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    「かのひとはうつくしく」の番外編です

    フォドラの卵1.デアドラ
     クロード=フォン=リーガンがリーガン家の嫡子として公表されたのは七九年のことだった。しかしエドマンド辺境伯は七六年にマリアンヌを養女としていたおかげで、公表される前からリーガン家に引き取られた行儀見習いの少年について把握していた。
     ガスパール領のロナート卿のように見ず知らずの子供を養子にする場合と血縁者を養子にする場合は心構えが違ってくる。その微妙な機微を感じ取ることができたのも愛する娘を託してくれた妹夫妻の導きだろう。マリアンヌは出奔したエドマンド辺境伯の妹にもその夫にもよく似ている。
     あの頃は女神の恩寵と言われていた血が薄まっていたことにどの国の者も焦りを見せていた。エドマンド家の本家もここ三代ほど紋章保持者は生まれていない。夫の家に伝わるモーリスの血が薄まっていることに期待したエドマンド辺境伯の妹は賭けに出て───負けた。
     だが五年に渡った大乱の末、勝ち負けを決定していた盤面も砕け散っている。呪いは解けグロスタール家へ嫁いだマリアンヌはデアドラの上屋敷に顔を出していた。上屋敷と言ってもグロスタール家の上屋敷ではない。エドマンド家の上屋敷だ。昼食までに帰る、と言う約束で実家に顔を出している。
    「婿殿の顔も見たかったのだが」
    「ローレンツさんにも休息は必要です」
     一般論を盾にマリアンヌは夫を守った。ローレンツは認めようとしないが彼は気直なたちなので舅に苦手意識を持っている。そんな彼を庇う養女の姿が微笑ましいのでエドマンド辺境伯はどうしてもローレンツに構ってしまう。
    「そういうことにしたいのであれば構わないが」
     マリアンヌとローレンツの付き合いは長い。ガルグ=マクで出会った二人は五年間の大乱とその後の後始末を経てようやく結ばれた。かつては希死念慮に囚われ、何の意見も持たなかったマリアンヌが他家に嫁ぎ、次から次に湧き出る言いたいことを我慢している。そんな心の動きが育ての親に見透かされていることを察した養女は大きくため息をついた。
    「火事の件もありましたし、ヒルダさんのことが心配で、私、ローレンツさんにその話ばかりしてしまって……」
     ゴネリル家のご令嬢ヒルダはマリアンヌの大親友だ。マリアンヌもゴネリルへ足を運んだことがあるし、彼女もエドマンドに遊びにきたこともある。ずっと塞いでいたマリアンヌを華やかさで照らし、世間へと連れ出してくれた。そんな彼女は学生時代からクロード=フォン=リーガンと親しかったと聞く。
    「だが、元盟主殿が地元で他のご令嬢を娶るのも気に入らないのだろう?」
     仮の話を聞いただけでマリアンヌはひどく顔を顰めた。ヒルダには早くクロードと幸せになって欲しいが遠くにいってほしくない───子どものような我儘をローレンツに聞かれるのは恥ずかしいがエドマンド辺境伯に聞かれるのは構わないらしい。
    「それは勿論です!ヒルダさんのことを……そんな……!」
