【君のいる地獄に行きたい】(スザルル)「悪いな。送ってもらっちゃって」
「いいのいいの!今日も見事な勝ちっぷり。ルルーシュってさあ、なんか欲しいものとかあんの?」
「金は天下の回り物って言うだろ。元手があれば増やすのは簡単だ。いざという時のためさ」
賭けチェスの代打ちのバイトは実に割がいい。ナナリーとロロの誕生日プレゼントは、常にその時贈れる最高のものを用意してやりたいが、学生という身分では資金面にやや不安がある。心臓の弱い弟のためには健康状態を常時見てくれるデジタル時計を贈りたいし、活発な妹にはマウンテンバイクの目星をつけている。短い拘束時間で稼ぐことができるのも、リヴァルという足がある賜物だ。俺は寮の近くまでつけてもらった感謝を込めて、来週のテストのヤマを書きつけたメモをリヴァルの手元に押しつけた。
「えっこれも?いいの?」
「いいさ。その代わり、近いうちにまた頼む」
「お安い御用。じゃな、またあし――」
サイドカーから降りたところで、不自然にリヴァルの声が途切れる。俺越しに何かを見つけて、これはあちゃーという顔だ。
――寮の玄関。そこには仁王立ちし、こちらを睨みつけている制服の男がいた。彼は感情を消した仏頂面で……どうも静かに怒り狂っているようだ。ふむ、全く身に覚えがない。奴は風紀委員で校則違反を咎める権利を持っていたが、俺の校則違反なんてたかだか寮の門限を二時間オーバーしたぐらいの可愛いものだからだ。もっと破っている奴なんていくらでもいるし、アルバイトという正当な理由がある俺には全く関係のない話。
「――またお前は」
地獄の底から出ているのかという冷えた声だった。横目でちらりと後ろを見ると、とっくにリヴァルは帰途についていた。賢明な判断だ。怒ったこいつを相手にできるのは俺くらいしかいないからな。とはいえ、正面から相対するのも面白くない。素知らぬ顔で通りすがろうとしたところで腕が掴まれる。――この馬鹿力め。痛いんだよ!
「約束を破った。それだけじゃない、門限違反に違法な賭け事」
「大したことじゃない」
「――言ってもいいのか。ナナリーとロロの前で」
「おい。卑怯だぞ!」
俺を咎めた風紀委員――枢木スザクは、「やっとこっちを見た」と言ってじっとりと俺を睨みつけた。一体何の恨みがあって彼が俺に目をつけているのかというと、話はそれなりに複雑で、前世俺はこいつの主君の尊厳を貶め殺したりしたのだった。それだけではない。親友だったこいつを裏切ったり、売られたり、騙したり、闘ったり、最終的にはこいつを同意殺人に巻き込んだりといった、言ってしまえば因縁浅からぬ仲というわけだ。何の因果か双方とも記憶を持って生まれ、今も幼馴染というやつで、それこそ生まれた頃から知っている。
――今も昔と変わらず友達と言っていいものか。
「手を離せ。痛いんだよ」
「知らないフリなんかするからだ。どうして僕を避けるの?」
「避ける?なんだそれ。俺はリヴァルと出かけてただけだろ」
「今日は生徒会で仕事を片付けてから一緒に帰ろうって言った」
「お前が言い捨てただけだ。俺は了承していない」
スザクは信じられない、というような苦々しい顔をした。しかし、俺にだって言いたいことはある。信じられないのはどう考えてもこいつの方だ。
――なんでこいつは、殺したいほど憎んでいた相手とわざわざ親しく付き合おうとするんだ!?
「俺以外の人間と付き合えば良いだろう!?」
仕方なく寮の自室に上げたのは玄関で前世がどうこうという押し問答をしたくなかったからだ。まかり間違っても仲が良いからではないし、夕食を用意したのはスザクがまだだと言うからであって、強いて言えば習慣でしかない。
むっつりと黙り込んだスザクは、出てきた和食を睨みつけていた。炊き立ての白米、茄子の味噌汁、鮭の西京焼にほうれん草と胡麻の和え物、大盛りの肉じゃが。ほとんどが作り置きだが正直一人では食べきれないので付き合ってくれるとありがたい。
「あのな。家が近所の幼馴染だから子供の頃は仕方がなかったとしても、もう俺たちは高校生だ。気が合わないものを無理に付き合う必要はないだろう」
「……"気が合わない"?」
「……というのも語弊があるが……だから、憎い相手としょっちゅう顔を突き合わせる必要はないだろう、という話だ」
「僕たちは友達だ」
「そうだ」
「親友だ。僕と君は」
「そうだな。――そしてお前はその親友を出世のために売れるし、俺はお前の主君の尊厳をこれ以上なく貶め殺すことができる」
「昔の話だ!」
ぱっとスザクが顔を上げる。その清算はもうしただろう、とありありと顔に書いてあった。
「それだ。昔の話なんだよ全部!俺とお前が戦っていたのも、裏切ったのも、ましてや屈託なく笑い合えていたのも前世の話だ。俺もお前も記憶があるだけの別人だ。全ては過去!!俺とお前はたまたま家が近所で小さい頃から知ってただけの関係で、そもそも俺は今のお前を親友だと思ったことはない」
「――何、それ」
「言葉通りの意味だ。憎しみを向けてくる相手に心を許せるのかお前は」
食事時にする話ではないような気がする、と思いつつも育ち盛りは空腹には抗えない。お互い淡々と箸を進めていたのに、ここに来てスザクの手が止まっていた。箸を置いて見つめてくる奴に、恐る恐る目を合わせる。
「ルルーシュ。君が相手なら、僕は許してしまうと思う」
「……は」
「親友じゃないのに、僕のために和食作るんだ、君は」
「違うな。お前のためじゃない。俺が食べたかったからだ」
「一人で食べきれない量に見える」
「食べきれなかったら弁当に使うし、隣の奴に分けたっていい」
「……美味しいよ、すっごく。ご馳走してくれてありがとう」
ふっ、とスザクの顔がほころぶ。昔みたいなただ朗らかなだけの笑顔に、言葉がつまる。
「僕は……君が憎い。生まれ直して、何のしがらみがなくなっても。どうして記憶があるんだろうって悩んだくらいだ。何も知らなければ君と普通に笑い合えたのにって」
「……スザク」
すぐに曇った笑顔に、また居た堪れない気持ちになる。スザクといるといつもそうだ。目を伏せた悲しげな顔も、憎いとばかりに睨みつけられるのも、温度のない顔で怒りをぶつけられるのも、見たくはないのに。かけられる言葉が俺にはない。励ますのに必要な条件は、俺ではクリアされない。
「――だけど、それじゃダメなんだ。それだときっと同じ悲劇を生む。僕が記憶を持って君のそばに生まれたのに意味があるなら、それはきっと、君を監視することだ」
「……、……か、監視?」
――監視?
