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    ふすまこんぶ

    @Konbu_68
    ワンクッションイラスト/小説置き場

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    ふすまこんぶ

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    旦那氏×将軍
    将軍の体が何者かと入れ替わってしまったお話

    ギルモアの長い一日ギルモアは、執務室の窓からピリポリスの街並みを見下ろした。ピシアが破壊した建物はすっかり元通りに、朝日を浴びて静かに輝いている。
    革命が失敗し、一時は捕えられたものの、大統領からピリカ復興のために働くよう命じられ散々にこき使われる日々だ。碌に家にも帰れやしない。また今日もピシア本部で朝を迎えてしまった。
    ……分かっている。反乱を起こし大統領を処刑しようとしたワシに対して、甘すぎる罰だということも。もし怪しい素振りを見せでもしたらその時は容赦しないと、治安大臣に強く言い含められた。しかしこうも自宅に帰れない日が続くと、精神的にも疲弊するのは確かだ。夫の顔を見て、夫の手料理を食べて、風呂に入って、夫と共にベッドで眠る。そんな何てことのない日常が、今はひどく恋しい。
    今日こそ帰りたいものだ、と窓に背を向けたその時。
    背中から羽交締めにされる感覚、次いで口元に何かが押し当てられる感触がした。途端にぐらりと世界が揺れる。
    必死に脳を働かせようと、体を動かそうとしても思い通りにならない。まるで糸を失った吊り人形のように、体が落ちてゆく。ただ、これが異常事態であること、何者かに襲撃されている可能性が高いことだけは分かった。
    しかし相手の顔も、正体も、目的も、何も分からない。ギルモアの意識は、そのまま深い闇の底へと落ちて行った。



    次に意識が浮上した時、硬い物体の上に座っている感触がした。椅子か何かに座らされているのだろうか。腕は後ろ手に回されたまま固定されているのか、びくともしない。
    やおらに目を開けると、目の前にいたのは。
    「起きたか」
    ドラコルルであった。その他にも隊員が数名、己をぐるりと取り囲んでいる。気を失っている間に、狭く殺風景な部屋に連れてこられたようだ。まるで尋問室のようだと思った。
    「まずは名前、出身の星、国および地域を言え」
    高圧的な態度の部下を、ギルモアはキッと睨みつけた。
    貴様、誰に向かって物を言っている! この拘束を外さんか!
    そう叫ぼうとしたが、口が上手く動かせない。まるで口が3倍の大きさになってしまったような不思議な感覚だ。しかも穴の空いたタイヤのように、空気の漏れ出るような声しか出せなかった。
    「ァ……グゥ……」
    おかしい。まるで、自分の体が自分でなくなってしまったかのようだ。
    「話せないのか? 喉に異常があるようには見えないが?」
    ドラコルルが訝しげにこちらを見やってから、近くにいた隊員に何か話しかけた。隊員は部屋を出たがすぐにトレーを手に戻って来た。その上にはゼリー状の球体が乗せられている。翻訳ゼリーだ。
    何故そんなものを、思ったのも束の間、ゼリーを掴み上げた隊員はその手をこちらの口の中に突っ込んできた。すぐに手は引っ込められたが、口の中に甘い翻訳ゼリーだけが残った。
    ひとまず咀嚼し、飲み込む。どうしてこのような状況に陥っているのかさっぱりだ。
    またしても、圧のある声で尋ねられる。
    「ではもう一度聞く。名前、出身、それから将軍を狙う目的は」
    何を言っておる。将軍はこのワシだろうが。何故こんな目に遭わねばならんのだ。早く拘束を解け!