     クロード=フォン=リーガンがクロード=フォン=リーガンであることをやめなければヒルダは今頃デアドラに居を構えていただろう。そしてクロード=フォン=リーガンがその立場と名を捨てなければマリアンヌとローレンツの結婚も二年は早かったのではなかろうか。二人とも彼の後始末に奔走していた。
     それはともかく、大切な存在が想定外の相手と恋をして心が激しく揺れる───エドマンド辺境伯にも覚えがあった。
     妹が愛した親友は忌まわしい紋章をその身に宿していた、親友が愛した男はパルミラの王子だった、そんなところは似なくていいのに見事な相似形をとっている。
    「だが、険しい道をいく彼女のことを尊敬しているのだろう?」
    「はい、自分の気持ちに正直で我慢強いヒルダさんを尊敬しています」
     彼女たちの友情が末長く続くようエドマンド辺境伯は女神に願った。友人がいれば自分の死後もマリアンヌは孤独にならない。
     数度の往来を経て現実と理想の齟齬を引き受ける覚悟が決まったのか、マリアンヌによるとヒルダはパルミラへ居を移すのだという。王族である先方の事情で正式な結婚はまだ先だ。代々国境を守ってきたゴネリル家の娘がパルミラの者からは愛姫扱いをされる。
     マリアンヌはヒルダが敵対勢力から何らかの危害を加えられるのではないか、と心配していた。しかし彼女とティアナが意気投合したらおそらく殆どの問題は解決できるだろう。王の寵愛があったとはいえティアナは単身、敵国の王宮で生き残り、出産にもこぎつけた。息子が十五になるまで育て上げている。
     旧円卓会議に出席していた諸侯たちは何故我らが盟主殿は全く地に足がついていないことばかり考えつくのか、という疑問をずっと抱えていた。彼の真の名と彼の母の名を聞いてようやく長年の胸のつかえが取れたのだ。
     だがティアナを直接知らない若者に言っても理解しないだろう。
    「マリアンヌ……まだ起きていないことを漠然と憂うより先に考えねばならないことがある」
     あの怠惰なお嬢様が実に慎重に事を運んでいる。周りに頭を下げ周知し、目標へと進んでいく姿はどこか彼女の兄ホルストに似ていた。手続きの時間はかかるかもしれないがヒルダはいずれクロード、いやカリード王子の正妃となるだろう。
    「王都で叛乱が起きた場合の逃走経路でしょうか?お義父さま、私……」
     エドマンド辺境伯は大袈裟にため息をついた。マリアンヌはまだ起きていないこと、に囚われている。
    「それもまだ起きていないこと、だ。祝いの品を贈ってやらねば。形式はどうあれ二人は同居するのだから」
    「そ、そうでした!お義父さまならヒルダさんとクロードさんに何を贈りますか?」
     ここでローレンツさんと相談しなくては、と言わないのがマリアンヌの個性だ。それを受け入れる度量のある男でなければマリアンヌのことは渡せない。君の名は出てこなかったよ───後日、ローレンツと会った時に必ず伝えなくては。エドマンド辺境伯はそう脳裏に刻んだ。
    「そうだな、午後に街を散策しながら考えてみよう。さあ、もう帰りなさい。昼食は彼と取る予定なのだろう?」
     他国の王子とその愛姫への贈り物、となると生半可な物は贈れない。まずは誰にも邪魔されず、集中する必要があった。

