿論、ナギリだってどうにかしようとは考えた。そのために随分と久しぶりに血の刃を出現させたりもしたのだ。だが、あたりには高い木々や建物も見当たらず、そのため刃を突き刺したり、ひっかけたりして落下を防ぐこともできなかったのだ。なすすべなくナギリはそのまま落ちていき、最後にどこかの小屋の屋根へと頭から突っ込んでいったのだった。
     ドンガラガッシャーン。大きな音を立て屋根が崩れ、ナギリは飛び込んだ場所で尻餅をついた。突っ込んだ瞬間、どうにか体勢を立て直し、頭を打たなかったのが不幸中の幸いである。多少の出血はあれども、このぐらいナギリにとってはどうってことはなかった。長いため息をついてから、あたりを見渡す。どうやら、ここは誰かの家のようだった。どうやら留守らしく、誰の姿もない。建物自体はボロボロだが、自分が壊した場所以外は綺麗に片づけられていた。そして、何よりも印象的なのはあまり物が置かれていないことだ。かつて己の住処としていた廃ビルよりかはずっとマシではあるが、それでもなんだかどこか似たような感覚を覚えてしまう。それがなぜだかナギリには分からなかったが、その数秒後、答えが形となって姿を現した。
    「貴様・・・そこで何をしているッ! 私が灰かぶりだと知った上での襲撃か!?」
     突如そこへ現れ、ズカズカとナギリに詰めよる人物がいたからだ。口ぶりから、この家の住人だろう。ひどく怒っている様子だ。無理もないだろう。帰宅したら自宅が破壊されていて、その元凶らしい人物を見つけたら、誰だって間違いなく怒る。怒りのままにその人物がナギリの胸倉を掴めば、ふたりとも目を丸くする羽目になった。なんと、お互いの姿がそっくりだったのである。ただ違うのは、ナギリに詰め寄った人物は彼より少しだけ小柄であり、胸元にふくよかな膨らみがあることだ。だが、それを除けば鋭い目つきも、顔立ちも。何もかもがうりふたつであった。突然の事態にふたりは言葉を失い、しばらくの間ただただお互いを見つめ合っていたのだった。

    「・・・で、お前は他の世界からやってきて、その影響で私の家を破壊した・・・と?」
     一通り事情を話したナギリを怪訝に睨みつけながら、女はそう確認する。
    「俺だって好きでこんなところへやってきたんじゃない。それに、屋根なら直してやる」
    「当たり前だ! さっさと元に戻せ!雨がふったらどうする!」
     ナギリが提案するものの、女はそう苛立つだけだった。軽く舌打ちをしてから、それでも一応負い目を感じているのか。ナギリはさっそく作業に入る。家の外を見れば木材が積んであり、材料の確保から始めることはなさそうだ。流石に屋根など作ったことはなかったが、それでも地頭の良さや、手先の器用さ故になんとかなりそうだと息をつく。
     女は椅子に腰かけてしばらくその様子を見つめていた。彼は不満げな顔をしていたものの、随分その手際は良いように映る。壊れた天井から見える曇天を覗き、それから彼女は立ち上がる。そして、キャタツを立てて、ナギリが運んでいた板を強引に奪った。
    「・・・こっちは私がやる。お前はそっちの板をこの大きさに切って、組み合わせてくれ」
     突然手伝うと申し出た彼女に、ナギリは少しだけ瞳を丸くさせる。しかし、余計なことは口にせず『分かった』とだけ頷いたのだった。

     サアアッ。雨の音が静かに外で響いている。応急処置に過ぎないものの、ぎりぎりで屋根の修理は間に合った。無言で出された飲み物を、ナギリも無言で受け取って口にする。ぼんやりと彼は今が昼であることを思い出した。元々曇っていたとはいえ、それでも吸血鬼である自分が太陽のせいで具合が悪くなることはなかった。この世界が特殊な場所だからなのだろう。それは彼にとって不幸中の幸いであった。
    「・・・悪かったな」
     長い沈黙を破ったのは、ナギリのその一言だった。謝罪を受けるとは思ってもみなかった彼女は目を大きく見開く。すると、さらに彼はこう続けた。
    「俺は、住処に困っていた時期がある。きっと、俺に破壊されたお前だってそうなる寸前だっただろう。それに、屋根だって結局お前の協力がなければ雨に間に合わなかった」
     そう語るナギリに、彼女は返事をしなかった。しばらくの間、再びあたりが静寂に包まれる。
    「お前、これからどうする気なんだ?」
     今度、口を開いたのは彼女の方だった。口ぶりから、どうやらナギリが違う世界から飛ばされてきたことを、信じてくれているらしい。これはナギリにとっては少し意外だった。なぜなら、立場が逆だったら自分なら信じないだろうと思うからだ。
    「屋根に吹っ飛んできたのはアホだが、根はバカでもなさそうだからな」
     その様子に気づいた彼女は、そう付け加える。言い方が少々気に食わないが、そんなことはこの際気にしないでおこう。
    「・・・おそらく一緒にいたやつが同じようにここに飛ばされたはずだ。とりあえず、そいつを探すことから始めるつもりでいる」
    「そうか。それなら今すぐここを出発した方がいい」
     ナギリを急かすように、彼女はそう口にする。最初は、厄介払いをしたいのかと考えた。だが、それにしてはやけに自嘲気味に笑っているのだ。そこにナギリが違和感を感じていると、彼女は最初に出会った時と同じ単語を口にする。
    「私のような灰かぶりと過ごしていたら、見つかるものも見つけられなくなるからな」
     灰かぶり。確かに、最初もこの女はその言葉を口にした。しかし、ナギリにはそれが何を意味するのかよく分からない。
    「・・・私と関わった者の中に灰かぶりだと知らない奴などほとんどいない。いいだろう。土産話に、これだけは聞かせてやる。流石にその時間だけなら、罰も当たるまい」
     その間にこの雨も止むだろう。そう言いながら、彼女は自分の身の上を告白し始めたのであった。

