バスルーム・クライシス「こんなに大きなお風呂、初めてだな…。」
いつも魔法使いたちが使っている大浴場の湯船に、入ってみたくはないか。
最近は時間がなくて、お風呂もシャワーで済ませていると、西の魔法使いたちとのお泊まり会で話したのは、つい最近だ。
「この時間帯なら、ほとんど誰も使わないよ。賢者様、入ってみてもいいんじゃないかな。」
「最近の賢者様はお忙しかったですたからね。これくらいの羽目は外しても良いかと思います。」
「そうだね。旅をしているときも、疲れた身体にお風呂は気持ちがよかったよ。」
「犬掻きで泳ぐの楽しいよ、わん!俺以外にはやってくれないから、試してみて!」
彼らは魔法使いたちが使っている大浴場に入れるように、取り計らってくれたらしい。その行為に甘えて、ほとんどの魔法使いが寝静まった真夜中に、両手両足を伸ばしても全然足りない大きさの湯船を満喫していた。
さすが二十一人の魔法使いが毎日使う大浴場、いつものこじんまりとした一人用バスルームとは規模が違う。モザイク柄のタイルも趣味が良く、趣がある。
「おい、誰かいるのか。こんな時間なのに、珍しいな。」
しかし、一人の贅沢時間は凛とした少年の声で終わりを告げる。西の国の魔法使いたち曰く、ほぼないはずの次客が来てしまった。
「あ、え、シノ⁉︎」
「賢者?」
少し眠そうに目を擦るシノに、温かいはずの浴場の空気が凍りつく。できるだけ手で身体を覆い、お湯に沈める。シノも不味いと思ったのか、すぐに入口の向こう側に行ってくれた。
「えっと、こんばんは。この時間にお風呂とは、お疲れ様です。」
「ファウストから補習を受けていた。ほら、これを使え。」
固まってしまった空気を解したくて挨拶をしてみたものの、あまり効果は感じない。シノの魔法で飛んできたバスタオルを受け取って、いそいそと身体に巻きつける。
「賢者こそ、何故居る。不味いじゃないか。」
「えっと、かくかくしかじかでして…。」
「なるほど。だが、迂闊だぞ。せめて、注意書きぐらい張ったほうがいい。」
正しい意見に、ぐうの音も出ない。久しぶりの湯船に、小さな鼻歌を歌ってお風呂の支度をしていた自分が恨めしい。浮かれていたからって理由で、未成年に全裸を見せたかもしれない。そんなつもりないけど、逆に見てしまったかもしれないのだ。
「本当に、今度から気をつけます…。あの、十分にお風呂を満喫しましたので、私が上がりますね。」
「賢者を追い出すような真似して、此処を使えってことか?断る、俺が出る。」
「いいですよ、気にしなくて。補習の疲れを取ってください。」
「おい、子ども扱いするな。こんなことどうってことはない。」
浴場の奪い合い、ではなく譲り合いが激しくなり、もうこのままでは誰もお風呂に残らないなんて不毛な結果になりかねなかった。
「もういい、じゃあ間を取ってこうしよう。」
「これ本当にいいんですか⁉︎ファウストとかに見つかったらどうなるんですか、これ⁉︎」
「みんな寝ているんだ、静かにしていればバレない。」
「そう言う問題ではないと思います。バレたらどうなるかを聞いてるんです!」
一人が入って、一人が入らないが嫌なら、いっそ2人で入ってしまおう。常識を超えた考えをシノは提案してきた。最初は断固拒否だったが、シノが頑なに譲ってくれない。早くお風呂に入って、ゆっくり休めれば、シノも満足して私を。そんな淡い希望から、とうとう案を飲んでしまった。
「しかし、あんたは不安症だな。」
「シノ、これって一歩間違えば犯罪なんです。未成年に手を出したら、私の世界では刑罰が課されます。」
「だから、子ども扱いするな。生きた年数は短いかもしれないが、あんたよりも身長は高いぞ。」
湯船に浸かるシノの頭は、確かに私の頭よりも高い所にある。賢者の魔法使いたちの中では小柄な方だが、性別が違う私には十分背が高い。
「身長の高さは、人生経験を凌駕する…?」
「魔法舎に来てからは、カインとレノックスに鍛錬に付き合ってもらってる。だから、大の大人が束にかかってきても勝てる。」
確かに、白い肌の身体には筋肉が薄く綺麗についていて、細身ながらも逞しさを感じる。時には大鎌を振るい、時には私を守るために抱きしめてくれたこともあった。たった一人で空を駆けて魔物を倒した時もあった。
「……。」
「どうした、賢者。静かになったな。」
「…はい、シノが言う通りだなって。確かに、シノを子ども扱いは違いますね。」
少年と青年の間の幼い顔立ち故に、少し忘れかけていたのかもしてないシノはとても頼りになる、賢者の魔法使いだ。
「話がわかるな、賢者。……あんたのことは、俺が守る。」
真剣な言葉にはシノの自信、親愛、野心が込められ、いつになく胸を貫かれる。
惜しげも無く晒された鎖骨や、顎のラインを流れる汗。半裸とはいえ、齢17歳の少年から漂ってはいけないような色気が、シノは纏っていた。
「ちょっと、あの。今のシノ、直視できないです。離れますね。」
「何でだ、渾身のセリフだぞ。仕方ない、もう一回やる。俺は…」
「もういいです!大丈夫ですありがとうございます。」
「そうか、じゃあ最後に一つ。」
筋張った指が濡れた髪を一房だけ攫っていく。軽く指を髪に絡められたと思えば、シノは囁くように呪文を唱えた。
「押しに弱すぎだ、あんた。ちょっと心配になった。賢者の魔法使いなら兎も角、それ以外に絡まれたら俺のことを呼べ。何とかしてやる。」
髪束には、綺麗な緋色の髪紐が結ばれていた。ちょうど、私の目の前にある瞳のように、きらきら輝いているように見える。
「……はい、もうシノとはお風呂入りません……絶対です。」
「ふーん。まあ、今はそう思ってればいい。」
これから先が楽しみだとばかりに、笑みを深めたシノの笑顔は自信に溢れて、何処か怪しいさを帯びている。いつの間にか、こんな表情もできるようになっていたなんて。けれど、これからの時間でこういう、シノの知っらないところに出会えるかもしれないと思うと、胸に小さな花火のような熱が散るのは何故だろう。
「嘘だろ。あれで何もないのか、あの二人…。」
シノと同じく、ファウストの補習を受けていたため風呂に入りそびれたネロが、その一部始終を見て驚愕していた。