「そう。今度こそ僕は、君が悪の道に堕ちないよう頑張るよ。君の唯一の親友として」
スザクは晴れ晴れとした顔をしてのたまった。決意と活力に満ちて、瞳が輝いている。そんな良い顔をしているのを見るのは正直言って前世ぶりで、ああスザクは何も変わっていないんだ、あの他人の話をまるで聞かない思い込みの激しい独善的な男は今も健在なのだ、と――俺は内心舌打ちした。
「それが僕の償いなんだ。もう決めたことだから、説得しようとしても無駄だよ」
――ああ、お前はそういうことを言い出す奴だよ。俺の予想もつかないような、突飛なことをな。
スザクには前世の記憶があり、未だに全然俺のことを許していない。
そこまではいい。そして、ゼロレクイエムを越えた今となっては、スザクが変わらず親友と呼んでくれるのも素直に嬉しいし、誇らしい。だからこれもいい。
ただ、記憶のあるスザクには一つの懸念があった。それはつまり、父殺しとルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殺しを筆頭とした、殺人の記憶があることだ。前世あれだけ希死念慮に苦しみ、贖罪の道を探していたあの男がまた死に場所を求めて彷徨う羽目になるかと思うとかなり気が重くなる。早急に生きる理由とか目的とか目標とか、とにかくそういうものを与えてしまわなければならなかった。具体的に言うと好きな人とか、守りたいものとか、将来の目標とかだ。そういう安直で、でもかけがえのないもの。まあ、あまり俺の得意なジャンルじゃない。
それなのに――
スザクは俺が悪の道に堕ちないように監視することを人生の目標にしてしまった。
お前覚えていないのか?俺が悪虐皇帝にまでなったのは、ブリタニア、ひいては俺を捨てた父親とそいつの作った世界を破壊しナナリーに優しい世界を創るためであって、別に猟奇的な趣味があるとかルールを破るのに興奮するとかいう理由でそうなったわけじゃない。当然この世の人間全部を俺の奴隷にしたら世界が平和になるに決まってるだろフハハハハ!!などと思っていたわけでもない。目的のために必要な手段だったからそうしただけだ。今そんな革命を起こす気があるか?というと答えはノーだ。ゼロ、お前の創った優しい世界では、誰でも自分を偽らずに生きていける。それは貧乏学生にとってだって、そこそこ優しい世界だ。お前が監視しなくたって、俺は悪の道に堕ちたりしないんだよ!
「こら。ダメだよ、ギャンブルなんて」
――ちゃんと働いて人間と対等に触れ合いなよ。君の情操教育が死んでるのって、そういう経験を積んでないからだろ。
「授業は真面目に受けなよ。サボるのなんて僕が許さない」
――君、夜一体何してるの?授業中に寝るなんて。ちゃんと夜に寝なよ。だから僕に身長抜かされちゃうんじゃない?またゼロみたいなことやってるんじゃないだろうな。
「複数の女の子に手を出すなんてサイテーだ」
――不用意に気をもたせるようなことをするのはやめなよ。ていうか、ぼーっとしてるからキスされたりするんだろ?もっと警戒した方がいいよ。いつか刺されても知らないからな。
「――――お前は俺の母親か!?」
ギャンブルは確かに合法ではないとはいえ、離れて暮らす可愛い弟と妹にプレゼントを贈りたいという兄心じゃないか!そのために自分の得意分野を活かして何が悪い!?それに学生は忙しいのだ。流石にゼロ業をやっていた頃より睡眠時間は長いが、読書に投資に課題に家事にとやりたいことはいくらでもある。女性に優しくするのは紳士の礼儀であり、そもそも女性と親しくして何が悪い。手を出す、と言われても悲しいことにそう咎められるようないかがわしい状況に陥ったことは前世も今世も一度もない。実に悲しいことに。向こうからキスしてくるのは避けようがないし、第一俺を刺したのはお前なんだよ!!