     一人の昼食をゆったりと楽しんだエドマンド辺境伯の頭上を飛竜が飛んでいった。足首には産婆が騎乗していることを示す、黄色い飾りがついている。何か思いついたような気がしたがどうにもぼんやりとしている。
    「念のために幌を出しますか?」
     船着場で商業地区に向かう主人を待っていた渡し船の漕ぎ手がそう、提案してきた。髪や服が汚れてしまったら引き返して汚れを落とさねばならない。
    「いや、渋滞がない飛竜のほうが足が早いはずだ。ゆっくり漕いで距離を取ればいい」
     人口が密集する平時のデアドラにおいて、天馬や飛竜での飛行が許されているのは産婆と消火隊と領主の一族であるリーガン家の者だけだ。だが"落とし物"のことを考えたオズワルド公やゴドフロア卿は決して特権を行使しなかった。
     クロードだけが無邪気に特権を楽しんでいたのは彼の生まれのせいだろう。エドマンド辺境伯は飛び去る飛竜の後ろ姿を見つめた。先ほどの漠然とした思いつきを早く言語化してしまいたい。───無邪気な二人の喜ぶ顔はマリアンヌと婿殿が見れば良いのだ。

    2.首飾り
     ホルストの前には妹の親友マリアンヌとその夫ローレンツがいる。国境を越えパルミラに入国する彼らのためホルストは関所の長として執務室に二人を迎え彼らの査証に署名した。将来的にはマリアンヌがエドマンド辺境伯となるため、彼らの姓は複合姓となっている。こうしておくことで二人の間に生まれた子供は将来、親と全く同じ姓を名乗ったまま自然とどちらの爵位も継げるようになるのだ。
    「二人とも爵位を継ぐ前の自由を満喫しているようだ」
     領主になってしまえば気軽にフォドラの外へ出ることはむずかしくなる。まず健在であることが領主の務めだからだ。ヒルダはローレンツの父を責めたと聞くがネメシスの軍勢が攻めてきた際の振る舞いはあれが正しい。
    「両国の友好関係が強固なものになればホルスト卿もヒルダさんとクロ……、失礼いたしました。カリード王子から王都に招かれるかと思います」
     ローレンツはクロード=フォン=リーガンの失踪の後始末に奔走し、パルミラに彼がいるという事実に真っ先に辿り着いた。互いの旅券は受け入れることとなったが未だにパルミラとの停戦協定や友好条約は締結されていない。クロード、いや、カリード王子が即位すればローレンツとパルミラの官吏たちの努力が実る日が早まるだろう。
    「はは、私たちゴネリル家の者もいまだに彼のことは昔の名で呼んでしまうのだ」
     円卓会議に出るのは父であるゴネリル公でホルストはほとんど国境から動かない。だがリーガン家がリーガンの紋章を宿した少年を嫡子に据える、という話が円卓会議に出席する諸侯にだけ伝えられた時は例外だった。生涯にわたる付き合いになる───そう考えたホルストは内々のお披露目の際にデアドラまで足を運んだ。
     あの時、遠くから姿を見た少し不満げな面持ちで矢を放っていた少年が義理の弟になるのだと言う。背に浮かんだリーガンの紋章を見た時にはその紋章を繋いだのがティアナ=フォン=リーガンである、と分からなかった。このまま上手くいけばバルタザールと共に幼い頃、憧れた人と姻戚になることがホルストは少し照れくさい。
    「僕の失言をお許しいただきありがとうございます。ヒルダさんのパルミラでの暮らしが少しでも安定したものになるよう、力を尽くします」
    「ホルストさんが王都にいらしたら、きっとヒルダさんとナデルさんは大喜びしますね」
     この先の展望と夢を語る二人は長身だが細身で、とてもではないが護衛を付けずにパルミラ国内を移動できるような見た目をしていない。だが互いを頼りに旅ができるのは彼らが二人とも紋章を宿す歴戦の勇者だからだ。
    「それにしても君たちであれば海路の方が早いように思えるのだが何故、陸路を?」
     マリアンヌがすっと歩み出て指を三本立てた。理由は三つあるらしい。
    「ヒルダさんへお渡しするために運んでいる物がとても繊細で海上輸送に耐えない、こちらで買いつけをしたかった、ゴネリル家の皆さまから直接ヒルダさんへの言伝を聞くため、以上の三つが今回、陸路を選んだ理由となります」