    ***

     女の名は辻子といった。年は19歳だという。彼女は産まれたのと同時に母親を亡くし、父親とふたりで生きてきた。しかし彼女が10歳になった年に、その父親がふたりの娘を持つ女と再婚を果たした。継母と義姉は辻子を疎んでいたが、辻子も大して気にはしていなかった。数年経っても、その生活は続いていた。
    ところがある日、父が狩りに出ていた最中、崖で足を滑らせて命を落としてしまったのだ。父が亡くなった途端に、継母たちの態度はますますでかくなった。あからさまな嫌がらせを受けることもあったが、辻子は言い返すことはあれども、仕返しをするような真似はしなかった。継母たちに情があったわけではない。それでも彼女は、父のことは大切に想っていた。だからこそ、父の愛したひとに手を出すような真似はしなかったのだ。
     しかし、ある夜のことである。些細なことから、辻子は継母と口論になった。その内容自体は大したものではないはずだった。
    「こんなことなら、あんなコブつきと結婚するんじゃなかったよ。お目当てだった財産も、思っていたほどじゃなかったしねぇ」
     ところが、ふいに継母がそんなことを口走ったのだ。辻子は、何を言われたのか信じられなかった。そんな姿に気をよくさせながら、娘たちが何かを母に耳打つ。それから継母はにたにたと笑いながらもう一度口を開いた。
    「あんたの親父は、とんだ疫病神だよ」
     その言葉が終わったのと同時に、パシッと乾いた音が辺りに響いた。辻子の掌が、継母の頬を打ったのだ。これまで散々な扱いを受けてきた彼女が、初めて手をあげた瞬間だった。本来ならばここで継母が怒り狂い口論になるか。もしくは取っ組み合いの喧嘩に発展するような場面だったのだろう。しかし、現実はそうならなかった。なぜなら、突如現れた怪異がこの空間を支配していたのである。辻子が掌で打った継母の頬が、黒色に染まったのだ。先にそれに驚いたのは辻子の方だった。慌てて自分の掌に視線をやる。先ほどまで汚れていなかったはずの自分の手の先が、煤にまみれたように黒くなっていた。

     この地域には、ある言い伝えがあった。常に手の先が黒く汚れている魔女の伝説である。何年か一度、人間の肉体に魂が乗り移り、その対象となった者は『灰かぶり』と呼ばれていた。魔女には思考までもを支配する力はないが、その者の手は魔女本人と同じように黒く染まりあがる。そして、灰かぶりと深く関わった者は皆、不幸になると伝えられていた。無論、真実かどうかは分からない。だが、ここに住む者は皆、その言い伝えを信じ切っていた。
    「キャアアアッ」
     継母と娘は混乱に陥る。それは、彼女たちを眺めるしか術がない辻子とて同じであった。だって、辻子とてどうしてこんなことが起きているのか分からないのだ。それ以上、辻子は責められることはなかった。なぜなら、叫ぶのと同時に継母と娘たちは一瞬でその家から姿を消してしまったからだ。
    『ボーン・・・ボ──ン・・・』
     ひとりきりになった家で、突然大きな鐘の音が響く。それがいつも聞いている時計のものだと気がつくのに、少しだけ時間がかかった。慣れているはずの音が、やけに重苦しく胸に響く。それはまるで、これまでの人生の全てに終わりを告げるような音色だった。

     その後も、辻子の手は元には戻らなかった。それから辻子は黒色の手袋をはめて日々を過ごしている。逃げていく途中で言いふらしたのか。それともその姿を誰かに見られたのか。辻子が『灰かぶり』であることは、気がつけばこの地域一帯に知れ渡っていた。元々あまり他人と慣れ合わなかった彼女ではあったが、そのせいでますます誰とも話さなくなった。なにせ、買い物に行っただけで相手が商品を抱えて逃げ出す様なのだ。必要なものだけを持ちだし、辻子は別の土地で暮らすことにした。
    ただ、引っ越した後にも、彼女は誰とも会わずに過ごし続けた。新しい土地には灰かぶりの言い伝えは存在しない。だが、それでも、自分が誰かを不幸にしてしまう可能性が少しでもあると思うと恐ろしくて仕方がなかった。
     孤独な人生。もし誰かがこんな自分を見たらそう捉えられることだろう。それでも本人にとっては、実は今までよりもずっと気楽な生活ができていた。厄介な継母と娘はいなくなったし、元々手先が器用なこともあり自給自足の生活だってすぐに慣れた。父のために我慢していたこれまでが、逆に異常だったのではないかと思えるぐらいだ。手の先が黒くなったからといって変わったのは色だけで、それ以外の影響も特に無い。
    あの継母がどうなったかは知らないが、その後の噂話が何も入ってこないということは、もしかしたら悲惨な末路なんてなかったのかもしれない。こうして時の流れと共に、辻子にとって己が灰かぶりになったことは『どうでもいいこと』に変わっていったのだった。

    ***

     そこまで話を終えて、辻子は大きく息をついた。しかし、その表情は笑っている。彼女は証明するように右手の手袋を外した。だが、まるでまだ手袋をしているのではないかと錯覚するぐらいその場所は黒く染まっている。
    「これが、私が『灰かぶり』と言われる所以だ。分かっただろう? お前も、ここにあまりいない方がいい」
     さあ、出ていくんだ。そう言わんばかりに、彼女は手袋をつけたままの指で玄関を指す。ところがナギリは、これに応じなかった。そして、冷静なままにある疑問を口にする。
    「・・・ひとつ、分からないな。もしもお前が本当に気にしていないのなら・・・どうして『灰かぶり』と口にするたび、顔に影を落とす?」
     気にしていないということが、ただの強がりである可能性は高かった。しかし、ナギリはそれだけではないと踏んだのだ。きっとそこには、何かしらの理由があると。例えば、『その後に気にせざるを得ないことが起こった』とか。そして、その問いかけに明らかに辻子は動揺した。どうして、分かったのか。きっとそれは、辻子とナギリがあまりにうりふたつだからであった。
    「私は普通の人間ではない。ただ、それだけのことだ」
     必死に言葉を探し、彼女はそれだけ口にする。するとナギリは、クックッと喉の奥を鳴らす。馬鹿にされた。そう勘違いした辻子が、男を睨みつけようとしたその時だった。彼女は、信じられないものをみた。彼の掌から、ゆっくりと血の色をした刃が突き出してくる光景を目の当たりにしたのだ。目を丸くさせる辻子を前に、ナギリは可笑しそうに笑う。
    「奇遇だな。俺も、人間じゃないんだ」
     その顔は決して自虐的なものでもなかった。ただ、事実を告げただけ。そんな顔をさせている。
    「だから、それしきのことでお前が恐ろしいものだとは到底思えん。そもそも、俺の方がずっと悪さを働いてきた身だ。なにせ元指名手配犯だからな」
     口にする事実とは裏腹に、その表情はなぜだか穏やかなものへと変わっていく。そして、唐突にある質問をぶつけてきたのだ。
    「先程、お前に関わった相手で『灰かぶり』だと知らない奴はほとんどいないって言ったな?」
     たしかに、辻子はそう口にした。だが、いったいそれが何だというのか。彼女が訝し気にしていると、彼は信じられないことを口にするのだ。
    「ほとんどということは、ゼロではないということだ。その中に・・・金色でヤギのような瞳をした奴はいないか? それでいて泣き虫で、自分のことをほおっておいて、ひとのことばっかり構ったりする貧弱なやつだろう」
     それは最早質問というよりも確認だった。辻子は思わず『どうして』とひとりごとのように呟いた。ナギリには予想がついていたのだ。自分がこうしてそっくりな辻子と出会ったということは、一緒にこの世界に迷い込んだ可能性が高い神在月の分身も、同じように存在している可能性があると。そして、それは見事に的中したのだ。
    「俺は、そいつとそっくりな奴を見つけださないといけない。もっと詳しい話をしてもらおうか。言っておくが俺には先ほどの魔女の呪いなんぞ、効かないからな」
     そうまっすぐ辻子を見つめたナギリの眼差しは、なぜか優しかった。その理由が分からないまま、それでも辻子もナギリの申し出を拒むことはできなかった。そして、瞼を閉じて一度大きく息をつき、ゆっくりとその人物について語り始めたのである。