    「…ッア……ェヤァ、ゥウ!」
    口から出るのは相変わらず呻き声ばかり。ドラコルルは長いため息をつくと、立ったままこちらを見下ろした。
    「……私はここで失礼させてもらう。だが、早く吐いた方が身のためだぞ」
    忠誠の欠片も感じられない、凍えそうな程冷たい眼差しをくれてから、ドラコルルは踵を返し、部下と共に部屋を出て行った。
    一体どういうことなのだ、この状況は。
    いよいよ部下に反乱を起こされたか。それにしてはドラコルルの言動の意味が読めない。
    疑問は尽きないが、このままという訳にはいくまい。
    ギルモアは後ろ手に固定された腕を引き抜こうと力を込めたが、どうにも動かせない。実に固く縛められているようだ。ぬぐぐぐ、と体を捩りながら腕を引っ張っても結果は変わらず。
    天井を仰いでため息をつくと、ずろりと腕が溶けるような感覚がした。皮膚どころか中の筋肉や骨さえも流動したような、気味の悪い心地に吐き気すら覚える。反射的に上体を捻ると──あれ程びくともしなかった腕が、するりと抜けたのだった。
    バランスを崩し前のめりに倒れる。咄嗟に手はついたものの腕と膝は強かに打ちつけてしまった。痛みに顔を顰め、起き上がったギルモアは自らの手を見下ろしそして、驚きに目を見張った。
    目に映ったのは青錆色の、触手が何本も絡みついたような物体。2本の指を形作ってはいるものの、おおよそ手とは言い難い。
    そんな、そんな馬鹿な。
    顔に触れるが、鷲鼻も、皺だらけの頬も、触覚も、あるはずのものはそこにはなかった。口周りは、小さな触手が伸びきった髭のように覆っていた。いやにツルツルとした皮膚の感触にだらりと腕を投げ出す。
    あの時、何者かに襲撃されたはずだ。その犯人が、何をしたかは不明だが、間違いなく己の体に何か細工を加えたのだ。
    それならば部下の態度にも納得がいく。見た目が変わってしまった己を、侵入者だと思ったのだろう。
    こんなところでじっとしている場合ではない。一刻も早く犯人を探し出し、体を元に戻さねば。
    立ち上がったギルモアの目に、先程まで座っていた椅子が目に入る。見れば、椅子の背中側に枷状の拘束具が取り付けられていたが、その拘束具はロック状態となっていた。つまり、拘束が解除されていないにもかかわらずギルモアは抜け出すことができたということだ。
    ギルモアは手を見やった。虫のように蠢く触手に嫌悪を感じるが、指先(と自分が感じる部位)の力を抜くと、そこがどろりと融解した。力を込めると、指先はまた触手の形を取り戻す。
    部屋の奥、床にほど近い壁際に排気口を発見したギルモアの頭に、とある案が浮かんだ。



    どろどろ。ぐちゅぐちゅ。
    ギルモアは体の全てを意図的に液体化させ、排気口の中を這いずり回っていた。
    肌が泡立つような感覚と、自らの体が放つ気色の悪い音には慣れそうにない。だがこれぐらいは我慢せねば。
    スピードこそ鈍いものの、誰にもバレずに済むというのはありがたい。ギルモアは時間をかけ、ついに目的地へと辿り着いた。
    廊下の天井部にある排気口からどろりと垂れ落ち、扉の隙間から執務室へ入る。
    やっと着いた。安堵と共に体を固形へ再構築する。足を、腹を、腕を、頭を形づくり、最後に目を開けると。
    「おや、思ったよりお早いお帰りで」
    執務机の椅子に座っていたのは、紛れもなく「ギルモア」であった。
    特徴的な鷲鼻に、皺だらけの頬、鋭い目つき。どこからどう見ても「ギルモア」としか言いようがない存在が、そこに鎮座していた。
    「意外だなあ、もうその体を使いこなせるようになるなんて」
    「ギルモア」は微笑みをたたえたまま、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
    「私でもその体を使いこなすには時間がかかったというのに。ああでも、尋問の時は碌に喋れなかったんだろう? その生物の喉の作りは特殊でね。簡単な身体構造のピリカ人には難しいはずさ」
    「ギルモア」の形をした何かは、一歩ずつギルモアに近づいた。
    「翻訳ゼリーはあくまで言葉を翻訳するだけの道具。言葉すら満足に出せない場合は意味をなさない。ゼリーは赤ん坊の言葉を解釈できない……私の予想通りだ」
    目の前で「それ」はぴたりと停止した。
    「何がどうなっているのか分からないだろう。だが私は分かるとも。君の名前、年齢、誕生日、出身地、職業、家族構成、それから君の思考理論や口癖でさえも」
    体が動かない。「ギルモアの皮を被った何か」は愉快そうに笑って言葉を続けた。
    「しかも一度クーデターを起こしたそうじゃないか。いやあ、もう少し早くこの星に来ていれば見れたのに残念だ」
    何を言っている、お前は誰だ。そう心の中で思ったのが届いたのか、「ギルモア」は愉悦の笑みを浮かべて言った。