     後ろで妻が話す様子を見守っているローレンツの顔は本当に幸せそうだ。妻が優秀であることに嫉妬せず頑丈に梱包された小ぶりな箱を小脇に抱えている。
     実際、適材適所なのだ。ヒルダがまだゴネリル家にいた頃、マリアンヌは何度か首飾りまで顔を出しに来たことがある。馬や天馬は巧みに乗りこなすのに自分の足で歩くと驚くほど人や家具にぶつかっていた。確かに壊れやすいものは持たせられない。
    「ゴネリル公ご夫妻からの手紙と品は既に預かっております。明朝の出発までに用意していただければホルスト卿からの手紙と品も確実に王都のヒルダさんへ届けることが可能です。帰りは海路の予定なのでヒルダさんからいただいた返信はエドマンドから使者に持たせるつもりです」
     最後にローレンツがそう付け足した。二人はそのままエドギアに戻るのだろう。
    「なるほど、ところで海上輸送に耐えないもの、とは何だろうか?」
     藁をふんだんに使えば大抵の割れ物は運ぶことができる。伯爵夫妻が自ら運ばねばならない品とは何だろうか。マリアンヌがローレンツを見つめた。彼でなければ梱包を解けないのだろう。そして梱包し直すのも彼でなければ出来ない。
     愛する奥方に滅法甘い、と評判なローレンツはホルストの許可を得ると抱えていた箱を執務用の机に置き、慎重に紐を解き始めた。どんな祝いの品より遠路はるばる親友とその夫が訪ねてくれたことをヒルダは喜ぶだろう。鍛錬の証である胼胝だらけの手でローレンツが天鵞絨ばりの小さな箱を開いた。
    ───中には卵の殻とそれを乗せるであろう小さな台座が入っている。
     ただしホルストはこんなに美しく飾り立てられた卵を見たことがない。殻はゴネリル一族の髪と瞳の色を模した薄紅色に塗られている。その上にはリーガンの紋章とゴネリルの紋章の金細工が貼られていた。二つの紋章の周りには貴石が散りばめられている。下から卵を覆う鈴蘭の花は真珠で茎は紋章と同じく金細工、葉は金緑石で出来ている。真珠はおそらくエドマンドから入ってきたものだ。そして美しく飾り立てられた殻の上にはこれまた小さな金鹿が立っている。レスターを守る聖獣の角や卵に散りばめられた貴石がこちらで買いつけたかったもの、だろう。
    「卵の殻、だろうか?」
     ホルストは思わず卵を指さし、解説を求めてローレンツを見つめた。変わった舅との付き合いに苦労していることだろう。
    「はい、針で穴をあけて中身を取り出した後に細工を施してあります」
    「これは確かに海路には耐えなさそうだ。大きさから言って鶏だろうか?」
    「はい、義父が考案したものです。意匠には私とローレンツさんの意見が反映されていますが……」
     彼の妻が解説を続けた。ホルストは正直言ってエドマンド辺境伯があまり得意ではない。控えめなマリアンヌが彼の養女だと知って驚愕したほどだ。この卵を目にする前に言葉だけで説明されたら馬鹿馬鹿しい、と思っただろう。だがこれは素晴らしい。努力せねば脆く崩れ去ってしまうが価値のあるもの、が永遠であって欲しい───そんな願いが込められている。
    「画布や紙に描く絵なら級友のイグナーツくんに助力を仰げたのですが素材が素材なので金細工師に依頼しました」
     ローレンツはそっと台座の上に飾り立てられた卵を乗せた。小さな卵を乗せる台にも小さな小さな真珠が散りばめられている。エドマンド辺境伯の価値のないものに価値を付け、高価にする実験は成功していた。貼り付けてある真珠や金緑石も儚い土台の上で輝きを増している。これが流行れば今までは売り物にならなかった小粒の真珠も価値が出るだろう。
    「これには我が妹ヒルダも大喜びするに違いない。品も素晴らしいが、君たちが彼の地まで持参することが同じくらい重要なのだ」
     せめてフォドラの中であったなら、というホルストの思いは消えない。何かあった時に駆けつけられないからだ。
    「ありがとうございます。ゴネリル公ご夫妻からも過分な褒め言葉をいただきました。ヒルダさんたちにお見せするのが楽しみです」
     妻の言葉を聞いてもう良かろう、と判断したローレンツが再び卵と台座をそっと天鵞絨張りの箱にしまった。───友人たちと再会し、卵を見たヒルダたちが大喜びする様を直接見られないことがホルストは少し寂しい。

