【郭杉×A3】君の香街は2月ーーここは、華やかなイベント会場。
杉原多紀は所用の帰りに通り掛かった多目的ビルのホールで、香水のポップアップイベントが催されているのを見掛け、思わず足を止めた。
(わぁ、バレンタインっぽいなぁ)
お洒落な香水の瓶や装飾が空気さえも華やかにしているようだ。
接客しているのは、タイプは違えど皆モデルのような高身長でスタイルのいいイケメンばかり。
女性をターゲットしてるから当たり前なのだろうけど。
と、その内の1人と目が合ってニッコリと微笑まれた。絵本から抜け出た王子様そのもののような美麗な目鼻立ちに、真紅の薔薇のような涼しげな瞳が細められる。
その笑顔の衝撃たるや、思わず目が眩みそうになる杉原である。
その王子様イケメンが、眩い笑顔のまま近付いて来た。
「良かったらミニギフトをどうぞ」
どうやら、客と勘違いされたらしい。
「あ、いえ、ぼくは……」
遠慮して立ち去ろうとしたが、思ったように身体が動かない。イケメンの威力恐るべしである。
(男のぼくでもこうなんだから、女のコなんてイチコロだろうな……)
そう思いながら一瞬ぼぅっと相手の顔を見ていると、まさかの声が響いた。
「茅ヶ崎さん。それは俺の客人です」
「…………え?」
「ああ、郭様のお客様でしたか。これは失礼致しました」
頭を下げる王子様イケメンの向こうに信じられない影を見つけて、杉原は固まる。
「……は?」
「やあ、杉原。こんなところで会うとは奇遇だね」
「…………なんでキミがここにいるのさ。郭」
自信たっぷりな様子で両手を広げ、ニッコリ微笑んでいるかつてのサッカー仲間に、杉原は思わず半眼になって尋ねる。
腹が立つのは、隣の王子様イケメンにも見劣りしない美形である事だ。
「俺は仕事だよ。このイベントで出してる香水の1シリーズが俺も関わったヤツだったから、市場調査がてらね」
「ソレハ仕事熱心ナコトデ」
「なんでカタコト?」
クスリと笑った郭は、改めて杉原に聞き返す。
「そういうお前こそ、珍しいとこで会うね。香水好きだったっけ?」
「別に。たまたま通り掛かっただけで……」
「ふうん」
ニマァっと口元を歪めた郭に、(あ、今コイツ絶対ロクでもない事考えたな)と杉原は思った。
ここは早めに立ち去る方が得策だろう。
「じゃ、ぼくは用事があるからこれで……」
「まあまあ。ここで会ったのも運命だし、ちょっと見ていきなよ」
「……やっぱりロクでもないこと考えたな」
「なにか言った?」
「別になにも」
自分の呟きを誤魔化すようにニッコリ圧を込めて微笑んだ杉原の笑顔に、うっと声を詰まらせる郭。
昔から郭はこの笑顔に弱かったーー主に恋愛反応的な面で。
(くっ……35過ぎてもこんなに可愛いとか、詐欺だよ)
一方の茅ヶ崎は、すっと前に出ると杉原に名刺を渡した。
「先程は失礼致しました。私はこのイベント企画に携わっております、茅ヶ崎と申します」
「あ、ご丁寧にどうも」
両手で受け取りペコリと頭を下げた杉原と隣の郭に視線を向け、茅ヶ崎は訊ねる。
「郭様のお客様なら、奥のVIPルームをご用意致しましょうか?」
「ああ、茅ヶ崎さん。お願い出来ますか?」
「畏まりました」
茅ヶ崎さんと呼ばれた王子様イケメンは丁寧なお辞儀をした後、杉原にニコリと会釈する事も忘れなかった。
なかなか気配りの出来るイケメン茅ヶ崎さんである。
「…………」
だが、何故だろう。杉原は目の前に立つ郭の機嫌が明らかに悪くなったのを察した。
見た目ではあまり分からないが、長い付き合いの杉原からすると、内心炎が吹き出しそうな怒りっぷりだ。
「?」
眉を顰めていると、別のイケメン2人組がおずおずと近付いてきた。