    ***

     辻子がひとりで暮らすようになり、数年の時が流れた。辻子は、時折隣の国の湖まで水を汲みにやってきていた。元々辻子の家には井戸があったのだが、それが枯れてしまったのである。周りの住人と会話すら拒み続けた辻子は、他人から水を分けてもらう真似もしたくなかった。なにも善意からの行動ではない。もし自分が水を盗んだ後にその場所の井戸が枯れたら、その責任を押しつけられると踏んだからだった。
    だから辻子は定期的に湖に訪れ、飲めるように自分で処理をして生活をしていた。体力は相当ある方だが、家からここまで来ようとすれば数日はかかる。それでも慣れた様子で野宿を繰り返しながら、辻子はここへと通っていた。

     そんな生活をしていたある日のことである。水を汲んでいた辻子に、声をかけた人物がいたのだ。
    「あの・・・初めまして。ここには、よくいらっしゃるんですか?」
     思わず辻子はたじろいだ。なにせ、この湖で人と出会うのは初めてだったからだ。それぐらいここへは誰も立ち寄りはしない。だが、どういうわけか今日は人がいたのである。
    「・・・たまに」
     少し迷ってから、一応辻子はそうこたえた。自分と関わった者は不幸になる。その言い伝えを考えたら、無視するべきだったのかもしれない。だが、なにせ出会ったばかりの相手だったので、辻子にとってはこの男がどうなろうが正直どうでもよかったのである。しかしそれは、辻子が自分自身についた言い訳だった。こんな風に普通に誰かに声をかけてもらったのは、久しぶりだったのだ。しかも素っ気ない態度を取ったにも関わらず、男は嬉しそうに笑ってくれた。その姿に、なぜだか胸が逸る。
    「アッ。突然、話しかけちゃってごめんなさい。まさかここで誰かと出会えるなんて思ってもみなかったから・・・」
     そして、少し恥ずかしそうに彼はそう頬を掻くのだ。それはこっちの台詞だ。そんなことを思いながら、辻子の頬もつられるように緩む。
    「僕はシンジといいます。お名前も聞いてもいいですか?」
    「・・・辻子だ」
     偽名を使うべきか迷ったが、彼のまっすぐとこちらを見つめる瞳に誘われるように、いつの間にか本当のことを口にしていた。それから少しだけ話をして、彼とは別れた。きっとこの男ともう会うこともないだろう。だが、一時でもいい思い出ができた。辻子はそう考えながら、帰路を辿るのだった。

     しかし、その予想は大きく外れることとなる。辻子が湖に訪れる度に、そこにはシンジの姿があったのだ。辻子が来た時にすでにいることもいれば、辻子が水を汲んでいると、嬉しそうに手をぶんぶんと振りながら現れる時もあった。昼間はよくこの湖にやってきているらしい。
    「それにしては、最初の頃は全然姿を見せなかったじゃないか」
     当然ながら辻子はそう疑問を抱く。もしも日頃からここへやってきていたのなら、もっと早く出会っていてもおかしくないのだ。
    「それはその・・・辻子さんに、会いたくて・・・あなたと出会ってから、ここに来る回数を増やしたんだ」
     するとシンジは顔を赤らめて、そんなことを打ち明けるではないか。
    「・・・馬鹿じゃないのか、お前」
     そう呟いた辻子の頬も染まっていたが、それを隠すように少し顔を俯かせる。何度か話をする内に、シンジについて分かったことがあった。彼はこの湖の近くに住んでいて、絵描きとして生計を立てているらしい。彼はところどころに絵の具がつき汚れた服を着ているものの、その生地自体は上質なものを身に纏っていた。それにここの近くにはこの国を統べる城があり、城下町が広がっているはずだ。外の世界を遮断して生活してきた辻子には、そこでどういう人々が暮らしているかあまり知らない。だが、もしかしたらこのシンジという男はそこそこ高い身分の者かもしれないと推測ができた。
     そう思うと、辻子は自分が灰かぶりであることが怖くなってきた。なんだか相手の身分が高ければ高いほど、自分が関わればより多くの人間を不幸に巻き込みそうに感じたのだ。もちろん、そうなるとは限らない。この土地にそんな言い伝えは存在しないからだ。いや、ちがう。そもそも元にいた地域でも、最初から辻子は誰も傷つけていやしないのだ。あの日から変わったことなど、手の先が黒くなったことだけである。それでもただの言い伝えに、こんなにも縛られ続けていた。