    「聞いたことはないか? 実体を持たない精神生命体、体渡りの一族……まあ、君が知っていようが知っていまいが今更どうってことはない。こんな僻地にまで警察の手は伸びないことだし……君の体も、名前も、人生も、これからは私が有り難く受け継がせてもらうよ」
    胸に手を当て、紳士的に微笑む「ギルモア」の胸元から電子音が鳴った。私用の携帯端末にメッセージが届いたらしい。
    「おっと、ダンダからだ」
    画面を確認した「ギルモア」は、まるで古くからの知り合いからのように差し出し主の名を呼んだ。
    「ふむ、いつもお仕事お疲れ様、今日は帰って来れるのかと……そうだな、最近は忙しかったが……今日ぐらい定時刻に帰るか」
    「ギルモア」の口調は次第に、年齢の読めない飄々としたものから気難しい老人のそれに変わっていく。「ギルモア」は仕事用端末を取り出し、何やら操作をすると端末に向かって声を荒げた。
    「長官! 捕虜が逃げとるぞ! ワシの部屋だ! とっとと捕まえろ!」
    その叫びに呼応するかのように、廊下からドタドタと大勢の足音が聞こえ始めた。すぐに勢いよく扉が開かれ、室内に隊員が駆け込む。統制された動きでぐるりと侵入者を取り囲んだ隊員たちは、その中央に向かって銃を構えた。
    「……申し訳ありません、ギルモア将軍。ただちに捕えます」
    最後に部屋に入ってきたのはドラコルルだった。
    「手を上げろ。大人しく降参すれば危害は加えない」
    銃口が向けられる。訳の分からない状況に置かれ止まっていた思考の歯車が、ようやく動き出した。
    体に何か細工をされたのではない。にわかには信じがたい、信じがたいことだが──精神を入れ替えられたのだ。下手人の精神は己の体の中へ、己の精神は下手人の体の中へ。そして、下手人はすっかり己に成りすまし、人生すらも乗っ取ろうとしている。
    そして、こちらにそれを証明する手立ては何ひとつない。
    動かない侵入者の肩を、隊員の1人が掴む。その途端に、青錆色の腕がどろりと溶けた。
    「ヒャアッ!?」
    咄嗟に手を引っ込めた隊員が叫ぶ。文字通り液体と化した侵入者は、隊員たちの足の間を縫って走り、閉じられた扉の隙間から部屋の外へ飛び出した。
    「捕まえろ!」
    ドラコルルが叫ぶ。隊員が急いで扉を開けるものの、廊下には人っこ1人、ネズミ1匹見当たらなかった。

    ひたすらに逃げて、逃げて、逃げた。逃げた先でどうするかは考えていない。ただ、捕まったら終わりだ。奴が本当に我が人生を乗っ取るというのならば、邪魔者であるこちらを生かしておくはずがない。
    隊員たちの監視の目を掻い潜り、排水溝を伝ってピシア本部から外へ。空はいつの間にやら明るい夕焼け色に染まっていた。非常線を張るよう命令が下されたのか、ピシアと警察が本部一帯を封鎖しようとしていた。マンホールの隙間から地下水路へずるりと入り込み、人が歩けるよう舗装された道の上に着地する。再び体を人型へと再構築すると、壁にピシアや己への悪態を連ねた悪口の落書きが目に入ったが、今はそんなことに憤慨する気力もない。
    壁に寄りかかり、ずるずると腰を落としたその時、遠くから大人数が歩く音がした。ハッと立ち上がり、慌てて反対方向へ駆け出す。体を液体化させて、壁に埋め込まれた排水溝の中に飛び込む。万が一見つけられてもただの排水だと思ってもらえるように、できるだけ平らに体を伸ばす。
    カツカツ。2人分の足音は目前まで迫っていた。排水溝の位置は高く、横を通り過ぎる2人のピシア兵の顔が見えた──と思うと、こちら側を歩く兵士がぐるりと排水溝の中に顔を向けた。
    液体化されたはずの心臓がどくりと跳ね上がる。兵士はじっと、蟻を見つけた子供のようにこちらを見ている。サングラスの奥で、瞬きひとつしない、底知れない闇を思わせるような眼差しに、悲鳴を上げて逃げ出したくなった。
    もう1人の兵士が「どうした?」と声をかける。じっとギルモアを見つめる目がぱちりと瞬いた。得体の知れない雰囲気を纏っていた男が、一瞬でありふれた青年のそれに変化した。
    「いや、何でもない」
    2人はそのまま歩き出した。足音が消えてから、ギルモアはずるりと排水溝から抜け出た。
    何だ、あの兵士は。
    どう見ても一介の兵士ではなかった。軍で、政界で、化け物と揶揄される人間と渡り合ったことのある己ですら恐怖を覚えた。
    だが今はそんなことを考えていたって仕方がない。地下水路を歩き、足音から身を隠す。そんなことを繰り返し、時折マンホールの蓋を持ち上げ、外の様子を伺う。5回目に外を見た時には、もう夜であった。よいしょと身を乗り出し、外の冷たい地面を踏み締める。風がそよぎ、口元の触手がゆらゆらと揺れる。
    周りは住宅街だ。人気はないが、家々に灯りが灯されている。己も、こんな姿に成り果てていなければ、今頃夫の待つ家へと帰れたはずなのだ。
    あの偽物は、今日は家へ帰ると言っていた。偽物と2人きりになった夫が、果たして無事でいられるか?