片方はこのモデル達の中では比較的凡庸な顔立ちだが、その分親近感の湧くお人好しそうなイケメンと、もう片方はここにいる誰よりも長身かつ衣装の上からも分かる筋肉質な体躯の、包容力抜群そうな落ち着いたイケメンである。
「あの……」
お人好しイケメンが遠慮がちに郭に話しかける。
「はい?」
「元サッカー日本代表の郭英士さん、ですよね?」
「はい」
どうやら、郭のファンだったようだ。
途端に営業スマイルに切り替える郭に、内心爆笑する杉原。すると、お人好しイケメンは、杉原にも視線を向けた。
「それに……元大宮アルティーシャの杉原多紀さん、ですよね?」
「……はい?」
思わず裏返った声に、自分以上に相手が動揺する。
「あ、違いましたっ?!」
「いえ……そうですが」
「あ、やっぱり。良かったぁ」
胸を撫で下ろすお人好しイケメンの肩を、「良かったな」とポンと包容力イケメンが叩く。その様子に、なんだか既視感を覚える杉原。
(あ……この人少し渋沢さんに雰囲気似てるのか。世話焼きそうなとこ。あと、このお人好しそうな子も見覚えがあるような……)
杉原は正直、自分の事を認識された事に驚いた。
プロで活躍したのはほんの数年だ。日本代表に選ばれた訳でもないから、街中で声をかけられることなど皆無と言っていい。
なのにこのタイミングで話しかけられるとは……偶然とは空恐ろしいものである。
「すみません、お二人ともプライベートで来てるのに」
郭も杉原も黙ってしまった為、気分を害したと思ったのか、お人好しイケメンが慌てたように頭を下げた。隣の包容力イケメンも右に倣って頭を下げる。
「すみません、突然。俺もコイツも、サッカーが好きでフットサル部に入ってるんです。憧れの選手たちを前にしたら、ついはしゃいでしまって」
2人のイケメンに愁傷に謝られ、今度は杉原が慌てる。
「う、ううん。全然大丈夫ですよ。ただ、郭はともかくぼくなんて無名もいいとこだから、いきなり声かけられてビックリしただけって言うか…」
「いえ、そんなことないです!」
杉原の謙遜を遮るように、お人好しイケメンはキッパリと言った。
「俺、杉原選手のプレイ、大好きでした。クレバーなのに茶目っ気があって、何より視野が広くて相手の裏をかく意表を突いたパスやループシュートがカッコよくて……」
その真っ直ぐな尊敬の念と熱意を込めて語る姿に、杉原はある人物を思い出した。
「……もしかして、君。皆木巡くんの弟さん?」
皆木巡。引退してすぐの頃、お世話になった監督の手伝いで少しだけユースチームの世話をしている時にいた、攻守共に活躍出来る万能FWだ。
あの頃から才能はあったが、今では日本代表にも選ばれる実力の持ち主である。子供の頃は何故か杉原になついてくれて、ユースの時はよく一緒に練習やご飯に行った。
『俺、弟が7人いるんッスよー』とよく言っていた笑顔が、目の前のお人好しイケメンに被る。
「え? あ……はい、実は」
照れたように笑うお人好しイケメンは、確かにあの頃の皆木巡の面影があった。
「皆木巡の弟・皆木綴って言います。この人は伏見臣さん」
お人好しイケメン・皆木に紹介され、隣の包容力イケメンも笑って頭を下げた。
「どうも。俺も郭選手や杉原選手みたいな、頭脳派プレイと精密なパスコントロール、尊敬してます」
「あり……」
「ありがとう」
杉原がお礼を言うのを食い気味に郭がかぶせて礼を言う。
杉原は半眼になって斜め後ろの郭を睨んだ。
「ちょっと。ぼくが話してるの遮らないでよ」
「あはは、ごめんごめん」
2人のやり取りを見て、皆木が目をぱちくりさせる。
「郭選手と杉原選手って、仲良いんですね」
その一言に、郭の機嫌が一気に上昇した。
「郭、でいいよ。うん、小学生からずーっと! 仲良しなんだ」