     自分が灰かぶりと呼ばれるようになってから始まったひとりきりの生活が、辻子は嫌いではなかった。だが、シンジと出会ってから、妙にそのことが恐ろしくて仕方がなくなったのだ。それを回避するためには、はやくこの男から離れるべきだ。頭ではちゃんとそうわかっていた。だが、水を汲みにきて、ひどく嬉しそうな笑顔を向けるシンジを前にすると、どうもそうすることができない。もう会いたくない。きっとそう言えば、彼は分かってくれるだろうに。
    顔を見るとそうなってしまうのなら、来る時間を変えるべきだ。実は彼と出会ってから、数回だけ夜に湖へやってきたことがあった。昼に顔を出せばまず間違いなく顔を合わせるあの男は、夜にやってきた時だけは現れなかったのである。どうやらシンジは夜に出歩けない事情があるのだ。だから、今後は夜に水を汲みにこればいい。しかしどうにも、辻子はそうすることができずにいた。それは辻子自身が彼と離れたくないという何よりの証拠だった。

     ある日のことだ。シンジに、好きだと告白された。それは覚悟を決めて実行したというよりかは、伝える予定はなかったが、想いが溢れてうっかり口から零れ落ちたような告白で。でも、だからこそ彼の心からの想いがこめられていた。
    そして、そう言われて辻子も、初めて自分が彼に同じ感情を抱いていたことに気がついたのだ。握られた手を見つめ、言い伝えのことが頭を過る。手袋の向こう側が、透けて見えた気がした。断るべきだ。咄嗟にそう考えたが、まっすぐとこちらを見つめる金色の瞳と視線が重なり、気持ちが揺らぐ。
    「・・・私には、お前には決して打ち明けられないことがある」
     なんとか辻子はそれだけ口にした。灰かぶりのことを話すつもりはなかったが、こうすればシンジも諦めると思ったのだ。告白の返事としては、あまりにも誠実ではないからだ。
    「それでも構わない」
     ところが、シンジはこうこたえたのだ。
    「いいのか。お前が死のうと、打ち明けるつもりはないんだぞ。こんな薄情な女と、それでも一緒になりたいというのか」
     驚きを隠せないまま、辻子はそう詰め寄った。
    「・・・辻子さんが嫌なら、僕は何も聞かないよ。それでいいんだ。辻子さんが嫌なことをさせたくないから。辻子さんと一緒にいられたら・・・僕はそれだけで幸せです」
     そして、シンジは笑ったままそうこたえるのだ。まるで、それが当たり前であるかのような声色だった。そんな姿を前にして、辻子の胸に希望が宿る。もしかしたら。もしかしたら、シンジとだったら大丈夫かもしれない。灰かぶりの言い伝えに怯えずに、一緒に生きていくことができるかもしれない。そう感じたのだ。根拠など何もなかった。だが、彼の瞳が。言葉が、不思議とそう明るい気持ちにさせてくれる。こんなことは、初めてだった。
    「本当に・・・馬鹿なやつだな」
     辻子は、そう口にする。その顔は笑っているのに、瞳からは涙が零れ落ちた。そんな彼女を前にして、ひどく美しいとシンジは思った。それと同時に胸の奥がずきりと痛んだ。実はシンジの方にも、まだ彼女には打ち明けていない事情があった。だが、まだそれを話すことのできる勇気がなかったのだ。このことが後にふたりを引き裂くことになるのだが、それでもこの時のシンジにはできなかった。

     ふたりが交際を始め、いくつかの時が流れた。相変わらず辻子は家から何日もかけて湖へと通っていた。どこに住んでいるか。どうやってここまで来るのか。辻子は何も彼に教えなかったし、約束の通りシンジも尋ねたりはしなかった。秘密だらけの関係。だが、それでもふたりは幸せだった。
    そんなある日、シンジと一緒に過ごしていると、辻子は帰り際にこんなことを告げられた。
    「・・・辻子さんに、大切な話があるんです。今度の日曜日、ここにまたいらしてくれますか?」
     真剣で。それでいて、どこか思い詰めたようにも見える表情を前に、辻子にも緊張が走る。だが、余計なことは口にせず『分かった』とだけ彼女は短くこたえた。

     あっという間にその日は訪れた。辻子は前日からその近くでひっそりと寝泊りし、湖で身を清めた。いつもは楽しみであるはずのシンジとの逢瀬が、やけに怖かった。
     そろそろ彼が来るであろう時刻となった。辻子はいつもより多めに持ってきた荷物を探る。その中から、普段は決して家から持ち出さないガラスの靴を取り出した。それは亡くなる少し前に、辻子の父がプレゼントしてくれたものだった。
    当時から辻子はオシャレなど興味はなかったが、キラキラと輝くその靴だけは気に入っていた。父が職人に作らせたそれは彼女の足にぴったりだったが、辻子はあまりその靴を履いたりはしなかった。その代わりに大切に棚に飾り、眺めているのが好きだったのだ。
     しばらく黙ったまま辻子はガラスの靴を見つめ、そして、地面へと置いた。ゆっくりとその靴に、自分の足を通していく。まるで足元だけ、物語のお姫様になったようだと馬鹿げたことを考えた。それでも不思議と、これを履いた途端になんだか勇気が湧いてくる。まるでお守りのようだ。少しだけ不安から解放された辻子は、穏やかに頬を緩ませた。そして背筋をピンと伸ばし、シンジが待っているであろう場所へとその足で歩いていくのだった。

