happy birthday toまだ母を「ママ」と呼んでいた幼い頃、気になって尋ねたことがある。
「ママ、ギルモアしょーぐんと会ったことあるの?」
学校の授業で、ほんの軽くだがピリカのクーデター、そしてクーデターを起こしたギルモアという男について話を聞いたのだった。母はピシアに勤めており、その中でもかなり偉い立場なのだと父から聞いたことを思い出し、隣に座って母の顔を下から覗き込んだ。
「あるぞ」
至って普通の会話のように、まるで今日のおやつはあるかと尋ねられた時のように、母は頷いた。
「どんな人だった?」
好奇心に目を輝かせると、母は遠くを見るように言った。
「そうだなあ……気難しくて、怖いおじいちゃんだったなあ」
懐かしむような表情だったが、すぐにこちらを向いて、優しく微笑んだ。
「でも、優しい人だよ」
感想が過去形ではないことに疑問を覚えたが、特にそれ以上聞くことはしなかった。
たが、今、母に聞きたい。
母さんとギルモア将軍って、どんな関係だったんだ?
ことの始まりは1週間前。4つ下の弟モルから相談を受けた。
俺は高校、弟は中学で、それぞれ部活だの勉強だので忙しく、きちんと向き合って話し合うのは久しぶりだった。
兄弟2人の子供部屋で、俺は勉強机の椅子に座って、弟は2段ベッドの下の段に腰掛けた。
いつも明るく朗らかな弟が、怯えた顔つきで言った言葉に俺は眉をひそめた。
「お母さんが、お父さんのことギルモア将軍って呼んでた」
「聞き間違いじゃないのか?」
「違う! 聞いたんだって、昨日の夜中に!」
声を荒げた弟は、すぐにハッと口を黙み、ひそひそ声で話し始めた。
「昨日夜中にトイレ行く途中で……お母さんが『ギルモア将軍、今度2人で遊びに行きませんか』って……」
「父さんは?」
「『いいぞ』って言ってた」
2人とも冗談で言ったんじゃないのか。実は酔っ払ってたとか。そんな考えが浮かぶが、そうとも言い切れない理由がある。
父はギルモアに似ている。本人曰く、他人の空似とのことだが、親子だと言われても信じてしまうくらいだ。
本当に他人なのか?
父方の親類に会ったことがないというのも、その疑問を強く抱かせる要素となった。母方の祖父母や叔父叔母たちは、幼い頃は遊んでもらったし、今でも時々顔を合わせる。しかし、父方の親類には一切会ったことがない。顔も知らないし、いるのかどうかも定かでない。父から、祖父母を含む親族の話を聞いたことがないのだ。
父は、本当はギルモアの息子じゃないのかと思ったことはある。大犯罪を犯し、死刑になった父親の話をしたくないのかもしれない。そう1人で納得させていたが、弟の話を聞くに、それは違うのかもしれないと思い始めていた。
ギルモア将軍、と呼ばれて怒るでも否定するでもなく何故普通に会話を続けたのだろうか。
「……ねえ、俺たちの名前の由来、覚えてる?」
考え事をしている最中、不意に弟から声をかけられた。
「由来?」
「俺も兄ちゃんも、お母さんが好きな言葉から付けたって」
そういえばそんなことを昔聞いた気がする。過去の記憶を探っていると、弟は震える声で言った。
「お母さんの好きな言葉って、俺たちの名前の由来って……もしかして『ギルモア』じゃないよね?」
そんな馬鹿な、と言えなかった。両親にはあまりにも謎と疑惑が多過ぎる。よく考えてみれば、2人の馴れ初めも、父の過去も何も知らない。
不安だけ抱えていたって仕方ない。まずは、本当に母が父をギルモアと呼んだのか、裏付けを取らないと。
何の気なしに机上の通信端末に目を向けたその時、あるアイデアが閃いた。
2日後、俺たちは子供部屋に集まった。2人でベッドの上に座り、通信端末から伸びたイヤホンの片っ方を弟に渡す。もう片方は自分の触覚に。
「じゃあ、再生するぞ」
ごくりと唾を飲み、画面をタップする。
耳に流れてきたのは生活音。昨日の夜、録画機能をオンにした端末をリビングに隠し、両親の会話を記録、つまり盗聴した訳だ。
『そろそろ開けますか』
『ん』
母の声に父が短く賛同の意を示した。また足音が聞こえたかと思うと、母の嬉しそうな声が聞こえてきた。
『じゃ〜ん! 今年はチョコレートを選んできました!』
『ほお』
父の感嘆の声がする。次に聞こえた母の言葉に、俺は端末を取り落としそうになった。
『将軍はどっちが良いですか?』
ウンウン悩む父の声は耳に入らない。驚きに目を見開いたまま弟の方を見ると、「ね、言ったろ」と言わんばかりに肩をすくめられた。
それから母は、家族で誕生日パーティーをするようにハッピーバースデーの歌を歌って、誕生日おめでとうございますと言って、父にプレゼント(どうやら手袋らしい)を渡して、何かスイーツを食べて、それからやっと2人で寝たらしい。
母が父に呼びかける時、「ギルモア将軍」「将軍」と必ず言っていた。どうして、父のことをそんな風に呼ぶんだ?
