【3島ほのぼの】漁師の日常「毎日毎日寒いのう……」
この小屋での暮らしが始まってから一月ほど経ったある夜。薄っぺらい布団を広げその上にごろんと身を転がした真島さんは、横向きになって手足を折り曲げ、小さく体を丸めていた。
「兄弟はろくに動かんから余計寒いんやろ」
真島さんの布団に隙間なく自分の布団を敷き終えると、お前も明日の朝から乾布摩擦、どや? と緩く首を傾げる冴島さんの提案に言われた方はあからさまに顔を顰め。べっと舌を出してからすぐにそれを引っ込めると、拗ねた子供のように口を尖らせた。
「はあー! 寒い寒い」
「文句ばっか言わんと、寒いんならちゃんと布団被りや」
ほれ。首まで被らんかい。そう言って真島さんの足元に纏まった布団を掴んで広げると、冴島さんは見た目の無骨さとは裏腹の優しい手付きでそっと彼の首元まで布団を掛けてやり。その上、山になった部分でぽんぽんと優しく手を弾ませる姿に俺は思わず母親みたいだな……と心の中で呟いた。
彼ら二人と同じ屋根の下で暮らすようになってから気が付いたことがある。
東城会の伝説の極道と呼ばれたまでの二人は確かにその名に相応しい力の持ち主であったが、こうして二人揃っているとそれこそ本当の兄弟のように仲が良かった。面倒見の良い冴島さんと、そんな冴島さんには気心を許している真島さん。特に真島さんのこんな姿は、ここで初めて知るものばかりだった。
例えば……そう。あれは三日前のこと。
あの日は朝から海も大しけでとても漁どころではなかった。俺は破れてしまった網の修繕をし、冴島さんは何処かで拾ってきたという流木にノミを当てて木彫りをしていた。聞けば、以前天啓が降ってきた際、それを木彫り細工にしたのがきっかけで今ではすっかり趣味の一つとなったそうだ。
「あー暇や……」
そんなあぐらをかいた冴島さんの膝と手の隙間に、横になった真島さんの頭が滑り込む。所謂膝枕状態が突然目の前で展開されるのに俺は思わず網を手繰る手が止まってしまったわけだが、一方の冴島さんは特に動じる様子もなく――
「兄弟。そこにおったら木屑食うで」
美味いもんやないぞと口では注意するものの、無理矢理退かしたりはせずそのまま木彫りを続けていた。そんな様子を真島さんは冴島さんの膝の上から眺めていて。表情こそそれの何が面白いんだと言いたげなものだったが、そこから動くつもりはないようだ。
「そういやソレ、何彫っとるん?」
「んー? 出来上がってからのお楽しみや」
俺もそれは気になる……と言い掛けたものの、何だか今の二人に声を掛けるのは気が引けて。だが、どうしても気になってしまいチラチラと視線を遣っていると、顔に掛かった木屑をぺっぺと吐き出しながらこちらに顔を向けた真島さんと目が合い。俺は咄嗟に顔を逸らしてしまった。
「おぉ? そない顔赤くしてどないした? 大吾」
相変わらず冴島さんの膝に頭を乗せたまま。真島さんの問い掛けにいえ……とだけ答えると、ほうかー? と返ってきた声に何度か頷き、俺は途中だった修繕作業を再開して気を紛らわすことにした。
俺には、彼らと同じような間柄の兄弟と呼べる人がいない。友と呼べる者はいたが、今の彼らのように近くで暮らすこともなかった。だからだろうか。距離の近い者とのやり取りというものがいまいち想像つかなかったのだが……冴島さんと真島さんのこの光景は、一般的な『兄弟』の間柄ではよくあることなのだろうかと、その日は眠るまで疑問が拭えなかった。
***
そんな日の出来事を彷彿とさせることが、まさに今起きようとしていた。
この小屋は狭い。布団だって三枚並べるにはこうして隙間なく敷くしかないのだが、俺が冴島さんの隣に布団を敷き終えたところで真島さんが掛け布団の中でもぞもぞと体を動かすのが目に入った。
「はあ……アカンわ。今日は特別寒いわ。どうにもならん」
首だけを布団から出した状態で真島さんの体が徐々に冴島さんの方へと近づいていく。一方の冴島さんはといえばもうすっかり寝る体勢が整っており。かっちり首まで布団を被り、真っ直ぐ体を仰向けにして目を閉じていたのだが、そんな彼の布団に真島さんの山がくっつくと、あろうことか冴島さんの布団の端を捲って身を寄せたのだった。
えっ。俺がいるってのに、本気か……?
思わず目を疑ったが、真島さんは恐らく冴島さんの布団の中に侵入してひしっと抱きついている。
「ああーぬくいぬくい! やっぱ寒い時はコレが一番やな!」
その証拠の台詞がこれだ。真島さんが冴島さんに抱きついているのは間違いないだろう。これが……兄弟では普通のことなのか……? いや、さすがにおかしい。
もしやこの二人……そういう関係、なのか……?