    奴は完全に己に成り代わろうとしていた。穏便に入れ替わるつもりなら夫に危害を加えたりはしないだろう。だが万一、夫を邪魔者と感じ排しようとしたら。
    それだけは防がねばならない。例え、本物のギルモアがこちらだと彼が分かってくれなくとも。
    何もかもを失った胸の内に、ひとつの炎が宿った。



    自宅の周囲で何人ものピシア兵が警備をしていた。ギルモアは液状化し夜の闇に紛れた。兵が通り過ぎてすぐ、するりと家の塀にへばりつき、液体のままよじ登る。庭に降り立ち、玄関扉の隙間から家の中へ入り込んだ。
    そっとリビングの扉の前で聞き耳を立てる。中からは人の歓談する声が聞こえた。楽しそうに夫が喋る声と、「ギルモア」の静かな相槌だ。やはり偽物は家に帰って来たようだ。捕虜の捕獲はおそらくドラコルルに任せたのだろう。団欒が終わったところで、偽のギルモアは風呂へ向かった。扉の隙間からリビングへ入ると、キッチンでは鼻歌を歌いながら夫が皿洗いをしていた。そろそろと夫の足元に近づき、彼の背後に辿り着いたところで体を人の形に固形化させる。その音と気配で気付いたのか、夫は勢い良く後ろを振り向いた。
    「ひゃっ──!」
    悲鳴を上げかけた夫の口を右手で塞ぐ。そのまま夫を抱え上げ、リビングの窓を開けて外に飛び出す。塀を飛び越えるだけの身体能力があったため、幸い警備のピシア兵に気付かれずに済んだ。
    一目散に暗い住宅街を駆け、ピシア兵を撒く。ひたすらに走ると、広い公園に辿り着いた。
    ブランコの座面に抱えていた夫を下ろす。月明かりに照らされた夫の顔は、すっかり怯え切った子供のようだった。彼からすれば、得体の知れない化物に拉致されたようなものだ、それは仕方ない。
    ギルモアはカタカタ震える夫に手を伸ばし、ぎゅうと抱きしめた。夫が無事で良かった。あの偽物に危害を加えられていなくて本当に良かった。
    腕を緩め、呆然とする夫を見つめる。あの家は偽物がいる以上危険だ。かと言って他に安全な場所もない。子供たちの家も偽物は把握しているだろうし、その子供たちや孫たちも始末されないとは限らない。
    これからどうするか──考えたその時、遠くから人の足音と車の走行音が聞こえた。もう嗅ぎつかれたらしい。顔を顰め、夫を横抱きに抱え上げ、早急に公園を出る。
    不規則に進行方向を変え、夜のピリカを駆ける。時々立ち止まって休息を取り、夫をしっかりと抱き直してはまた走る。もう時刻は真夜中だろうか。静まり返った街並みを進んでいると、開けた場所に出た。ピリポリスの噴水広場だ。
    夫を下ろし、その手を握りしめる。噴水まで手を引き、空いている方の手を噴水の中に突っ込んだ。硬い手触りを感じ手を引き揚げる。触手の手の中に丸いコインが握られていた。そうしてコインを何枚も集めたギルモアは、広場の端にある真新しい自動販売機の前に夫を連れて来た。投入口にコインを押し込み(触手の手では何とも難しいのだが)、夫の好む茶の入ったボトルを購入した。ずい、と夫の胸にボトルを押し付ける。
    「……僕に?」
    ギルモアが頷けば、夫は恐る恐るボトルを手に取った。蓋を開けてこくこくと茶を飲み、ふうと息を吐く。少し落ち着いて来たのか、彼はじっとギルモアを見つめて口を開いた。