不可解な点はもうひとつある。
父の誕生日は昨日じゃない、秋だ。何ヶ月も前に家族でちゃんとお祝いしたのに、何で昨日の夜遅くにこっそり2人でパーティーを開いたんだろうか。
イヤホンを外してため息をつく。
両親が正式に結婚したのは、俺が2歳の時だった。元々約束をしていたらしいが、父が大きな事故に巻き込まれて何年も入院することになり、入籍するのが遅くなってしまったらしい。ぼんやりとだが、両親の結婚式に出た記憶も残っている。
もしかして、それより前、父はギルモア将軍と何かがあったんじゃないか。将軍のことが忘れられないから、よく似た父を将軍と呼んでいるんじゃないのか。だから俺たちにギル、モルと名前を付けたんじゃないのか。
ぐるぐると思考の渦が止まらない。自分の生まれた時期を考えると、母さんが俺を妊娠したのはちょうどクーデターの辺りだ。
……その頃なら、ギルモア将軍がまだ生きている。
刑事ドラマか昼ドラの観過ぎだと誰かに突っ込んでほしかった。でも、ひどく不安を抱えた脳というのは、驚く程に突飛でネガティブな理論を組み立ててしまう。
母はギルモア将軍と関係があった。
それで俺を妊娠した。
でもギルモアは死んだ。母はギルモアを忘れられなくて、俺に似た名前をつけた。
それから、ギルモアに瓜二つな父と出会った。
母は父を「ギルモア将軍」と呼んで、何故か父もそれを受け入れた。
そして弟が生まれた。
根拠はない。ほとんど憶測、いや妄想に近い。分かっていても、不安がどんどん膨らんで胸が苦しくなる。
「兄ちゃん?」
弟に心配そうな顔で尋ねられ、俺はハッと我に返った。
父と母、それからギルモア将軍がどんな関係だろうと、モルは俺の弟で、父さんは俺の父親で、母さんは俺の母親だ。それは確かだ。
しかしこの謎は、母が父を将軍と呼ぶことだけは、やはり奇怪だ。不気味さすら感じる。父は父個人として母に見られているのではなく、ギルモアに重ねられていると思うと不憫だ。
しかしこんな話を本人に聞くのは躊躇われるし……それに、聞いてもはぐらかされる可能性が高い。
と、頭の中にある人物が浮かんだ。
父、母、ギルモア。この3人を知っているのはあの人しかいない。
「モル、次部活が休みの日はいつだ?」
「えっ? んーと、再来週の日曜」
「決まりだ。その日予定いれるなよ」
不思議そうに首を傾げた弟に、俺はニヤリと笑った。
「ドラコルルおじさんのところに行くぞ」
「久しぶりだな、2人とも」
母の直属の上司にして、ピシアを束ねる長官。そして、家族ぐるみで付き合いのある、カッコ良いおじさん。
今日は奥さんもお子さんたちもショッピングに行っていて、今家にいるのはおじさんと、俺と弟だけ。
「それで、話とは?」
自分の家のと違う、柔らかいソファの感触に身を硬くしながら、俺は話を切り出した。
「母とギルモア将軍がどんな関係だったか、知っていますか?」
1人用のソファに腰を下ろしていたおじさんは淡々と尋ねてきた。
「ただの上司と部下だったと思うが、何故そんなことを聞きたがる?」
兄弟2人で顔を見合わせた。弟が不安そうに無言で頷く。おじさんの方に向き直って、俺は答えた。
「……最近、母が父のことを、ギルモア将軍と呼んでいるのを聞いたんです」
おじさんは驚かなかった。静かな赤い瞳に続きを促され、続けて言った。
「父はギルモアにそっくりです。本人は赤の他人だって言い張ってますけど……俺は、その……母が父をそう呼ぶのは、似ているからだけじゃなくて、過去にギルモアと何かあったからじゃないかって、そう思ったんです」
「成る程」
おじさんは穏やかな声で相槌を打った。
「ギルモア将軍と呼ばれることを、お父さんは受け入れているのか?」
「そうみたいです」
「では何も問題ないのではないか?」
