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    若木焼き

    ##企画:colors

     シロツメ公主春玲と宰相ヴルムの要請を受けて熠燿は幽達とアシュタルに戻り、息子の鳳遊も国に馴染んで来た。
     霊木解体によって数ヶ月昏睡した幽達は、目覚めてから無口無表情に磨きがかかった。
     これまで長い人生をかけて彼が願い、積み重ねてきたことを、灰に帰したのだからその反動は熠燿も覚悟はしていたつもりだった。目が覚めたら彼に制裁されるかもしれないとまで覚悟をしていた。
     しかし始祖の妄執を断たれたからか彼は祖国へ戻ることも、熠燿を傷つけることもない。だが心の内を吐露しない姿から本心は全く分からなかった。
     幽達が目覚めた時、全ては終わっていて、王としての道は閉ざされていた。
     絶望も憂戚もなく、ただ事実として行き止まりになった。
     心を常に専有していた思いが突然失われ、目的が蒸発してしまった。
     幽達からはあらゆる光も闇も失われていて、胸中にあるのは無だった。
    「凪だ」
     幽達は前触れなくポツリと独り言を漏らした。
     熠燿はその言葉の言葉の続きを待った。
    「なぎ、ですか」
    「私も扱うことができない。仙術のひとつだった。これは凪の心理に近いのだろう」
     会話はそれだけだった。久しぶりに言葉を交わした彼の涼し気な声色が嬉しかった。
     凪、その言葉の花守山での意味を熠燿はシロツメ公主に求めた。
    「ナギ、とは花守山の仙術においての、無の極地点です、悟りですね」
    「悪い意味ですか。憎しみや殺意とかいう類いではありませんか」
    「それすら越えた先のものですから、よくも悪くもありませんね。仙術においての凪とは…全てを遮り無に至らしめることを言います。例えば私が仙術を使って誰かに干渉をしている時それを強制的にキャンセルすることができます。理論上は試行している術式に対して同じ質量の術式を充てることで無…凪に至らしめるというものですが、非常に高度な仙術で、よほどの仙人でなくては扱えません。まさか目覚めた幽達が凪を会得したのですか」
    「いえ、その心理を理解した…というような言葉でした」
     熠燿は少しシュンとしてお茶を持つ手を下げた。
    「これは私が本で得た知識ですが、凪とは花守山歴代の代理人が会得できた極地だと言われます。膨大な霊木のエネルギーを扱える代理人の器は、それを否定する能力もまた得られたということだと思います。幽達は国主に並ぶ仙人であり、若木の代理人ですから、凪を会得する素質は保ち得ると思いますが……でも、彼の性格的には不要の仙術でしょうね」
     花の浮いた茶を小さな唇に添えて、シロツメ公主は続けた。
    「冬清王殿下は凪を会得しておられたと聞きます。でも面白いこと」
    「何がおかしいのですか」
    「先月だったか……ヴルムもそんな話しをしていたのです。凪がどうのこうの……夢で冬清王殿下と会って凪を教わったとか」
    「宰相はできたのですか」
     シロツメ公主は笑いながら首を横に振った。
     そう簡単なものではない。夢で見てできるようなものではないと言う。
    「結論をいうと凪は無害なものです。幽達の野心の残り火があったとしても、役にはたちません、安心して」
    「はい」
     熠燿が視線を下げたままであったので、シロツメ公主は同じように視線を手元へ投げた。
     互いに願うのは、平穏だけだった。
    「幽達様が何を考えているか分かりませんが……でも…私は生きています、こうして、私は信じて彼のそばにいます」

     ───父様が、算術を教えて下さったのです。茉莉より教え方が上手でした。
     この本について討論しました───散歩に誘われました───りんごの木から、手づからもいでくれました、ひとつは母様にと───
