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    こはくがHiMERUと九月について喋る話 注意:過去捏造
    友人へ 少し早い誕生日プレゼント

    #こはひめ
    kohaime

    アルジャーノンは嵐を笑う「九月っち、毎年こんな蒸し暑かったやろか」
     ひっそりとした楽屋の隅。パイプ椅子に腰掛けた桜河が、ぱたぱたと衣装の襟をつまんで首元に風を送っている。肌にまとわりつく湿気を疎ましそうにしながら、桜河は確かにそう言った。
    「八月やったらわかるんやけど。九月って、秋雲とか白露とか、俳句の季語も涼しげな言葉になるんよ」
     はー、暑い。俺に話し掛けているのか、それとも単純な独り言なのか。パイプ椅子の合皮に貼り付く皮膚にすら悪態を吐きながら、桜河は相変わらず自身の体温を下げようと努めていた。だらだらと汗を流す桜河の睫毛の先端に、小さな水滴が付着しているのが見える。
    「この時期になると、季節の変わり目を肌で感じることが出来ますね。HiMERUは意外と、雨が嫌いじゃないですよ」
    「わしも、雨は嫌いやない。誰も外に出たがらへんし、わしと同じように、みんな家におってくれた」
     半ば自虐気味に、桜河は笑った。詳しくは知らないが、桜河は幼少期をほとんど家の中で過ごしたのだという。わざわざ家庭教師を雇ってまで自宅で学習し、その他の時間は「家業」とやらの鍛錬に費やした幼い桜河は、何を考えていたのだろう。
    「昔は、外に出たくても出してもらわれへんかった」
     大変でしたね。可哀想に。そんな言葉は、口が裂けても言えなかった。平凡な言葉で同情することは、ひどく滑稽に思えて憚られた。それに、きっと桜河ならば、言葉にしなくても理解出来るに違いない。そう思った。わざわざ「HiMERU」が何かを言うこと、それ自体を屈辱的だと思うに違いなかった。
    「インターネットで知り合うた友達も、晴れとったら学校や仕事に行ってまうやろ。それが寂しかったんや……当たり前のことやし、立派なことやのに」
     そのとき初めて、桜河こはくという人間を身近に感じた。俺と同じだった。HiMERUが舞台に立っているとき、誇らしげな感情の裏側に、得体の知れない影があった。それはきっと羨望や期待、それから何か強迫観念めいたもの――十条要という一人の人間を、人間だと認知しているからこそ覚える、強烈な不安――それらが俺の頭の中で渦を描いているとき、俺はいつでも孤独だった。
    「HiMERU」も――いや、「俺」も、同じでしたよ。
     そんな言葉を掛けてあげることが出来たなら。桜河の表情も、いくらか明るくなりはするのだろうか。
    「……何やろか。外、騒がしいみたいやけど」
     桜河が言っている「外」というのは恐らく、窓の外ではなく楽屋前の廊下を指している。格子の嵌められた小さな窓にはさっきから大きめの雨粒が打ちつけていたが、それはともかくとして、廊下に待機していたスタッフの慌ただしい足音や責任者と思しき人間の怒号が耳障りで仕方なかった。
    「恐らく、台風十三号の影響で今日のライブが中止になりそうなのでは」
     予想は当たっていた。SNSで軽くイベント名を検索しただけでも、現地に足を運んだファンのものと見られる書き込みで溢れている――「会場前着いた〜〜〜! 入場まであとちょっとなのに列形成されてない、なんで?」「天気やばくなってきた。傘忘れた。風邪引く。。。」「なんかスタッフが入口に看板置いてった」「中止ってマ?」「>RT せっかく来たのに中止だって」「地方から東京まで来たのに、電車止まってて会場まで行けない」「どうせ中止でしょ。ホテル直行、フォロワとヤケ酒」「中止ってマジ? 電車も運休だし帰れない詰んだ」――なんとなく、状況を察する。桜河にも画面を見せた。苦い顔で肩を竦めている。
    「ああ……なるほどな。せやから、燐音はん戻ってきてへんのか。ニキはんと連れションしに行ったっきりやからな」
    「大方、延期か中止かで揉めているのでしょう。ここまで足を運んだ方々には申し訳ない話ですが……どちらにしても『HiMERU』たちはここで待機するしかありませんね」
     珍しく、桜河が大きな溜め息を一つ吐いた。小さな窓から覗く灰色の空に、不思議とそれはよく似合っていて、嫌な気持ちになったりはしなかった。天城のことだ、きっと何かいい知らせを持ってくるに違いない。案外俺は楽観的、というか天邪鬼なのかも知れなかった。天城や椎名、桜河たちと共にCrazy:Bとして活動を始めて以来、周りの人間が焦れば焦るほど冷静になっていく自分がいる。
