ジュディッド、シャミアそれに他の密偵たちからも王国の兵が中心と見られる謎の軍勢が同盟領内を通過しコーデリア領とフリュムを繋ぐ橋に向かったという報告が上がってきた。ガルグ=マクにいるファーガス出身者たちは激しく動揺している。あれだけ疲弊した王国にまだそんな余裕があったのかという驚き、誰が率いているのかと言う当然の疑問も解消されない。
幼馴染たちがガルグ=マクにいることなど調べればすぐにわかるのに軍を立ち上げるにあたって何故彼らに声を掛けなかったのか。共にオグマ山脈を縦走した頃のディミトリならば必ず声を掛けてきたはずだ。軍議の際にも議題として取り上げられたがディミトリ本人が率いている軍なのかそれとも彼に後事を託された謎の第三者が率いている軍なのかとにかく情報が少なすぎてガルグ=マクにいるクロードたちには判断できない。ディミトリがローレンツの記憶通り正気を失っているのかはたまたクロードの記憶通り遣り手の王なのか。クロードもローレンツも残念な話だが前者の可能性が高いと考えている。
山の春は人間の思惑とは関係なく訪れ雪は溶け新芽が芽吹き動物たちは冬の眠りから覚めた。ガルグ=マクの敷地内に蜜を集める蜂や蝶々が飛び回っている。一度皆で実家に戻ったこともありガルグ=マクまでならば物資は滞りなく入ってくるようになった。もうラファエルを黙らせるために狩りをする必要もない。
ベレトはファーガス出身者たちを落ち着かせるために毎日こまめに彼らの話を黙って聞いていた。中庭に行けば大体誰かと茶会をしているベレトを見ることが出来る。茶会での語らいと麗らかな光景の格差は激しくダスカーの悲劇以来どろどろに煮詰まった感情の行き先を皆決めかねていた。
ある日、クロードは大荷物を抱えてフェリクスとベレトが茶会をしている脇を通った。その際に彼らの会話が聞き取れてしまった。聞き取れてしまったことを誤魔化すため荷物を取り落とした。
「クロード、そんな持ち方だから荷物が落ちたんだ。ここで積み直していくんだ」
「物を取り落としてさまになるのは女どもぐらいだぞ」
「フェリクスの言う通り確かにアネットならさまになる」
フェリクスが不愉快そうに舌打ちしたのとは対照的にベレトは口角をわずかに上げて愉快そうな顔をしている。しているのだがこの微かな表情の違いに気がつくのはおそらく教え子たちだけだろう。とにかくクロードは急いでこの場を立ち去りローレンツと聞き取れてしまった内容について今晩にでも話し合う必要があった。
念の為フェリクスが隣室のクロードではなくローレンツの部屋で話し合いをすることになった。フェルディナントなら万が一聞かれてしまっても冷静な意見を述べてくれるはずだ。先月と比べてかなり暖かくなったがまだ夜は冷える。温かいお茶を眠る前に飲めるのはありがたかった。結局、クロードはまだ部屋に給茶器を置いていない。
諸侯から物資が滞りなく届くようになったせいかローレンツが悪戯っぽく差し出した今晩のお茶請けはクロードにも見覚えがある焼き菓子だった。
「食べ飽きたかね」
「いや、間が空いたから良いさ」
薄い白磁の器に注がれた飴色のお茶を口にするとクロードは本題に入った。
「ダスカー人の名誉回復だ。ディミトリはそれと引き換えでなければ王位を継がないと言っていたらしい。俺が知る未来では大修道院陥落の後すぐに即位してセイロス騎士団をファーガスに呼んでたから分からなかった」
「それは……」
クロードの話を聞いてローレンツは言葉を失った。ダスカーの悲劇の顛末についてファーガスの者はどう考えているかはともかく帝国の者も同盟の者も辺境の少数民族に国王暗殺などと言う大罪が犯せるはずもなく単に近くに居ただけの不運な者たちを八つ当たりの対象にしたにすぎないと考えている。ファーガスの者にしても無意識のうちにそういう考えがよぎらなければドゥドゥーがディミトリの従者を務めるはど有り得ないのだ。
ディミトリはずっと父とフェリクスの兄グレンを殺した真犯人を探していてファーガスの大人たちが犯した罪を告発しようとその機会が来るのを待っていたのだろう。
「俺が知るドゥドゥーは従者兼ディミトリ王の身辺を警護する警備隊の隊長だよ。今まで気に留めもしなかったけどな。ディミトリが家臣たちとの交渉に勝ってダスカー人の名誉回復も成し遂げたからなんだろうな」
「ファーガスの大人たちがそこで折れるかどうかで道が分かれた、ということか。シルヴァンたちが口籠もるのも道理だな」
ガルグ=マクで一年共に過ごしドゥドゥーがどんな人物なのか皆理解したしダスカーの悲劇の際に聞き入れられなかったディミトリの証言が正しかったことも薄々分かっている。自国の親世代の者たちが聞く耳を持たなかったことに呆れてしまったのだ。
「布陣を決めるのは先生だが謎の軍勢を率いているのがディミトリくんだとしたらしばらくはファーガスの者をガルグ=マクで休ませるべきだ」
「ちょっと先生を顔を見にきたつもりのあいつらを拘束して何節たったかな?」
「四節だ」
「俺も同意見だ。あいつらは休息を取るべきだな。それと聞かなかったふりしてくれよ」
クロードがそう頼むとローレンツはフン、と鼻を鳴らした。
「出来るに決まっているだろう。何度、初めての感謝の祈祷をしたのか数えていなかったのか?」