わざとらしいまでの満面の笑顔に、杉原は「……どの口が言ってんだか」とボソリと呟いた。
「ん? 何か言った? 多紀」
「べっつにー」
「あははは」
ぷいっとそっぽを向く杉原と笑顔の郭に、皆木と伏見は朗らかに笑う。
そして、またペコリと頭を下げた。
「すみません、プライベートの時に話しかけて」
「いやいや、俺たちも久々に選手なんて呼ばれて嬉しかったよ。なぁ、多紀」
馴れ馴れしく名前を呼ばれ、盛大に顔を顰める杉原。
「名前呼びなんてやめてよ、郭英士さん」
そんな杉原に対して、常に満面の笑みの郭。
「はっはっは。多紀こそ、イヤだなぁ。そんな他人行儀な呼び方」
その遠慮のないやり取りが二人の仲の良さを象徴していて、皆木と伏見はにこにこと微笑んだ。
「なんか嬉しいです……好きな選手達のそういう姿が見れて……」
なんだか盛大に勘違いされていそうな様子に、杉原は慌てる。
「あ、いや、本当にね……」
だが、言い終わる前に茅ヶ崎が帰って来た。
「お待たせしてすみません。郭様、杉原様、お部屋のご用意が出来ました」
「あ、じゃあ、俺たちはこれで。お話しさせて頂き、ありがとうございました」
入れ違いで去った皆木と伏見に、茅ヶ崎は「おや」という顔をした。
「うちの劇団員となにか話されていましたか」
「劇団員?」
杉原の疑問符に、茅ヶ崎は丁寧に答える。
「はい。今日お客様を接客しているのは私が所属しているMANKAIカンパニーという劇団の団員たちなんです」
「ああ、役者さん達だったんですか。みんなカッコいいから、てっきりモデルさんかと」
「ふふ、ありがとうございます。それで、なにかありましたか?」
杉原の言葉に微笑みつつも、4人の会話を気にかける茅ケ崎。
確かに、郭は大事な取引先だろうし、自分の所属する劇団員とのやり取りは気になるところなのだろう。
だから、郭も笑顔で首を振る。
「いえいえ。あちらのお二人にお似合いだって褒めてもらったところですよ」
「いや、なにをどうしたらそうなるのさ」
郭の返答に思わずツッコむ杉原。放っておくと、そのまま事実まで捏造されそうな勢いだ。だから、ちゃんと杉原が答えることにする。
「郭とぼくの、サッカー選手時代のファンだって言って貰ったんです。ありがたいことです」
「ああ、そうだったのですか。それはプライベートな時間に失礼いたしました。しかし、彼らはとてもサッカーが好きなので、つい舞い上がってしまったのでしょう。どうかご容赦いただければ幸いです」
そつなくどちらもフォローする茅ケ崎に、郭も杉原も「もちろん」と笑って答える。
「久しぶりに選手なんて呼ばれて嬉しかったですよ。なぁ多紀」
「そうだね。特にぼくは、本当に久しぶりだったから……郭英士さん」
杉原はあくまで名前呼びにこだわる郭に冷笑を返したが、全然通じている気がしない。
だから諦めてそちらは放置し、茅ヶ崎に向き直った。
「お2人とも、とても礼儀正しくていい方たちですね」
「ありがとうございます。あの2人も、憧れの選手にそう言って貰えて喜びます……あ、そうだ」
そう言って、茅ヶ崎は懐から名刺のようなものを取り出した。
渡されたそれは折りたたまれた手の平サイズのメッセージカードで、開けると劇場のような建物が飛び出す仕掛けになっていた。造形も色遣いもシックでポップというセンス溢れたものだ。
「わ、可愛い!」
「ありがとうございます。うちの劇団のフライヤーです。良ければまた公演の際にお知らせさせて頂いても宜しいですか?」
「はい、もちろん! 普段は仕事で海外にいるんですが、機会があれば行かせて頂きます」
茅ヶ崎はそこまで話し、チラリと郭に視線を移した。
つられてそちらを見た杉原は、再び盛大に眉を顰める。
(うわぁ……なんでコイツ、こんなに機嫌悪くなってるの?)