     熠燿は少しづつ家族内の環境が変化していることにそこで気づいた。
     手の中にあるりんごの実から視線を上げると、窓辺にいつものように無表情で本を読む夫の姿がある。
     アルテファリタにいた時に、こんな庶民的なやり取りをしただろうか。
     いつでも熠燿が幽達に声をかけていた。
     文官として着任して不慣れだろうからと執政資料の手伝いをして距離をとれと叱責されたり
     花守山の古語について教えて欲しいと願い出て、すこぶる不機嫌な態度をとられたり
     サンルームを歩く姿に追随すれば歩調を合わせてくれることなどなかった。
     果物を白い手から手渡されたのは、妊娠をして臥せっているときだけだ。
     それは自分だけでなく、息子の鳳遊に対しても同じだった。
     彼は距離をとろうとした。
     それが大逆を犯した者の間に生まれた息子の未来のためだと言っていた。
     そもそも彼は、人とぬくもりを持って触れ合うことを知らないのだと、接していて熠燿は気づいていた。
     両親の話をすると彼は無表情で聞いていた。
     不快ではないが、興味もない、そういうものを私は知らないからどう反応すべきことかわからない。
     そう言って熠燿の言葉をただの言葉の羅列として吸収していた。
     家族という最も小さなコミュニティを持たずに、国という大きなコミュニティの存続をさせる道具として生きてきた王。
     人の心を持たないひとは、その行いから人々に慈悲王と呼ばれた。
     皮肉だと熠燿はずっと思っていた。その歪の嵐の中に彼はずっといたのだ。
    「熠燿」
     数カ月ぶりに名前を呼ばれたような錯覚があった。
     りんごを片手に熠燿は慌てて返事をした。
    「支度を手伝え」
     鳳遊に勉強を教えていた茉莉も顔を上げたが、幽達は手で制した。
     その手慣れた静止の仕草は王族らしい無駄のない動きだったが、支度と言って出されたものは花守山の王の装束だった。
     着付けは茉莉の方が圧倒的に手慣れているはずだった。
    「茉莉には鳳遊を任せる、いいな」
    「承知致しました。殿下はお任せください」
     茉莉はいつもどおりの二つ返事で鳳遊の相手に戻る。
     幽達は戸惑いを無視し熠燿を無感情な目で見ていた。
     それに花守山の装束を着るというのはどういうことだろうか。もしやまた支持者と会うつもりではないだろうか。それはできない。
     一定の自由は約束されていたが、今もこの邸宅にはアシュタルの騎士団の監視がついている。勝手な振る舞いをしたら、今度こそシロツメ公主は幽達を見限るだろう。家族で暮らすこともできなくなる。
    「どこへ行くつもりか分かりませんが、装束の着付けなど私は分かりません」
     声が震えてくるのが分かるが、唇でそれを留めて言葉をしっかり紡ぐ。
    「あなたはもう王ではないのですから、正装も冠もあなたにはいらない」
    「冠はいらない」
     いつまでも熠燿が動かないので仕方がないという風に自分で着衣の結紐を解き始めた。いらないと言うだけあって整えられた衣服一式に冠はなく、髪を飾るものは簪だけだ。
    「最後くらい、お前に着せてもらうべきかと思っただけのことだ」
    「さ、さいご……?」
     それは死装束とかそういうものだろうかとさっと青くなる熠燿の表情を置いて、幽達は上着を脱いでぽいぽいと捨てる。
     幼い頃の鳳遊より手の負えない着替えだった。
    「仮にも代理人が霊木と向き合うというのに、みすぼらしく異国の服で対峙するには礼儀が欠けるだろう。それを上回る無礼を働きにいくのだがな」
     幽達は熠燿に真意が伝わらない言葉をぼやいてから、ゆっくりと息を吸い、それから吐いて反芻した。
    「支度を手伝え」

     夜の帳がおりたアシュタルの濃藍色の空の下
     幽達と熠燿は並んで歩いていた。
     夜の散歩といえば聞こえがいいが、その足の向かう方はそろそろ警戒すべき領域だった。
