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    ふすまこんぶ

    @Konbu_68
    ワンクッションイラスト/小説置き場

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    ふすまこんぶ

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    旦那氏×将軍、旦那氏が子供になっちゃった話

    愛しのchild朝起きてすぐ、右隣で眠る夫の後頭部が見えた。枕元の目覚まし時計を見れば午前8時。明日は休みだからと、昨晩夫と戯れ過ぎたか。
    鈍い痛みを訴えてくる腰を庇いながら上体を起こす。そのまま右の方に目線を向けて夫を見下ろした、はずだった。
    「……ダンダ?」
    隣で眠っていたのは夫ではなく子供だった。年は10か11かそこらだろうか。だが子供が着ている服は、間違いなく夫が昨日の夜に纏っていた緑色の寝巻きだ。
    思わず漏らした声で目が覚めたのか、子供の目がゆっくりと開かれた。どこかで見たような色合いの、色素の薄い瞳がこちらを捉える。
    その目をまん丸に見開いてすぐ、子供はベッドから飛び起き壁際まで後ずさった。
    「……え、だ、誰ですか」
    だぶだぶのパジャマから細い手首を覗かせ、自らの胸元を掴む少年は、怯えた表情で言った。声変わり前の高い声だった。
    「聞きたいのはこちらだ」
    びく、と少年が肩を震わせる。
    「貴様、何者だ。何故ここにいる。ワシの夫はどこだ」
    家のセキュリティは堅牢に組み上げているが、100%の安全など存在しない。軍の将軍職に就く己は政治的にも狙われやすい。家族が巻き添えを喰らう可能性もある。
    自宅内、それも寝室に見知らぬ他人がいるということ自体が異常事態だ。もしや目の前の少年は間者ではあるまいか、夫はどこへ連れ去られた後なのではないか。疑念が膨らむ程に地を這うような声が出る。
    逃さないようにと相手の肩を掴む。肉付きの悪い、ひょろりとした躯体。この程度なら己でも捩じ伏せられそうだ。
    「し、知りません、あなたこそ誰なんですか」
    「貴様、知らずにワシの家に侵入したというのか」
    「侵入なんかしてません!」
    少年は叫んだ。
    「目が覚めたらここにいただけで、何にも知らないんです、知らない……」
    声を震わせる少年の目は潤んでいた。ギルモアは手の力を緩めぬままに問いただす。
    「そんな訳が──」
    あるか、と言葉を続けようとして、ギルモアは押し黙った。この少年の顔つきといい、雰囲気といい、既視感があるように思ったのだ。さらりとした白い髪の毛に、僅かに青を含んだ色の薄い瞳、穏やかな気性を表したような垂れ目。
    まさか、いやそんな馬鹿な。
    「……名は、何という」
    ギルモアの静かな問いに、少年は恐る恐るといった様子で返した。
    「ダンダです」



    「突発性心身幼化症候群ですね」
    聞いたことのない組み合わせの単語の羅列に、ギルモアは目をぱちぱちとさせた。
    例の少年から名を聞いたギルモアは、すぐさま彼を病院へ連れて行き検査を受けさせた。診察室に1人だけ呼ばれ、こうして医師と相対している訳だが。
    「だいぶ昔ですけど、少しだけ流行ったことがあるんですよ。50年くらい前かな。当時はチャイルド病なんて言われてましたが」
    眼鏡をかけた壮年の医者の言葉を受け、やはりかとため息をつく。
    ギルモアがまだ子供の頃、ある病がピリカ星で流行した。突発性心身幼化症候群、通称チャイルド病。ウイルス感染により引き起こされる病であり、数日から1週間の間、身体・記憶共に幼少の頃に戻ってしまうというものだ。外星から持ち込まれた病だが、言ってしまえば「それだけ」のものである。後遺症も残らず、ただ短い期間の間、子供に戻ってしまう以外に特筆すべきことはない。
    チャイルド病のことを、ギルモアはぼんやりとだが覚えていた。寝室にいた子供に夫の面影を見出した時に、もしかしてあの病ではないかと思い至ったのだ。そしてやはり、検査の結果、あの少年はウイルスの影響で子供に戻ってしまった夫だと判明した。
    あらかた説明を述べた後、医者はギルモアに尋ねた。
    「さて、当の患者さん……旦那さんにどうお伝えしますか?」
    「どう、とは?」
    「病気であることをそのまま伝えるか、誤魔化して伝えるかです」
    医者は手元に置いてあったフォルダ内の書類をぱらぱらと捲った。
    「えー、当時の記録によると、患者本人にはタイムスリップしたと告知するケースが多かったようですね。患者の幼化年齢が低い場合、病気だと伝えるとショックを受けやすいため、たまたまタイムスリップしてしまったと伝えて安心させていたみたいです」
    ギルモアは腕を組んで考え込んだ。