    3. 王都
     カリード王子はフォドラから呼び寄せた愛姫ヒルダと共に王宮の一角に居を構えている。客人は何日も前から申請を出し持ち込むものは全て事前に申告し、身に付けているものと持ち物を全て検めた後でなければ中に入ることはできない。それでも王宮は彼らにとって危険な場所だった。
     表敬訪問と陳情が殆どだがとにかく王宮には来客が多い。誰が誰と会うのか、を知るためカリード王子は来客記録を取る文官たちに賄賂を払っている。今日も文官たちは何故か、不思議なことに長めの昼休みをとっていた。
    「今のうちに確認するからヒルダは廊下を見張ってくれ」
     文官は滅多に文字を書き間違えない。王宮勤めともなれば滅多に特に優秀だ。それなのに今日は珍しく紙を削った跡がある。そこには懐かしい名前と似つかわしくない物の名前が書かれていた。ローレンツの発想なのか、それともマリアンヌの発想なのか。困惑した文官が書き間違えても不思議ではない。
    「クロードくん、戻ってきたよ!」
     カリード王子の愛姫ヒルダは他人の目や耳のない場所では彼をクロード、と呼ぶ。

     クロードは急いでヒルダと共に備品が置いてある隣の部屋に隠れた。表敬訪問を申請している者の一覧にローレンツとマリアンヌの名がある。早く教えてやりたいがここでは声を上げられない。
    ───クロードはヒルダが声を上げて喜ぶ姿が好きなのだ。
     ヒルダと共に気配を消す時には必ず手を握ることにしている。見咎められた時に彼女と抱き合っていれば相応しくないところで愛姫にちょっかいを出す馬鹿な王子、と言う扱いで見逃してもらえるからだ。だが即位してしまえばこんな誤魔化しにヒルダの美貌を利用しなくて済む。
     その日を迎えるためにもまず御前会議が終わるまで二人で生き延びねばならない。文官たちが仕事を再開し、机の上だけに集中しはじめたのを見計らった二人は気付かれぬように去った。あと一人、大臣を失脚させればこんな暮らしともおさらばだが最後まで油断は出来ない。
     ヒルダはいつものように蝋引きの書字板と鉄筆を渡してくれたがクロードはどちらもそっと書物机に置いた。
    「いや、今日はそんなことをしてる場合じゃないんだ」
     いつもならクロードは盗み読んだ来客簿の中身を忘れてしまう前に急いで書き記す。だが今日はクロードの様子がいつもと違うことに困惑しているヒルダを抱き寄せ、耳元で見たものについて囁いた。
    「え!本当に!やだ、ちょっとどうしよう……すっごく嬉しい!早くマリアンヌちゃんたちに会いたい!」
     クロードの背中に回された腕に力が入る。ゴネリルの紋章を宿しているせいかヒルダは怪力だ。クロードが宴会で歩けないほど泥酔した時は彼女が抱き抱えて部屋に戻る。召使たちが目を丸くして驚くのだがそれで良い。
     王都には西側の戦線に参加していた者も沢山存在する。彼らは皆、遠目に見たホルストの髪と瞳の色を覚えていた。クロードは人を食い殺す化け物と同じ色だ、ということで緑の瞳を厭われて育ったが、それと同じくらい西から戻った者たちは薄紅色の髪と瞳を嫌う。
     彼らはいざヒルダを目にするとこれまで培ってきた漠然とした恐怖と実際の彼女から受ける印象が噛み合わず混乱する。だがどちらも正しいのだ。クロードにとってヒルダは地に足をつけている限り最も頼りになり、小柄でいい匂いがして共にいると笑顔になれる存在だ。どこにも矛盾はない。
    「あとあいつら今回、変なものをフォドラから持ってきてるんだよ」
     変なもの、と聞いたヒルダはクロードを解放し、長椅子に座ると首を傾げた。薄紅色の真っ直ぐでさらさらな髪が動きに合わせて揺れている。初めて父に引き合わせた時、父がヒルダの髪型を格闘の際に髪を掴まれない自信がある者にしかできない、と評していたが本気でうんざりされそうなので本人には伝えていない。
    「クロードくんが庭で育ててる茸より変なものってあるの?」
    「うん、普通の土産もあるにはあるんだが申告書類に卵の殻、と書いてあった」
    「卵の殻?どういうこと?」
     もしかしたら意味が分かるかもしれない、と期待していたのにヒルダも困惑している。
    「フォドラ育ちのヒルダに分からないなら俺に分かるわけないだろ?」
     申告内容を見た文官も驚いたのか筆が乱れ、紙を削って間違えた箇所を訂正していた。クロードとヒルダはともかく、クロードとヒルダと文官の心がひとつなることなど滅多にない。時機はずれたが三人とも何故、という疑問詞で頭がいっぱいになっていた。文官は客の相手をする機会がない。クロードは後日、筆を乱してしまった者に答えを教えてやろうと決めた。

     クロードが生まれた時に与えられた名はクロードではない。クロードは十代半ばで故郷を出て本名を名乗るなと強いられた結果、適当に選んだ名だ。だが、今ではその名で呼ばれることが心地よくて毎朝二回名前を呼ばれるまでは寝たふりをする。
    「クロードくん、クロードくん、朝だよ。今日はマリアンヌちゃんたちが来る日でしょ?」
     つまり大して長く寝たふりはできない。クロードは寝返りを打つと寝台に肘をついて身体を起こした。筋金入りのおしゃれということもあるが、フォドラからの客人を迎える時のヒルダは念入りに身支度をする。一方でクロードは顔を洗って適当に櫛を入れておしまいだ。櫛を入れても寝癖が取れない時は頭に布を巻く。
     あれやこれやと忙しそうにしているヒルダを尻目にクロードはベレト宛の手紙を書き終えた。だがヒルダはローレンツたちに託す手紙を前日に書き終えているので比べてはならない。