笑顔なのは変わらないが、明らかに怒っている。
先程吹き出しそうだった炎が、郭の背中で黒く燃え上がっているのが見えるようだ。
目の前の茅ヶ崎もその怒気を察したのだろう、とびきりの王子様スマイルで郭に言った。
「その時は郭様にもお送りさせて頂きますので、是非お2人ご一緒に観劇にいらして下さい」
その途端……表情は変わらないまま、黒炎のエフェクトが花と光のエフェクトにパァァと変わっていく瞬間を、杉原は目撃した。
「! はい、もちろん! 2人で! 行かせて頂きます」
「はい、お待ちしております」
ニッコリと笑った茅ヶ崎と一瞬でご機嫌になった郭。
杉原はその光景を呆れたように見つめた。
(いやいや、分かりやすすぎるでしょバカ郭。茅ヶ崎さん、絶対に内心爆笑してるよ。っていうかいい加減その感じ、やめて欲しいんだけど)
もちろん杉原の願いが届くことはなく、イケメン2人がニコニコした状態のまま、奥のVIPルームに通された。
「何かありましたら扉横の電話でお呼び下さい。それでは、ごゆっくり」
丁寧なお辞儀をして茅ヶ崎が退出した瞬間、杉原と郭は同時に叫んだ。
「「どういうつもりだよ!」」
そして同時に抗議を開始する。
「多紀! 俺の前でイケメンにあんなにデレデレするとかひどすぎない?! しかも3人も違うタイプの男に声かけられてあんなに嬉しそうにしちゃってさ!」
「郭! ぼくが人に話しかけられるだけで機嫌悪くなるのやめてよ。ついでに名前呼びもやめてって言ってるでしょ、しかも人前で。茅ヶ崎さんに絶対笑われたよ」
お互いの主張は見事にハモったが、何故か二人ともきちんと聞き分けられて、再び同時に反論する。
「だって多紀が他の男と楽しそうに話してるのに、黙って見ていられる訳ないでしょ!? 名前で呼ぶくらいの牽制はしとかないと」
「誰がデレデレしてたのさ!? 皆木さんと伏見さんは普通に嬉しかっただけだよ。それからもう何百回と言ったけど、ぼく男の人が好きなわけじゃ全然ないからね! いい加減そのよく分からない嫉妬、止めてくれる?!」
ハァハァと息を切らせながら言いたいことを言い合った2人は、一度深く息をつくと、やっと視線を合わせ笑った……郭は満面の笑みで、杉原は苦笑いだったが。
「多紀、久しぶり。会えて嬉しかったよ」
「だから、名前呼び……はぁ、もういいや。うん、久しぶり」
「なんで日本に? まだしばらくドイツいるってこの前言ってたじゃん」
「うん、拠点はまだドイツだけどね。日本のシステムにも慣れてた方がいいって言われて、向こうの休暇の合間に里帰りがてらこっちでお世話になったコーチの手伝いしているの」
杉原が近況を話すと、郭は途端にむすっとした。
「……そんな話、俺、聞いてない」
その子供のような様子に、杉原は呆れる。
昔から郭は、どうも杉原になるといつもの大人っぽい顔を簡単に崩すが、実際に大人になった今でも変わらない。
いや、大人度が増した今の方が落差が激しい。
「いや、言ってないし。帰国も短期間だし、基本的に仕事してるだけだから」
「でも、ご飯食べに行く時間くらいはあるでしょ? 多紀が誘ってくれれば、俺はいくらでも時間空けるのに」
「だからだよ。前に連絡した時重要な会議すっぽかして、ぼくがどれだけ秘書さんたちに謝ったか」
「多紀が来てるんだもん、当たり前でしょ」
「当たり前じゃない。社会人……っていうか、社長としての自覚を持って」
「社長業より多紀だよ」
「だからその認識がある限り、ぼくは恐くて君に連絡できないんだって」
ポンポンとボールをパスするような軽妙なやり取りの後、杉原の台詞に郭は目に見えてしゅーんとした。
杉原は内心(めんどくさっ)とため息をつく。それでも突き放せないのだから、腐れ縁と言うのは厄介だ。