    「タイムスリップ?」
    ダンダ少年は目をぱちくりとさせた。
    「そう、時々、君のようにタイムスリップする人がいるんだ」
    医者はちらちらと手元の資料を見ながら、訝しげな表情を浮かべる少年に説明をした。時間の流れというのは実は不安定なもので、時折時間の流れから弾き出される人がいると。しかし、弾き出された人はすぐに元のあるべき時間、空間に戻るのだと。君は1週間ぐらいで家に帰れる、心配することはないよと医者は微笑んだ。
    少年の後ろに控えるギルモアは、記憶にあるよりも小さく、華奢な夫の夫の体を見てため息をついた。夫には結局、病気であることは伝えないことにした。ただでさえ体が弱い彼に、病気にかかったと言えば、ショックを受け精神的に不安定になるか、病気になって申し訳ないと気に病むだろう。それに、幼い頃から家に篭りがちだった夫なら、外でチャイルド病が流行った時期があったことも、その病の存在も知らない可能性がある。誤魔化し切れるかもしれないと考えたのだ。
    とりあえず、夫はその説明で納得したようだった。医者に礼を言って診察室を出る。会計のため待合室で待つ間も、会計を終えて病院を出た後も、家に着いてからしばらくも、少年は黙りこくったままだった。
    ギルモアは、夫が好きな茶を淹れて、ソファの端っこにちんまりと座る少年の前に差し出した。いつまで経っても口を付けない彼に声をかける。
    「冷めるぞ」
    びく、と少年は肩を震わせたが、恐る恐るカップに手を伸ばした。ひと口啜ると、か細い声でギルモアに尋ねた。
    「……未来の僕とあなたは、どんな関係なんですか?」
    そう言えば何も話していなかったか。ギルモアは顎をさすると、ゆっくりとソファの前に歩いて少年の横に腰を落とした。
    「夫婦だ」
    少年は驚きに目を見張った。
    「結婚して……もうすぐ40年か。子供もいるし、孫もいる」
    ギルモアは近くの棚を漁り、分厚いアルバムを4冊持ってまたソファに座った。
    「これが結婚式の写真だ」
    その中でも古いものを手に、ぺらりとページをめくる。若かりし頃のギルモアと夫が、白い儀礼服に身を包むギルモアと、白いタキシードに身を包んだダンダの写真があちこちに収められている。
    「これが、長男が生まれた時の写真」
    小さな嬰児をギルモアが腕に抱いている写真だ。夫が愛おしそうに赤子を見つめ、抱き上げているシーンも撮られている。
    「この後はほとんど子供の写真ばかりだがな……ちなみに子供は5人だ」
    ぱらぱらとアルバムのページをめくる。子供だけが写された写真の中に時々、夫を撮影したものもあった。少年は食い入るように、並べられた写真を見つめていた。
    「見るか?」
    残りのアルバムも差し出す。少年は無言でアルバムをめくり、写真のひとつひとつに目を通していた。全て見終わってから、少年はようやく口を開いた。
    「……僕は、どうしたら良いですか」
    姿勢正しく、両手を膝の上に重ねた少年にギルモアは答えた。
    「どうも何も、元に戻れるまで待つしかなかろう。明日からワシは仕事で日中はおらん。その間はスーの……末の娘の家にいてもらう。ここからそう遠くないところだ」
    「……分かりました」
    少年はか細い声で、伏目がちに相槌を打った。ギルモアの頭の中に「うん、分かったよ」と微笑みを浮かべる夫の顔が浮かんだのだった。