    ***

     待ち合わせ場所へと辿り着けば、そこには神妙な面持ちのシンジがいた。自分と目を合わせるなり、明らかにその表情が強張る。この日まで辻子は、彼が何を打ち明けるのか想像してみたりした。だが、どうにもその内容が思いつかなかったのだ。不安を感じ、少しだけ辻子は視線を落とす。すると、キラキラと輝く靴のつま先が視界に入った。その美しさが、このままではいけないと自分を奮い立たせた。そしてゆっくりと顔をあげ、彼の山羊のような瞳をしっかりと見つめたのだ。その姿を前にして、シンジも決心を固める。そして、ゆっくりと彼の口が開かれた。
    「僕は本当は絵描きなんかじゃないんだ。絵を描くのが好きなのは本当だけれど・・・ずっと、自分が何者なのかあなたに打ち明けられずにいた」
     そう言いながら、シンジはある方向を指さした。そして、信じられないことを口にしたのだ。
    「・・・あっちに城があることは、辻子さんも知っているよね? 僕はその城に住む・・・王子なんです」
     それを耳にした途端、辻子は頭の前が真っ白になった。何を言われたのか、すぐには理解できなかった。そして、まるで追い打ちをかけるように頭がひどく痛む。その痛みの衝撃に、辻子は思わず目を瞑った。その瞬間、一瞬だけ見えた景色があった。国が滅び、そこに住む人々が倒れ、嘆き、絶望している光景だ。それが予言なのか。はたまた、自分の心が見せた幻覚なのか。辻子には区別がつかなかった。だが、そんなことはもうどうでもよかった。辻子の心に浮かんだのは、たったひとつの選択肢しかなかったからだ。
    (もうここにはいられない。私は・・・ここにはいては、いけない)
     そう感じたのと同時に、辻子は走り出していた。背中から『辻子さん!』と叫ぶ悲痛な声が聞こえる。その声に、思わず足を止めた。そして一度だけ振り返り、ある一言を放ったのだ。
    「お前は──・・・」
    綴られた言葉に、シンジは大きく目を見開いた。何かこたえるべきだ。そう分かっているのに、咄嗟に言葉が出てこなかった。そんな男の姿を前に、辻子は自嘲気味に笑う。そしてそのまま、どこかへと走り去ってしまったのだ。慣れない靴だったせいか、走り出した直後に右足の靴が脱げてしまった。大切なものだったが、それでも辻子は手を伸ばすこともせず、そのまま走り去っていったのだった。幸い、自分と違って王子はあまり足がはやくなかった。それに、体力もないようだった。だから、決して追いつかれることもなかったのが不幸中の幸いだろう。
     それ以来、辻子はあの湖に姿を出すことはしなかった。不思議なことに別れを告げてから、枯れたはずの自宅の井戸が元通りになっていたのだ。それはまるで別れを選んだ自分の選択は正しかったのだと語りかけているようだった。今でも辻子は、こうしてひとりで暮らしている。ただひとつ、彼と過ごした思い出だけが、辻子の心を蝕んでいた。

    ***

     そこまで話し終わり、辻子は大きく息をついた。それから『これは後から知ったことだが』と付け加えて、辻子はこう話す。
    「山羊のような瞳の男児は、あの国では『神の子ども』といわれているらしい。今のアイツは男児ってほどガキじゃないが・・・元々、私とはどこまでもつり合いがとれない相手だったんだ」
     それは何もかもを諦めた声色だった。こんなことなら、初めから出会わなければよかった。俯いた彼女の瞳は、口よりも雄弁に物を言う。ナギリも過去の自分に同じことを考えた覚えがあった。
    「だから私は、二度とあいつとは会わないと決めた。ただ私はあいつと長い時間を過ごしすぎた。それが手遅れにならないことを願うまでだ」
     最後に彼女はそう結んで話を終わらせるつもりだった。しかし、その直後、突然ナギリが笑い始めたのだ。押し殺そうとしたがつい漏れてしまったかの様子に、辻子は怪訝に眉を寄せる。
    「なにがおかしい」
     そう彼女が怒るのも当然だろう。至極真面目な話をした後なのだ。しかし、ナギリは詫びれも無く口を開いてこう打ち明けたのだ。
    「いや、俺もかつて全く同じことを考えていた時期があってな。雲隠れしようとしたが、失敗している。結局、それでも諦めなかったアイツに根負けしたんだ」
     相変わらずその顔は笑っている。だがそれは馬鹿にするというよりも、過去を慈しむような笑みだった。そんな姿を前にして、辻子も怒りを忘れてあっけにとられる。

    ナギリはあっさりと己の過去も打ち明けた。かつて自分は『辻斬りナギリ』というお尋ね者だったということ。生活に困り、利用するために偶然出会った神在月を利用したこと。些細ななことから、隠していた正体を知られてしまったこと。
    「・・・当然俺は、アイツが逃げると思っていた。だから、この刃を見せつけて脅してやったんだ。そうしたら、アイツ・・・どうしたと思う?」
     当時を懐かしむようにナギリは瞳を細める。そして、自分の掌を見つめたまま、こう続けたのだ。
    「刃が出たままのこの手を、握ろうとしてきたんだ。俺は驚いて刃を引っ込めてしまった。だからアイツも怪我をすることは無かったんだが、咄嗟に『危ないだろ』って怒鳴ろうとした。だが、それを遮るように『僕はそれでも一緒にいたい』なんて言われてな。最終的には、俺の方が折れたんだ」
     この話を、ナギリはあまり誰かに打ち明けたことはなかった。辻子はその話を聞きながら、まるで自分自身に起きているようだと錯覚しそうになる。だって、自分が『打ち明けられないことがある』と伝えた時も、シンジはそれでも構わないと笑っていたのだ。それと同時になんだか嫌な予感がした。そして、それを予想したかのように、ナギリがまた口を開く。
    「アイツのことだ。お前が追い払った奴も、まだ諦めてなんかいないぞ」
     それは最も辻子が恐れていることだった。
    「だが、ひとつだけ諦めさせる方法を知っている」
     さらにそんな辻子を見通したかのように、ナギリはそう続けた。実際に、ナギリは分かっているのだろう。なぜなら、辻子は姿かたちだけではなく、過去の自分にそっくりなのだから。
    「・・・一度、ちゃんとアイツと会って話せ。そして、奴の目を見て『嫌いだ』とはっきり言えば、流石にそれ以上は追ってこなくなるだろう。アイツは、お前の嫌がることはしない。そういう奴だから」
     その言葉に、辻子は絶句する。辻子は、シンジの山羊のような瞳が大好きだった。そして、何よりも邪魔でもあった。当時だって、彼を諦めようと何度も思ったのだ。だが、まっすぐにあの瞳で見つめられると、どうしてもそれができなかった。
    「本心からじゃなくていい。ただ『本心から言っている』と思わせる必要はある。それで、全て終わらせることができるだろう。湖か・・・もしくは城に直接向かい、直接そう言ってやればいい。俺も協力してやらんこともない」
     辻子の背中をおしてやるナギリの声は、ひどく優しかった。彼女の心が揺らぐ。辻子は今も、心からシンジのことを愛していた。だからこそ、彼やそのまわりを不幸に突き落とすことはできないのだ。もしもまだシンジが自分を諦めてくれていないのなら、ナギリが言うようにその手段を選ぶしかないのだろう。それに彼は協力も申し出てくれている。これを逃す訳にはいかなかった。
    「・・・頼む」
     辻子はなんとかそう絞り出すので精一杯だった。ナギリはその姿を、なんともいえない表情で見つめている。止んだはずの雨音が、なぜか遠くから聞こえた気がした。

