煙社降臨節暦 第三夜/水木とちっちゃい鬼と大包雲 ぽつんと明かりの灯る、暗い駅だ。山裾の小さな駅。空はその半分を巨大な山影に隠され、もしかしたら昼でも夜と見間違うのかもしれない。
電灯に照らされ、ぽつねんと村雲は佇んでいる。ベンチの上、虎縞のちゃんちゃんこに包まれ裸の赤ん坊が転がっている。裸も奇異だったが、もっとこの赤ん坊を奇異に見せているのはこぼれんばかりの大きな丸い目だった。それも右目ばかり。左目は潰れている。
捨てられたのだろうか。そう口にするのが妙に怖かった。売り飛ばされることこそあれ、捨てられたことはない。だから刀が残っている。名が残っている。自分はここにいる。抱いてやることはもっと恐ろしくてできなかった。
「村雲江」
名前を呼ばれただけで肩が跳ねる。振り返ると改札をくぐり、鋼の色の眼をした男が切符を二枚手に立っている。不安げに黙っていると、そんな顔をするな、と男は笑った。
「任せておけ、汽車の旅は慣れている」
「じゃ…なくて…」
目顔で示せば赤ん坊に気づいた男は軽く眼を瞠った。
「裸で…。寒いだろう」
ためらいもせず両手が赤ん坊に向かって伸びる。ちゃんちゃんこから裸の小さな身体を抱き上げ、胸に抱く。赤ん坊は泣きもしない。鋼色の眸を見つめ、おおおう、と声を上げる。
「よしよし、強いな」
「あのさ、大包平」
村雲はようやく男の名前を呼んだ。存外穏やかな双眸がこちらを見て、村雲は言葉を飲み込む。
――怖くないの? その子どうするの?
躊躇と沈黙を、男は聞き取ったようだった。
「心配はいらんだろう」
ふうっと息を吐く。そこには火の熱が混じっている。赤ん坊が息を辿るように手を伸ばした。村雲もつられて息の先を見遣る。くゆる煙が、ところどころ青白い燐光を散らしながら暗闇から伸びて、赤ん坊にまとわりついている。
「呪い?」
「縁だ」
闇に消えるプラットフォームの向こう側からかすかな声が聞こえた。
「……呼んでる」
「ああ」
大包平は赤ん坊を元のようにちゃんちゃんこでくるみ、ベンチの上に横たえた。途端に暗闇を破るようにしてくたびれた勤め人風の男が駆けてきて、赤ん坊を抱き上げた。
「鬼太郎」
赤ん坊はあぶあぶと声を上げ、男の左目を走る傷に触れた。村雲は黙ってそれを見つめる。何故だか息が出来なくなる。だから遠くで汽笛が鳴るのにも気づかない。いつの間にかやってきた汽車に男と赤ん坊が乗り込み、巨大な山の夜闇の中に消えるのをただただ見つめている。見送っているつもりもなかった。
「ほら」
と大包平の声がした。切符が差し出されている。遠い地名が記されている。
「……オレたち、同じところに行くの」
「そうだ。主の命だからな」
「ふーん……」
不意に、だらしなくぶら下げていた手を熱いてのひらが掴んだ。思わず見上げる。眉間に皺が寄っていたかもしれない。それでも男は穏やかさのにじむ顔で笑う。
「そんな顔をするな」
山影の遠く、小さく見えた光点が近づく。汽笛が鳴る。轟音を立てて汽車が滑り込む。大包平に手を引かれ、村雲は汽車に乗り込む。手をつないだままだから隣同士に席へ着く。
「さっきの子どもさ……」
ようやく声が出る。
「ああ。人間ではなかったな」
「でも迎えに来たのは……」
「ああ」
大包平はそれ以上何も言わなかった。また眉間に皺を寄せると、手を掴んでくる力が強くなった。
「……肩貸して」
伏せがちに車窓を見つめていた薄鈍色の眼がちらりと見る。
「寝るから」
ふ、と今度は彼らしく笑った。村雲は隣の肩にもたれかかり、瞼を閉じた。てのひらが熱い。
遠ざかるにつれて巨大な山は月下にその偉容をあらわにする。富士山もしばらく見納め、と村雲は心の中で呟いた。