ベレトの背に浮かぶ炎の紋章を軍旗に掲げクロードたちは進軍を開始した。アリルに近づくにつれてファーガス出身者たちの冬山での頼もしさは溶けて消えていってしまったらしい。皆、口々に暑い暑いと言って頭を抱えている。あの時と立場が逆転したかのようだ。
クロードは比較的暑さに強いこともあり前の人生では知る由もなかったアリルにまつわる伝説に少しだけ心が躍っていた。マリアンヌが語ってくれた女神の怒りの話もパルミラで信仰の対象となっている力はあるが人間のように感情に振り回される精霊と似通っていて実に興味深い。聖典に記されたセイロス教の女神をクロードは機構のように感じている。神々というのは皆凡百の人間などより遥かに優れた力を持っているがその分、気まぐれで恐ろしいものであり祟られぬように平伏して懇願する対象だと思っていた。だがセイロス教の女神にはこれといった欠点がない。もしかしたら聖典に記す際にそう言った要素を消してしまったのだろうか。誰が何故そんなことをしたのだろうか。
「慈悲深いはずの女神様が、森を、大地を焼き払ったってのか?」
「あくまで、この地域の伝承です。聖典にも記されてはいませんし……」
「じゃあきっと誰かの創作なんだろう。でなきゃ、女神様はまるで化け物……」
だがガルグ=マクでクロードが遭遇した白きものは化け物としか言いようがなかった。炎を吐く生き物は生き物なのだろうか。生き物と化け物の違いとは何なのだろうか。
「クロード、お喋りの時間は終わりだ。あそこを見たまえ」
ローべ家の軍旗を掲げる軍団が頭上に展開していた。つい数年前までファーガスは東西ひとつの国だった。西にあるファーガス公国の者を完全に排除しようとすれば自然と東部の王制派諸侯まで排除せざるを得ない。間者はそこを突いたのだろう。公国への嫌悪感はファーガス出身者たちの方が強く皆不機嫌そうな顔をしていた。
「イングリット、上空からの偵察を手伝ってくれ」
飛行職であれば足元の溶岩を気にせず移動が出来る。額から流れ落ちる汗を拭いながら承諾してくれたイングリットがペガサスの手綱を引くとその勢いで抜けた羽根がはらはらと落ち足元の溶岩に触れた瞬間、音を立てて消滅した。
馬も慎重に操らねば火傷させてしまう。ローレンツもシルヴァンもフェルディナントも馬が歩行可能な場所を慎重に選んで歩みを進めていた。そこへ様子を伺い終え血相を変えたイングリットがやってきてシルヴァンと何事かを話している。クロードがいるところからは彼らが何を話しているのか全く聞き取れないがローレンツがベレトの方へ向かっていくのがクロードにも見えた。ベレトの動向も気になるがクロードは早くジュディッドたちと合流せねばならない。二手に分かれるという当初の作戦どおり進軍していくしかなかった。
敵に弓兵が多く撃ち落とされないように距離を取っているとクロードは自然にイングリットに近寄ることになる。汗だくの彼女は逸る気持ちを抑えるかのように唇を噛み締めていた。
「よう、さっきあっちで何があったんだ?ローレンツは"きょうだい"に何を伝えに行ったんだ?」
「敵軍の中にアッシュがいたのです……!」
絞り出すような声でイングリットが王国西部の事情を話してくれた。知らず知らずのうちに民草の心の支えである西方教会が帝国の尖兵となっていた影響は拭いきれていない。彼らが乱した政情が安定しないためアッシュは領民と公国に鞍替えしたローべ伯の板挟みになっている。
「生け捕りに出来たら説得できるか?」
意地を張ってつっかかってこられたらこちらとしても生き残るためにアッシュを攻撃せねばならないだろう。同じ弓兵であるクロードは彼の実力もよく分かっていた。
「説得というかその……身代金を払ってくれるような身内が彼にはもういないので名分も立つと思います」
捕虜になったら命を守るための行動が求められる。捕まえられたら生き延びる為に言うことを聞くしかない。これがローレンツがかつてミルディン大橋で降伏出来なかった理由だ。嫡子である彼が捕縛されグロスタール家が身代金の支払ったり彼本人が王国軍の一員になることによって生き長らえることが出来た場合、帝国への利敵行為であると看做されてしまう可能性が高い。そして自分のせいで領地や一族が危険に晒されても捕虜の身では手も足も出せないのだ。
「なんだ、俺たちにとっちゃ都合がいい話だがローべ伯は薄情だな。アッシュに命を賭けさせたくせに」
皆の話を聞きたいと常に願っていたベレトなのできっと上手く取り計らってくれるだろう。クロードは少し上昇して前方の様子を伺った。ベレトはアッシュとの距離を詰めつつある。
「私は先生を信じます」
「そうだな。そろそろ露払いも終わった頃だし前進するか。俺はラファエルと行くよ」
「では私は先生の立てた作戦どおりレオニーと共に前進します」
誰が何をやっているのか全て分かるほど狭い戦場ではないがベレトが何をするのか全て分かっていたのでクロードに不安はなかった。