その言葉に俺は憤然と声を上げた。
「大ありですよ!」
隣に座っていた弟はびくりと肩を震わせた。
「だって、父個人としてじゃなく、死んだ人間と重ねられるなんて、そんなの……!」
父も母も、俺たちに沢山の愛情を注いでくれる。父が母を大切に思っていることだって、普段の振る舞いを見てれば分かる。でも母は、もしかして父を父として愛していないんじゃないか。父の顔に、死んだ人間の面影を追い求めているんじゃないか。
おじさんは深く息を吐いた。呆れたようなため息ではなく、これから大仕事をするための準備運動のように聞こえた。
「昔読んだ本で、忘れられない話がある」
俺は顔を上げた。おじさんの目は、過去を思い出すように遠くを見つめていた。
「重い罪を犯した、ある老人の話だ」
「老人?」
弟の疑問に、おじさんは静かに頷いた。
「その老人は、元々は名家の生まれだった。だが色々な大人の事情があり、家族や使用人からほとんど世話をされていなかったらしい。老人には兄がいて、警察が老人の幼少期について尋ねたところ、彼は何も知らないと答えたそうだ。知っているのは名前と顔ぐらいで、弟の年齢も、誕生日も把握していなかった。老人は大学を卒業してすぐ軍隊に入ったから、それ以降関わったことはなかったとのことだった。家族の知らないところで老人はみるみるうちに出世し、やがて……世界の掌握を望むようになっていた。その理由は結局明かされなかったが、彼は老年期に入った頃合いに、ついに野望の実現のため、星にクーデターを起こしそして……敗北した」
「ね、それってギ──」
何か言いかけた弟の口を慌てて手で塞ぐ。
ドラコルルおじさんが語っているのは、きっとギルモアの過去だ。ピリカにクーデターを起こすも、自由同盟と、同盟に協力したチキュウ人に負けた、あの世紀の大犯罪者の話だ。
「老人は人を信じることができなかった。共に革命を起こした部下たちですら、彼はずっと疑っていた。いつ反乱を起こされるか分からないと怯えていた」
おじさんの目が悲しげに揺れていた。きっと、おじさんもギルモアに信用してもらえなかったんだろう。
「だが、老人はたった1人だけ、好いた青年がいた。部下の1人で、仕事柄顔を合わせる機会はまあまああったが、周囲の気付かぬうちにどうやら……恋仲か、少なくともそれに近い関係になっていたようだった。明るい性格の青年に、救われていたのかもしれんな」
その青年はきっと母のことだ。
やはり、母はギルモア将軍と関係を持っていたのか。俯いた俺に、おじさんは話を続けた。
「反乱が失敗して、警察に捕らえられた老人は死刑になることが決まった。それを聞かされた青年は、政府要人の前で跪いて頼んだ。死刑の直前、老人と面会させてくれと、彼に会いたいと願った。青年の願い通り、2人は死刑の前に1時間だけ会うことを許された。束の間の逢瀬の後に、老人は死刑として毒薬を飲まされ、死んだ……はずだった」
おじさんの声のトーンが変わった。僅かに明るくなったのを察し、俺は顔を上げた。
「死刑のために老人が飲まされたのは、若返りの薬だった。副反応に耐え切れなければ死ぬ可能性があるものだったが、老人は死なず、30歳頃の姿に若返った。表向きは死んだことにされ、3年間は監視と観察のため国の施設に収容されることになった。収容から解放された後、老人は青年の元へ向かった。久しぶりに会った青年は、老人との間に授かった子供を1人で育てていた。彼は、子供の父親が誰か周りには頑なに明かさなかったが、老人の名前の一部を子供に名付けていた」
ギルモアの過去を聞いていたはずが、話はいつの間にやら思っても見なかった方向に展開した。
そんなおとぎ話みたいなことが本当にあったのか? 途中から創作を入れたのではないのか?