    「幽達様、この先は先代ミンカラ様の墓陵で、警備のものたちが配置されています。アシュタルでも指折りの神聖な場所で今の私たちが足を踏み入れることは許されていません」
    「そうか」
     すぐに返事をするが、全く言葉の意味を理解した様子もなく、幽達はまっすぐ足を進めている。
    「えぇい、あなたはどうしてそう人の話を聞かないのですか」
    「先程のことなら必要があってしたことだ」
     右手に持った鉄扇は、すでにひとり鳥人を痛めつけたあとだった。
     屋敷を監視していた騎士団のひとりを幽達がその扇で傷つけたのだ。熠燿が急いで止めて命に問題はないが、護衛からすでに騎士団には一報が入っているだろう。実力者たちがすぐに幽達を捕縛しにやってくる。
     宰相の判断によっては殺してもいいと言われてもおかしくない。
    「幽達様、戻りましょう、お願いですから」
    「お前は何もするな、ただ離れるな」
     繰り返されるのはその言葉だけだ。
    「先代ミンカラ様の墓所になんの用があるというのですか。詣でたいならば明日に。釈明は私も致しますから」
    「若木を焼く」
    「若木を…焼く……消し去ろうというのですか?」
    「そうだ。国主も霊木解体を把握し、若木の存在に気づくだろう。まだ小さなうちならば私とお前ふたりで簡単に消せる、今の状態は霊脈の吹き溜まりに過ぎない」
     説明が続くと思ったが、騎士団に取り囲まれて話しは途絶えた。
     地上に数名、周囲を取り囲む大木の枝上にも気配がある。
    「ジブ、旦那さまと夜の散歩ができる立場じゃないの分かってるよねぇ」
     ヒクイドリの護国卿バランは、熠燿と旧知だった。
     彼だけでなく見回せば取り囲む者たちは皆、顔と名前が一致する。
     どれだけ自分が危ない状況にいるかはそれだけで十分理解できた。
     分からないのはアシュタルの構成員に詳しくない幽達だけだろう。
     小さく上がる砂埃も暗闇の中ではすぐ溶けて消える。花守山の幽達は、熠燿や他鳥人たちと比べて夜目も効かないだろう。
     大木に囲まれ月も見えない。不利だ。
    「一歩でも動いたら殺す」
     忠告をしてくれているに関わらず、幽達は涼しい顔をしたまま無視をした。
     上空から、そして正面、背後から。
     降り注ぐすべての殺意に対処する術が熠燿には思いつかなかったが、暗闇の中で、金色の粒子が熠燿の視界を掠める。
     囲まれて乱戦になるはずがメキメキと闇を裂き音を立て、突然倒木がはじまった。
     暗闇の中で立ち上がる煙と、大木に配置されていた騎士団の動揺で陣形が崩れる。
     倒れたのは一本だけはなかった。右から左から立て続けに倒れ覆いかぶさってくる。
     幽達は熠燿を脇に抱えると、間を滑るようにして走り抜ける。
     熠燿は幽達の策であることにすぐ気づいた。
     捕縛術ですか、と風を切る中で問うと、そうだと短い返事が返ってくる。
     捕縛術は一度見せてもらったことがあった。
     彼の足元から帯状の影が伸び対象を捕らえて締め上げる術。
     有効範囲と強度は術者の能力によるらしいが、試しに全力で飛んで逃げてみろと言われて熠燿が空に舞い上がった時、地上の幽達が豆粒ほどの大きさになったところで地上から無数の触手が伸びてきた時の恐怖は未だに忘れない。
     影は熠燿の足を捕らえ、羽ばたいても振り切れず、地上に引き戻された。空からそのまま地上に叩きつけられていたら粉々だっただろう。
     彼は同じ様に捕縛術の闇の帯を展開し、倒壊により場を撹乱したのだ。
    「止まれこのやろう!」
     声がして熠燿は咄嗟に幽達を守ろうと身を捻った。
     その動きで重心が乱れた幽達は身を屈める形になり、頭上を剣が滑るに留めた。
     声の主と熠燿の視線が合う。金色の瞳に白く大きな翼。