    ***

     その頃、神在月は王子に城の中へと招かれていた。さすがに王子にうりふたつな自分がそこへ入ったらマズいのではないかと彼は思ったが、時折こっそり城を抜け出している王子の隠れるスキルは半端ではなく、家臣たちに見つからないままに彼の自室へと通してもらうことに成功したのである。念のためと用意された王子の服に袖を通した。仮にひとりで見つかっても王子のフリをすればバレにくいからだろう。
     着替えを終えてから、神在月は改めて自己紹介をした。名前が同じシンジであることに驚きが半分。やっぱりという気持ちを半分感じながら、ややっこしさを避けるために、王子は彼を『神在月』と呼ぶことに決めた。それから王子は、ひとり会わせたい人がいると誰かを呼びにいった。そして、やってきた人物に神在月は目を丸くさせることとなる。
    「・・・本当に、そっくりだな」
     部屋にやってきて神在月を見るなりそう口にした相手は、親友の三木にそっくりだったのだ。しかし、驚くのはまだ早かった。彼は続けてこんなことを口にする。
    「初めまして、異世界のひと。俺はカナエだ。この国の第一王子・・・つまり、シンジの兄にあたる。簡単な事情はこいつからきいたから、俺も協力しよう。宜しくな」
     その言葉に神在月の開いた口が塞がらなくなった。三木にそっくりな人物と遭遇しただけでも驚きなのに、この世界だとまさかの自分の兄だというではないか。流石パラレルワールド。何でもありなのか。困惑と好奇心が入り混じって大変な顔になっていると、王子がこう口にした。
    「でも僕、カナエとは一切血はつながっていないんだよね」
    「そうなの!?」
     衝撃の一言に神在月は思わず狼狽える。確かに自分と三木は容姿は一切似ていない。だからそちらの方が自然なことなのかもしれないが、それはそれで驚きだったのだ。それに、彼は王子である。片方だけ血がつながってないのならまだ分かるが、第一王子がいて、全く血がつながらない兄弟がいることなどありえるのだろうか。疑問に感じていると、王子はその答えを打ち明けてくれた。
    「うん。僕はこの国に拾われた子どもだったんだ」
     その一言に、神在月は瞬きを繰り返す。すると、王子とカナエは、昔のことを話し始めてくれた。

     王子はまだ赤子の頃、籠にいれられてとある民家の玄関先に置かれていたらしい。突然のことに戸惑ったその家の夫婦は、すぐにこの国の王に相談しにいったそうだ。気がよくて民との交流を大切にしている王は、妻や10歳の息子をはじめとした城の者と相談して、その子をシンジと名づけ、この国の第二王子として育てることにした。
     シンジが5歳になった年、過酷なこととは分かりながらも、自分たちに血の繋がりがないことを打ち明けた。思ったよりもずっとシンジは素直にその事実を受け入れた。だが、寂しそうな声でこう漏らしたのだ。
    「本当のお父さんとお母さんは・・・ぼくがいらなかったのかな」
     その悲しそうな一言に王と王妃は言葉に詰まった。しかし、とっさに兄であるカナエがこう口にしたのだ。
    「違うよ。シンジのことを守りたいから、この国に連れてきたんだ」
     その口調は柔らかく、シンジの瞳に浮かんでいた涙をひっこめさせた。そして、その場の全員が驚くような事実を話していく。
    「根拠だってちゃんとある。シンジが赤ちゃんの時にくるまれていた布には、ある地域に伝わる模様がいれられていたんだ。ここから離れた遠い地の模様がね」
     シンジは勿論、両親もそんなことを覚えてはいなかった。さらにいえば、その布の模様に気がついたのはカナエただひとりだったのである。
    「俺も本でしか見たことないけれど、そこにはある言い伝えがあるんだ。シンジには辛い内容だと思うけれど、話してもいいかい?」
     しっかりと目を見てそう尋ねられ、シンジは頷いた。彼の目にも、すでに決意が滲んでいた。そんな姿を前に、カナエの方も覚悟を決める。そして、ゆっくりと話し始めた。
    「その地域では、山羊のような瞳の赤子は悪魔の生まれ変わりだと言われているんだ。だからそんな子どもが産まれたら、大人によって殺されて、無かったことにされてしまうらしい。きっとシンジのご両親は、誰かに見つかる前にそこを抜け出して、こんな遠いところまでやってきたんだろう。家族みんなでどこかで暮らすという方法もあったのかもしれないけど、誰かに託した方が見つからないと考えたんだろうね」
     その言葉に、両親の顔色に不安そうな色が滲む。元々実子ではないと打ち明けることを決めたのは彼らの方だったが、それにしたってまさかこんな話になるとは思っていなかったのだ。だが、息子の話はそこで終わりはしなかった。
    「どうしてこんな遠い国を選んだのか。きっと・・・いや、絶対にそれは、お父さんとお母さんが、シンジを愛していたからだと俺は思うよ」
     そう言いながら、カナエはあるものを手にした。シンジがこの城にやってきてからずっと飾ってある、山羊の小さな置物である。彼を迎えてから、王が職人に作らせたものだ。この子がすくすくと育ちますように。そんな願いをこめたお守りのようなものだった。
    「この国ではシンジが産まれたところとは正反対に、山羊のような瞳は『神の子ども』と言われ、祝福をもたらすと伝えられているんだ。だからお父さんとお母さんは、きっとここならばシンジを大切にしてもらえると思って、連れてきてくれたんだと思う」
     カナエの声色はどこまでも優しかった。それに連なるように、シンジの表情も穏やかなものへと変わる。赤子について報告を受けた時、王様たちは別に彼が神の子どもだから大切にしようと考えた訳ではない。だが、赤の他人を第二王子とすることに、国民が誰ひとりとして反対しなかったのは、きっとこの子がその瞳の持ち主だったおかげではあるのだろう。
    「シンジ。確かにお前は私達から産まれたわけではないが・・・それでも、何よりも大切だと思っているよ。勿論、カナエ。お前もな」
    「私にとってもよ。カナエとシンジが、どんなものよりも宝物なの」
     そう言って、両親はふたりを抱きしめた。もう大きくなったカナエは少し照れながら。シンジはまだ小さい手をめいいっぱい伸ばして、みんなを抱きしめ返す。
    「ありがとう。お父さん、お母さん・・・お兄ちゃん」
     小さな声でそう笑うシンジに、家族は安心したような笑みを浮かべるのだった。