「……この後はちょっとミーティングがあるけど、夜と明日の午後なら空いてるから」
「! ホント?! よし、じゃあ最近オススメのフレンチレストランと韓国料理屋に行こう!後で車で迎えに行くから!」
「いや来なくていいよ。場所教えてくれれば行くから」
「ダメ! 多紀とドライブデートもするの」
「いやだってバカみたいなデカい車で乗りつけるでしょ。近所迷惑だから」
「じゃあ今から小さい車多紀用に買ってくる!」
「そんな無駄遣い止めて」
「無駄じゃない!多紀の為の買い物なら一銭だって無駄じゃないよ」
「あーもーホント……」
郭の駄々っ子のような反論に、杉原は深々と溜息をついた後、一言添えた。
「……本当、バカなんだから」
その声があまりにも優しくて、郭は思わずキューンときてしまう。
「多紀、やっぱり俺のこと……」
キラキラとする郭を杉原は全力でスルーして、時計を見て言った。
「あ。もうすぐ出るけど、夜会う時間決めなくていい?」
「決める!」
慌ててスマホを開く郭をくすりと笑って、多紀はようやく用意された部屋を見回した。
元々は小会議室で使われているだろうその部屋は急ごしらえだがセンスよく飾り付けられ、その壁沿いに上品な香水の瓶たちが置かれていた。
「……」
多紀は近寄ってそれらを手に取る。
よく見る女性向けの可愛いが全面に出た瓶ではなく、シンプルで甘すぎない、ユニセックスなデザインだ。
「多紀、夜だけど……」
ようやく時間が決まって話しかけた郭は、じっと香水を見つめる杉原の横顔に思わず息を飲んだ。
光の輪郭に縁取られ、透き通るような美しいその顔。
少年の時に恋に落ちてからもう20年近く経つが、このトキメキは未だ褪せるという事を知らない。
ここに至るまでに、郭だって他の人間と恋愛関係になった事はある。だが、この純粋な恋しさも愛しさも、目の前の唯一無二の存在にしか抱かなかった。
ーー杉原もそうだと、縋るように信じている。
ただ、口には出さない。
もうほつれ絡まって元の状態さえよく分からなくなった郭と杉原の関係は、何がキッカケで壊れるのかも分からない。だから、何も言わない。言えないーー確かめられない。
けれど……今日は少しだけ、手を伸ばしてみようかと思えた。
「……ねぇ、多紀」
「なに?」
振り返った杉原に、郭は目を細めて提案した。
「今夜のフレンチ、奢らせてよ。俺からのバレンタインプレゼントってことで」
そう聞いた途端、杉原が顔を顰める。
「えー……君が選ぶってことは高いんでしょ? お返しなんてできないよ、ぼく」
「大丈夫。多紀からのバレンタインプレゼントは……俺と、香りの交換しよう」
「香りの、交換?」
疑問符を浮かべる杉原に、郭は目の前の香水を示しながら説明する。
「うん、ここに置いてあるのは俺が携わった香水のシリーズだから、買わなくていい。その代わり、俺に似合う香水をこの中から選んで。俺も、多紀に似合う香水を選ぶから。それをお互い持ち合おう」
「……なにそのやたら乙女チックな発想」
苦笑いする杉原に、郭も柔らかく笑う。
「ふっ……バレた? 実は、さっきの茅ヶ崎さん達がポップアップイベント初日にしたミニ舞台の中で『離れている間も、俺のことを思い出してくれるような何かがあればな』っていう台詞があって。その後、オーダーメイドの香水を作りに行くんだ。そういうの、いいなって」
話しながら、最後少し杉原を窺うように斜め下から見つめる。
「ダメ、かな」
その顔に、今度はうっと杉原が気圧される。
(なんでこういう時だけ気弱な顔するかな……これじゃあぼくがイジメてるみたいじゃないか)
ついたため息とともに小さく返事をする。
「……いいよ」
「yes」
子供の頃と同じようにガッツポーズをして喜ぶ郭に、杉原は呆れながら満更でもない自分がいる事を自覚する。
