牢人と侍が出陣したのでお留守番組の刺客と弓取 単独行動をずっと続けてきたとはいっても、仲間意識がないわけではない。むしろ、孤独から逃れるための唯一無二を追い求めるたびに失う、そんなことを繰り返してきたゆえに、他者との関わりや群れることを避けてきた節がある。刺客はそういう男だった。
だからこそ、今度こそはという思いが彼を必要以上に駆り立ててしまう。
「……遅いな」
あぐらをかいた膝を忙しなく揺する刺客。かと思えば立ち上がって、あちこちの窓から外の様子を覗い、耳を澄ませる仕草をする。
そんなことを小一時間続ける狐面の男をぼんやり観察しながら、この小屋の主である女は、つい小さく笑ってしまった。
「おっと」
しまった、と思っても後の祭りだ。細めた眼を見開けば、いつの間にか狐の厳つい面が視界を奪っていた。
「弓取……笑いごとじゃないぞ」
「落ち着きのない子だねぇ、少しは牢人の腕を信じておやり。滅多なことじゃ死にはしないよ」
「あいつが死ぬのはいやだ、困る!」
苛立ちを露わに語気を強めた刺客に、弓取はついに破顔し声を上げて笑った。
「あっはははは!!」
「おい……何がおかしいんだ?」
「は、ははっ、ちょ、ちょっと、待っ」
疲れた時のように手を突き出して、待ってくれ、の格好だ。腹まで抱えて。抱腹絶倒、とはこのような様子をいうのだろうか。
刺客は、くい、と首を傾げた。
「おまえ、心配しないか?」
「ふふっ、ふ、そんなことはないさ」
目を擦り、涙を拭う弓取。何故にそこまで笑うのか心底から理解できず、刺客は首を反対方向へまた、くい、と傾けた。
「あんたってほんとに、牢人のことを慕ってるんだねぇ」
その言葉に一瞬、刺客は固まる。好いた相手が同性であることをからかわれたのか、と。しかしすぐに頭を振って、
「だったらどうした」
「いいや、むしろ……そうだね、自分の想いを正直に言えるのは凄いことだと思うんだよ。素直に自分の心の内を明かさないやつは多いから……武士とか、そういうやつは特にね」
武家の郎党出身の弓取は、そういう類の男どもに囲まれて育った。多くは語らず、自らの事は必要以上に話さない。まるで個々にそれぞれ秘密があるかのように。当時、それを息苦しいとは思わなかった。具体的には言われずとも、ちょっとした仕草や挙動などから、相手の好みをなんとなく把握できるものだ。
しかし人の心中などというものは、なかなかに難しく、時には諍いのもとにもなる。そういった場面を幼い時分に目の当たりしてからというもの、弓取は『思うことは口にしないし聞かないもの』として考えてきたのだ。
それが、どうだろうか。目の前にいる、育った境遇の全く違う男は、自分の心中を隠そうとすらしないし、相手にもそれを遠慮なくぶつけてくるではないか。
「あたしには出来ない芸当さ」
初めこそ驚いて、距離を置くべきかと警戒心にも似た印象を持ったが、慣れてくればそれは意外にも心地よいもので――いや、なかなか稀有なものを見つけたものだと、牢人に嫉妬すら覚えてしまう始末。
弓取の呟きに、刺客はまた首を傾げた。
「弓取は、そうじゃないのか?」
「あんたほどじゃないねぇ、少し……羨ましいくらいだよ」
「んん……じゃあ、牢人もそうか?」
「牢人?」
弓取の脳裏にも、菅笠を被り顔を隠した袴姿の男が浮かんだ。今は、弓取の最も信頼する仲間である侍とともに姿を消してしまった男だ。おそらく、弓取や刺客も含めた四人の身に、突如として降りかかる災難に遭っている。
ふと気が付くと、どこか見覚えのある風景を舞台に、異形の者どもとの戦闘を強いられるのだ。今はそれが、日常になってしまった。
「あいつ、ケガしてたのに隠す。大した事ないとか言うんだ、このまえなんか熱出てブッたおれて、おれが看病した」
どっか、と床にあぐらをかいて座り込む。
「心配した……あいつ、なんで隠すんだ」
ああ、と弓取は天井を見上げた。あの牢人なら、やりそうなことだと。
彼は元々、武家に仕える武士だったと聞いている。己の傷の手当や不始末は誰に頼ることなく、己自身で片を付けてきたのだろう。その習慣が根強く残っているから、つい人の手を借りることは拒んでしまいがちだ。
それに加えてあの、自分で何でもやろうとする性格も相まってくれば、刺客の言う状況も想像に難くない。弓取は刺客の向かい側に腰を下ろし、
「隠すというか……いや、おそらく世話を焼かれることに慣れていないんだ。何でも一人でやってきたから」
「一人で、か」
それならば、刺客にも思うところがあった。ただしそれは、誰にも頼ることができないから、仕方なくそうしてきただけのことだ。
今は違う、一人ではない。お互いに。
「だったら尚のこと……」
そう呟きかけた刺客が、何かを感じ取ったか、急に立ち上がった。耳に手を当て、ニオイを嗅ぐ鼻の音までが聞こえてくる。
「牢人だ! 侍もいるぞ!」
待ってましたと言わんばかりの声色に、狐面の表情までが明るくなったように見え、つられて弓取も笑みを浮かべた。
「よく分かるねぇ、大した五感だ」
ピョンピョンとまるでウサギのように跳ねながら、刺客が一足先に小屋を出て行った。
今日はもう太陽が沈みかけている。これから冷えてくるし、何かと使うだろうことを考え、弓取は鍋を置いておいたかまどに火を点けた。
と、その時。
突然、刺客の怒号が響く。しかし弓取は慌てない、予想の範囲内だからだ。
「なんっでおまえ! おまえは! そうなんだ!? ケガしたなら言えって前から言った!!」
「分かった分かった、そうカッカするな……傷に響く」
「おれがどれだけ心配したか!」
「案ずるでない、この程度」
「それで倒れたろうバカ野郎くそ牢人! ふざけやがって……今度という今度はゆるさん!」
「お、おい、なんだ刺客、何をす……」
そのあたりまでは大声で、聞きたくなくとも耳に入ってしまったのだが、それ以降は不意に静かになった。
始まったな、と呟いてから弓取はそっと、刺客たちに遭遇しないよう反対側の戸を開け、小屋から静かに外へ出た。
そこに待っていたのは、珍しく傷だらけになった鎧をまとう侍の姿だった。苦笑いして、
「待たせてしまったな」
「さすがに心配したよ……大事ないかい?」
「あぁ、牢人のおかげだ」
「随分と鎧が傷んでるね。腕のいい甲冑師がいるから、黄金寺へ行こう」
「承知した」
侍は口笛を吹き、馬を呼んだ。それに応えて栗毛の馬が一頭、ふたりの冥人の前に駆け付けてくれる。
ひょい、と慣れた手つきで乗馬する侍は、いつもなら同じく馬を呼び並走する弓取を見下ろした。
「呼ばぬのか?」
「たまには、一緒に乗るのも悪くないだろ?」
ほんのり上気したような彼女の微笑みに、つられるように侍も笑みをたたえた。手を差し伸べ、馬上へ招き入れる。
疾走する馬に揺られるなか、侍の背中にぴたりと寄り添いながら、弓取は胸の鼓動の高鳴りを久し振りに心地よく味わった。