「何言ってるんだよ。僕が君の母親なわけない」
「干渉しすぎだ!!俺のやることなすことにケチをつけるのはやめろ!!」
もののたとえであって、実際にそうやって干渉してくる母親がいたことなんてない。今の両親とは死別しているし、前世なんて言うまでもない。俺の母親はあのマリアンヌだぞ。
あの宣言から開き直ったのか、スザクは俺の都合も考えずに付き纏うようになった。何をするにしても当然のようにそばについて、あれこれと口を出し、説教をする。今も「明日は休みだから今日は久々に実家に顔を出す(寮には帰らないから一緒に帰れない)」と言ったらにっこり笑って「送るよ」だ。電車を何本も乗り継いでまでか。監視って言えこの馬鹿。
「僕は君を真人間にする使命と、君に干渉する権利がある」
「……ッ、俺とお前は友達なんだよな?」
「ああ」
「これが友達のやることか?俺のやることを制限して行動を縛ることが!」
「そうだ」
「ッハ!――逆効果だったとしてもか。お前が俺を縛ろうとするたびに、俺はどうにかしてお前を出し抜こうと計略を練る。そしてどんどん悪の道に進んでいく!お前はそれが望みなのか」
「――」
効果あり。スザクは予想外だったのか驚いて黙り込んだ。
当然スザクへの反抗心ごときを動機に罪を犯すような軽率さを俺は持っていないが、このアプローチは中々に有効だ。分かりやすく動揺するあたり、なんて扱いやすい奴なんだ、スザク!!
スザクはおもむろに口を開く。
「この間……源氏物語が授業で出ただろう?日本の古典文学なんて、エリア11じゃ授業で扱うようなことはなかったから新鮮だった」
「?ああ。俺は教養として知っていたがな」
「それで、光源氏が好きだった人の面影がある女の子を拾って、自分好みに育てて手を出すって話があって」
「ああ……」
「サイテーだと思ったよ。何であんなのが名作ってことになってるんだろう」
「お前は何の話がしたいんだ?この話はさっきまで俺が言っていたことに関係あるか?」
もしかしたら話を逸らしているつもりなのかもしれない。いや、素なのか?こいつの空気の読めなさは破壊的なものがあるからな。
「僕はそれと似たことをやりたかったのかも、と思って反省した」
――こいつが何を言っているのか、さっぱり分からない。
「君を思う通りに育てたかったんだ。僕の思う、気高くて優しいけどちょっとおっちょこちょいで、意地っ張りでそんなところがほっとけない君に」
「おっ……お前。そんなこと思ってたのか」
俺は当たり障りのない返答を探す。これは褒められているのか?一瞬照れ臭い気持ちが湧きあがったものの、いやつまりどういうことだ?と思考がから回る。俺の勘違いでなければ、こいつは俺を光源氏したかったらしい。俺は同い年のお前に育てられたわけじゃないんだがな。なんなら世話をしているのはこちらの方だが?
「……こんなことは許されないことだ。罪深すぎる」
スザクは恥いると言うにはかなり深刻な声音で顔を俯けた。ああ、よく分からないが、それはもう罪深いな。もっと反省しろよとさえ思う。
「前は言えなかった。言えるわけがなかった。君は仇で、憎むべき相手で、誰かを好きになるなんて僕には……望めることじゃないと思っていたから。何かを愛するとその分奪ってしまうから。だから僕は……俺は……!」
学校から駅前繁華街までの道は林道と住宅街になっている。前世だのなんだのを話すために人通りの少ない道を選んできたから、同級生の姿は見当たらなかった。だから、スザクが立ち止まって深刻そうな顔をしたところで、俺は咎めなかった。
「すごく、すごくすごく癪だ。君なんかにこんなこと思うなんて悔しいよ。君には一生知って欲しくなかった。言わないでいれば絶対伝わらないだろうしね、ルルーシュってすごく鈍いから」
「ところどころ馬鹿にされてる気がするんだが?」
「でも、隠し事はなしにするって約束だから」
決然とした顔だ。俺はスザクのこういう顔が嫌いではなかった。敵であることの方が多かったから、つまり向けられることの方が多かった顔だ。
「――君が好きだ」
「……知ってるさ。そんなこと」
スザクにとっては、俺を友人として好きでいるというのは認め難くて葛藤するようなことなのだ。ということは以前から知ってはいたものの、……だからこうやって改めて口にされるのは、それなりに面映いものではあった。そういった覚悟の上で友達をやる気概がある、というのは……悪くない。鬱陶しくて御し難いという苛立ちを帳消しにしても余りあるほど。
その俺の気持ちを無碍にして、スザクはあからさまに失望したと言うように溜息をついた。どこまでも腹立たしい奴だ。
「うん、そうだよね。お前はそういう奴だ。僕が悪かった」
「何なんだ?言いたいことがあるならはっきり言え。いや、これ以上ないくらいはっきり言ってたな。お前が俺のことを憎んでるのも、それでも友達でいるつもりなのもとっくに知ってるんだよ」
溜息。また俺はスザクを失望させたらしい。
「……僕は褒められた人間じゃない。でも、そんなの君もだ。だから僕とルルーシュが付き合うのは、贖罪になるんじゃないかって思う」
「……俺と友達でいることは、お前にとっては贖罪だったのか」
まあそうか、と納得半分失望半分という感じである。お前と仲良くするのは罰なんだと言われてはいそうですかと誰が言えると言うのだろう。それだけのことをした自覚はあるが。
「違うよ、ルルーシュ。――君には俺がお似合いだ、と言っているんだ。お前の腐った根性を知らない、無垢な女性に悪さをするくらいなら、俺で手を打ってくれ。そこまで言わないと分からないかな?」
口から出てきたのは間抜けな声だった。一体どこから俺が悪さをする予定の無垢な女性がスザクとの引き合いに出されてきたのか、理解できない。スザクは俺の反応を見て困ったように笑う。
「ルルーシュがそんな奴だって知らなかった頃は、シャーリーのことだって応援できたのに、今は無理だ。君は彼女の手に負えない」
「あのな。お前は本当に何を言っている?」
「ルルーシュを口説いてる」
驚くことに、スザクは真剣な目でそれを言っていた。冗談だろ、と笑い飛ばすには鬼気迫る顔で覗き込まれて、俺の78通りの演算結果はバラバラになってどこかへ行った。
「お前に関わって破滅するのは俺だけでいい。今度は盾だって譲らない」
◎
――君が好きだ。
――ルルーシュを口説いてる。
――お前に関わって破滅するのは俺だけでいい。今度は盾だって譲らない。
「……いや、嫌だが……?」
ごめんなさい、というのが告白を断る常套句なのだろうが、俺もこいつもお互いに謝罪をしたり許しを請うことはしないので(謝って許されるような次元のことをしてこなかったので、基本的に「許さない」でファイナルアンサーだ)、思わずその言い回しを避けた。
「――何の権利があって?」
「何の権利があって!?あるに決まってるだろ、この馬鹿!!お前は俺が女と上手くいって幸せになるのを見るのが許せないんだろ!?俺がユフィを奪ったから!!」
動揺の余りタブーに斬り込んだ自覚はあった。スザクがぴくりと眉を寄せる。
「だからってお前と付き合うとか、それはない。お前の思考回路は間違っている。前々から思っていたが、前世の責任なんか取らなくていい。頼むからもっと肩の力を抜いて生きてくれ。……本当に俺が言えた義理じゃないが」
言いたいことを言ってもスザクが言い返してこなかったことにほっとして、俺は曖昧に笑う。目が合った。スザクの目は全く笑っていなかった。
「――ルルーシュ。ナナリーってもう帰ってるかな?」
あまりにも唐突な話題転換。――いいや、スザクに冷たい目で見られるのなんて慣れっこじゃないか。今のは……今のは何だったんだ?
