【渋不破】どこでも二人でTEA TIME前途有望であればちやほやする。最盛期ならば褒め称える。衰退期を迎えればひそひそと引退を囁き、己の思う引き際を叶えなければ後ろ指を指す。
無責任な大衆なんて、所詮そんなものだ。
「えー……渋沢選手は、まだ引退は考えていないんですか?」
もう何度目かも分からない、失礼とも思わなくなった恒例の質問に、渋沢克朗は穏やかな笑みを浮かべながら恒例の答えを返す。
「まだ考えていないですね。体が動き、必要としてくれる場所がある限り、選手を続けたいと思います」
インタビュアーの男性は、変わり映えのしない答えに「はあ」と気のない相槌を打つ。答えが変わればスクープになったのに、と失望が大きく顔に書いてある。出会って間もないよく知らない男の身勝手な期待を叶える為に、渋沢は信念を曲げたりはしない。
「――では、インタビューは以上になります。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
お互い頭を下げて、終了。口先だけの簡単な挨拶と世間話をして、渋沢はインタビュー会場となったホームスタジアムの会議室を後にした。
「……はあ」
誰もいなくなった薄暗い廊下で、渋沢は大きくため息をついた。引退に関する一連のやり取りは、慣れているとはいえ気分が良いものではない。
「引退、ね……」
その言葉を投げかけられる度、渋沢は今はもう第一線を退いたかつての仲間たちを思う。
そのまま所属チームのコーチになった者、サッカーとは無縁の第二の人生を歩み始めた者、解説やコメンテーターとしてテレビで活躍している者……。
彼らの前途は不安も多いだろうが、未知の世界に歩み出すその姿は勇ましく、格好良いと素直に思う。
振り返って、自分はどうだろうか――そう思い、渋沢は苦笑いを浮かべる。
「格好良いかは、分からないな……」
けれど、まだやるべきことがある。やれることがある。
そう思うから、渋沢は未だこの場所を離れられない――例え、誰に後ろ指をさされようとも。
「……さて、練習に出るか」
気持ちを切り替えて、渋沢はグラウンドに向かった。
チームメイトたちはそれぞれ笑顔や会釈で温かく渋沢を受け入れてくれる。
そして準備運動を丁寧にやっていると、GKコーチの日高聡一が静かに歩み寄ってきた。
「渋沢さん、お疲れさまでした」
「ああ、ありがとう。大した話は出来なかったけどな」
渋沢の返事に、日高は何があったかを察し苦笑する。
「また聞かれたんですか、例の質問」
「ああ。まあ、大体あまり申し込まれない取材元だと、一回は聞かれるから覚悟はしてたけど」
「スーパースターは大変ですね」
「元、だけどな」
中学生の時に東京選抜と関東選抜で同じGKとして知り合った日高は、その後U23やA代表でもレギュラー争いを繰り広げた、ライバルであり同志だ。
今はコーチと選手という立場だが、お互い気の置けない会話のできる、渋沢にとっては有難い存在である。
「それに、スーパースターっていうなら日高だって……」
バババババッ
渋沢が話し始めた瞬間、大きな風切り音が響き渡った。渋沢や日高、周りの選手たちが見上げると、スタジアムのすぐ近くを真っ黒なヘリが飛んでいる。
「こんな近くにヘリが来るなんて……」
何かあったのだろうかと渋沢が考えている間に、ヘリはそのままスタジアムの真上まで飛んできて、その場でホバリングを始めた。
「え……?」
全員が突然の出来事に呆気にとられる中、ヘリからバラリと縄梯子が下がり、そこから見覚えのある人物が白衣を翻しながら降りてきた。
その人物を見て、渋沢はここ数年間で一番動揺した声を漏らした。
「ふ、不破……?!」
そこには、かつて東京選抜で共に戦い、U19でもレギュラー争いをした友人・不破大地がまるで普通の階段を歩くが如く、いつもの無表情で渋沢の目の前に降り立った。
呆然とする周りが見えてないかのようにヘリに向かって何か合図を送り、去っていくヘリを見送ってから、くるりと渋沢に向き直って一言。