     その日の夜、シンジは久しぶりに兄と同じベッドで寝た。いつも同じ部屋で寝ているものの、ベッドは別々なのだ。もう体の大きなカナエにとっては狭かっただろうが、それでもシンジのために我慢してくれていた。
    「言い伝えって、結構適当なんだね」
     ふと、先ほどの話を思い返しながら、シンジがそう笑う。『そうだな』と返した後で、カナエはこうも言った。
    「確かに適当だ。同じ事柄が対象でも住む場所によって、全く違う意味にもなったりする。シンジの目がそうであるようにね」
     まだ15歳であるカナエの言葉は、ひどく大人びていた。彼が元々聡明であることは、5年も前に赤子のおくるみの違いに気がついたその観察眼が物語っている。
    「言い伝えだけじゃない。世の中には、こういった理不尽なことが山ほどある。大きくなったらシンジや、シンジの大切なひとがそういったことと対面しなきゃいけない時もくると思う」
     幼いシンジには、カナエが言っていることがよく分からなかった。それでも小さな頭に一生懸命その言葉をいれていく。
    「もしもいつかそんな時が来たら・・・落ち着いて深呼吸して、何が一番大切で、自分には何ができるかをちゃんと考えるんだ。そして、素直な気持ちで接したらいい。きっと、お前にならできると思うよ」
     そして、最後にカナエはそう笑いかけたのだ。その後で『ちょっと難しかったか?』と付け加えたので、シンジは素直に小さく頷いた。しかし。
    「難しかった。でも、ちゃんと覚えておくね。きっと大きくなったら、お兄ちゃんが言ってくれたことが分かるようになると思うから」
     ちゃんとそう言葉にして、カナエに伝えたのだ。その言葉に、やはりカナエも柔らかい表情を浮かべる。そして『お前が大人になるのが楽しみだな』と小さく笑ったのだった。

    ※※中略※※

     しばらく無言の時間を過ごした後、ナギリは勝手に台所を借りた。牛乳の入った瓶を見つけ、それを小さな鍋にいれる。ことことと温めて、それをひとつしかないコップにいれた。そしてそれを持って戻ってくると、自分で飲むのではなく、辻子の前に置いたのだ。
    それはまだ神在月と出会ってまもない頃から、彼がよく用意してくれたホットミルクの真似だった。それまでは普段温かい飲み物すら手に入れなかったナギリにとって、非常にありがたいことだった。最も当時のナギリにとっては利用してやるという感覚だったが、今になってそれがどれだけ嬉しいことだったかよく分かるのだ。砂糖が見当たらなかったので、あの時と全く一緒という訳にはいかないが、それでも悪くはないだろう。突然出されたものに辻子は数回瞬きを繰り返す。そして、恐る恐るそれを口にした。
    「・・・おいしい」
     そう呟く小さな声は、ごく普通の少女のものだった。そして、どこか安心した様子でもある。そのまま少しふたりで休んでいたのだが、ふと突然、トン、トンと玄関の外から音がした。どうやら、誰かがドアを叩いたらしい。しかし、ここは灰かぶりの家であり、これまで尋ねてくる人など誰もいなかったのだ。呆然としていると、もう一度同じ速度でトン、トンとドアが鳴る。恐る恐る辻子は玄関のドアを開けた。そこには、一匹のアルマジロが立っていた。
    「丸!?」
     その姿を前に、思わず大きな声をあげたのはナギリの方だった。そのアルマジロは、ナギリが慕うアルマジロのジョンにそっくりだったのだ。だがそう呼ばれたアルマジロは不思議そうに首を傾げる。どうやら会話はできないらしい。そして彼は、ふたりにむけて何かが描かれた紙を差し出したのである。
     それは、隣の国で行われる舞踏会の案内だった。お城が会場となり、老若男女問わず誰でも参加できるという内容である。だが、驚くのはそれだけではない。紙の隅っこに『目つきが鋭く、身長190センチ前後の方!特に大歓迎!』と書かれているのである。文字の隣には、見本のようなイラストも描かれていた。その見慣れた絵柄に、すぐにナギリは神在月が城にいることを察した。これは大きな収穫である。その上、辻子が王子のいる城に行くこの上ないきっかけができたのだ。だが、流石に先ほど話したばかりの状況なので、辻子の方は何ともいえない表情でその紙を見つめていた。
    「ヌンヌ!」
     するとその様子を知ってか知らずか、アルマジロはもう一枚紙を手渡してきた。
    『シャンの仕立て屋さんです。舞踏会に行くあなたに、とびっきりの一着を仕立てます!』
     そこには少し拙い手書きの文字でそう書かれていた。どうやらこのアルマジロの名前はジョンではなく、シャンというらしい。確かにそっくりではあるが、毛並みに金色を帯びさせていた。
    「それは頼もしいな。彼女に、ドレスを一着お願いできるだろうか」
     ナギリは優しい表情でシャンの頭を撫でて、そうお願いした。すると彼は胸を張り、その手で自分の胸を叩くのだ。まかせて!そう言っているようだった。だが、辻子はというと複雑な表情を浮かべている。確かに願ってもいないタイミングで、王子との関係を断ち切るこの上ないチャンスがやってきた。しかし、そもそも辻子にはまだ心の準備ができていないのだ。それもそうだろう。ナギリが現れ王子がまだ自分を諦めてくれない可能性を示唆するまで、彼女は何もせずにこのまま静かに暮らしていくつもりだったのだ。
    「・・・お前も、覚悟を決めるんだな」
     視線は小さなマジロに向けたまま、ナギリが静かにそう諭す。辻子は返事をすることも、頷くことも何もできずにいるのだった。