    「この程度の雨や風で、電車止めたりイベント中止したり……仕方ないっちことはわかるけど、いつもの燐音はんを知っとるわしらからしたら、中止か延期かで揉めとる時点でちょっと意外やなと思うわ。わしらの知っとる燐音はんなら、無観客でもいいから強行する、お詫びとして無料で全世界に配信する、とか言い出しかねへんやん」
    「ふふ。確かに、桜河の言う通りです」
     無観客でもいいから強行する。お詫びとして無料で全世界に配信する。なるほど、天城が啖呵を切っている姿は、俺の頭の中で容易に構築出来た。思わず、笑みが漏れる。桜河なりに俺をリラックスさせようとしているのだろうか。眉間に寄せた皺は、気圧による偏頭痛のせいであるとあとで言っておかなければならない。
    「HiMERUがソロで活動していた頃は――雨風でライブが中止になることなど、ほとんどなかったのです」
     過去の栄光、という名の黒歴史。コズプロ上層部は金勘定のことしか考えていなかった。出演者や来場者の身の安全より、チケット代返金のリスク回避を優先した。今となっては時代遅れな、古き悪しき考え方。
    「ですから、今回のように来場者や出演者のことを第一に考えてくれるようになったことは、きっと悪いことではない――『HiMERU』なら、そう思います」
     上層部も丸くなったものだ。たとえそれが炎上対策だったとしても、英断の出来る人間が上層部に口利き出来るようになったのは、かつてのそれに比べればまだマシだと思えた。
    「ほーん。『HiMERU』はんは、そう思うわけや」
     扉の向こうから俺の言葉へと、ゆっくりと興味の矛先を変えてきた。腕組みをしながら、桜河は「HiMERU」の顔を穴が空くほどじっくりと見つめている。悪いことはしていないのに、なぜか浮き足立った。例えるなら、パトカーとすれ違ったときとよく似ている、そう思った。
    「ぬしはんは?」
     ぬしはんは、どう思うん。
     獰猛な獣が、犬歯の隙間からだらだらと涎を垂らしている。桜河は「俺」の存在に気がついているのだろうか。かつて完璧かつ最高のアイドルだった「HiMERU」の皮を被ったに過ぎない、ちっぽけな「俺」を。桜河は、その鋭い瞳で狙っているのだろうか。なま温かい吐息が、窓の外から侵入する湿気と混ざって、楽屋に厚く雲を張っていく。
    「わし、『HiMERU』やのうて『ぬしはん』の意見っち聞きたいんやけど」
     ひたひたと、冷たい床を素足で歩く音のような声色で。桜河は、まっすぐに「俺」を見つめていた。
     数秒間。そのたった数秒間、楽屋ごと外の世界から切り取られたかのような錯覚に陥った。それほどまでに静かだった。それほどまでに、桜河の声が凛としていた。騒がしかった廊下もいつの間にか元の静寂を取り戻しており、遠くの方から天城と椎名の笑い声も聴こえてきた。話し合いとやらが終わったのだろうか。窓の外の厚い雲も多少は風に流され、上空は元の色を思い出しつつある。
    「雨。やんだのでしょうか」
     談笑する天城と椎名の声もまだ聴こえてくる。しかし、SNSのコメントを見ていても前向きな意見や吉報は見受けられなかった。それどころか、先ほどよりも阿鼻叫喚じみた書き込みが増えている。
    「台風の目ン中っち入った感じやな。どうせまたすぐ元通りなるわ、心配せんでええよ」
     話している相手が天城や椎名なら、きっと俺は「逆だろう」と言ってたしなめていた。晴れ間で焦り、嵐で安心する人間がどこにいる。しかし桜河は違った。きっと俺の中の本質を突いて言っていた。桜河に、嘘は吐けない。
    「わしの勘違いやったら申し訳ないねんけど」
     扉の向こうで、天城の声がする。メルメルう、こはくちゃあん、出ておいでえ、そろそろリハやるってよお。明らかにこちらへ向かって叫んでいた。はいはい、と面倒そうに返事を寄越しながら、桜河は貫くような眼差しで俺を見つめていた。
    「わしには『ぬしはん』が、大雨の中でも嵐の中でも関係なく、最高のパフォーマンスして見せる、っち気概に満ちとるようにしか見えへんわ」
     ほな、行こか。パイプ椅子から立ち上がった桜河は、そう言って屈託なく笑った。何かを考える前に、ええ、行きましょう、と頷いてしまう。Crazy:Bで一番身体の小さい桜河が、今は一番頼もしく見えた。
    「あ、そうや」
     振り返った桜河が、もう一度強く「俺」の手を握りなおした。桜河の体温が、指先を伝って俺の中へ静かに流れ込んでくる。やっぱり、桜河は孤独で、俺と同じだった。
    「ぬしはんが『雨、嫌いやない』っちいうの、全然意外やあらへんよ」
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