ちょこっとタビヴェン【バースデーケーキにロウソクふたつ】
※2021年タビコちゃんお誕生日おめでとう
※靴下ハントはじめて2年目設定
※家庭事情捏造あり
それはいつも通り靴下ハントを終えて帰宅した時のことだった。今日は随分と不猟な方で、帰宅途中のタビコはあまり良い気分ではなかった。だがそれは、玄関のドアを開けた瞬間、変わることとなる。
「・・・帰ったか」
そこにはいつものようにエプロン姿のヴェントルーの姿があった。頭にはこれまたいつもと同じようにきっちりと三角巾が結ばれている。ただ違うのは、机に置かれた代物ひとつである。普段と同じく食事が用意された机の真ん中を、小さなホールケーキが陣取っていたのだ。
「手を洗ってこい」
素っ気なくそう言うヴェントルーだったが、その表情にはどこかそわそわとした落ち着きのなさが読み取れる。タビコは靴を脱ぎ、その男の顔とケーキを交互に見た。ちょうどふたり分ぐらいのサイズのケーキは、買ってきたものではないだろう。その証拠に、シンクには泡だて器が入ったままのボウルが置かれている。それを認識した途端、にまーっとタビコの口元には緩いカーブがつくられた。そして、再度手を洗うように促されて、はいはい、と手を洗って戻ってくる。
「なんだ。今日はやたら豪華だな」
理由など分かっていたが、あえてそう笑ってみせた。そう。今日はタビコの誕生日なのである。本人は以前話したかどうかも記憶が朧気だったが、律儀なヴェントルーはきっちりとそれを覚えて用意してくれていたのだ。
普通ならケーキは後で出すところなのだろう。しかし、帰ってきたタビコを驚かせたい気持ちがちょっとだけ顔を出してしまったのだった。そこまでの想いがあるのならもっと眉間の皺を減らしたりできればいいのだが、それができないのもまたヴェントルーの性格であった。タビコもそれは全てお見通しであり、だからこその今の状況が楽しくってしょうがない。
食事を終え、皿や箸を片付けてから、ヴェントルーがケーキ用のカラトリーと珈琲を用意する。それを気分よく眺めていると、ふいに彼はこんなことを尋ねてきた。
「・・・ロウソクはいるのか?」
その問いかけにタビコは数回瞬きをした。流石に年の数だけロウソクを立てるような幼い子どもではない。そもそも別になくてもいいものだ。しかし、少し考えてからタビコはこう決めたのだった。
「そうだな。2本だけもらおうか」
「2本? 何か意味があるのか?」
それは何気ない質問だった。タビコは少しだけ天井を仰ぎ、そしてこうこたえる。
「私が生まれ変わって、2年目だからな」
笑って振り返ったタビコに、『そうか』とだけヴェントルーは頷く。それから、タビコは去年の誕生日のことを思い返していた。
新しい道に目覚めてから、タビコは家族に絶縁を言い渡された。実家に帰った際、『退治人を辞めた』と告げた直後、そう宣言されたのである。自分が今何をしているのかを打ち明けることもなく、決められたことだった。別にタビコはそれでよかった。元々家族とはあまり仲が良くなく、元の生活に戻る気持ちなど毛ほどもない。むしろ絶縁をわざわざ口にするほど、あなた方は自分に関心があったのかと驚いたくらいだった。
それが一体どういうことか、1年目の誕生日に手紙が届いた。住所も教えてなかったので不審に思いながら中を確認すると『今なら謝れば許してやる』というなんとも上から目線の言葉だった。そもそも何を許してくれと懇願しろというのか。片腹痛い。返事は出さないまま、手紙は燃えるゴミの日に出した。
昔、家族で暮らしていた頃も誕生日を祝われたことなどほとんどなかった。それに、もう自分の誕生日を知る人物ですら、まわりにはあまり存在しない。だけど、タビコにとってそんなことはどうでもよかった。それなのに、今、目の前で広がる光景は一体全体どうしたことか。
暗くされた部屋で、子どものようにロウソクに息を吹きかける。バースデーソングはないが、ヴェントルーの控えめな拍手が数秒だけ部屋に響いた。
「ふふ」
思わずタビコの口から笑い声が漏れる。部屋の電気をつけ、ケーキを切っていたヴェントルーは、驚いたように顔をあげた。そしてもう一度ケーキの方を向き、大きめに切った方をタビコの皿にうつしてやる。それからもう片方を自分の皿にのせた。
「なんだ。突然、笑ったりして」
彼女の瞳はまっすぐにヴェントルーを映し出す。その顔は相変わらず笑っていた。
「ちょっとだけ、生きててよかったなと思っただけだ」
はっきりと告げられたその言葉に、ますますヴェントルーは首を傾げる。タビコは普段から、いつ死んだとしても楽しく生きたい。生きるとは花火のようなものだ、と口にしている。だから、なんだか突然真逆なことを言われたようで混乱したのだ。
タビコはヴェントルーについて日々分かることが増える一方で、ヴェントルーは共に過ごせば過ごすほどタビコのことが分からなくなっていた。だが、当のタビコ本人はそんなヴェントルーこそが愉快なのだ。そして。
「・・・まあ、その。なんだ。つまり、愛してるってことだよ」
まっすぐに視線を向けたまま、彼女はそう口にしたのだった。
「・・・・・・ハァ!?」
予想外のことにヴェントルーは持っていたフォークをスラックスに落としてしまった。クリームがついたそれを慌てて拾い上げて、『シミになる!』と脱衣所へ駆け出していった彼の肌は、どこもかしこも赤く染まっていて。そんな後ろ姿をケタケタ笑いながら、タビコは瞳を細めて眺めるのだ。
「・・・本当に、よかったよ。お前と出会えて」