「ぼく、あんまり香水つけないから、詳しくないけど」
「いいよ、多紀の直感で。それが嬉しいんだから」
(なんでそう嬉しそうな顔するかな……これじゃあ断われないじゃないか)
肩を竦め、諦めて香水を嗅ぐ杉原。
「……くん」
「…………」
その仕草をじっくりと郭は堪能する。
目を閉じ、鼻先を突き出して吟味する杉原の姿には、グッとくるものがあった。
「うーん……」
一通り匂いを嗅いで付属の香りの説明書を読んだ杉原は、キュッと眉間を摘んだ。
「なんか、色んな匂い混ざってよく分かんなくなっちゃった」
「あはは、そうなるよね。俺も、試作品の品評会の時にそうなった」
「まあでも……この中なら、これかな」
そう言いながら、杉原はシンプルな細身で縦長の香水瓶を手に取った。
「! へぇ……」
郭は微かに目を見開く。それは、『デキる男の日常』をテーマに作った、郭が最も気に入っていた香水だった。
トップノートは爽やかなシトラス系、ミドルノートに少しスパイシーな香りを入れ、ラストノートは清潔感があり少し甘めのムスキーノートで締め括る。
「コロコロ表情が変わるところが今日の郭っぽい」
「……それは絶対褒めてないだろうけど、褒め言葉として受け取るね」
「相変わらずメンタル強いなぁ」
あははと笑う杉原に、今度は郭が小さくて丸い香水瓶を差し出した。
「俺は、これ。作ってる時から、この匂い杉原っぽいって思ってたから」
「……職権乱用」
「違う。たまたまだって」
こちらは、『気になる女性の意外な一面』をテーマに作った香水だ。
トップノートは草原を思わせるグリーンノート、ミドルノートは控えめな甘さのオリエンタルノートになり、ラストノートで少し強めのスパイシーノートになる。
「ちょっと変わった変化する香水だよ。甘そうで甘くない、お前みたいな香り」
「……それは褒め言葉として受け取っておこうか」
「ふふっ。どうぞ」
嬉しそうな郭の顔が気に食わなかったが、受け取って嗅いだ香りは、麻痺した鼻でも分かるくらいには好きな香りだった。
……それがまた、杉原にとっては腹立たしいのだけれど。
「それで? これを渡し合って終わり?」
その問いに、郭は小さく首を振って微笑んだ。
「ううん。今夜改めて2つの瓶を包装して贈るよ。丸いのは多紀の普段使い用。もう1つは……俺を思い出す用」
その答えに、半眼になって返す杉原。
「……郭のは部屋の端っこで埃被ってるだろうけどね」
「あっはっは。毎日持ち歩いてくれてもいいんだよ?」
「ヤダよ荷物になるし」
「ひどい!」
辛口なやり取りの後、「じゃあ香水は返して」と郭に手を延べられた。そのままポンと返そうとした杉原の手首を郭は掴んでグイッと引き寄せ、チュッとその額にキスをした。
「なっ!?」
「ははっ、隙あり!」
イタズラっ子そのものな笑顔で笑った郭を全力で睨みつける杉原。
その顔にニコニコと郭は言った。
「悔しかったら、やり返してもいいんだよ?」
そう言いながら晒した郭の首筋に、杉原は思いっきりーー爪を立ててつねった。
「痛っ !イタイいたいイタイ……!」
「はい、お望み通りやり返したよ」
涙目になった郭を解放すると、その白い首筋にはキスマークのような赤い傷跡が出来た。
してやったりという顔の杉原に、涙を拭いながら鏡で傷跡を確認した郭は一言。
「あのさ、多紀」
「なに?」
「これ……茅ヶ崎さん辺りが見たら、普通に多紀がキスマークつけたって思うんじゃない」
「……!」
郭の一言に一呼吸おいて、顔を朱色に染める杉原。
そんな杉原の顔を見つめ、郭は言った。
「俺、お前のそういうところが好きだよ。多紀」
耳まで赤くなった杉原は両手で頬を隠しながら返す。
「……ぼくは、君のそういうところが大嫌いだ。英士」
【終】