「……え?ああ。そうだな、今日は部活がないと言っていたから」
「やっぱり寄って行ってもいい?話したいことがあって」
「はあ?まあ……構わないが。なんなら夕食も食べていくだろ。買い物に付き合ってくれるなら、だが」
当然だよ、と快諾を得て、今度こそ駅に向かう。そう、俺は油断していたのだ。スザクという頑固者の言うことを一時の気の迷いと断じたのは、俺の甘さが招いた過ちだった。
「ナナリーに言う。僕と君は付き合ってて、将来を誓い合ってる仲だって」
だから、冷蔵庫に食品を詰めている俺にスザクが言い放った言葉は青天の霹靂というやつだった。
「は!?許されるかそんなこと!!」
過去、かなり近いことを言い放った女がいた。スザクの念頭にも同じ人間がいるのに違いない。――約束を叶えられなかった相手だ。もしかしたら今もこの世界のどこかにいるかもしれない、不老不死の魔女。
「ナナリーにだけは嘘をつくな。いや、つきたくないだろう、お前だって?」
「C.C.がいれば良かったのにね。彼女なら君を任せられたのに……」
「どういう思考回路だ!?あいつのあれは冗談だ!!」
「だから鈍いって言われるんだろ。……今は嘘でも本当にしてしまえばいい」
「お前、そんなこと言うやつだったか?」
「間違った方法で手に入れた結果に価値はないと思うから。……今もそう思ってるよ。できるなら正しいやり方だけを選ぶ。――でも、結果が得られないと意味がないことの方がずっと多い。君が教えてくれたことだ」
スザクはしれっとそう言ってダイニングに引き返す。――ナナリーとロロのいるダイニングに。
咄嗟に腕を掴んだが、スザクは止まらなかった。俺の膂力でどうにかできる相手ではない。スザクの気を変えない限り!
「――スザク!!お前分かってるのか!?好きとか、付き合うとか、結婚とかって」
なんとかスザクの前に回り込む。正面から肩を掴んでやっと、スザクは足を止めた。据わった目だ。こいつはやると言ったらやる。
「義務感でやることじゃない。お前が俺を監視して、干渉したいのは分かったよ。でもそれは、恋人なんかにならなくったって俺は許す。お前にはその権利がある」
都合の良い嘘や詭弁を使うのはスザクには悪手だ。だからってトチ狂ったように、必死になって、そのまま正直に全部言うのは俺のプライドが傷ついた。ああ、情けないとも。だが、今更スザクの前で晒していない醜態なぞないことを思えば、俺はなりふり構わずそうするべきだった。これは俺に分かる唯一の正しいルートだ。
「そういうのは……好きあってる人間同士でやることだ。――その、こんなこと言うつもりはなかったが、だから……俺はお前に幸せになって欲しいんだ。分かるか」
「聞いてなかったの?僕の告白」
スザクの目元が緩む。ほっとしたのも束の間、呆れたように苦笑して肩から俺の手を下ろす。自然、両手を握られるような形になった。手を握られて見つめられている。スザクの瞳はやけに熱っぽかった。おい。なんだかこれは、その……
「君のことが好きだって。すごく憎くて……こんなことを思うだなんて罪深いのは分かってて、それでも言いたいくらい、」
「――兄さん?」
「ロロか!!どうした!?」
勢いよく手を引き抜いて振り返る。キッチンの入り口からロロが不審そうに覗いていた。
「あれっ、枢木さんじゃないですか。まだ兄さんに付き纏っているんですか?」
「やあロロ。スザクでいいよ。呼びづらいだろ」
「幼馴染だからってしつこくしてると本当に嫌われますよ。枢木さん」
「ルルーシュの許可は貰ってる。それに、僕たちのことは君には関係ない」
「あります。僕は弟として兄さんを守る義務がある。あなたが兄さんをどんな目で見てるか、僕が分からないとでも思うんですか?」
何故こいつらはすぐに一触即発という空気になるのだろう。不思議だ。上司と部下だったこともあっただろうに……それとも当時からこういう感じだったのか?