    「あなたは誰? どうして僕を外に連れ出したんですか?」
    ワシこそが本物のギルモアだと言えたら、ワシの姿をしたあの男の中身は別人だと言えたらどれだけ良かっただろう。哀しげな顔をして、ギルモアは触手の拳を作って固く握りしめた。
    「ピリカの外の人、ですよね?」
    「……」
    ギルモアは首を横に振った。夫は続けて問いかけた。
    「……僕のこと、知っているんですか?」
    ギルモアはこくりと頷いた。若い頃に彼と見合いで出会い、結婚し、共に子供を育ててきたのだ。好物も、嫌いなものも、笑った時の顔も、怒った時の顔も何でも知っている。彼がしてくれるキスは、優しくて、でもちょっぴり強引で、とても甘いことだってよく知っている。
    「……ねえ、君って──」
    夫が何かを言いかけたその時、ギルモアの腹部に凄まじい激痛が走った。
    「ギャアッ!」
    痛みのあまり立っていられなくなる。ばたりとその場に倒れ込んだ。
    「ど、どうしたの!?」
    夫の声と共に、背中を揺さぶられる感覚がした。だがそれ以上に、腹部が焼けるように痛い。何かがどくどくと流れ出しているような気がする。
    「ダンダ!」
    広場に声が響き渡る。
    「ダンダ、大丈夫か、怪我はないか!」
    ドタドタと何者かが走ってくる音がする。ギルモアは起きあがろうとしたが、腹部の痛みのせいで体に力が入らない。頭を持ち上げるだけで精一杯だった。
    「ようやく捕まえたぞ、散々ワシを手こずらせおって……ダンダ、其奴から離れろ」
    力を振り絞って見上げると、「ギルモア」が小銃をこちらに向けて見下ろしていた。
    「念のために銃を借りておいて助かった。貴様、ワシの夫を攫うとは良い度胸だな」
    「ギルモア」が夫を後ろに庇って立ちはだかる。と、遠くから大勢の足音が聞こえた。
    「ギルモア将軍! お怪我は──」
    兵士たちを率いてやって来たのはドラコルルだった。ギルモアの周囲をぐるりと兵士が取り囲む。
    「遅い! もうワシが仕留めたぞ。さっさと連行しろ」
    「仕留めた……?」
    ドラコルルの目線が下に向けられる。激痛に息も絶え絶えなギルモアの腹部から、どくどくと緑色の液体が流れ出していた。
    ドラコルルの眉間に、僅かに皺が寄った。
    「其奴は腹を撃たれたぐらいでは死なん。早く連行しろ!」
    偽のギルモアが苛立ちの声を上げる。周囲に指図するように手を振った直後、その場に響く声があった。
    「待って!」
    ハッと一同が声の主、ダンダを見やった。彼は周囲には目もくれず、真っ直ぐにギルモアに近づく。
    「お待ちください! 奴に近づいては──」
    行手を阻むドラコルル。老人はその耳元に一言二言、何か囁いた。その言葉を聞いて、ドラコルルが老人の顔をまじまじと見つめる。サングラスの奥に疑念の目つきを残しながらも、彼はゆっくりと身を引いた。
    兵士たちは困惑した表情でお互いの顔を見合わせた。ダンダ氏はギルモア将軍の夫であるとはいえ一般人。外星からピリカに侵入し、将軍を襲撃しダンダ氏を誘拐した犯人に近づけて良いのか?