そう思ったが、おじさんの眼差しも、語り口調も、いつにないほど真剣で、俺たちは黙って続きを聞くことしかできずにいた。
「再会した2人は結婚し、その後に第二子を設けることとなった……ところでギル」
突然名前を呼ばれ、俺は姿勢を正した。
「この老人は、結果だけ見れば死刑を免れ、命のリスクがあったとはいえ若返り、家族で仲良く暮らしたように思えないか?」
「ま、まあ、確かに……」
未だ話の整理ができていない中尋ねられ、煮え切らない返事しか返せなかった。
「モルはどうだ?」
「おじいちゃんの年齢から若返ったんだから、むしろ家族と暮らせる時間が増えたと思う」
弟の答えに、おじさんは小さく微笑んだ。
「そうだな、そういう見方もできる。だが2人とも……たった今から、名前も、これまでの経歴も何もかも捨て、全くの別人として生きろと言われたらどう思う?」
「え、嫌だよそんなの」
弟は顔をしかめた。俺だって嫌だ。それって家族とも会えなくなるってことじゃないか。
「老人は死刑の時に、同じことを言われたのだ」
ひくり、と体が強張って震えた。
「老人は全く別の名前、別の経歴、別の生年月日を与えられ……かつての自分を語ることも、名を名乗ることも許されなくなった。かつての家族や友人と会ったとしても、全くの赤の他人を装い、初対面のフリをしなければならない。勿論、マスコミにあることないこと騒ぎ立てられても、それに抗議することもできない。何故なら老人はすでに死んだことになっているからだ。それに、もしまだ老人が生きていると世間にバレてしまったら……家族4人で暮らす穏やかな生活は、そこで終わりだ」
体の中心がスッと冷える。
今まで揺るぎないものと、安全だと思っていた場所は、実は薄氷の上だったのだ。
「秘密を背負うというのはそういうことだ。そして、たった今からお前たちも背負うことになる」
心臓が嫌に脈を打つ。
あのギルモア将軍は、実は生きていて。
それで、俺たちの父親で。
母は全て理解していて、それで父を将軍と呼んで。
とんでもない重石を背負わされた気分だ。これを、墓場まで持っていかなきゃいけないのか?
「……と、いう話が忘れられなくてな。面白かったか?」
おじさんは意地悪そうにニタリと笑みを浮かべていた。
「ハッハッハ! そう不安にならなくとも良い。世間一般に信じられている認識を覆すには、よっぽどのことがなければ無理だ」
高らかに笑うおじさんをじっとりとした目で見つめる。この人、俺たちを怖がらせて楽しんでるな。
「それで、お前たちの疑問は解決したか?」
その口調はどことなく優しくて、俺たちは同時に頷いた。
「はい」
おじさんは、あくまで本に書かれていたお話と銘打って、父と母の本当の過去を教えてくれたんだ。
俺は勘違いしていた。母は、父に死んだ人間を重ねているんじゃなくて、過去も含めた父の全てを愛しているんだ。だから父もそれを受け入れているんだ。
幼い頃、母がギルモア将軍のことを優しい人だと笑って評した理由も分かった。まさかそのギルモア将軍がすぐ近くにいるなんて、思いもよらなかったけど。
──いや、まだ1つ疑問があるんだった。
「おじさん、ギルモア将軍の誕生日って分かりますか」
「誕生日か。確かどこかに記録があると思うが……」
おじさんはソファから立ち上がって、リビングの隅にある本棚を漁り始めた。
「これだな。誕生日は──」
告げられた日付に、俺たちは顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「父さん」
夜、リビングで寛ぐ父に声をかける。弟と2人で父の目の前に立って、緊張した顔でじっと見つめていると、「何だ、急に改まって」と訝しげな顔を向けられた。
2人同時に、背中に隠していた包みを差し出す。綺麗な紺色の包装紙でラッピングされた2つのプレゼントに、父は困惑の色を浮かべた。