     山積していた些細な用事を終え、二人で王子が客を歓待するのに使う応接間に向かうと既に懐かしい友人夫妻がクロードたちを待っていた。足元にはいつもローレンツが土産を運ぶのに使っている行李が、卓の上には小さな箱がのせてある。
    「お久しぶりです!」
     実際に顔を合わせると疑問の解消より喜びの発露の方が優先される。
    「結婚式いきたかったなあ……出られなくってごめんね」
    「エドマンドにいらしてくれただけで充分です」
     ローレンツとマリアンヌの結婚式はエドギアで行われた。エドギアは遠すぎて流石にヒルダは参列できなかったがエドマンドで開かれた輿入れ前、最後の女性だけの集まりには参加している。パルミラとエドマンド領は海路ならば結構近いのだ。
     瞳を潤ませヒルダと手を取り合って再会を喜ぶ妻を見たローレンツが微笑んでいる。学生時代から彼はあんな風に柔らかな顔でマリアンヌを見つめていた。そのことを知っているとこちらまで釣られて笑顔になってしまう。
     だがクロードから見られていることに気づいたローレンツは鼻を鳴らした。学生時代から行儀よくしろ、と周囲に言って回っていた彼はクロードにだけひどく乱暴な態度を取る。
    「ところでお前ら何持ってきたんだ?申告書を見てひたすら困惑してるんだが……」
    「卵の殻だ」
     そんな男同士の会話が耳に入ったのかヒルダとマリアンヌがようやくクロードの方を向いた。ヒルダも中身を気にしている。
    「お見せした方が早いかと……ローレンツさん、お願いします」
     妻の言葉に頷いたローレンツは慎重に梱包を解いていった。確かにマリアンヌには任せられない。中から現れた台座と鈴蘭に覆われた薄紅色の卵を見たヒルダは歓声を上げた。ご丁寧に金鹿まで載せてある。
    「うそ、これどうなってるの?本当にこれ、土台が卵の殻なの?」
    「はい、鶏の卵です。だから私は怖くて触れなくて……ずっとローレンツさんが運んでいました」
     道中ずっと舅のかけた圧に耐えてきたローレンツは実に晴れやかな顔をしていた。今度はクロードたちがこの見事な卵の殻を壊さないよう気をつけねばならない。
    「舅が普通のものではつまらないと言って君たちの祝いの品として職人に作らせたものだ」
    「いや、さすがエドマンド辺境伯だよ!パルミラにこんなものはない!」
    「フォドラにも存在しない。こうして僕たちが持ってきてしまったからな」
     ローレンツさんたら、といってマリアンヌが笑っている。将来、パルミラにいる友人の元へ祝いの品を届けに行くようになるのだ、と入学したばかりの引っ込み思案な彼女に言っても信じないだろう。
    「僕とマリアンヌさんの意見が意匠に取り入れられている」
    「指輪とか耳飾りとか首飾りばっかり作ってきたけど私もこういうの作ってみようかな?」
    「きっと素晴らしい物が出来上がるに違いありません」
     クロードの耳を実際にくすぐるのは親しい者たちの会話だ。だが、大切なものは柔く脆い。日々、努力して維持し価値を高めよ───というエドマンド辺境伯の声が聞こえたような気がした。
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    MAIKING「説明できない」
    紅花ルートで戦死した記憶があるクロードと青獅子ルートで戦死した記憶があるローレンツの話です。
    2.振り出し・下
     士官学校の朝は早い。日の出と同時に起きて身支度をし訓練をする者たちがいるからだ。金鹿の学級ではラファエル、青獅子の学級ではフェリクス、黒鷲の学級ではカスパルが皆勤賞だろうか。ローレンツも朝食前に身体を動かすようにしているがその3人のように日の出と同時には起きない。

     ローレンツは桶に汲んでおいた水で顔を洗い口を濯いだ。早く他の学生たちに紛れて外の様子を見にいかねばならない。前日の自分がきちんと用意していたのであろう制服を身につけるとローレンツは扉を開けた。私服の外套に身を包んだシルヴァンが訓練服姿のフェリクスに必死で取り繕っている所に出くわす。