    昼、ギルモアは昼食にとミネストローネを作った。夫が作るより少々味付けが濃くなってしまったが、美味しくできたとは思う。自分の分と、夫の分をスープ皿に注ぎ、ダイニングテーブルの上に並べる。
    「ダンダ、飯だ」
    ソファに座っているはずの少年に声をかける。少年は「はい」と弱々しい声で返事をし、ダイニングテーブルの方へ寄って来た。ギルモアは彼に座る場所を指で指し示し、いつもの定位置に腰を落とした。
    ミネストローネを啜るギルモアは、少年のスプーンの進みが遅いことに気づいて顔を上げた。
    「食欲がないのか?」
    ダンダ少年は暗い顔をして俯いた。
    「ご、ごめんなさい……」
    「残すなら明日の朝食にするが」
    「大丈夫です、全部食べますから」
    少年はそう言ったものの手つきは鈍く、おても完食できそうには見えない。ギルモアはフンと鼻を鳴らすと、彼の手からスプーンを取り上げた。
    「無理に食うな、具合を悪くするぞ」
    少年は申し訳なさそうに肩を落とした。まるで、厳しく叱咤された後のようだった。いたたまれなくなったギルモアは、たまらず声を上げた。
    「ダンダ」
    少年は顔を上げた。
    「飯を残したぐらいでワシは怒らん」
    少年の口が僅かに開かれる。ほんの少し目つきをやわらげ、彼はこくりと頷いた。

    それから夜までずっと、少年は本を読んで過ごした。書斎はお前の部屋だから自由に使えとギルモアは伝えたが、少年は本をリビングに持ち込み、ソファに座ってひたすらに本を読み漁った。活字に疲れたのか、時折アルバムを開くこともあった。
    本の虫は生まれつきかと、ギルモアはそんな彼の様子を眺めていた。
    夕食をとり風呂に入り、いざ就寝という時になって、少年は狼狽える様をあらわにした。
    「一緒に寝るんですか?」
    サイズのぴったりな寝巻きを着た少年は、ベッドの手前で不安げにギルモアを見つめた。
    そう問われ、ギルモアはハッと気づいた。今まで、出張や遠征など仕事で外泊した日を除いて、夫と共に寝ない日はなかった。喧嘩をした日だって、お互い背中を向け合ってはいたがひとつのベッドで眠っていた。だから自然と、夫と共に寝る心づもりで準備していたのだ。
    しかし今の夫からすれば、己は見知らぬ老人。同じ寝具で寝るのは心理的な負担が大きいのでは。
    「……いや、そうだな……客用布団があるから、ワシはそっちで寝る」
    いつもは子供たちが家族を連れて来た時に使う布団を使おう。
    「ま、待って」
    寝室を出ようとしたギルモアを、少年は引き留めた。
    「一緒で……大丈夫です」
    ギルモアは、少年がちらりと時計に目をやったのを見逃さなかった。もう遅い時間だ。押し入れに仕舞い込んだ布団を取り出し寝床の準備をするのは時間がかかる。それは申し訳ないと彼は思ったのだろう。
    「……分かった分かった。ワシは壁の方に寄るからな」
    ギルモアはそう言い、いつもの定位置よりもずいぶん壁の方に寄って横たわった。少年も、遠慮がちにその反対側に横たわる。
    「電気消すぞ」
    「はい」
    寝室の照明が落とされる。暗闇と、どこかきごちない静寂。早く夫が元に戻れば良いのにと思いながら、ギルモアはゆっくりと瞼を閉じた。