「ちょうど、1ヶ月遅れなんだけど──」
そう言えば、父の目が驚きに丸く見開かれる。
「おめでとう」
「おめでとー!」
何がとは言わない。だが、きっと意味は分かってくれる。父は、恐る恐るといった手つきで2つの包みを受け取った。
信じられないといった顔で、プレゼントと俺たちの顔を交互に見る。
「じゃ、俺たち寝るから。おやすみ」
「おやすみ〜」
呆然としたままの父を残してリビングを後にする。廊下に出ると、ちょうど風呂上がりの母とかち合った。
「あれ、2人共もう寝るのか?」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさーい」
いつもならまだリビングでうだうだしてる時間帯だからか、母は不思議そうな顔をしてリビングに向かった。
「ねえ、お父さん喜んでくれたかな」
弟の囁き声に、俺はうーんと首を傾げた。
「今は喜びより、驚きの方が大きいんじゃないか?」
20年近く、俺たち兄弟にも内緒にしていた秘密が実はバレていたと知れば、おそらく驚愕の方が勝るだろう。
「まあ感想は明日以降にでも──」
子供部屋の扉に手をかけたその時、頭のてっぺんを何かにぐわっと鷲掴みにされた。嫌な予感がして、弟と一緒に後ろを振り返る。
いつの間にか母がそこに立っていて、頭を掴んでいるのもやはり母だった。
「お前たち……ちょーっと話があるんだけど?」
それがちょっとで終わらないだろうことは、母の引き攣った笑みを見れば一目瞭然だった。
「じゃ、母さんたち出掛けてくるから、ちゃんとお昼食べるんだぞ」
「はいはい」
翌日。弟と2人、玄関に立って両親を見送る。今日から冬休みで、俺たちは学校も部活も休みだ。
母はいつもよりご機嫌で、お気に入りの青いダウンコートに身を包んでいる。
「お父さん、それどう?」
弟は靴を履く父に声をかけた。
いつものチェスターコートと、最近貰ったばかりの手袋と、昨日俺たちが渡したマフラー、つばがあるハンチング帽。
父が好むクラシカルなデザインのものを、2人で選んで買った。お気に入りのコートとも合ったファッションになっている。おかげで中坊と高校生の懐は寒くなったのだが……十何年もちゃんとお祝いできていなかったのだからと、頑張って奮発した甲斐があった。
立ち上がった父は、マフラーに手を沿わせた。
「……あたたかいな」
昨晩、緊急家族会議が開かれ、俺と弟はちゃぶ台を前に正座することになった。
両親のただならぬ雰囲気に眠気は吹き飛んでしまった。だが怒っているわけではなく、どういう経緯で俺たちが父の秘密に気づいたのか知りたいのだと母に言われ、俺は最初から話すことにした。
弟から話を聞いたこと、こっそり両親の会話を盗聴したこと、そして、ある人から話を聞いたこと。ドラコルルおじさんだとは言わなかったけど、多分2人は気づいてる。両親の過去と秘密を事細かに知っている人間なんてあの人ぐらいだ。
父はずっと暗い顔をしていた。俺が全て話した後に、ぼそりと呟くように尋ねてきた。
自分がギルモアだと知って、どう思ったのかを。
長年の疑問が解決されたと俺が言って、弟もうんうんも頷いた。
父がギルモアにそっくりなのは、そもそも本人だから。
父が昔の話をしないのも、本当の過去を隠しておきたかったから。
親戚の話をしないのは、本来の親戚はほとんど亡くなっていることや、あまり良い関係では無かったことも関係あるかもしれない。
母が父と話す時にですます口調になるのは、元々歳の離れた上司だったから。
俺たちの名前が「ギル」「モル」なのは、父の本当の名前から取ったから。
ずっと昔から不思議だったけどスッキリしたよなあ、お父さんの趣味が古いのって実際はおじいちゃん世代だからじゃ、なんて弟と喋っていると、父に再び問われた。
そういうのではなく、他に思ったことはないのかと。
俺たちは同じ方向、同じ角度に首を傾けた。
他って何だろう。何かあったっけ?