    「おはよう、フェリクスくん。朝から何を揉めているのだ?」
    「煩くしてすまなかった。単にこいつに呆れていただけだ」

     そう言うと親指で赤毛の幼馴染を指差しながらフェリクスは舌打ちをした。シルヴァンは朝帰りをディミトリや先生に言わないで欲しいと頼んでいたのだろう。

    「情熱的な夜を過ごしたのかね」

     呆れたようにローレンツが言うとシルヴァンは照れ臭そうに笑った。

    「愚かすぎる。今日は初めての野営訓練だろう」

     フェリ 2066

    111strokes111

    MAIKING「説明できない」
    赤クロと青ロレの話です。
    7.背叛・上
     皆の初陣が終わるとクロードの記憶通りに事態が進みロナート卿の叛乱の知らせがガルグ=マクにもたらされた。養子であるアッシュへセイロス教会からは何も沙汰が下されていない。軟禁もされずアッシュの方が身の潔白を証明するため修道院の敷地内に閉じこもっている。鎮圧に英雄の遺産である雷霆まで持ち出す割に対応が一貫していない。前節と同じく金鹿の学級がセイロス騎士団の補佐を任された。クロードの記憶通りならばエーデルガルト達が鎮圧にあたっていた筈だが展開が違う。彼女はあの時、帝国に対して蜂起したロナート卿を内心では応援していたのだろうか。

     アッシュは誰とも話したくない気分の時にドゥドゥが育てた花をよく眺めている。何故クロードがそのことを知っているかと言うと温室の一角は学生に解放されていて薬草を育てているからだ。薬草は毒草でもある。他の区画に影響が出ないようクロードなりに気を使っていたがそれでもベレトはクロードが使用している一角をじっと見ていた。

    「マヌエラ先生に何か言われたのか?致死性のものは育ててないぜ」
    「その小さな白い花には毒があるのか?」

     ベレトが指さした白い花はクロード 2097

    111strokes111

    MAIKING「説明できない」
    赤クロ青ロレの話です。
    11.末路・上
     クロードは先日、あんなことをしでかしておきながら怯えさせてすまない、とローレンツから逆に謝られてしまった。あれから何度か時間をとって話し合いをしてみたが互いの知る未来にかなり大きな食い違いがあることが分かりその後はおかしな雰囲気にはなっていない。

     細かな違いはあれどクロードの祖父が体調を崩し盟主代理として円卓会議に出席すること、それとマイクランが破裂の槍を盗み出すことは共通していた。

    「俺はマイクランが討ち取られたという話しか知らない」

     クロードの知る過去でもローレンツの知る過去でも級長が不在の可能性があるなら、と言うことで金鹿の学級はコナン塔へ行かなかった。

    「そちらでも箝口令が敷かれていたのか」

     教会は何かを隠している、というのが元からのクロードの主張なので教会の態度に矛盾はない。ベレトから馬の面倒を見るように命じられた二人はそれぞれ別の馬に新しい水や飼い葉を与え体を拭き尻尾の毛に櫛をかけ絡まっている塵を取り除いてやっている。いななきや馬が立てる物音が話し声を隠してくれた。今後の展開が色々と気になるところだが今回も祖父ゴドフロアの具合が悪くなるなら 2156

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    MAIKING「説明できない」
    赤クロ青ロレの話です。
    17.惨劇・上
     南方教会を完全に無力化されてしまったことや西方教会対策やダスカーの幕引きでの手腕には疑わしいところがあったがルミール村においてまず疫学的な検査から実施されたことからもわかる通りセイロス騎士団は手練れの者たちの集まりだ。ベレトの父ジェラルドまで駆り出されている異変においてクロードやローレンツのような部外者が介入しても迷惑がられるだけだろう。

     クロードにしてもローレンツにしても記憶通りに進んでほしくない出来事は数多ある。ロナート卿の叛乱もコナン塔事件も起きない方がよかったしこの後の大乱も起きて欲しくない。だがこのルミール村の惨劇は起きてほしくなかった案件の筆頭にあげられる。他の案件の当事者には陰謀によって誘導されていたとはいえ意志があった。嵌められていたかもしれないが思惑や打算があった。だがルミール村の者たちは違う。一方的に理性や正気を奪われ実験の対象とされた。そこには稚拙な思惑や打算すら存在しない。事件を起こした側は村人など放っておけばまた増えると考えたらしいが二人にとって直接見聞していないにも関わらず最も後味が悪い事件と言える。
    2123