風呂上りの三月がリビングに入ってくると、天はスタンドミラーとスキンケアセットをローテーブルの上に広げていた。
三月はそのうち化粧水と乳液のボトルが見覚えのないものであることに気づいて、天に尋ねた。
「化粧水変えた?」
ちょうど日課のスキンケアを終えたらしい天が三月の方へ視線を向けた。
「うん、いつも使ってるメーカーの新作なんだって。……そうだ、」
天が何かを思いついたようにパッと口角を上げたので、三月は小首を傾げた。
「こっちおいで。三月にもぬってあげる」
手招きする天に、三月は狼狽えながらもおずおずと天の隣に座り込む。
「えっ、天がオレにぬるの?」
「そうだよ。はい、ヘアバンドつけて。」
天は自分の被っていた薄桃色のヘアバンドを三月に手渡す。
「オレは別に……」
そう言いつつも三月はヘアバンドを被り、額を顕わにする。
それを確認した天は、くるくると化粧水の蓋を回して開けた。
「いいから。では、まず化粧水を付けます。」
「む……。よし。よっしゃ来い!」
三月は気合入れのためか自分の両膝をバシンと叩く。
なんか違う……と呆れつつも、天はコットンに化粧水をたっぷり落とす。片手で三月の頬を支え、もう片方の手で優しくパッティングしていく。
「ん、ちょっと冷たい。」
三月は一瞬肩を竦め、口をへの字にする。
「そういうものでしょ。手で包み込むように優しく抑えて、化粧水を肌になじませていきます。」
次に天はコットンをテーブルに置き、両手で三月の頬を包み込む。
「ふっ……」
たまらず目を瞑る三月に、ふにふにとソフトタッチで三月の顔を抑えている天から思わず笑みがこぼれた。
そして天は化粧水の蓋を閉めた後、今度は乳液の蓋を開ける。
「次に乳液をつけます。三月のほっぺがもちもちになりますようにー。」
天はまた新しいコットンに乳液を2プッシュほど取り、三月の顔にぺたぺたとぬって行く。
「もちもち……」
目を瞑ったまま、まるで幼児のように天の言葉を繰り返す三月。天はコットンで優しく抑えながら、コットンからはみ出した指で三月の肌触りを確かめるように触れる。
「そう、もちもち。」
「ん、くすぐってぇよ。自分でやるって。」
三月はうずうずと指先で寝間着をぎゅっと握りしめている。天の中のちょっとした意地悪心が顔を覗かせる。
「だーめ。」
天は小悪魔の声色で答えつつ、そんな必要もないのに三月の顎下まで触れる。三月の声がだんだん上擦ってくる。
「んん……天が、変な触り方するから……」
「してないって。ほら、乳液終わったから。化粧水と同じように手で優しく抑えて、乳液もなじませます。」
くすぐったさから解放され、天の手に包まれる時の三月は気持ちよさそうに間延びした声を出す。
「ん~……」
「気持ちいい?」
「天の手、あったかくてさ、ねむくなってくる。」
天が尋ねると、三月は少し舌足らずな声で答える。
「ごめんね、もうちょっと起きててね。終わったら布団行って良いから。」
天はそう言って三月の顔から手を離した。
うつら、うつらと三月の頭が揺れる。
「ん~、まだあんの……?」
天は背の低いガラス容器の蓋を慣れた手つきで開ける。
「次で終わりだから、ね。最後にナイトクリームをぬります。」
そう言って天が指で掬ったクリームを三月の頬に乗せると、三月の肩が大きく跳ねた。
「つめたっ!」
「わ、びっくりした。」
天も驚いて、思わず三月から手を離した。びっくりしたのはオレだわ、と三月は額にクリームをつけたまま目の前の天の頭に優しく触れる程度の手刀を入れる。
「あ~、完全に目ぇ覚めた。気持ちよかったのにー。」
まどろみを邪魔された三月は苦い顔をする。くるくると変わる三月の表情に天はゆたりと笑う。
「残念だね。クリームをたーっぷりぬって、伸ばしていきます。」
「あっ、まって、……ふ」
冷たさからぎゅっと固く目を瞑った三月の声色が、鼻から抜けるような甘いものに変わっていく。
「もうちょっともうちょっと。この過程が一番大事なの。」
そんな三月に気づいているのか、天が手を止めることはない。
クリームで湿った天の柔らかい指が三月の肌を滑るたび、三月が小さく掠れた声を漏らす。
「ん、も……、は、早く、」
「はい、おしまい」
天がぱっと手を離すと、三月は勢いよくヘアバンドを外してテーブルに置いた。
「あー、終わった!もう、次から自分でやるから!」
「え、気持ち良くなかった?」
天はきょとんと上目遣い気味に尋ねてくる。わざとなのはわかっているのに、それだけで三月の正直な胸がきゅんとなる。
「よ、よかったけど……、」
三月の目には薄く水膜が張っていて、上気したようにほんのり頬を赤らめる。
「でも、お前にされると変な気分になるんだって!」
三月は立ち上がり、ずんずんとトイレに向かっていった。
「トイレ!」
三月はトイレの扉をばたりと閉めた。
「……変な気分になっちゃえばいいのに。」
残された天はスキンケア用品を片付けながら、口を尖らせて小さく呟いた。