悩む俺たちに母が言った。
父さんは、父親の正体がギルモア将軍だと知って、嫌じゃなかったのかと聞きたいんだよと。
俺と弟は顔を見合わせて、それから両親の方を向いて、同時に言葉を発した。
「全然」
「父さんと母さん、夕方には帰ってくるから」
「はーい」
母は玄関の扉に手をかけ、こちらを振り向いて行った。服の中に手を突っ込んで、腹を掻きながらやる気のない返事を返す。
そりゃあ父さんと母さんはデートでルンルンだろうけどさ、俺たち学生は冬休みの課題が大量にあるんですよ。考えただけで気が滅入る。
外へ出た母に続いて、父も一歩踏み出し──しかしその場でくるりと振り返った。
俺たちの目の前でゆっくりと両手を上げる。何をするのかと思うと、やおらに髪をわしゃわしゃと撫でられた。
「……ありがとな」
父は微かな笑みを浮かべていた。
帽子のことか、マフラーのことか。
それもあるだろうけど、1番は多分。
さっと踵を返し、父は玄関の外に出て行った。
「じゃ、いってきま〜す」
母が手を振りながら扉を閉める。父も、その向こうで小さく手を上げていた。
ガチャリとドアが閉められてから、俺たちはにへらと笑いながらボサボサに乱れた髪を直した。
「似合ってますね、帽子とマフラー」
副官は白い息を吐きながら、隣を歩くギルモアに笑いかけた。今日は久しぶりのデート。自分があげた手袋と、息子たちがくれた帽子とマフラーを身につける夫はどこか嬉しそうだ。
「意外とセンスはあるようだな、あいつらは」
ギルモアはマフラーの端を持ち上げて言った。
子供たちにはずっと隠し通すつもりでいた。本当の名前も、生まれも育ちも、クーデターを起こしたことも、かつて彼らの母親とどんな出会いを果たしたかも。
副官は全て分かった上で共に人生を歩むと言ってくれたが、もし子供たちが知った時に、どんな反応をするかと考えただけで恐ろしかった。嫌悪、軽蔑、憤怒……最悪、縁を切られてもおかしくないと思った。自分を父と呼んで慕ってくれた子供たちからそんな目を向けられたら、多分耐えられないだろうとも。
子供たちは何も知らないままでいてほしかった。己が身のうちに抱えた、黒くてどろどろしたものを何も知らぬまま清い世界で生きていてほしかった。
だが彼らは知ってしまった。全てではないが、かつて己の所業を知った上でそれが父の本当の姿なのだと受け入れてくれた。「テル」ではなく「ギルモア」がこの世に生まれたことを祝福してくれた。
幼少の頃より人に誕生日を祝ってもらったことがなく、初めてプレゼントと祝いの言葉を貰ったのは「死」を迎えた後、副官と暮らし始めてからだった。それからずっと毎年、本来の誕生日は副官だけが祝ってくれる特別な日であった。まさか息子たちも祝ってくれるとは予想だにしていなかった。
まだ長男が幼い頃、子育てって想定外のことばかりですよと笑っていた副官の顔が思い出される。
「来年からはケーキ4つ買いましょうか。晩御飯の後に普通にお祝いしましょう」
副官の言葉にギルモアは皮肉な笑みを浮かべた。
「そうだな……流石に、夜中に甘いものを食べるのはキツくなってきたところだ」
「今年はケーキの代わりってことで、2人にスイーツでも買って帰りますか?」
「スイーツより焼肉の方が喜びそうではないか?」
「あは、確かに!」
副官はにぱっと明るい笑顔を見せた。今もぐんぐん背丈が伸びる食べ盛りの2人なら、甘いものより肉の方がきっと嬉しいだろう。
「じゃあ、明日のお昼は焼肉にしましょうか……あ、見えた! あの店です!」
副官は遠くの飲食店を指差した。こじんまりとした定食屋だが、とても美味しいと評判だと部下から教えてもらったらしい。
彼はいつも仕事で忙しい。かつてクーデターに協力した罪を償うという目的もあるが、そもそも情報機関のナンバーツーであるだけでも相当多忙なのだ。
そんな彼が、貴重な休みの日に自分と2人きりの時間を作ってくれたことが、ギルモアは何よりも嬉しかった。
自分がクーデターを起こさなければ、副官は罪を犯すこともなく、ここまで仕事詰めの日々を送らずとも済んだだろう。しかしもし、あの時に反乱を起こさなければ彼と出会わなかっただろうし、一緒に家庭を持つこともなかったに違いない。
過去に酷い目に遭わせてしまったことも含めた負い目と、それでもなお共にいることを選んでくれた感謝と、他の誰にも渡したくないという独占欲。
信号が変わるのを待つギルモアは、そっと副官の手に触れた。お互い手袋をはめているから体温は感じ取れないが、がっしりとした副官の掌をそっと撫でるように触った。
すると、副官の手の指が閉じられ、ギルモアの手は捕えられてしまった。手を離そうにもがっしり捕まえられた手は抜け出せず、思わず伴侶の顔を見つめる。
こちらを向いて嬉しそうに目を細めて笑った副官は、信号が青に変わると前を向いて歩き出した。
「お、おい」
ギルモアは手を引かれ横断歩道に足を踏み出す。人前でこんな手を繋いで歩いたことがなく、恥ずかしさで触覚が赤らむ。
「良いじゃないですか、たまには」
機嫌良さそうな返事に、ギルモアはムウと口をつぐんだ。丁寧口調は相変わらずだが、結婚当初と比べれば遠慮の無くなってきた副官の隣を黙って歩く。
体が熱くてたまらないのは、帽子とマフラーと手袋のせいだ。
そんな風に心の中で八つ当たりしながら、ギルモアは緩んだ口元をマフラーで覆い隠した。(終)