     シャンはさっそく準備に取り掛かり、持っていた小さな鞄を開けた。そして、その中から茶色の生地を取り出したのだ。どう考えても生地の大きさより鞄の方が小さいのだが、そこはツッコまないことにした。床に置いたその生地の前でシャンが両手を振ると、生地がふわりと浮いた。それに連なるように針と糸も宙に舞い、空中で生地が縫われていく。シャンは魔法でお洋服を仕上げてくれる仕立て屋さんのようだ。
    とても楽しそうに、シャンはその生地を縫いあげていく。その不思議な光景に思わず驚くが、ものすごい速度でヌンヌンと縫っていくため、仕上がりも早そうだ。
     しばらく待っていると『ヌヒヒ』と嬉しそうな声があがった。少し離れたところで待っていたふたりは、手招きするシャンの元へと近づいていく。そこでは暗めのブラウンのドレスが、マネキンがある訳でもないのに自立していた。シンプルな生地の上から、上品に輝くグリッターが入れられたオーガンジー素材のものが何重にも重ねられているドレスだ。まさに、彼女のための一着と言えよう。初めて見るそのドレスに、辻子は思わず息を飲んだ。だが、それでもすぐにこれは自分があの人に別れを言うための一着なのだということを思い出してしまう。ありがとう。頑張ってくれたシャンにはそう伝えるべきなのに、辻子は言葉がでなかった。
     すると、そんな辻子に近づいて、シャンは何かを手渡した。突然のことに驚きながら、渡されたものを確認する。それはドレスと同じ色をしたリボンだった。シャンは彼女を見ながら、ドレスの腰のあたりを指さした。どうやらそこにリボンを結んで欲しいようだ。最後の仕上げは辻子自身にさせてくれるということらしい。
     辻子は戸惑った。彼女はこれから王子に別れを伝えにいく予定だ。それはつまり、これだけ優しくしてくれた目の前の彼の善意を台無しにしてしまうことを意味していた。それなのに、こんなものを受け取ってしまっていいのだろうか。そう考えると、じくじくと胸が痛む。本人にはあまり自覚はないが、そもそも辻子は態度は素っ気ないものの、元々は真面目で優しい性格なのだ。罪悪感を感じて、心を傷つけてしまうぐらいには。
     思わずシャンの身長に合わせるようにしゃがんでみたものの、辻子は彼になんて言えばいいのか分からずに黙ってしまった。顔も俯かせてしまい、どうしていいのか分からない。どうしよう。その言葉だけが、頭をぐるぐると巡る。
     その時だった。辻子の体を、何か温かいものが包んだのだ。そして、彼女の頭をポン、ポンと優しいものが触れては離れていく。シャンが抱きしめて、頭を撫でてくれている。そう理解するまで、少し時間がかかった。彼は何も言わなかった。いくら考えてもどうしてそうしてくれるのかは分からなかったが、辻子はただ『ありがとう』と小さな声でお礼を言う。そして、もらったリボンをドレスに結んでみせた。少しだけ安心したかのように微笑んだ彼女の姿に、シャンも静かに笑ってくれていた。

    ***

    こんな感じで進めております!
    なお本は過去作の童話の再録+こちらのシンデレラの書き下ろしで出せたらいいなと計画中です。
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    ❤❤❤❤❤❤❤❤❤💯😭😭😭😭❤❤❤❤❤👏💖💖💖💗☺👍💖💖💖💖🙏🙏💖❤
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    もちごめ

    DONE過去に書いたタビヴェンの短編3種です。支部にあげているものと内容も同じです。
    ちょこっとタビヴェン【バースデーケーキにロウソクふたつ】
    ※2021年タビコちゃんお誕生日おめでとう
    ※靴下ハントはじめて2年目設定
    ※家庭事情捏造あり

     それはいつも通り靴下ハントを終えて帰宅した時のことだった。今日は随分と不猟な方で、帰宅途中のタビコはあまり良い気分ではなかった。だがそれは、玄関のドアを開けた瞬間、変わることとなる。
    「・・・帰ったか」
     そこにはいつものようにエプロン姿のヴェントルーの姿があった。頭にはこれまたいつもと同じようにきっちりと三角巾が結ばれている。ただ違うのは、机に置かれた代物ひとつである。普段と同じく食事が用意された机の真ん中を、小さなホールケーキが陣取っていたのだ。
    「手を洗ってこい」
     素っ気なくそう言うヴェントルーだったが、その表情にはどこかそわそわとした落ち着きのなさが読み取れる。タビコは靴を脱ぎ、その男の顔とケーキを交互に見た。ちょうどふたり分ぐらいのサイズのケーキは、買ってきたものではないだろう。その証拠に、シンクには泡だて器が入ったままのボウルが置かれている。それを認識した途端、にまーっとタビコの口元には緩いカーブがつくられた。そして、再度手を洗うように促されて、はいはい、と手を洗って戻ってくる。
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    もちごめ

    PROGRESS※10月10日の神なぎて3で出したいと考えている神ナギ原稿の進捗です
    ※ポンチ吸血鬼によってシンデレラの世界に飛ばされる神ナギ
    ※シンデレラを魔改造しまくりです
    ※『いつもの神ナギ』と『王子のシンジ×灰かぶりの辻子(女体化/四月馬鹿関係無し)』の2組が存在する設定
    ※281死に初登場のキャラが出ます
    灰かぶりと山羊目の王子/神ナギ ここは魔界都市新横浜。ここでは今日もいつものようにポンチな吸血鬼が現れ、ポンチな術を撒き散らかしているのだった。
    「我が名は吸血鬼 童話の世界大好き!諸君らにはおとぎの世界に旅立ってもらう!お前も、お前も・・・おおっと!今、目があったそこのふたりにもだ!」
    そう高らかに笑う吸血鬼が目をつけたのは、偶然にもヴァミマから出てきたばかりの神在月。それと、そのアシスタント兼恋人であるナギリだった。彼らは事態を把握するよりも先に、素早い相手の術中にハマってしまう。そして、訳も分からない内に、ふたりの意識は得体の知れないものにぐんぐんと引っ張られ、どこかへと飛ばされてしまったのだった。

    ***

    「いてて・・・」
     意識を取り戻した神在月は、瞬きを数回繰り返した。どうやら先ほどの吸血鬼との遭遇後、しばらく気絶していたらしい。すぐさまナギリに声を掛けようとした神在月だったが、それよりも先に目の前に広がる光景にあっけにとられた。どこまでも広がっていそうな雄大な森の姿がそこにあったのだ。だが、振り返って自分が背中を当てていた硬いものを見れば、彼の驚きは一層に増していく。そこにあったのは石を組み合わせて作られた建物。ゆっくりと視線をあげていけば、それが巨大な城だということに否が応でも気づかされる。西洋の写真や絵本。映画や漫画の中でしか見たことがないものが、今、目の前にあるのだ。友人のあだ名にもなっている某ネズミーなテーマのパークにある建物で代表格ともいわれるものが、確かにそこに存在していた。
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