     宰相の長男カイムだった。幼いながら護国卿を目指して鍛えた翼は異様な速度を伴い、道行きの先へ着地する。
    「これ以上先には進ませない」
     撹乱したとはいえど一時的なもの。
     騎士団の精鋭たちは態勢を整えて再び二人を取り囲みはじめた。
    「お前は何もするな、ただ離れるな」
     熠燿の頭上から幽達の声がして、肩に置かれた手に力が入るのが分かる。
     若木を燃やす、といった言葉を反芻して夫の行動を理解しようとする。
     彼は霊木の力を得ようとして行動をしたわけでは、ない。
    「聞いてください! 私達は決して悪を働きにいくわけではありません」
     だが誰も耳を貸す訳がなかった。
     騎士団が振り上げた武具を鉄扇で弾いた幽達の肩を、別の騎士団の一閃が切り裂いた。
     二人の間に距離が生まれ、カイムはすぐに熠燿を捕らえる。
    「やめてください!」
     カイムが乱暴に熠燿の腕を引き、幽達と引き離そうとして引き合いになる。
     肩を裂かれた幽達はカイムへ鉄扇を投げつけ、自らの腕に妻を引き戻した。
    「粗忽者が私の道具に触れるな」
    「幽達様、血が…!」
    「花守山のお花ちゃんたちは、争い事の流血は駄目なんじゃなかったっけ? ヤる気満々じゃん」
     ヒクイドリの護国卿は、鉄扇を投げつけられて鼻血を出しているカイムを後ろに引かせて笑ってみせたが、目は全く笑っていない。
     下手な抵抗は怒らせるだけだということは幽達も察したが、退路はなかった。
    「確かに、花守山において流血を伴う争いは禁忌だ」
    「ど~すんの、あんた王様だったんじゃなかったっけ」
    「心配はいらない。この役立たずが、私を王座から引きずり下ろしたからな」
     止血をしてやっているのにその言い草はどうかと熠燿が顔を上げると視線が合った。
     この距離で視線があうのは、霊木解体振りだった。
    「ここを通せ。通す事で別にお前達に不利益はない」
    「んな訳ねぇだろ! お前!」
     カイムは手にした剣を持ち替えて切っ先を幽達へ向けた。
    「お前の悪行は知ってるんだからな」
    「仕返し結構。だが用事が先だ」
     どさりと背後で音がして、熠燿が振り返るとひとり、またひとりと騎士団の面々が地に全身を押し付けられていた。
     捕縛術で足を引いて転ばせたという訳ではない。
     上から強い力で押し付けられているのか、体が磁石にでもなって大地と引き寄せ合っているのか、どちらにせよ全身に自由を残してはいない。
     バランとカイムも膝はつかないまでも身動きが取れない。
    「花守山の第一王幽達の前で膝を折らないのは、禁忌以上の問題だが」
    「ぐ、うぐ」
    「跪いて喘ぐ姿が見たいが、喜べ。今は興味がない」
     カイムは全身にかかる重圧を退ける方法を探った。
     仙術は母も扱うがこの類の術を見たことがない。彼女が見せる仙術はいつも、絶え間ない慈愛の光があって、暗く重い力ではなかった。
     仙術の会得は性格が出ます、と母が言っていたことを思うと、目の前の男は最低に性格が悪いのが確定と思えた。
     幽達は警戒を解かないまま包囲網をゆっくりと抜けていく。
     ミシ、ミシ、とまた音がするが今度は倒木ではなく、戦士たちの骨が重力に軋む音だ。
    「鳥は土の味は知らないだろう。この機会に覚えて帰れ」
     落ちた鉄扇を拾い上げ、バランとカイムの間を茉莉花の花の香りが抜ける。
     誰もが黙って見送るしかない状況で、声を上げたのは熠燿だった。
    「幽達様! 前方上空!」
     バランとカイムに注意を払っていた幽達は熠燿の言葉で顔を上げた。幽達めがけて白刃が軌道に乗って飛び込んでくる。
     熠燿は身を挺して幽達を押し倒したが、軌道は最初からふたりから逸れていた。
     白刃が地に付いた途端、バランとカイムの拘束は解けた。
     なぜ術が解けたかを考える前に、幽達は熠燿の手を引いて走り出す。