    翌日、夫を末娘に預けギルモアは仕事へ向かった。時折、私用の携帯端末が通知音を鳴らすので見てみれば、娘が夫の様子を写真付きで送ってきていた。
    彼女には、先月3歳になったばかりの娘がいる。ギルモアから見て孫である幼い少女は、子供になった祖父を遊び相手としてこき使っているらしい。ままごとやお絵描き、絵本の読み聞かせをしてもらう写真が送信されている。しかし、写真に映る少年の顔は、とても楽しそうにに見えた。
    仕事は定時で上がり、夫を迎えに行く。帰り際に「じーちゃ、またあそぼ」と幼い孫に抱きつかれ、少年は困ったような嬉しいような笑顔を浮かべていた。
    明日も来るからねと約束し、2人は家路へと足を進めた。
    「子供ってあんなに元気なんですね」
    少年が零した言葉に、ギルモアは口角を上げて笑った。
    「何を年寄りみたいなことを」
    「だって、小さい子と遊ぶなんて初めてですし」
    「ん? お前、下にきょうだいがおらんかったか?」
    ギルモアの言葉に、少年は一瞬口を引き結んだ。
    「……いますけど、今日みたいに遊んだことは……」
    口に出してから、ギルモアはしまったと眉をひそめた。夫にきょうだいがいることは勿論知っていた。仲が良いわけではなさそうだと察してもいた。夫も、そのきょうだいたちも、互いに無関心に見えたのだ。しかし幼少の頃からそこまで関わりが薄かったとは。
    「まあ、3歳児の体力なんぞ底が知れとる。ほどほどに付き合ってやれば良い。小学生の高学年にもなると底なしになって苦労するがな」
    「へえ」
    まるで知らない生物の話を聞いているかのように、少年は興味深そうに頷いた。ギルモアは、そんな彼に問いかけた。
    「今日……楽しかったか?」
    少年の、色素の薄い瞳がギルモアの方を向く。
    「はい!」
    夕陽に照らされた少年の顔は、きらきらと輝いていた。



    子供返りした夫との生活も、遂に5日目を迎えた。仕事のある日は末娘のところへ預けていたが、今日はようやくぶりの休日。そろそろ夫が元に戻るかも知れない、自宅でゆっくりしようと考えていた矢先だった。
    「……ごめんなさい」
    いつもより生気のない顔をして謝る少年に、ギルモアは優しくタオルケットを被せてやった。
    「いや、天気が悪いせいだ、仕方なかろう」
    晴れ続きから一転、今日は朝から雨が降っていた。こんな日は、夫は体調を崩しやすく、頭痛や眩暈、倦怠感を訴えることが多い。
    医者から処方された薬を飲ませ、額に冷却シートを貼り、リビングのソファに寝かせた。後は効果が出るのを待つしかない。
    キッチンへ向かおうとしたギルモアだったが、その時少年と目が合った。寂しさをいっぱいにたたえた瞳、しかしそれを零さまいと横に結ばれた唇。ただでさえ見知らぬ環境に身を置いているのだ。体調を崩してより心細くなっているのだろう。
    少年の傍に膝をつく。昔、子供が具合の悪い時、夫は子の頭を撫でながらこんなことを言っていた。
    ──大丈夫だよ、パパが近くにいるからね。
    ギルモアは少年の頭をゆっくりと撫でながら言った。
    「大丈夫だ、ワシが近くにいる」
    子供たちの不安な気持ちを言葉で和らげてやるのが、夫は得意だった。その夫が今、子供に戻り心細い思いをしているのなら、その思いをどうにかしてやれるのは自分しかいない。
    ギルモアの言葉に、少年は目を見開いた。そしてじわじわと涙を潤ませ、遂に目尻からぽろりと雫が落ちた。
    「はっ!? ど、どうした!?」
    予想外の反応に慌てるギルモアに、少年は涙を袖で拭いながら言った。
    「本当?」
    色の薄い瞳にしっかりと見つめられ、ギルモアは頷いた。
    「ああ」
    「じゃあ……お腹トントンしてくれますか……?」
    目線を外し、恥ずかしそうにタオルケットを顔の近くまで寄せた少年に、ギルモアはふっと頬を緩ませた。
    近くにいる、というのは基本このリビングにいるという意味のつもりだったが、まあ良かろう。少年の腹に手を伸ばし、優しく、ゆっくりと、一定のリズムで叩く。
    懐かしい動作。ギルモアの脳裏に過去の思い出が蘇った。
    「スーもな、幼い頃は腹をトントンしろとよくねだってきたものだ」
    「スーさんが?」
    少年は意外そうに目を丸めた。
    「他の4人は主にダンダが世話していたが、スーは小さい頃は体が弱くてな。ワシが面倒を見てやることが多かった……そのせいか、よくワシに甘えてきたものだ」
    「ふうん……」
    今の夫から見て、末娘は大人の女性だ。あまりピンと来ていないのだろう、曖昧な頷きを返した。
    「そういえば、あと4人子供がいるんですよね?」
    少年の問いに、ギルモアは手を止めぬまま答えた。
    「ああ」
    「どんな人たちなんですか?」
    「長男のヨナンはワシに似て運動が得意でな、今はピシア……情報機関の事務員をしている。長女のヨルマは誰に似たのかしっかり者で、今は旦那と食堂を経営しとる……次女のマーナは昔から本を読むのが好きな大人しい子で、今は機械設計の仕事をしているらしい。次男のジルは悪戯が好きでワシもダンダも散々驚かされたが、今はダンダが世話になっとる出版社に勤めている……そしてスーは、5人の中で一番マイペースだな。大人になっても変わらん」
    「へえ……」
    少年はとろんとした目をして尋ねた。
    「ねえ、僕はどんな大人なんですか?」
    ギルモアはじっと少年を見つめた。少しの不安と、好奇心の混ざった眼差しを受け、ふうと息を吐いた。
    「そうだな……」
    親から言われて参加した見合いの場で初めて出会ってから、もう40年。見合いの後はアイスを買い食いした。婚約証明書を送ったときは驚きの電話が返された。子供が生まれてからはてんわやんわの日々を過ごした。家族で出かけたり、旅行に行ったりもした。子供の巣立ちを見送り、孫が生まれたことを共に喜んだ。
    さて、その思い出のうちどれを話そうか。
    無意識に微笑む老人の口から語られる話を、少年は静かに聞き入っていた。



