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    kei

    @47kei

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    ##企画:colors

    炎より生まれて、雪が溶けたら

    「約束をしたのに、本当に忘れていたんですから。まったく」
     俺がヴィトロを忘れたことを、彼は少し根に持っているようだった。彼はずっと覚えていてくれたというのに。
    「ごめんな」
     するりと謝罪の言葉が出てきた。
    「でも冷血無比な執政官になってるとは思わないし、結びつくものがなさすぎなんだよ」
    「冷血無比な執政官になってませんよ」
     なってませんでしたね、はい。
     アルテファリタの風は花守山より鋭く、夕方になると少し冷える。
     長いヴィトロの髪を夕焼けに染め、風は髪を遊びながら、自在に海の上を滑っていった。


     私を忘れてしまったのですか

     ───私は

     そう再会を告げられた場所で、今日はヴィトロを見つけた。
     アルジェンタの工房には彼はおらず、執政官の公邸にいるならば今の自分が簡単に立ち入ることができない。うろうろと歩いて向かった先で、こうして会えたのだった。
     風に遊ばれるままの夕焼け色の髪を両手でくくって押さえると、ヴィトロは笑った。
    「髪、たべちゃいそうでした」
    「ここは海風が強いからな」
    「でも今日はここで、セッカに会える気がしたので」
     強い風によって押さえた髪がすり抜けていく。
     まるで抱きかかえた麦の束がこぼれ落ちていくかのようだった。
     手の中にあった小さな熱が消えていくのを見送る。
     ヴィトロの顔の横に不自然に浮いたままの手をそのまま肩に回して引き寄せた。
    「ごめんな」
    「もうちょっと責めようかなって思ったのですが、セッカにも理由がありましたからね」
     ヴィトロが言っているのは、潤越のことだろう。
    「思い出したくなかったんだ。自分が弱かった時のこと。そのせいで本当に大切なひとを守れなかった」
    「セッカのせいではありませんよ。あ、これは慰めではありません」
     感情論だけで癒やされるならば、こんな感情を抱えたままではいないということを、ヴィトロはよく分かっているようだった。
     そう──かつての主、潤越が襲われた時に落とされた執政官の仮面。
     それが全てを物語っていると言っていい。