    「師匠!」
     カイムが追う意思を見せたが、バランは動かなかった。
    「今の聞こえなかった? ヴーちゃんからのご命令、撤収だって」
     
     草を分けて走る2つの影を、追うものはいない。
    「ヴルム宰相が撤退を命じたようです」
    「…はぁ……はぁ──鳥の囀りは便利だな」
    「幽達様、追手はありません。少し止まってください。止血も完全ではないですし、その、息が保ちません」
    「前に進む。宰相本人が来るとも限らん」
    「そのとおりだ。だからこそここで少し休んで弁明をしろ」
     開けた参道で、月を背にこちらにゆっくりと羽ばたいて来たのは、宰相ヴルムだった。
     ひとりだけだろうか、熠燿が周囲を見回すが他に気配はない。
     幽達は警戒の意思を解かずに、銀色の目に金色の輝きを呼び寄せる。
     捕縛術を使ってヴルムに先手を打とうとしていたが、ヴルムの対処の方が早かった。手にしていた小刀を即座に幽達の足元へ放つ。
    「────!!」
     幽達は数歩後退しながら逆の手で熠燿を後ろへ押し込んだ。
     地に突き刺さった何の変哲もない小刀。
     夫人が護身用に持たされる類のものだが、幽達には見覚えがあった。かつてアシュタルに嫁入りするシロツメ公主に父親として唯一贈った護身用の小刀だ。
    「お前がいかに卓越した仙人であったとしても、それを封じられればただの人だ」
     打ち込まれた小刀は月光の作る幽達の影を捕らえていた。
    「──────な、ぎ」
     幽達は初めて驚愕の表情をヴルムへ見せた。
    「凪………お前、仙人でもなく鳥人がなぜ仙術を扱う」
    「僕には他の仙術はなにひとつ使えないし理解不能だが、いい師が夢枕に立ってこれだけは覚えておくようにと毎晩毎晩うるさかった。役に立った」
     月を背に歩いてくるヴルムの姿が、幽達には在りし日の弟と重なった。
     打ち込まれた小刀を媒体にして、周囲は仙術の施行ができなくなる。幽達がなんど銀色の瞳で金の光を誘っても、行使には至れない。完璧な『凪』だった。
     この場に荒波を立てようとしても、一切の水紋はおきない。
     幽達も仙術を極めんとした身であり、凪の心理を掠めていただけに、この状況の不利さを軽く見積もることはできなかった。
    「弁明をしろ、幽達。妻がお前に寄せた信頼を裏切るつもりならここで殺す」
     仙術が使えず負傷した幽達など、たかが知れている。護国卿の栄誉を授かる宰相には羽無しの花など簡単に摘み取れる。
    「言うつもりはな」
    「若木を焼きに来たのです!」
     熠燿は幽達と立ち位置を交換して、傷ついた夫を背に押し込んだ。
    「若木の代理人と妖精が、若木を焼きにきたのです。力を得ようとしに来たのではありません。幽達様は失いに来たのです」
     ヴルムの視線に射抜かれ、口を滑らせた熠燿に何か言いたそうな目をしながら、幽達は頷いた。
    「そうだ。消し去る」
    「なぜ」
    「只人となるために」
     それは、熠燿にもヴルムにも想像できない言葉だった。
    「お前は霊木解体の際に、偉そうに私に振り返るなと言ったな。私は振り返っていたつもりはない、常に時代の先を守ろうという意思しかない」
     詭弁だと思ったがヴルムは集中するために視線だけでその言葉に応じる。
    「私の選択こそが、時代の最適解である自信があった。そのために私は生まれてきたし、そのために多くのものを切り捨ててきた」
     ぽたり、と止血しきれずに流れた幽達の血が参道に雫を落とす。
    「しかし──私は、二度道を正された、私は時代に望まれた方法を選べなかった。真実を導く者には選ばれなかった。だが私にも真実はある」
     血塗れの手を伸ばして、幽達は自分を押しのけて盾になる熠燿の肩に触れ、もう一度前に出た。
    「腕の中にあるものが真実だと言ったのはお前だ。アシュタル宰相ヴルム」