    「えーーっ! パパかわいーつ!!」
    昼のギルモア邸に女性の叫びが響く。きゃあきゃあと騒ぐ女性陣を前に、ギルモアはフンと鼻を鳴らした。
    「こら、ダンダが怯えているだろう」
    ギルモアの背後から顔を覗かせた少年は、目の前に並んだ4人の人影を順に見た。
    体格良く顔も厳つい男性、少し痩せ型で自分と同じ髪色の男性、先ほど声を上げた女性も自分と同じ髪色で、その隣には金色の髪をした理知的な女性が。
    「ヨナンさんと、ジルさんと、ヨルマさんと、マーナさん、ですか?」
    少年が辿々しく名前を呼ぶと、大人たちはわっと声を上げた。
    「なんだ、俺たちのこと聞いているのか」
    「父さんにさん付けされるなんて恥ずかしいな」
    「ちっちゃい時のジルにそっくり〜!」
    「目元は全然違うけどね」
    少年は、4人の後ろでわいわいと騒ぐ子供の集団に目を向けた。その子供の中のひとりが、ぱっと顔を輝かせてこちらへ駆け寄ってきた。
    「じーちゃ!」
    ぼす、と腹に飛び込んできた小さな女の子に、少年は声を上げた。
    「フーちゃん!」
    ギルモアとダンダの末娘スーの、さらに娘だ。沢山遊んでくれた祖父にまた会えて嬉しいのか、少年の体にきゅっと抱きついてニコニコ笑みを浮かべている。
    そっと抱き返した少年の前に、ずいっと子供たちが現れた。
    「本当におじーちゃんなの?」
    「面影はあるくない?」
    「確かにそーかも」
    色とりどりの瞳に見つめられ、どう反応したものかと逡巡していると、子供たちの中で最年長の少年に声をかけられた。
    「俺たち、おじいちゃんの孫なんだよ」
    「え、みんな……?」
    少年は驚きに目を瞬かせた。子供が5人いるのなら、孫の数がそれ以上であっても何もおかしくはない。しかし、いざ目の当たりにすると人数の多さに圧倒されるのもまた事実であった。
    「ねーおじいちゃん、一緒にかくれんぼしようよ」
    横にいた幼い孫娘に手を引かれ、少年は「えっ?」と思わず聞き返した。
    「かくれんぼじゃなくてー、トランプやろうよ」
    反対側の手をおっとりした声の男の子に引かれる。
    「おじーちゃんはオセロ好きでしょ? オセロが良いんじゃないの?」
    今度は巻き毛の少女が声を上げた。
    「え、えーっと、どうしよう……」
    周囲を孫に取り囲まれたダンダ少年は、助けを求めるようにギルモアの方を見た。ギルモアはため息をつくと、腕を組んで言った。
    「家の中でできる遊びにしろ」
    「じゃあオセロに決まりー!」
    誰かの叫びに呼応するように、オセロだオセロだと子供たちが家の中へ傾れ込む。勝手知ったる様で年長の子がオセロのボードを持ってくると、ソファの上に置いた。
    「じゃあ記念すべき第一戦! おじいちゃんと戦いたい人ー?」
    はいはいと子供たちが手を挙げる。じゃんけんで最初の対戦者が決まり、まだ小学校に上がったばかりの年頃の男の子がダンダの対面に座った。
    「あ、あの……」
    ダンダは申し訳なさそうに言った。
    「僕、オセロのルールあんまりよく知らなくて……」
    「えっ? そうなの?」
    年長の孫が疑問の声を上げた。少し考えを巡らし、名案とばかりにポンと手を叩いた。
    「じゃあ俺がサポートに回るから、まずは一戦やってみようよ」
    「う、うん」
    ダンダがソファの上で正座をしていると、フーがその上にちょこんと乗った。
    「何だよ、三対一じゃん」
    対戦相手の少年が軽口を叩く。
    「フーは応援担当だから」
    年長の少年がけらけらと笑った。ソファの周りに子供たちが集まり、オセロ盤に目線を注ぐ。
    「じゃあ先行はこっちから……おじいちゃん、表が赤い駒を、どれでも良いから裏返してみて」
    「うん」
    補佐役の少年が囁く。ダンダは緊張した面持ちで、盤に置かれたひとつの駒に手を伸ばした。