「あなたのそれは好意なんかじゃない。兄さんを困らせるのはやめてください」
スザクの目がみるみるうちに温度を失くす。言い返さずに黙り込んだスザク。それを親の仇のように睨みつけるロロ。
「やめろ、ロロ。――スザクは俺の友達なんだ。仲良くしてくれ。な?」
張り詰めた空気を壊すため、敢えて優しい声を出す。わざとらしい真似だったが、今から殺し合いを始めます、といった洒落にならない空気はいくらか緩和した。こうやって気を遣うのは全く俺のガラじゃない。
「スザクさん!お久しぶりです。お元気そうで良かった」
「ナナリー!君こそ元気そうで良かった。会えて嬉しいよ」
「ふふ、スザクさんったら。ロロやお兄さまのこと、いじめちゃダメですよ。私の大事な家族なんですから」
「いじめてるつもりはないけど。そう見える?」
「ええ、とっても。お兄さまのことは仕方ないかもしれませんけど、ロロについてはアウトです」
ちなみにスリーアウトで退場です、と言って笑うナナリー。仕方なく矛を収める二人。急に和やかになった空気に息をつく。
「おいおい。どうして俺は仕方がないんだ?」
「お兄さまはスザクさんと仲良しだから。じゃれあいで済むでしょ?」
「なるほどな。ナナリーだけプティングはなしだ」
「お兄さまのケチ!いじわる!」
「兄さん!僕、兄さんのプディングならいくらでも食べられる!」
「ロロ!私のです、あげません!」
きょうだい三人でじゃれあいながら夕食を囲む。気心知れた幼馴染も混ざって、電話だけでは足りなかった分を埋めるように話は尽きない。
「……君たちって、ほんと仲良いね」
「当然だ。俺の家族だからな」
目を閉ざされず、自分の意思で立って走り回れるナナリー。養子とはいえ幼い頃から可愛がってきたロロ。人殺しも、帝国の陰謀も、ギアスの呪いも、重い血縁も背負っていない家族。俺の守りたいものそのものだ。だからスザク、俺は悪の道に堕ちたりはしない。お前がいなくても俺は――
「もういいじゃないですか。兄さんは充分苦しんだ。それでもまだ許せないんですか?」
夕食の片付けを終えてキッチンを出たところで、微かにロロの声が聞こえて立ち止まる。
この家には狭いながらも中庭があって、キッチンを出た廊下から外に出られる。ガラス越しにロロとスザクが見えた。ナナリーは多分風呂に入っている。
「あなたは兄さんに復讐したいだけだ。卑怯なんですよ」
――喧嘩になったら止める人間が必要だ。だから盗み聞きも仕方ない。俺はこれを聞くしかない。
自分に言い聞かせて息を殺す。
スザクが暴れ出したところで止められる人類などいないが、そこはもうスザクの理性に期待するしかない。少なくとも、持病のあるロロが殴られるよりも俺が殴られた方が……まだリスクが少ないというものだ。いざという時には間に割って入るしかない。
「……もしかして。兄さんの家族にでもなりたいんですか?」
「――君がそれを言うのか」
「ええ。僕だから言うんです。僕は兄さんのために死んだ。それを兄さんが引け目に思ってることは分かってるんだ。それでも家族をやるには、お互いの努力が必要で、兄さんが何の憂いもなく僕の前で笑ってるかは僕には今も……自信がない。多分、一生。それでも僕は、兄さんの家族でありたい」
「だから分かる。お前は一生兄さんを笑顔にはできない。最期にルルーシュの命を奪ったお前には!!」
息を呑んだのが誰だったのか、俺には分からない。
「離れた方がいい。そっちの方がお互いのためになる。そんなこと、あなたも兄さんも分かってるはずだ」
ああ、分かってる。きっと俺はスザクがいなくても幸福に生きていけるし、スザクなんて尚更だ。むしろ俺がいない方がずっと自由に生きていける。人並みの幸福を得て、その手を血に染めずに。
「――たとえどんな関係でも、俺は一生ルルーシュのそばにいるよ。誰にも譲る気はない」
スザク。お前は本当に馬鹿だ。
◎
何軒か先に枢木の実家がある。スザクは最初からそこに帰るつもりだったらしく、制服のジャケットを羽織っていた。俺がシャワーを浴び終えて戻ってくるのを待っていたらしい。
「泊まって行けよ」
「……いいの?」
「今からおじさんたちのところに顔を出すのも面倒だろ。俺のでいいなら着替えも貸すから。さっさとシャワー浴びてこい」
何か言いたそうに躊躇うスザクに清潔なバスタオルを押しつける。
「浴び終わったら俺の部屋に来い。話がある」
「――聞いてたんだろ。さっきの話」
「……気づいてたのか」
「なんとなくだけどね。盗み聞きは良くないよ」
聞こえるところであんな話をする方が悪い。俺だって聞きたくて聞いていたわけじゃない。
スザクはタオルで濡れた髪を雑に拭きながら、どこに居ればいいのか迷うように所在なさげに突っ立っていた。
「髪をちゃんと拭け」
舌打ちして、隣に来るように促す。
明かりもつけずに、ベッドをソファ代わりにして二人で腰を並べた。正面の窓からの月明かりで、お互いの顔くらいは分かる。
「言うつもりはなかった。一生。でももう言っちゃったから」
何が「言っちゃった」だ。あれを口説き文句だとでも思っているならお前の方こそ情操教育をやり直せと言いたい。喧嘩を売ってるようにしか感じなかったぞ俺は。
「……ルルーシュが俺をそんな目で見てないことは分かってる。それでもいいと思って言ったんだ。君の引け目を利用する形であっても、」
スザクは言葉を探すように遠い目をした。精悍な顔つきに迷いが見える。ロロの言ったことが相当こたえているらしい。
「……仮に、俺が断固拒否したとして。お前は自由になれるのか」
「今と変わらずそばにいることになると思う」