    「そして、お前の弟の言葉だ」
     肩を押さえられて熠燿が振り返ると、幽達は指の背で脂汗を流す熠燿の額を撫でてから前に出た。
    「慈悲王幽達は、私は死なねばならない、ここで」
     熠燿がとんでもないという顔をしたが、次に続く言葉で息をすることを忘れた。
    「只人とならねば、私は熠燿の番にはなれない。家族を愛せないし、守ることができない。だから若木を焼きこの身の役目を終わらせる」
    「偽りのない本心か」
    「どうせそう言われる、だから言う必要はないと言ったのだ」
     幽達は足元に刺さった媒介の小刀へ手を伸ばした。
     小さな拒否反応が起きて、痛みに反射的に手を引いたが、幽達は気を張り直してもう一度手を伸ばした。
     警戒を緩めないヴルムとの折衝によって凪が、揺らぐ。
     仙術をかたちにできない場で、目に見えないせめぎ合いが続く。
     幽達が小刀に触れたところから、神経がちぎれていくような痛みが全身を駆け抜けていく。だがその霊木の生み出すエネルギーに反する凪という術に直接触れることで、幽達には心理的にたどり着いた凪と、術式としての凪の両方を理解することができた。走り抜ける痛みがやがて澄んだ朝の空気のように薄らいでいく。
     はじめて感じる感覚だった。あらゆる束縛がなくなり、心が澄み渡るように思えた。
     胸にしがみついて、名前を呼び続ける熠燿がいて、幽達は必死な赤い目を見下ろして悠長にその額に口づけをした。
     唐突に額に下りた口づけに熠燿は理解不能だったが、幽達は金色の粒子を纏って微笑んでいた。
    「腕の中のものだけが、矮小な私がたどり着ける唯一の真理……」
     幽達の独り言を熠燿は聞き取れなかった。
     ヴルムの凪は破られたが、幽達は仙術を使う様子はなくその小刀を手に取ると、乱れた長い銀髪をざく、ざく、と裂き、房となった長い銀髪を月下の宰相へ差し向けた。
    「これが私の意思だ。宰相、ここを通せ」
     花守山の貴人に属する者たちはみな髪を結う。短いのが許されるのは子供か事情のあるものだけだ。
    「か、髪……! 幽達様、これではもう、結えません、これでは」
     熠燿の目から大粒の涙が浮かんで、落ちた。
     長い銀髪を閨で撫でて、柳のように美しい髪の間から光を見るのが好きだった。光の中で咲く花のようだと思ったのに、それが闇の中でずたずたになり、風を受けて飛び立つ鳥のように虚空へ散っていく。
     ヴルムは黙っていたが静かに道を譲った。
     霊廟はすぐそこで、その直下に霊木本体が自己複製機能を使った第二の霊木がある。
     まだ小さな「かたち」を作るだけのそれは、霊木解体のような大きな術式の展開をしなくても、代理人である幽達が妖精と共に干渉すれば握りつぶせるほど小さなものだ。
     可能性を多く秘めた核ではあるが、幽達にはもう必要のないもの。あってはいけないものだった。
     小刀を片手に幽達が黙するので熠燿から声をかけた。
    「妖精を霊木送りにする必要があるわけですよね。少しくらい痛いのは問題ありませんが、殺さないでくださいね」
    「ポンコツが。お前を殺すか殺さないかという選択ならもう何度もしている」
    「でも、あなたは私を殺さない」
     熠燿が迷いなくそう言うので、幽達は笑った。
    「あなたは私を殺さないのです、幽達様」
    「仕方がないだろう」
     その笑い方が、あまりに自然であったので熠燿は視線を外せなかった。
    「私の得られる真実は、お前だけのようなのだから」
     
     霊廟で二つの影が沈黙したあと、数分も立たずに大木から自然発火が起きた。
     影は動かない。
     火が回り始めたら倒木に巻き込まれるかもしれない。
     危惧したところで幽達が動いて、意識をまだ取り戻さない妖精の姿を抱いて立ち上がった。煤で汚れた顔をして幽達は来た道をもどり、見守っていたヴルムの前についた。