    「今日は楽しかったか?」
    夜の寝室。枕をぎゅっと抱きしめる少年に、ギルモアは声をかけた。
    孫たちとオセロ対戦をしている様子を、ギルモアは遠くから眺めていた。最初はルールをよく知らないと言っていたが、一番年が上の孫のアドバイスのおかげで楽しめたようだった。笑ったり、真面目な顔をしたり、悔しそうな顔をしたりと、表情をころころを変えていた。その興奮が今も冷めやらないのか、いつもより落ち着かない様を見せている。
    「楽しかったです!」
    少年はきらきらとした笑顔を浮かべた。
    「オセロするのは初めてでしたけど、奥が深いゲームだなんて知らなかったです」
    枕を抱きしめてベッドの上で転がる少年に、ギルモアは呆れたように微笑んだ。
    「ほれ、もうこんな時間だ。寝るぞ」
    天井の照明を消す。サイドテーブルに置かれたランプも消そうかと腕を伸ばすと、少年に声をかけられた。
    「……僕、もうそろそろ自分の時代に帰るんですよね?」
    先程の興奮冷めやらぬ声音から一転、消沈した口調だ。
    「ああ、医者からはそうだと聞いている」
    チャイルド病を発症し元に戻るまでかかる時間は、長くとも1週間程度。夫が子供になってから今日でちょうど1週間だ。今晩か明日にでも戻るはず。
    ギルモアとしては、子供時代の夫にどう接したものかと少々戸惑いはあったが、子供たちがまだ幼かった頃を思い出して懐かしく思うこともあった。しかし流石にそろそろ元の夫に戻って欲しく……。
    と、耳に聞こえた嗚咽に目を瞬かせる。向こうを向いていた少年に近寄り、その顔を覗き込んだ。
    「ぼく、帰るのやだ……」
    少年は枕に顔を押し付け、ぐすぐすと鼻を鳴らしていた。
    「どうしてだ?」
    ギルモアの問いに、少年は震える声で答えた。
    「だって、家に帰ったら、ひとりに、なるからぁ……」
    夫は結婚するまでずっと、家族と家で暮らしていた。一人になるはずはないが、彼がそのような言葉を選んだ理由を、ギルモアは何となく察していた。
    「ダンダ……」
    夫から、家族や友人との思い出話を聞いたことはない。ギルモアはそういったことを明け透けに語らないタイプであるため、夫が過去の思い出を話さないことを特に不思議に思ったことはなかった。
    彼は、そもそも思い出がなかったのかもしれない。幼い頃からずっと体が弱く家の中に籠りきりなら友人は作りにくいだろうし、家族との関係も希薄ならばなおのこと。
    ギルモアは寝室を出た。そしてガサゴソとリビングを漁ると、またベッドの上へと戻った。そして、枕を抱く少年の右手を優しく取り上げると、その手の甲に油性ペンを走らせた。
    そのくすぐったさに、少年はふふっと声を漏らした。涙でびしょびしょの顔を上げ、手の甲を見る。そして、不思議そうな顔でそこに書かれた文字を読み上げた。
    「──年9月15日?」
    「ワシらが初めて会った日だ」
    少年は後ろを振り返った。
    「昨日話しただろう。お前とワシは、親から言われて見合いをした……その日だ」
    少年は体ごとギルモアの方を向いた。その額を、ギルモアがゆっくりと撫でる。
    「その日、お前は必ずワシに会う。会って、共に食事をする。何度も会って、それから結婚をする。子供も生まれる。子育てに奔走し、そして、巣立ちを見送る……お前は、数え切れない程沢山の思い出を作るのだ。ワシと、ワシらの子供たちと……」
    少年の、薄い色素の瞳がギルモアを見つめる。
    「それまで、しばしの別れだ」
    少年は目を潤ませ、ぐすんと鼻を鳴らした。
    「……ちゃんと、会えますよね?」
    「ああ。もしワシが見合いの席に来なかったら、殴り込みに来てもかまわん」
    ギルモアの言葉に、少年は笑みを零した。
    「分かりました……僕、この日がくるのを待ちます。それで、もしもギルモアさんに会えなかったらピンポンダッシュしに行きます」
    子供なりの悪行の案に、ギルモアはニヤリと笑みを浮かべた。
    「フフ、もしされたらワシは怒って外に出るだろうな」
    「あ、でも、そんな出会い方してちゃんと結婚できるのかな……」
    「大丈夫だ、ワシは絶対お前に結婚を申し込む」
    ギルモアがそう断言すると、少年は少し照れたような表情をした。
    「さ、もう寝るぞ。他に聞きたいことはないか?」
    すると、少年は枕を手放しギルモアに向かって手を広げた。
    「……ぎゅってしながら、寝たいです」
    「ん、分かった分かった」
    ギルモアはサイドテーブルのランプの灯りを消すと、小さな少年の体を抱きしめて横たわった。
    「これで良いか?」
    「はい」
    まだ若干鼻声ながらも、少年は嬉しそうに答えた。ギルモアは温もりを腕の中に収めながら、呟くように言った。
    「……元の時代に帰っても、達者でな」
    「……はい」
    小さく、細い腕に力が込められる。お互いの温もりをそばに感じながら、老人と少年は眠りに落ちた。