「渋沢、今すぐ俺と来い」
「……え?」
「時間がない。あと16分32秒以内に来なければ……」
「こ、来なければ……?」
「賞味期限が切れる」
「はい?」
どこからどう突っ込んでいいのか分からず立ち竦んでいる渋沢にしびれを切らした不破は、その場に座り込み、手に持っていた正方形のアタッシュケースを開けた。
そして、中から上品な和食器の上に乗った豆大福2つを取り出す。
「残り15分48秒。さっさと食え」
「え、あ、ああ……」
ずいっと顔面に差し出された豆大福に、思わず受け取り、食器に添えられていた竹べらで半分に割って口に運ぶ。
「ん!?」
口に入れた途端滑らかな餅がふわりとほどけ、含まれていた豆が絶妙な弾力で歯を押し返す。噛んだ先から豆本来のほどよい甘みと旨味が溢れ出し、その先に丁寧に濾された餡の上品な甘みが口いっぱいに広がる。
「美味……っ?!」
目を見開きあまりの美味に驚いている渋沢に、不破は満足そうにドヤ顔で頷く。
「そうだろう。なにせ、賞味期限1時間の幻の豆大福だからな」
「え、賞味期限1時間?!」
「そうだ。だから早く食え。あと14分55秒以内だ」
「あ、うぐ……っ!?」
渋沢が驚いている隙に、不破は残りの豆大福を渋沢の口に突っ込んだ。
そんなに大きさはないが、勢い良く口に入ってきた豆大福で危うく窒息しそうになりながら、どうにか飲み下す渋沢。
それでも美味しさは口全体に溢れ、渋沢は動揺しながらも幸せな気持ちに浸った。
目尻を下げて完食した渋沢に不破は満足したように頷いて、それから不破はやっと気付いたように挨拶した。
「久しぶりだな、渋沢」
「今っ?!」
目を見開いた後、渋沢は堪えきれなくなって吹き出した。
「あっははははっ!! 不破は本当に変わらないな」
涙が零れるほど腹を抱えて笑い、そして目尻を拭いながら挨拶を返した。
「久しぶり、不破。美味しい豆大福をありがとう」
「気に入って貰えたなら何よりだ。その為にヘリを飛ばしてきたわけだしな」
無表情ながら自慢げに胸を張る不破に、渋沢は「そうだ」と思い出す。
「来てくれたのは嬉しいけど、こんなとこにヘリで大丈夫だったのか?」
「む。オーナーには許可を取った。連絡が来てなかったのか?」
「……俺は知らないな」
そう言って渋沢は日高の方を見るが、日高も困ったように首を振った。
「俺も聞いてないですね」
「そうか。45分前に連絡したから、色々間に合わなかったのかもな」
「そんな急に……なんでまた突然豆大福を持って来てくれたんだ?」
渋沢の尤もな質問に、不破は至極当然の顔をして答えた。
「先程食べた豆大福が美味かったからな。渋沢が好きなのを思い出したから持ってきた」
「持ってきた、って……」
学生時代の差し入れじゃないんだから……とは思ったが、渋沢はそれ以上に『渋沢が好きなのを思い出したから持ってきた』の一言に頬が緩んでしまっていた。
「よく覚えてくれてたな、俺が豆大福が好きなこと」
「? 当たり前だろう。渋沢のことで、俺が忘れる訳がない」
「!!」
突然の甘いセリフに、思わず赤面してしまう渋沢。しかし、赤面させた当の本人はいつも通りの無表情でけろりとしている。
「あ、あの……俺、事務所に確認してきますね」
色々と察した日高が、気をきかせて席を外そうとする。そこでやっと不破は日高に気付いた。
「む。日高ではないか。久しぶりだな」
「久しぶり、不破。相変わらず読めないな、お前の行動は」
日高と不破も、渋沢と同じくU19でレギュラー争いを繰り広げた旧知の仲だ。日高はかつての不破を思い返しながら、小さく笑った。
「まあ、折角来たならゆっくりしていけよ。渋沢さんも、インタビューがあったので練習時間は余裕をもってずらせるようにしてありますから、少し休憩長くても大丈夫ですよ」
必要事項だけ伝えて、日高はまだざわついている選手たちに声を掛けに行った。
その後ろ姿を見送りながら、不破は腕を組んで感心する。