    ドラコルル長官が何も言わないのならと、兵士たちもただ事の成り行きを見守った。外星人に向けていた銃口も下に降ろす。
    ギルモアはぐったりと地面に横たわっていた。夫がこちらに歩み寄って来る音は感じ取れたが、顔を動かせる程の気力はない。ピシアに、偽の己に捕まった。もう逃げられない。夫と引き離され二度と会えなくなるだろう。彼と積み重ねてきた思い出も何もかも、偽物に乗っ取られてしまうのだ。
    夫の足音が目の前でぴたりと止まる。頭上からかけられた声は、優しく、それでいて悲しそうな色をしていた。
    「ギルモアくん?」
    ギルモアは目を見開いた。腹の痛みをおし、ゆっくりと顔を上げる。見ると、地面にしゃがみ込んだ夫が、悲痛な顔をしてこちらを覗き込んでいた。
    それは、ワシに言っているのか。
    力を振り絞り、震える手を伸ばすと、しっかりと夫に握られた。
    「……ア、ウ……ダ……」
    まだ上手く口を動かせない。でも、どうしても言葉にしたいことがある。
    「ダ、ゥ、ダ」
    やはり明瞭な単語にはできない。だが夫は嬉しそうな、哀しそうな微笑みを浮かべて「うん」と頷いた。
    ギルモアは息を呑んだ。目頭が熱くなり、夫の顔が涙で揺らぐ。
    何故気づいたのか、どこで気づいたのかは分からない。ただ、彼は、本当のギルモアが誰か、分かってくれたのだ。
    「どけ!」
    離れたところで誰かが喚いた。ギルモアの目に、小銃を持った偽ギルモアがこちらに駆け寄ってくるのが見てとれた。その銃口はこちら、否、夫の方に向いていた。
    その瞬間、湧き起こった強い衝動のままに体が動いた。痛みが消え、世界の全てがスローに、そして澄み切って見えた。上体を起こし、立ち上がり、偽の自分に向かって走り出す。頭が思考するより先に腕が動き、偽物の胸元を掴んだ。
    「デエエエエエエエエイ!!!!」
    若い頃から何度も、数え切れない程反復した動作。軍のカリキュラムにあった体技の訓練で繰り返した通り、相手を背負い、そして地面に叩きつける。
    相手は潰れた蛙のような声を上げたが、すぐに小銃を持ち直しこちらに銃口を向けた。咄嗟に飛び退くと、頭のあった位置をガンビームが通り過ぎた。顔を顰めながら立ち上がった偽物に体当たりし、落ちた小銃を遠くに蹴り飛ばす。偽物は唸り声を上げるとこちらに殴りかかってきた。格闘の心得があるようで、明らかに手慣れた玄人の動きで攻撃や回避、防御を行う。繰り出される拳も勢いと威力もある。負けじと拳を突き出し、本来は自分のものだった体をひたすらに殴る。将軍が襲われているにもかかわらずピシア兵が誰も止めに来ないが、それを疑問に思う暇もなかった。頬を殴られ、負けじと腹にパンチを見舞い、お返しにと反対側の頬を打たれる。
    負けられない。負けるものか。しかし慣れない体故か、一日中逃走していた疲れがでてきたのか、一瞬ふらついた隙をつかれギルモアの右頬に偽物の拳がヒットした。
    その勢いのままに、青銅色の体が地面に倒れ込む。その上に偽のギルモアが馬乗りになり、勝ち誇ったようにギルモアを見下ろした。首を片手で絞められ、ギルモアは苦しげな呻き声を発した。
    「やめろ!」
    細身の老人はそう叫んで走り出した。偽の妻を後ろから羽交締めにし、本当の妻から引き離そうとするが、体格と筋力の差故に偽ギルモアはびくともしない。
    「お前は引っ込んでろ!」
    偽物は腕を振り回し、背後の老人を振り飛ばした。後ろに尻餅をついた老人の背後から、闇に紛れて人影が飛び出す。
    「そこまでだ!」
    ネイビーブルーの軍服を纏ったその人物は、自身の上官の姿をした老人の腕を捻り上げた。
    「長官、何の真似だ」
    偽のギルモアは怒りの込もった目線を部下に向けた。
    「あなたは……いえ、お前は、ギルモア将軍ではないな」
    軍服の男、ドラコルルは静かにそう告げた。
    「何を馬鹿なことを」
    老人はせせら笑った。その笑い方はどう見ても本物のギルモアそのものだったが、ドラコルルは険しい顔つきのまま、言葉を続けた。
    「咄嗟の行動にこそ、その人間の本質が現れる……お前の行動は、私の知るギルモア将軍のものとは違う」
    「本質だと? そんな曖昧な、証拠にもならぬもので人を偽物扱いするのか?」
    老人は腕を締め上げられた体勢のまま、周囲に向かって声を張り上げた。
    「おい! 長官を捕えろ! 上官への暴行は軍規違反だぞ!」
    兵士たちは互いの顔を見合わせた。ギルモア将軍とドラコルル長官、どちらの言葉が正しいのか。ドラコルルを信頼してはいても、目の前のギルモア将軍が偽物であるという言葉を信じきれずに躊躇っていた。
