クロロレワンドロワンライ第42回「苦言」「触れ合い」 塀の上にいる遠見の兵は掲げられた軍旗を見て安心しきっていることだろう。クロードは大きな音を立てて舌打ちしたかったがローレンツが煩いので堪えた。百戦不敗のナデルが前線に来ている。何度も連続で舌打ちするべき事態だった。しかも首飾りに戻って他の斥候たちの報告を聞くまで彼の上官がいる可能性を捨てられない。本当に近来稀に見る規模の軍勢が国境に展開していた。
クロードたちは首飾りに帰還後に開かれた軍議に呼ばれ別の方角にある砦を見に行った斥候の報告を聞いている。ナデルについてはホルスト以外手出しは無用ということになり見慣れない軍旗を掲げる者が総大将であるという前提で動く?ことになった。クロードは素性を明かしていない。だから報告された意匠からいってあれは生まれの良さを利用してこちらに攻め込んできたクロードと血を分けた兄弟の誰かである、と伝えることができない。
返り血塗れのシェズがクロードとローレンツが進軍するはずの方向からやってきた。彼女を敵兵の中に放り込むとまさに一騎当千の活躍を見せるのだが地図を描いてやってもとにかくどこに何があるかを全く覚えられない。ホルストがナデルを引きつけている間に他の砦を落とし総大将の部隊を孤立させるというのが今回の作戦だった。
「道がわかんなくなっちゃったから二人についていっていい?!あっちでいいのよね?」
「君!待ちたまえ!そちらではない!」
見当違いな方向へ駆け出そうとするシェズの襟首をローレンツが咄嗟に掴んだ。シェズとローレンツは髪の色や細身な体つきが少し似ている。妹を相手にしている時の彼はこんな感じなのかもしれない。勿論男女の別は弁えた上でのことだろうがローレンツはきっと妹とはあんな風に、ホルストとヒルダのように気軽に触れあえるような仲なのだ。それに引き換えクロードと異母兄弟の仲は完全に破綻していた。王位が掛かっているとはいえ気に食わない弟を圧倒してやりたい、ただそれだけのことで万単位の軍勢を動かすのだ。シェズとローレンツに向けて斧を振り上げた敵兵の喉元にクロードは矢を射た。同郷の者といえども異母兄弟に与するなら仕方がない。
「クロードありがと!」
「露払いの礼の先払いだよ。俺は拠点長に言わなきゃならんことがある」
じゃあローレンツと先に行ってるわね、と言ってシェズが後先考えずに駆け出してくれたのでクロードは拠点長に言い訳になる程度の指示を出した後で樽の山によじ登ることが出来た。喧騒に紛れて懐から筒と大小レンズが二枚入れてある袋を取り出す。セイロス教の禁忌に触れないように分解して持ち歩かねばならないのが鬱陶しい。
フォドラの遠眼鏡はレンズが一枚で筒が二重になっている。筒を前後に動かし焦点をいじって遠くを見やすくしているだけなのでパルミラ出身の者からするとあんなものは単なる気休めにすぎない。クロードは玩具程度の性能しか持たない物を人の命がかかっている現場で使う気になれなかった。
下らない禁忌だ、とレアに苦言を呈してやりたいがクロードは探られて困る事情を持つ身なのでこちらが譲るしかない。伸ばした筒にレンズを二枚嵌め込んでパルミラ式の遠眼鏡を完成させ筒を目に当てた。三日月と五つの星が緑の瞳に飛び込んでくる。クロードは年齢から言って当たり前の話ではあるがパルミラにいた頃は兵を率いる機会を与えられることがなかった。母親の身分が低いのでクロードのために軍旗が作られるとしたら三日月に付く星は一つきりだろう。
「シャハドか……」
クロードは遠眼鏡を分解する前に前方の様子を確かめた。シェズの髪の色が変わり肌におかしな模様が浮き出ている。その傍で槍を振るうローレンツの周りに薔薇の花びらが舞っていた。シャハドは遠眼鏡を禁じられているような蛮族、と彼らを馬鹿にするだろう。その姿を想像するだけで何故か腑が煮えくり返った。