「日高もここで働いているのか。あいつも昔と変わらずに気遣いの出来る有能な人間だな」
「ああ。俺もよくしてもらってるよ」
渋沢は同意して、そうして不破を真正面から抱き締めた。
「?!」
腕の中でビクリと身体を震わせた不破の耳元で、渋沢は心から嬉しそうに囁いた。
「ありがとう、不破。俺の好物覚えててくれて、わざわざ届けに来てくれて。嬉しかった」
「…………これくらい、大したことではない」
声は平静だったが、耳が赤くなっているのが渋沢からはよく見えた。そんな素直な不破の反応が可愛くて仕方がない。
「それに……もうすぐ、渋沢の誕生日だからな」
ボソッと呟かれた一言に、渋沢は身体を起こして目を丸くする。
「え……俺の誕生日も覚えててくれたのか」
渋沢の驚いた顔に、不破は不満そうに口を尖らせた。
「言っただろう? 渋沢のことで、俺が忘れる訳がないと」
「…………そうだな」
くしゃっと頬を染めながら笑った渋沢に、不破は少し目線を泳がせて呟くように続けた。
「俺はその日ベルギーで学会があるから祝えないんだが、その前に会えて良かった」
「不破……」
その一言に、渋沢は喜びと切なさを覚えた。
自分の誕生日を気にしてくれていた喜びと、不破も第二の人生を謳歌している事実への切なさと。
「ベルギーで学会なんて凄いな」
渋沢に言われ、不破は僅かに眉を寄せた。
「別に凄くはない。学会の場所は毎回変わる。今回はベルギーというだけだ。それに、ベルギーなら昔お前も住んでいただろう」
「ああ……そうだな」
渋沢は、目を細めて思い出す。恐らくは自分の最盛期。あの自信と誇りに満ちた日々を。
「俺は……昔の話だ」
ポツリと呟いた渋沢の顔を見て、不破は不思議そうな顔をした。
「どうした? 顔色が冴えない気がするが」
「ああ、いや……不破も、第二の人生を謳歌しているな、と思って」
格好良いと、素直に思えるその背中。そんな彼に、最盛期を過ぎて尚未練がましく同じ道を歩き続けている自分は、並び立てるのだろうか―――と、いつもは揺らがない気持ちが揺れた。
だが、そんな渋沢を、不破は昔と同じ真っ直ぐな視線で射貫く。
「? 第二の人生? 俺の人生は一度きりだ。二度もない」
不破は当然のように言い切って、真正面から渋沢を見た。
「渋沢の人生も一度だ。そして昔は今に繋がっている。何も憂うことはない」
「不破……」
いつでも真っ直ぐな、そんな不破が好きだった。何があろうと変わらない彼の強さが眩しかった。
そんな不破が「憂うことはない」と言ってくれるだけで、揺らいだ気持ちがすっと元に戻る気がした。
「ありがとう。不破にそう言ってもらえると、なんだか気持ちが楽になるよ」
そして先程のインタビューを思い出し、ぽつりと弱音を零した。
「……さっき、雑誌のインタビューを受けてね。その時に引退を聞かれて、ちょっと弱気になってたんだ。みんな第二の人生に向かって歩んでいるのに、俺はこのままでいいのかなって」
「そうか」
不破はいつもの無表情のまま頷くと、不意に渋沢の頬を両側に思いっきり引っ張った。
「いひゃいっ?!」
学生時代以来、いや、中学生の時もそう味わったことのない痛みに、思わず声が漏れてしまう渋沢。
不破は構わず更に数秒引っ張ると、唐突に両手を離して言った。
「お前は渋沢だな。らしくない事を言うので、いつの間にか別人に成り代わったのかと思った」
「そ、そんな理由で……」
頬をさすりながら苦笑いする渋沢に、不破は珍しく微笑んで告げる。
「渋沢は、渋沢だ。良いも悪いもない。俺は、昔のお前も、今のお前も、等しく好きだ。だからこうしてお前に会いに来た」
いつでも真っ直ぐな、裏表のない愛情。
それを真正面から受けて、渋沢は今度こそ心から笑った。
「ありがとう、不破――俺も、不破が好きだよ」
誰に何を言われてもいい。
ただ、この変わらない純黒の瞳を向けてくれる彼に恥じることのない、思うがままの己で生きていこうと――渋沢は静かに決意を新たにした。
【終】