即答だった。先の会話を聞いていたので予想はついていたが、相変わらず理屈の通らない奴だ。
「……一応確認しておくが、スザク。お前俺のことが本気で、そういう意味で好きなんだよな?」
「そうだよ。不本意だけど」
「お前が言うな。俺のセリフだろ……で、俺に断られても今と変わらず監視は続ける、と」
「そうなるだろうね。それとこれとは別って言うか……これは俺の決めたルールだから」
――この頑固者。
これはまだ近いものを経験しているから予想がつくだけだが、それは辛くはないのか?俺は辛かったがな、お前がユフィに取られて特区日本とかいう夢見がちな泥沼に足を取られるのを見るのは。絶対に自分には手に入らない、俺の手を取らない奴とそれでもそばにいるなんて、別に楽しいものじゃない。――思い返してみれば、あの時どんなに必死に引き入れようとしても頷かなかったスザクに今更になって口説かれているなんて。とんだ皮肉だ。巡り合わせが悪いにも程があるだろう。笑える。
「君がいて、お互い覚えてるのに、それでも離れて君のいない人生を選ぶなんてさ。……俺にはあり得ない」
「……俺は、お前の気持ちを知っても態度を変えずにいろ、と。そう求められているわけか」
「ルルーシュにそんなことを気にする神経ないだろ」
「な……」
「お前は無神経で、人の心がなくて、傲慢で、卑怯で、残酷で」
「いつも俺を傷つける。今更だよ」
その顔を、俺は一生忘れられないと思う。
スザクは諦めたような、しかし希望に縋るような、眩しいものを見るような顔をした。俺を見て。それは俺の知らない感情だったから、正直言って理解できなかった。誰かが誰かを想ってパワーが湧くとか。早起きしちゃったりマフラー編んじゃったりとか、多分そういう類のものではない。なら俺がナナリーやロロに思うような、ただひたすらに美しく素晴らしいものだけを見せて、与えられる全てを与えたいという気持ちと同じなのかと思えば、それも違う気がした。だってスザクは傷ついている。その感情によって。
――見たくない。ああ、俺はお前にそんな顔をさせたくないんだ。
「――諦めるな!!」
「お前……お前ばっかり言いたいことを言って、勝手なんだよ。俺だって……」
スザクは無理に笑顔を作って俺を見ていた。俺は残酷なことを言っている。簡単に応えられないくせに諦めさせたくもなくて、それをスザクに許すように強要している。スザクもスザクだ。そんな顔で笑うな。俺を許そうとするな。
「……俺だって。少しは考える」
「……あのさ、ルルーシュ。俺が言えたことじゃないけど、そういう態度はつけ込まれるよ」
「うるさい。……それで?お前の好きはどういう感じなんだ」
「え?」
「だから。少しは……考えるのを手伝え。ほら」
本当の、子供の頃に戻ったみたいだった。今と地続きの子供時代は、現状と過去の記憶の齟齬で混乱していて、そう和やかなものじゃなかったから――本当に何のしがらみもなかったあの頃。殺意や憎しみを向け合うことになるなんて思いもしなかった、あの夏の日に戻ってしまったように錯覚した。スザクが無茶なことを言って、俺が策を考える。どんな無謀な作戦もスザクとなら失敗したことはなかった。
「――許可が、欲しかったのかも」
「は?」
「君は"憎めばいい"って言った。"俺たちは友達だから"。憎むこと。友達でいること。君を殺すこと。生きること。俺が黙っててもルルーシュがくれたものなんてそのくらいだ。あの頃は、自分が欲しいものに手を伸ばすなんてしてはいけないと思ってたから……絶対に言えなかったけど。本当は、許可が欲しいって言ってみれば良かったんだ。そうしたらもらえたのかも」
淡々と告げられることは全部初耳だった。世界征服した頃だって聞いていない。
「何の許可だ」
「……ルルーシュを抱きしめること」
照れが入る余地はなかった。そんなことで照れるには、多分お互いに摩耗しすぎていた。スザクが口にしたのはあまりにもささやかな願いで、だからこそ、それが揺るぎない事実なのだと理解できた。
「君の手を掴んで引き上げるのは、いつも俺の役目だった。俺だけが出来ることだって誇らしかったんだ。それだけで良いや、っていうのも本当で、本当、だったけど……」
スザクは微笑んでいたが、今にも泣き出しそうにも見えた。激しい情のまま泣けたあの頃のまま。
「ルルーシュを抱きしめてキスを贈る役目が羨ましかったのも、本当だ」
「ルルーシュのことを好きでいる許可をくれない君が憎たらしい。俺の好きはそういう好きだよ」
――唐突に理解した。
今まで筋道が通らないと思っていた、理解しがたかったスザクを少しだけ理解できた気がした。
スザクは前を向いている。明日を見ていたのだ。前は言えなかった、諦めていたことを俺に言おうとするくらいには。――過去のことに拘っていたのは俺の方だった。
「……もう、二人とも寝た頃だ。騒がないなら好きにしていい」
「……え?」
「お前は俺を好きでいていい。――お前が言ったんだろ。許可が欲しいって」
勢いのまま正面から覗き込む。スザクは目を丸くしていて、強烈な羞恥が湧いた。
「――俺だって」
確信はなかった。これは間違っているのかもしれない。もっと吟味して選択するべきだ。少なくとも、今まで俺の脳裏にあった幾通りもの選択肢の中にはこんなことを言うなんてのはなかったんだ!――だが。
「お前を抱きしめて、慰めてやりたいと思ったことがないでもない。あの頃は、……できなかったけどな」
だから分かった。これを恋とか愛に分類するかはともかく、スザクが俺に向けているものは俺もスザクに向けられるということを。今ここで伝えるべきものなのか確信もないのに!