そして、彼に聞こえないぐらいの小さな声で、心底幸せそうにタビコはそう呟くのだった。
***
【あたためたものはなんだっけ】
タビコの家には調理器具がほとんどない。オーブンなどの家電は勿論、菜箸やおたまもなければ、食器も平皿と深めのものが1セットあるぐらいだ。かろうじて温度の設定できない安物のレンジだけは存在感がそこにあった。
本来ならば、タビコも血を主食とする吸血鬼よりも食事が資本な人間のはずだ。だから料理好きなヴェントルーはその実態を知った時、信じられんと目を丸くしたものだった。果てしなく虚無に近かったそのキッチンは、今となってはまるで姿を変えている。焦げつかないフライパンや、目が飛び出るような価格のオーブンレンジ。その他もろもろやまだくさん。全てヴェントルーがここへ持ち込んだものである。
この場所はもはやヴェントルーの城と呼んでも過言ではないだろう。そんな中、今日のヴェントルーはうきうきとしながらそこへとやってきた。この城にあらたな従者が現れたのだ。
「ふふ。ついに買ってしまったぞ。パンがおいしく温めなおせるトースター!さあ、さっそくその力を見せてもらうとしよう」
興奮気味にパンにチーズを何種類かのせ、トースターにかける。少し経てばじゅわりとチーズが溶けゆく様子が伺え、『クク』と笑い声を漏らした。そんな時、この家の主人がふらりと前に現れる。
「おっ、そろそろメシか」
「ああ、あとはこいつが焼けたら完成だ。おかずは既に出来てるからな」
トースターを見つめたまま、ヴェントルーは活き活きとそう応えた。すると。
「いやー、すっかりこのキッチンもヴェントルーのモノになっちゃったな」
キッチンを見渡しながらタビコがそう言うではないか。その言葉にヴェントルーも視線を彼女へと向けた。
「なんだ。文句でもあるのか」
「ないない。実際、この家も半分はヴェントルーのみたいなものだし」
その言葉に、ヴェントルーは目を見開く。数秒言葉が出ないままタビコを見つめ、慌てたように目を逸らした。
「・・・あんまりそういうことを他の奴に言うなよ」
勘違いされるぞ。そう付け加えた彼の言葉に、タビコはきょとんと首を傾げる。
「お前以外に言う訳ないだろ」
「どういう意味だ」
ヴェントルーとて、その意味合いが分かっていない訳ではない。そもそも彼はそこまで鈍感ではないのだ。それでもそう口にする男を前に、タビコは一気にによぉと口元を緩ませた。
「なんだよヴェントルー。ちゃんと言って欲しいのか?」
ひどくにやついた顔のまま、おっさんのように彼女はヴェントルーを肘で小突いた。その様子にキィーッとなりながら、彼も反論する。
「我輩にはすでに立派な家があるのだ!」
「もうほとんど帰ってないのに?」
「うるさい! お前が呼び出すんだろうが!」
「だいぶ前から、帰っちゃだめなんて言ってないぞ」
子どもの喧嘩のようなやりとりを繰り広げ、最終的に黙ったのはヴェントルーの方だった。そんな彼の姿を前に、タビコは今度はおなかを抱えて笑いだす。拗ね半分、照れ半分といったところだろうか。なんとも言えない顔をしたヴェントルーの肩をタビコは掴んだ。
「・・・本当にお前はかわいいよ」
たしかに顔は笑っているが、その言葉は決して嘘じゃなくて。そして、まるで返事をするようにトースターが『チンッ』と音を鳴らす。だが、あたためたのは一体なんだっただろうか。あんなにうきうきでセットしたのに、気持ちがふわふわしていてうまく思い出すことができない。だって、きっとトースターの内側より、自分の頬の方がずっと熱いから。
漂ってきたチーズの匂いで、ようやくヴェントルーは中身のことを思い出す。あとはこれにハチミツとオリーブオイルをかければ完成だ。そうだ、今日はせっかくだからハチミツを多めにかけるとしよう。そんなことを考えながら、彼は『手を洗ってこい』と彼女にぶっきらぼうにつぶやくのだった。
***
【プロポーズすらもすっ飛ばし】
「明日出すから書いといて」
なんでもない声色で差し出された紙に刻まれた【婚姻届】という文字。夫の欄に記入済みなのは彼女の名前だった。
「どういうことだ。タビコ――ッ!」
突然のことに思わず我が輩は叫ぶが、素早く狩りに飛び出した背中は一瞬で見えなくなっていた。
「まったく・・・毎度毎度突拍子もないことばかりだな・・・」
そう漏らしながら、我が輩は大きなため息をつく。ある種、運命を変えてしまったあの日以来、呼び出されてはこき使われる屈辱の日々。それが一体全体どういう訳か気がつけば一緒に住むようになっていた。愛だの恋だの口にした覚えは共になく・・・それなのに今日、突如渡されたこの一枚。そもそもこの書き方で受理されるのか。自分ではなく彼女が夫と主張しているのだぞ。まあ、新横浜なら通るか。いやいやいや、そうじゃなくて。
「タビコの奴、本気なのか?」
口ではそう言いながらも、その答えは分かりきっていた。だって、常に全力で己に生きているあの娘のことだ。冗談とは到底思えない。幸い、他の家事はほとんど終わっていた。だから、すぐに買い物にでかけよう。今日はいい鮭がはいっているだろうか。小松菜。いや、ほうれん草も売り切れていなければいいが。あとは、そうだな。少しだけ。少しだけ、テーブルに添える花でも買おうか。まあ、タビコのことだ。花なんて、見ないかもしれないが。
「まったく、世話のやける」
そういつものように呟く口元が緩んでいることには、気がつかないフリをする。スーパーへと向かう足取りはいつもよりずっと軽くなっていたのだった。