    そんな群衆の中から、ひとりだけ前に進み出たものがいた。
    「お見事」
    上官2人を目の前にして、緑の軍服を纏った隊員はそう言った。
    「しかしもう一声、偽物だと判断した根拠が欲しいところだ……ドラコルル長官は、どの部分が本物と違うと思いましたか?」
    部下の飄々とした態度に驚きつつも、ドラコルルはこたえた。
    「……あちらの外星人の、投げの型が……私がまだ新兵の頃に訓練で見た、将軍の投げの型と同じだった」
    「なるほど! ではあなたはどうですか?」
    本物のギルモアの傍に寄り添っていたダンダに向かい、兵士は尋ねた。
    「……手を握られる感覚と、抱きしめられる感覚、それから細かい動作に……妻の面影が見えました。偽物の彼には感じられませんでしたから、こちらが本物だと……」
    老人の瞳が、本物のギルモアを捉える。
    と、ドラコルルは訝しげに目を細めた。
    「お前は何者だ」
    兵士はにこりと微笑む。この緊迫した現場に似つかわしくない、爽やかな表情だった。
    「勿論あなたの部下ですよ……この体はね」
    最後の言葉が放たれた直後、偽のギルモアはドラコルルの拘束を振り払い、兵士に向かって駆け出した。しかし相手に辿り着く途中で、偽物は突然、糸を失った吊り人形のようにばたりと崩れ落ちる。
    兵士の手元には見慣れぬ、銃のような道具があった。
    「申し遅れました。わたくし、星間同盟から派遣された捜査官の──と申します」
    不可思議なリズムを伴った、メロディのような何かを名前として名乗った彼は、瞳の奥に底知れぬ闇と虚無をたたえ微笑んだのだった。



    瞼を開ける。すぐ目の前に、こちらを心配そうに覗き込む老人の顔があった。
    「ギルモアくん?」
    そう声をかけられ、思わず手を伸ばす。老人の頬に触れ、そうっと撫でると、相手は安心したように微笑んだ。
    「良かった……元の体に戻れたんだね」
    「ああ」
    ゆっくりと身を起こす。両手を見れば、見慣れたいつもの自分の形になっていた。握って、開いて。確かに意思のままに動く、自分の体だ。隣に目を向けると、今日一日、自分が動かしていたあの体が横たわっていた。両手には手錠のような装置をつけられているが、気を失ったままだった。
    「体に違和感があるかもしれませんが、しばらく経てば落ち着きますのでご安心ください」
    横からひょいと現れた、捜査官と名乗った兵士に話しかけられる。
    「ギルモア将軍! お身体の具合はどうですか?」
    その反対側からドラコルルに声をかけられた。
    「何ともない」
    捜査官が唱えた謎の言語のようなものを聞いているうちに、いつの間にか元の体に戻っていた。少々腰が痛むが、それ以外に違和感はない。     
    「もう少しすれば星間同盟の宇宙船がこちらに来るので、それまで皆さんお待ちいただきたく思います」
    「その、星間同盟というのは何だ?」
    ドラコルルの問いに、兵士はきょとんとした表情を浮かべた。
    「ああ失礼、確かにピリカのような辺境で知られていないのも無理はないですね」
    一同が不思議そうに見つめる中、兵士は語り始めた。
    「宇宙の秩序を守るため、星々が集まり形成された連合組織です。私は宇宙犯罪者を追う、捜査官に任命されているのです。捜査のため、この体の持ち主にお願いして体を借りております」
    ギルモアは腕組みをして言った。
    「つまり宇宙の警察というわけか」
    「その通りです」
    「体を借りている……ということは、お前も奴と似たような力を持っているということか?」
    ドラコルルが尋ねた。
    「ええ、系統の近い種族ですので」
    そこでギルモアが呟いた。
    「体渡りの一族……」
    「おや、ご存知でしたか」
    兵士は意外そうに眉を上げた。
    「あいつがそう名乗っていた」
    途端に、兵士の顔が不愉快そうに歪められた。
    「それは聞き捨てなりませんね。体渡りの一族の名を騙るとは……我々は他者の体に一時的に滞在し、持ち主の意識と同居しつつ体の支配権を融通してもらいます。しかし、あいつは精神を入れ替えることしかできない、いわゆる体奪いの一族です。全く、罪状に書き加えねばなりませんね……おっと、宇宙船が来ました」
    兵士は空を仰いだ。一同も倣って顔を上げるが、夜空は静かに星をたたえるばかりであった。
    宇宙船? どこに?