「……本当に?」
――人に抱きしめられるのは久しぶりだった。
両親とは死別しているし、ロロやナナリーとはスキンシップが多い方だとは思うが、しばらく離れていたから。
ぱたぱた、と首筋が濡れる。俺を抱きしめて、スザクは泣いていた。手を伸ばして、濡れた頬に触れる。今回は直接触れられた。ゼロの仮面越しではなく。
「……お前な」
「――ずっとこうしたかった」
あの時は剣ごしにしか繋がれなかった。ただ優しいものだけで繋がるには、余りにも罪を背負いすぎてしまっていた。お互いに。
「こんな風に。……君と抱き合えるなんて思わなかった。奇跡みたいだ」
人の体温の熱さを初めて意識した。ロロとも、ナナリーとも、C.C.とも違う。まだ発展途上の、鍛え上げた伸びやかな身体だ。
抱き返したところでびくともしない。結局今も昔も父親との触れ合いなんか知らないから、こうやって体重をかけられ、対等に体温を分け合うというのは新鮮に感じた。
「ロロに言われたよ。ルルーシュを殺した俺がそばにいると、君は笑えないって」
「……聞いてた」
「彼、覚えてたんだね。知ってた?」
「ああ。……はっきり確かめたことはなかったが」
そうなんだ、と掠れた声で呟いて、スザクが肩に顔を埋める。首すじにスザクの髪が擦れてくすぐったかった。
「……ルルーシュは怖くないの?」
「何をだよ」
「自分を殺した人間に抱きしめられてて」
「どうせお前だろ。構わない」
不思議なことに、怖いと思ったことはなかった。死ぬ瞬間でさえ怖くはなかった。幸福だったとさえ言える。
「……そろそろ泣きやめ」
あやすように背中を叩いて、わずかに身体を離す。寝巻きにしているシャツの襟が濡れて冷たかった。
スザクの目元が涙で濡れて、赤く腫れているのを見た途端、急に笑いが込み上げてきて、そのまま目元に口付ける。そうすることが自然だと思ったのだ。穏やかでいい気分だった。
「――俺は君が怖い」
スザクの震える指先が、そっと頬に触れる。触れてもまだ微かに震えるそれに気を取られているうちに、口を重ねられていた。一瞬で離れたけれど、塩辛かったから触れたのは確かだ。涙の味がした。
「ルルーシュは、……望まれたら誰にでも全部あげてしまいそうだから」
さてどうだろう。少なくとも、自分の持っているものを捧げるような愛し方しか俺は知らない。愛はどれだけ与えても消えたりはしないから。
「――ッフ。俺を何だと思っているんだ。誰にでもなんかやらない」
誰にでも許すと思われているのは心外だ。実際一方的にキスをされるのは初めてではないが。
「俺は奇跡の責任を取っただけだ。これは俺の選択の結果だ」
スザクの襟を掴んで軽く引き寄せる。互いに吸い寄せられるように唇を重ねた。一方的なものではない。これは俺の意思なのだとスザクにも分かって欲しかった。
口を離して見つめ合った瞬間、急に照れ臭くなってお互いに目を逸らす。なんだ?この居た堪れない空気は。仕掛けてきたのはこいつのはずなのに何故俺が照れる羽目に――
「……ねえ。好きにしていいって、どこまで?」
仄暗い部屋の中で翠の瞳が爛々と輝いていた。居た堪れなさはそのままに、やけにあやしい空気になってきたことを察する。察したところで何ができるかと言われると困るんだが。というか、これは俺のジャンルではないような――
「……どこまでとは」
「キスまではいいんだろ。その先は?」
いや、別に、キスまではいい……とは言っていないはずだが。
は?と警戒と緊張を露わにした俺にスザクがにじり寄ってくる。ギシッ、とベッドのスプリングが鳴って、そういえばここは寝室で、それも二人して既にベッドの上で、この家に客間とか客用布団といったものはなく、何にしろ二人でここで夜を明かす他ないという事態に気がつく。
「……ルルーシュ」
ええい、肩を掴むな!何か決意したような顔をするな!顔を寄せてくるな!!お前の決意なんて絶対にろくなものじゃない。
「……待て。……しばらく考える時間を要求する」
「そんな権利がお前にあると思ってるのか」
「あるだろ!?離れろ!馬鹿!!」
それから先何をしたのかは割愛する。俺は理性の飛んだ思考を他人に開帳できるほど酔狂な人間ではないからな。
◎
眠りについたのは夜が明ける頃だった。
「……理解はした」
「え?」
「お前が俺とこういうことをできるということは理解した。返答は保留とする。以上」
「ちょっと!」
疲労のまま俺は眠りにつく。何か言い募るスザクの声が遠くなって、夢を見た。
神根島の神殿で仮面越しに見たスザクの顔。震えて照準の定まらない銃口。開いた瞳孔に映る殺意と絶望。
――"お前の存在が間違っていたんだ!!"