    脳が覚醒する。腕の中に重いものを感じ、ギルモアはまぶたを開けた。
    「ダンダ……」
    皺だらけの伴侶の顔に、ほっと安堵の息を吐く。
    チャイルド病がやっと治ったのだ。夫を起こさないよう、そうっと腕を引き抜く。彼の右手を見れば、昨日自分が書いた日付が残ったままであった。寝巻きも、緩いサイズのものを着せたが今はちょうどぴったりの大きさになっている。
    そういえば、夫は子供になっていた間のことを覚えているのだろうか。その辺りのことを医者から聞いた覚えがない。
    しばらく夫の顔を眺めていると、白い髪がふるりと揺れた。まぶたが開かれ、色の薄い瞳が露わになる。
    「ギルモアさ……」
    妻の名を呼びかけ、夫は一瞬眉間に皺を寄せると、狼狽え始めた。
    「ギルモアくん? あ、あれ? 僕、昨日までは……えっ?」
    ギルモアはくつくつと喉を鳴らして笑った。その様子だと記憶は残っているのだろう。いつまでも混乱したままでは可哀想かと、夫に事のあらましを説明してやる。夫はそれで得心がいったらしく、神妙な顔をして聞いていた。
    「……なるほどね。何でギルモアくんのことを分からなかったんだろうって思うけど……不思議な病気だね」
    「正直に伝えるとお前が気に病むかと思ってな。タイムスリップしたと説明したが……」
    「まあ、それで正解だったと思うよ。僕、とっても楽しかったもの」
    夫はにこりと微笑んだ。そして、右手に書かれた日付を見て、柔らかく目を細めた。
    「ありがとう、ギルモアくん」
    「……別に」
    ふい、とそっぽを向いたギルモアの頬に口付けが落とされる。頬と触覚を赤く染めた妻を見て、ダンダは笑みを深めたのだった。(終)
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