    不思議に思った皆が互いの顔を見合わせたその時、空に眩い閃光が迸った。すぐに光は止み、目の前には空を覆い尽くす程巨大な、左右に翼のある楕円型の飛行物体が浮かんでいた。あちこちに設置されたランプが星のように瞬いている。
    あっけに取られた一同を見下ろし、兵士は爽やかな笑顔で言った。
    「少しばかり事情聴取を行いますので、皆様どうぞ中へ!」



    クラゲのような見た目の星間同盟捜査官から事情聴取を受け、さらに体の検査も受けと、ギルモアが解放されたのはもう日付を超えた頃であった。
    クタクタになった体で帰宅し、風呂に入る気力もなくそのままベッドに寝落ちた。
    そして朝。目を覚ますと目の前にいたのは。
    「……ダンダ」
    すやすやと眠る夫の顔。枕元の目覚まし時計を確認すると、もう朝だった。布団から這い出、上体を起こす。夫の方を見ると、彼も昨日の服のまま眠ってしまったようだった。
    昨日は慌ただしい一日だった。朝から晩までピリカの街を逃げ回った。命の危機もあった。もしあの時、夫が、外星人の体の中に己の精神が入っていると見抜いてくれなければ、こうして我が家に帰って来ることもできなかっただろう。
    もぞもぞと布団の中で動いているとと、夫の瞼が開かれた。眠そうに二、三度瞬いた彼は、妻の顔を見つけると安心したように微笑んだ。
    「おはよう」
    「……おはよう」
    挨拶を返す。こうやって、朝に顔を合わせるのはいつぶりだろうか。
    夫に身を寄せる。その体を腕で抱きしめた。
    「ふふ、どうしたの」
    夫は優しい眼差しをしていた。
    「……別に。少しぐらい良いだろう」
    久方ぶりの、我が夫を堪能するくらいは。
    続きの言葉は言わなかったが、きっと夫には丸わかりなのだろう。柔らかな笑みと共に、しっかりと抱き返された。



    「君もご苦労だったね、ドラコルル長官」
    徹夜で報告書を書いたドラコルルは、朝一で大統領の元へ向かった。
    「本当に大変だったのは、ギルモア将軍……そして、ご夫君でしょう」
    将軍の連絡を受け、執務室に侵入した外星人を捕えたつもりだったが、実は体を入れ替えられたギルモア将軍その人であった。ドラコルルはギルモアに平謝りしたが、珍しくギルモアは激怒しなかった。「別に構わん」と言葉をかけられたのだった。
    大統領は遠くを見つめるような目で言った。
    「それにしても、星間同盟なんて組織があるとはね」
    星間同盟の宇宙船はピリカ星を去ったが、そのうち正式に使者を派遣するとのことだった。その対応は勿論、大統領がすることになるだろう。
    ドラコルルは疲れた顔で告げた。
    「……ピシアの兵士の体を借りたことに対して、捜査官から謝礼をしたいとの申し出もありました」
    飄々としつつ、どこか得体の知れない雰囲気を纏っていたあの「捜査官」は、別れの時になると突然、驚いたような顔をして「えっ、あっ! 元に戻った!?」と喚いていた。本人曰く、捜査官には、ちゃんとピシアに出勤することを条件に体を貸しており、彼が体の主導権を握っている間は夢を見ているような感覚だったと説明した。
    今回の事件のことで、星間同盟と関わりを持った。この付き合いはもしかしたら、今後も続いていくのかもしれない。
    「ところで、ドラコルルは入れ替わりに気づいたんだろう? よく分かったね」
    「ああ、それは……」
    少年の言葉に何かを言いかけ、しかし言い淀んだドラコルルだったが、少し困ったように笑みを浮かべた。
    「偽の将軍が、夜で目の効かない時間帯に、小銃で本物の将軍を撃ったと言ったのに違和感を覚えまして」
    一瞬の間があってから、パピもふふっと笑みを零す。
    「……なるほどね」
    彼の銃の腕はよく知っている。怒りに任せて撃ったとはいえ、その照準の精度は、お世辞にも上手いとは言い難いことも。
    そんな彼が、果たして、伴侶を拐われたという一大事に、冷静に相手を撃ち抜くことができるのだろうか。
    きっと将軍に言えば怒り出すか、機嫌を損ねるに違いない。2人はお互いの顔を見合わせ、肩をすくめて微笑んだ。(終)
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