     ───私は執政官です

     ───お前が潤越を殺す指図をしたのか

     彼の立場を告げられてすぐ、言い合いになった。
     ヴィトロはその仮面が失われた先代のものであると確かな印を見せて俺を鎮めた。
    「私ではありません。そして父でもありません」
     叩き割りたい気持ちを押さえてずっと持ち続けていた仇の印は、この世にはもういない先代ユーロジオ執政官ものだと言う。
     ヴィトロの言葉が確かなら、誰かが花守山第三王、潤越を殺した疑いをアルテファリタへ向けようとしたということになる。真実から遠ざけようとしたのだ。
    「──慰めではありません。私もあなたも、真実を見定める者です。ここからが、はじまりです」
     ヴィトロなりに自分を責めないでと言いたいのだろう。
    「それに私にとって重要なのは、約束はまだ有効かどうか、ということです」
    「二国の歴史を紐解く話? そりゃあ、お前があの時のヴィトロなら有効のままだろ」
     俺があまりに軽い調子で言ったのがいけなかったのか、ヴィトロは脱力してみせる。
    「だけどそれは、俺が潤越を殺したやつを裁いてからでもいいか?」
    「それはとても危険なことです」
    「だからと言って、このまま潤越の死を有耶無耶にしたまま生きるなんてできない」
     俺にとって潤越はお前のジェンタみたいなものだったんだよ、と告げると、ヴィトロの手が伸びてきた。
     少し躊躇をしたあと、それから俺の小指を拾った。
    「セッカ」
    「うん?」
    「ここまで、がんばってきたんですね」
     何気ない言葉だったが、俺は心の奥から湧き出ていた闇が払われたように感じた。
     急に澄んだ視界が、夕焼けに染まった髪を克明に認識する。
     濁っていた世界が明るく感じられた。
     掴まれた手を引いて、その甲に口づけをした。
     それにはヴィトロも驚いたのか思わず手を引いて後退する。
    「なななな、なんですーーー?」
    「いや、御礼……褒められた…から、うれしくて?」
     ばしばし、と全く痛みのない殴打を肩にニ、三発くらって引き下がる。
     執政官相手に譲歩した態度だと思ってほしいが、どうやらそうは通じなかったようだった。
    「俺は、アルテファリタとアシュタルが手を組んで潤越を狙ったのかと思っていたけど、そうではないんだな」
    「確かなことは、我が国はアシュタルと明確な敵対関係にあったということです。当時の記録を見ても、国家的危機を感じ優先対処していたのは、アシュタルであり花守山ではありません。国主一族の人間を暗殺するような火種を自ら撒く体制ではありませんでした。一部で内通していた人物がいたかもしれませんが、先代執政官の仮面を手にして扱えるような人物はどちらの国でも限られます」
     袖を掴まれて歩みを求められる。
     海風を避けるようにして丘を下っていくと、舞い上がっていたヴィトロの長い髪が重力にやっと従った。
    「潤越の件に関わって、先代ユーロジオ執政官がアシュタルに口封じされたってわけでもないよな。潤越が先代ユーロジオ執政官やアシュタルについてなにか把握していたとは思えないし。アシュタルにしろアルテファリタにしろ潤越を直接狙う理由が分からない」
    「反アシュタル派だったというわけではなく?」
    「そんなこと言ったら花守山はみんなそうだよ。鳥なんか見たくもない。本能的に駄目なんだよ。命の危険を感じるようにできてる」
     包み隠さない言葉に、ヴィトロは苦笑してみせる。
    「擁護するわけではありあませんが、アシュタルもその頃には花守山と積極的に和平の道を開こうとしていたはずですよ。火種になるようなことは避けると思いますけれど」
    「そうか…」
     アシュタルの動向は担当外だし全然把握してなかった。
     ──というか、アルテファリタのことですら、最初はだめだった。
     しばらく何も考えられなかった。自分のことすら見失って何も受け入れられなかった。
     ただ、潤越が死んで俺までこのまま腐り落ちて死んだら、潤越の死が無駄になってしまう気がして、ここまで這い上がってきたのだ。
     手を掴んで最後にここまで引き上げてくれたのが、目の前にいる友人だったことに感謝している。
    「花守山の姫君と、護国卿が結婚されていました」
    「花守山の公主は多いからな。そうやって政治ショーをしてアルテファリタを牽制したんだろ」
    「たしか名前は……シロツメ公主と、護国卿のヴルムです」
     のらりとアルジェンタの工房へ進めていた足が止まる。
     まるで足元に突然大穴が開いたかのような錯覚を覚えた。
    「シロツメ公主……?」
    「はい、覚え違いがなければ。あぁ、ジェンタに聞けばはっきりとしたことが分かりますよ。ジェンタはいまアシュタルのミンカラに宝石細工を納めていて、そのあたりの話もよく聞いているでしょうから」
    「どうしてシロツメ公主が、アシュタルにいるんだ」
    「いえ、だから…和平の一歩として」
    「そうじゃない───」
     シロツメ公主、涼華領の春玲は死んだ潤越の許嫁だった娘だ。
     潤越が死んだ事件に俺と一緒にいて、一緒に血の穢れを受けた後に、第一王が保護したはずだ。
    「まさか、慈悲王はシロツメ公主をアシュタルに使うために引き取ったのか……?」
     いや、都合のいい公主ならいくらでもいる。わざわざシロツメ公主を使う理由が分からない。
    「セッカ、話が読めませんがひとつだけいいですか」
    「あ? ──あぁ、ちゃんと話す。話すけど、何だ?」
    「あなたの中で、おかしいと思うことがあるのなら、そこに答えが必ずあります」
     聡明な瞳だった。俺がなにかをいう前に、彼は俺のために笑顔を作って投げてきた。
    「とりあえず工房へ行って、お茶を飲みましょう。すべては、それからです。約束を果たしてもらうためには、私はあなたを助ける必要がある。それが分かっただけでも十分な進歩です」
     仇だと思われたり、忘れられたままに比べれば、と小声で追加したのを俺はちゃんと聞いていた。
     思わず、笑顔になった。
     ──ここに来て、よかった。
     だから
    「だから、ごめんて」
     ヴィトロの小指を掬いあげてから歩を進める。
     アルジェンタの工房に着くまでその指は絡めたままで離さなかった。
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