俺は耐えきれなかったんだ。だから先に撃った。撃てば終わりになる。スザクにそんなことを言われるくらいなら死んで欲しかった。咄嗟に生きろと命じた俺も、スザクを殺せと叫んだ俺も、どちらも同じ俺だった。
昼過ぎに起きて、二時間半をかけて学校に向かう。かつてトウキョウ租界とシンジュクゲットーを分けたモノレールと同じ場所を通る列車は、左右どちらの窓を覗いても変わらぬ東京の街並みが見えた。災害用KMFが救助活動を行なっている。今日は空気が澄んでいるのか、フレイヤで抉れた富士山が見えた。
「――地獄だぞ」
乗り込んだ車両はコンパートメント形式になっていた。そのうちの一つに入って向かい合わせに腰を下ろす。
「何が」
「お前は俺への憎しみを捨てられないだろ」
首肯。スザクにとっても俺にとっても自明のことだった。
「お前が俺のことを好き、なのも本当なんだろう。信じよう」
またまた首肯。昨日あんなことしといて今更そんなこと言うんだ、などとほざくスザク。フッ、何も聞こえないな。
「俺はお前にだったら何をされてもいいんだ。お前が笑えるなら……苦しいことも、辛いことも考えずにいられるなら俺は何でもやる。でもお前」
目を逸らす。窓の外の東京は、休日の昼ということもあってか活発に車が行き交う。
「俺がいたら辛いことを思い出すだろ?」
「だからきっと……俺といると、またお前は地獄を見ることになる。何度でも。繰り返し……呪いみたいに」
それだけは確かだった。俺がそうだからだ。
スザクのことを信頼している。好きだと思う。大事だし守りたい。幸福になってほしいのも、本当だ。
それでも、あの時向けた殺意や憎悪が本当なのも覚えている。清算や和解を済ませても、一度それほどに憎んだ相手であることは揺るぎない。俺はきっとまた悪夢に魘されるだろう。スザクの隣で穏やかに眠りにつき、スザクの悪夢を見ることになる。
「俺はお前に殺されるのなら怖くなかった。一緒に地獄へ落ちてくれるのがお前で良かったと思った。お前は優しい奴だから……友達、だから」
俺は後悔しているわけじゃない。だからこれからの話しかしない。過去の話なんかしようとも思わない。
「せっかく新しい人生を生きてるのに、また一緒に地獄へ行こうだなんて、俺が言えるか……」
スザクはといえば、俺の目線の先を探るように窓の外を眺めた後、……結局呆れたような顔をして、俺を見つめて言った。
「幸せになってほしいとか、どの口が言うんだろうって思ってる」
「俺はお前の幸せを願うのも許されないのか!?」
「そうだよ」
きっぱりと言われたことに眩暈がした。――なぜ断言できるのか理解に苦しむ。一体何を考えているんだ?こいつは。
「俺だってお前の幸せなんか願ってない。幸せになんか絶対にしてやらない。俺もお前も、幸せになんかなっちゃいけない人間だ。知らなかったのか」
「あのな……」
俺は盛大に呆れた。自罰的にも程があるだろ。
一度俯いて何から言ってやればこいつは納得するのだろうと頭を抱える。凄まじくあれこれと言いたいことはあるが、結局まとまらないまま顔を上げた。スザクは真剣な顔で、
「俺と一緒に不幸になれ。ルルーシュ」
――震えた声でそんなことを言うものだから。
――今、ここに、ギアスがあれば良かった。
スザクの記憶を奪ってしまいたい。俺に関わらないところで、幸福に生きていくスザク。互いに与えたものも、奪ったものも多すぎて、俺の記憶や介入が一切ないスザクなんて想像もつかない。もう少し粗暴だったりするのかもしれないな。もっと素直で、正義感に溢れていて、優しくて、ちょっと馬鹿で。
でも、何もしない人生なんて死んでるのと同じだから。だから俺は、お前から奪うなんてできないんだ。これ以上、何一つ。お前が生きるために憎しみが必要なら、俺は喜んで憎まれよう。お前の生きる目的が俺だと言うのなら、俺はそれを受け入れよう。結論は最初から出ていた。それを伝える勇気が足りなかっただけだ。
「……ルルーシュ」
「地獄でもいいんだ」
「ここが地獄なら、今まで歩いてきた中では随分ましな地獄だって思う。一度壊れた幸せは、それ以上は壊れないって、そう信じられる」
「二度と会えないのが怖かったんだ。あの夏の日より素晴らしいものはこれからの人生に一つもなくて、ただどう死ぬか考えてた時より……、お前が、俺に夢を見せてくれた人を奪って何もかも台無しにした時より。……ルルーシュのいない暗闇を独りで歩いていくのより、ずっと」
「ずっとましな地獄だ。ルルーシュと歩けるなら、先の見えない暗闇だって、死体の山の中だってもう怖くない」
スザクは俺をまっすぐ見つめて言った。
「ルルーシュがいる地獄で俺は生きたい」
通路を挟んで隣のコンパートメントに乗ってきた男性は足に補助器具を付けていた。KMF開発技術を活かした装着型運動補助器具。世が世なら車椅子生活を強いられていた人間が一人で立って、歩いて生活している。
アッシュフォード学園はかの高名なアインシュタイン博士が私財を投げ打ち、戦前よりももっと大きな学校になった。モットーは"平等"。人種も国籍も思想も性別も問わず、学問を志すあらゆる人間に開かれる場所として名高い。分校も随分増えた。何を隠そう俺たちが通っているのもそのうちの一つだ。
スザクに俺が死んだ後の話を聞いたことはなかった。聞かなくたって分かる。俺が今生活しているこの世界は、俺が壊して、二人で創り、ゼロが守ってきた世界だから。
「――やれやれ。お前は本当に仕方がないな……」
俺は溜息をつく。声が震えるのを誤魔化そうとしたのだが、多分無意味な取り繕いではあった。
「スザク。明日は……何が食べたい?」
明日の話だけしよう。
確かにここは、随分ましな地獄だ。