    「消火をする力が残っていないが、任せても構わないだろうか」
    「騎士団がもう動いているだろう。ボヤの範疇で収まる。それより目撃者が増えると放火犯の汚名も着ることになるぞ」
     早くこの場を離れろと、見逃してくれるということだろう。
     幽達は熠燿を抱いたままだったが、ゆっくりと頭を垂れた。
    「私は宰相から学ばねばならないことが多そうだ」
    「凪のことならこれ以上わからん。第一この時を見越して覚えた訳ではないからな。春玲が夜な夜な妖精化して閨を逃れようとするから……」
     ヴルムが口を滑らせた、と照れたように唇をぎゅっと結んだので、幽達ははじめて面白いものをみつけたという風に笑った。
    「確かにそれは妖精化を無効にするために、凪が必要だな」
     そんな理由で夢を渡り潤越が彼に凪を教えたとは思えないが、それが本当だとしたら、本当にこの弟の産み直しとその妻に、あらゆる理由で負けたのだ。
     だが負けて、膝をついて、何もかもなくしてしまったとしても
     腕の中には、大切なものがある。
    「ジブリールを殺していないだろうな」
    「安心しろ。私の番は生き汚い。私と同じ様に」
     目を覚ました熠燿は煤に汚れた顔を見て笑うだろう。
     番は傷ついた手で汚れを拭うに違いない。
     幽達ははじめて誰かに希望を重ね家路へと歩き出した。
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    DONEhttps://poipiku.com/1425184/3449166.html
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     護国卿ヴルム、シロツメ公主が嫁入りした男の名前だ。
    「セッカ、離してください」
     シロツメ公主はヴルムの姿を認識すると、セッカへ警戒心を強めた。
     慈悲王がシロツメ公主に直接使者を送り、使命の遂行を即したことが一度だけあった。
     使者は冬清王と暮らした冬ノ宮で、短いながらも幸福な時を一緒に暮らした侍女だった。年が同じであったから再会した時は13歳で、彼女も嫁入りを控えていると、祝い事であるはずが暗い顔をしていた。
     「あなたが慈悲王から託された使命とやらを果たさなければ、実家も未来の夫の未来がない」と泣きながらすがりついてきたのだ。
     動揺するシロツメ公主の心が激しく揺れているうちに、その侍女一族は戦時中の反逆行為の濡れ衣を着せら 6140

    kei

    DONEhttps://poipiku.com/1425184/3485521.html ⇒引き離せないもの(2)四十歳になったとかいう話を数年前に聞いたが、花守山の仙人たちはまるで衰えがない。ジブリールの報告を受け、思慮に更ける慈悲王は鋭い眼光のまま、黙していた。
     色素が薄く、空の雲と並べば溶けてしまいそうなほどに白い彼らは、その色の印象のままに清らかでいようとするし、争いと血の穢れを忌避し、残忍を良しとしない。
     ──と、いうが、後者は建前上のものではないかと、ジブリールは思った。
     この慈悲王という存在は、花守山において特に異質だと感じていた。
     穢れを忌避する姿勢はあるが、残忍で無慈悲なところは、花守山の民の本質からかけ離れている。身内で政権を奪い合う国主一族においても存在自体が異質に思えた。
     普通の人間であれば、個より全という帝王学を叩き込まれていてもここまで残忍な行いはできないと思う。彼は愛というものを知らないのだろう。
     シロツメ公主の教育過程を見ていたジブリールはそう結論づけていた。
     手心を知らないこの無慈悲な王に、失敗の報告をするのは恐ろしいが、避けては通れない。今後の方針を聞かずに独断で判断すればもっとひどいことになる。
     慈悲王幽達から託された霊木再生の施策──代理人に 6027