「兄弟。まさかこのまま寝る気か?」
「当たり前や。こない寒い夜、一人で寝れへんわ」
俺の体、しっかりあっためてもらうで、と機嫌良さそうに続ける真島さんの言葉に、今夜はゆっくり眠れそうにないことを覚悟して手にしていた掛け布団をぎゅっと握り締める。もしこの二人がそういう関係なのだとしたら、俺は心から応援する気持ちではいるが、まあ……多少夜は気を遣うことになるだろうなと眉を寄せた。
そんな俺に気が付いたのか、冴島さんがふと目を開けてこちらを見上げてきた。
「大吾。なんや、お前も寒くて眠れんのか?」
真島さんを抱きつかせたまま声を掛けてきたのには驚いたが……いや、大丈夫ですと答えると、次いで口を開いた真島さんの言葉に、俺は思わず素の声を出してしまうこととなった。
「お前も兄弟に抱きついたらええわ。ぬくいでー」
「は……?」
「二人から抱きつかれながら寝んのは正直暑苦しいが……まあ、大吾がそうしたい言うならええで」
来るか? と布団の中から手を出してこちらに差し伸べてくるのに俺は数秒の間硬直してしまった。が、いやいや! と首を横に振ると、俺は部屋の明かりを落としてそそくさと冴島さんの隣に横になり布団を頭まで被った。
「なんや。大吾チャンはシャイやのう」
「兄弟が遠慮せんだけや。ほら、寝るで」
布団の外からそんなやり取りが聞こえたが、まさか俺まで誘ってくるとは思わなかった。生憎だがそういう関係の二人に混ざろうという気は少しも起きない。
ええい、どうにでもなれ……! そう心の中で叫んで体を丸め、ぎゅっと目を瞑ってみるものの、当然だがすぐに眠ることなど出来ず。ぱちりと目を開けて暗い布団の中でしばし身を潜めていると、独特の高めのいびきが聞こえ始めたのに俺はそろそろと頭を出して隣の男達に目を向けた。
「…………寝てる」
寝息すらも聞こえないほど静かに目を閉じている冴島さんと、時折聞き取れない寝言を口走りながらもいびきをかいて爆睡している真島さん。
あれから特に何かが起こるわけでもなく、二人はぐっすり眠っていた。
「もう……なんなんだよ……」
俺ばかりが空回りしていたというのか? いや、今日はたまたまそういう気が起きなかったというだけで、今後いつの日か――
そのいつの日かを心配したところで、今がどうにかなるというわけではない。そう自分に言い聞かせて再び頭まで布団を被ると、頭の中に浮かぶ諸々を掻き消して何とか眠りについたのであった。
***
だが、あれからしばらく経った今。俺の心配は杞憂に終わっていた。
「ええ加減離れんかい兄弟」
「嫌やーまだ寒いねん! 今何時やと思とんのや、もうちょい寝かしてや」
「漁師の朝は早い言うとるやろが。ほら、お前も大吾を見習い」
一足先に顔を洗って戻ってみると、もはや日常となった光景が広がっていた。
寝衣姿の冴島さんに抱きついて離れようとしない真島さん。そんな体を引き剥がそうとする冴島さんだが、決してその力は本気ではなく。それを見越して真島さんは甘えきっているのが俺から見てもはっきりとわかって。またやってる、と溜息交じりに小さく笑っていると、冴島さんはしゃあないのうと零した後、最終手段と言わんばかりに真島さんの布団をバッと引き剥がした。
「ヒィィ! 何すんねん!」
「ええから起きや。たまには兄弟にも手伝うてもらうで」
声を上げて身震いした真島さんはより強く冴島さんの体にぎゅっとしがみつく。が、それを合図にしたように冴島さんの視線がこちらに向くと、こくりと一度頷いて俺は二人へと近づいた。
「ほら真島さん。体を動かした方が少しは寒さも紛れますから」
真島さんの腰を掴み、やんわりと体を引き剥がしていく。
「大吾まで俺をいじめるんか!」
「何言ってるんですか。いつまでも寝てる真島さんが悪いんでしょう?」
「せやで兄弟。大吾を困らせたらあかん」
そのへんにしとかんと朝飯抜きやぞと釘を刺されるのに、真島さんの日課とも言える朝の抵抗も終わり。仕方なく冴島さんから離れると、むすっと口を尖らせて頭をガシガシと掻いた。
多分、だが。他の『兄弟』達はこんなにも親しげなやり取りはしないのだろうと思う。だが、この人達にとってはこれが普通で、日常で。端から見たら勘違いされるのも無理はない距離感だったが、慣れてしまえば微笑ましい以外のなにものでもなかった。
「あーん」
とはいえ。向かいで口を開けて待っている真島さんを見て、箸で小さく切った卵焼きをぽいっと投げ込む冴島さんというこのやり取りは……さすがにいかがなものかと俺は今でも思っている。