家出息子たちの帰還.27───冬の間、スレンは雪に閉ざされ飛竜や天馬でほ飛行が不可能になる。そんな季節だからこそ土地の境界線で揉める。(中略)上空から土地の様子を確認出来ないため巫者は儀式によって魂を身体から離脱させ空に飛ばす。巫者の魂が直接、上空から土地を見て両者の言い分のうちどちらが正しいのか確かめるのだ。こうして問題を解決してきた歴史があるからか、スレンでは氏族の長が巫者を兼ねていることが多い──
招かれざる客と乾杯した後はその場で自分の杯を割るのがスレンの習いだ。事情を知るファーガスのものなら険悪な雰囲気になっていただろう。
彼等はシルヴァンたちのために馴鹿を捌きはしたが肩甲骨周りの肉ではなく、茹でた内臓を出している。皿の中身を見た時点で通詞はひどく不安そうにしていた。客人には普通なら最も良い部位を出す。彼は咄嗟に視線でシルヴァンに判断を仰いだが、シルヴァンはこの場ではローレンツに悟らせるな、と表情で命じた。
その結果スレンの事情に疎いローレンツは族長の娘が粗相をして杯を割ったと解釈し、大袈裟に心配してみせた。彼女の面目を救おうとして回復魔法までかけている。ようやく命を狙われなくなったが、教えておかなかったせいで彼が道化のようになってしまったことがシルヴァンにはひどく辛い。
「歓迎されてねえなあ……。申し訳ない。あれはわざとだ」
自分たちの天幕に引き上げた後、シルヴァンは説明と謝罪をした。スレンのものたちからすればシルヴァンとローレンツの区別はつかない。自分たちを北方に追いやったフォドラの入植者の一員なのだ。
「気にするな。襲撃されなくなっただけ前進したと思おう」
だがローレンツはそれ以来、初めて目にした彼等の文化風俗について、通詞を介して熱心に質問して書き留めている。今はまだ断片的なものだがそれでも集めれば価値が出てくるのではないだろうか。
森の主人とされた大木に何枚も巻かれた布の鮮やかさ、川での豊漁を願う祈祷歌の響きはゴーティエ家にとって不吉なものでしかなかった。だが彼等と因縁がないローレンツの目には全てが興味深く映る。彼等は未だに悪意を隠さないが、自分たちも変化せねばならない。
「紙は足りるのか?」
シルヴァンは小声でローレンツに尋ねた。
「明日からは字を小さくするかな」
洋灯の下でローレンツが静かに紙の束を数えている。通詞兼護衛は一日中、細かいやりとりを訳す羽目になったせいか疲れ果て泥のように眠っていた。明日も彼は一日中、頭と喉を酷使することになるだろう。
肌を重ねるとあんなに熱いのにクロードは寒がりだった。だからスレンやダスカーとはおそらく縁がない。それでも大手を振って国外を回れるのはありがたかったし、いつか彼のいる国まで足を伸ばせることだろう。
ローレンツはスレンのものたちと接触、交渉しているうちにひとつ気づいたことがある。寒い地方なので皆、酒や茶が大好きだ。酒は家畜の乳を発酵、蒸留させればなんとか作れなくもない。だが茶葉はどこから手に入れているのか。移動しながら暮らす彼らは茶葉を板状に圧縮し、飲むときには必要な分だけ切り出す。この保存法から見るにスレンで流通している茶葉はファーガスのものではない。彼らはゴーティエ家の目が届かない北方で、どこかの国と交易をしているようだ。こういった不測の事態に対応するためゴーティエ家はより強い権限を必要としている。
スレンの茶は薄い。湯と家畜の乳を混ぜたものに塩を入れ、泡立つようにさらに掻き回しながら沸かし、そこに塊から切り出したわずかな茶葉を投入して煮出す。器に淹れる時は茶漉しを使う。
「肉団子に茶を注ぐのか?」
ローレンツは思わずシルヴァンに耳打ちした。彼に帯同する形でスレンに入っているので、判断に迷った時は従うしかない。
内心では恐る恐る口にしてみたが、乳と塩が既に入れてあったせいかそこまで突飛な味にはなっていなかった。意外なことにむしろ美味な組み合わせですらある。スレンでは雨があまり降らず飲料水に乏しいので飲む、と食べる、の境が曖昧なのかもしれない。
「実に美味しい昼食だった。午後からも引き続き実りある話し合いをしよう」
通詞ごしにシルヴァンは言った。今日はそれぞれどこの水源地を使うのか、について話し合っている。正確を期すため巫者が魂を上空に飛ばして確かめたという地図を元に。クロードの表現を使うなら飛竜や天馬で飛行できた時期の記憶が、いつもとは別の髪型、違う外套で出てきただけ───だろうか。
しかしこの昼食のおかげでローレンツにもスレンの民とフォドラの民が何故、水源地の扱いで揉めるのか、真に理解できたような気がした。
十傑の子孫たちは帝都アンヴァルから見て北と東に封じられた。懲罰人事という一面があったことは否めない。そこは辺境の地でどこまでが自分たちの土地なのかが曖昧だった。どちらも先んじて住んでいた異民族との衝突が絶えない。ディミトリたちの祖先は粘り強く北方へ入植し、クロードたちの祖先は東方へと勢力圏を広めていった。
そう言うと聞こえは良い。だがスレンやダスカーのものからすれば住みやすい南の土地から北方へ追い出された、と言える。そんな過去の積み重ねがシルヴァンとスレンの交渉を難しくしていた。だが彼は諦めようせず、こまめに報告を送ってくる。
「今回も珍道中は変わらず、だっただろう?」
「もう、陛下ったら!」
アネットはディミトリのつまらない冗談に笑ってくれた。彼女は現在、ガルグ=マクの士官学校で教師をしていて偶にギルベルト、いや、自分の名を取り戻したギュスタヴに顔を見せにくる。アネットは親しい友人たちが書いた報告書をディミトリに戻した。
「でも今回は学術的にも面白いことが書いてありました。魔道学院や士官学校から学者を派遣してもいいかもしれません」
「流民の件だろうか」
こまめに何でも書き残すローレンツはスレンで使われる魔法陣をそのまま書き写している。数世紀前のフォドラで使われたものとよく似ている、税に耐えかねて入植地から逃げ出したものがスレン族に吸収されたのかもしれない、との但し書きがついていた。
「はい、もしそうだったら彼らと私たちって親戚みたいなものですよね。お互いにそう思えたら交渉もうまく行くんじゃないかなーって」
だが吸収された流民たちはフォドラの言葉もセイロス教の信仰も失っている。ディミトリはそこまでしなければ受け入れられなかったのだ、と捉えてしまうがアネットはそうではない。
「行って……みてはもらえないだろうか?士官学校の仕事もあるから無理強いは出来ないが」
「ベレト先生、あ、違った!大司教猊下と相談してみます」
スレンの現況がどうなのかフェルディアにいるディミトリには分からない。だが明るいアネットが現地に行けば少なくともシルヴァンとローレンツは喜ぶはずだ。