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    ベルジャン(2009/10/18)

    Omnia sol temperat 02見掛け倒しの春。空は爽やかに青く高く広がっても、冷たい風は過ぎた冬の面影を追って吹き降ろす。
    厚手のジャケットを着込んでもなお肌寒い日に、屋外のカフェテリアでぼうっと座り込んでいる男がいた。

    ――綺麗な顔の男だな。

    洒落たカフェのテラス席に面した公園の歩道。馴染みの時計店の店主に仕事を頼まれて使い走りに赴く途中、通りかかったジャンはふとその男に眼を引かれた。座っていてもわかるモデルのような長身痩躯、表情の読み取れない顔立ちは思わず口笛を吹いて賞賛を贈るほど整っている。
    年のころは二十代半ば、もしくは前半と言ったところだろうか。まるで精密な絵画のように、男の姿は鮮やかに眼を惹いた。
    ジャンは男の顔立ちには整って美しいものを見たときのごく一般的な感嘆を、そして彼の体躯には未だ本格的な成長期に入らない自身の上背と見比べた羨望のため息をついた。
    男は、テーブルに置かれたコーヒーの湯気が風に散らされるのも一顧だにせず、じっとその手に持った何かを見つめている。いや、睨み付けている、と言ったほうが正しいかもしれない。黒縁の眼鏡の奥、緑の瞳の鋭さを見つけて、ジャンは男が見つめる物に興味をそそられた。
    あれほどに真剣な眼差しの先にあるものとは何だろうか。
    思わず足を止め、覗き込もうとする。しかしその瞬間、それまでぴくりとも動かなかった男が不意に身動ぎし、軽はずみな好奇心を見咎められた気がしてジャンはびくりと身を竦めた。見つかってしまっただろうか。気まずさから、ジャンは何かで自分の動きを紛らわせようとし、腕に嵌めた時計の盤面を覗き込む。カチカチとリズムを刻む秒針をしばし眺め、そして恐る恐るもう一度男を見上げれば、彼はジャンになど見向きもせずに再び手元を凝視していた。
    うわ、アホみてえじゃん、俺。
    勝手に焦っていた自分の行動が喜劇染みて笑えてしまう。今度は気恥ずかしさをごまかすように、ジャンはもう一度時計の針へと視線を落とした。

    先程見たときには規則正しい音を立てる秒針ばかりが意識に入っていた。改めて見て、短針と長針がようやく目に入る。
    そして二つの針が指し示す数字を見て、

    「――ぅわ、やっべ!」

    頼まれた仕事の約束の時間が、間近に迫っていたことに気付いた。
    今日の仕事の相手は、ジャンの働き口である時計の故買屋の客筋の中でも特に大口の顧客だ。遅れて機嫌を損ねては、大変なことになる。
    ジャンは慌てて走り出した。履き古した靴の底が土を蹴り、カフェテリアと、黙して座る男の姿はすぐに後ろに流れて消える。消えたけれど、凍りついたような緑の瞳だけが、妙に瞼の裏に焼きついた気がしていた。
    苦笑しながら、ジャンは走る。

    動かない瞳は、まるで時間が止まっているみたいだった、と。名も知らぬ男の姿にそんな馬鹿なことを考えながら。




    ジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテ。
    ご大層な名だ。だが、今のジャンの周囲には、この長ったらしい名をわざわざ呼ぶものはいない。大抵がジャンと簡潔に、もしくは少し長くてもジャンカルロ、とだけ呼びかける。デル・モンテの姓を呼ぶ人間は、ジャンが記憶している中でも数えるほどしかない。
    何故かといえば、その姓で呼ばれるジャンの家族は、もうこの世のどこにも存在しないからだった。
    物心もつかない幼い頃、ジャンはイカレた麻薬中毒者に家族を殺された。傍迷惑にも人の家に上がりこんで銃を乱射したジャンキーはジャンの父母を蜂の巣に変え、惨劇の現場となった小さな家を赤く染め上げたそうだ。幼かった彼は運良く男の眼を逃れ、倒れた両親の横で座り込んでいたらしい。らしい、というのは、ジャンはその当時の記憶がないからだった。凶事の衝撃に脳が拒絶反応を起こしたのか、それとも単に時の流れに風化して消えたのか、定かではないがとにかくジャンは両親の顔すら思い出せない。
    そして両親の面影が消えていくのと同時に、彼らから受け継いだ姓を呼ばれる機会もめっきりと減った。
    代わりのように、人は少年をとあるふたつ名で呼ぶようになる――ラッキードッグ、と。

    凄惨な事件の生存者であることが、幸運の代名詞であると言われると首を傾げざるを得ない。どう考えても何事もなく平和な子供時代を送る方が恵まれているはずだ。
    だが、そのほかの様々な出来事――明らかに幸運の女神の贔屓を受けたと考えるような幸運の積み重ねは、少年に自らのあだ名を納得させた。

    ラッキードッグ。
    まるで犬の嗅覚のように、ジャンの第六感は明確に幸運の匂いを嗅ぎつける。

    道を歩けば金を拾う。財布を拾えば札束がぎっしりで、気まぐれに落とし主に届けようなどと思いついたときに限って持ち主は目玉が飛び出るような金持ちであったりした。籤を引けばあたりばかり。失せモノ探しをしようとすれば、まるであちらから飛び込んでくるかのようにぽんと捜し物が見つかる。
    なるほど、確かに自分は幸運だ。
    そしてラッキードッグの幸運は、幼さと孤児院出身の子供という制限を加えられた職探しの場面に於いても十全にその強運を発揮した。

    「んー、やっぱあの爺さん相手の仕事はいいぜ」

    ご機嫌に口笛を吹いて、ジャンは手のひらの中で弄んでいた硬貨をピン、と弾いた。澄まし顔のビッグ・レディがくるくると、勢いよく回りながら空を飛ぶ。けれど彼女はすぐに昇るのをやめて、ジャンの手の中に舞い戻る。重力に囚われて落ちてきただけのビッグ・レディ。しかし浮かれた少年には彼女の横顔が「あなたのそばにいたいの」とでも囁きかけているように思えた。
    今回の仕事で、ジャンの雇い主である時計屋の店主が手にする金額からすれば、端金もいいところの微々たる額だ。けれど使い走りの小僧への駄賃、賃金外の臨時収入としては上々の成果である。
    時計屋の上客の老翁は、チップをケチらないと言う点でジャンにとっての上客でもあった。

    駆け込みセーフで約束の時間に滑り込んだジャンは、無事に取引を終えて帰路についていた。
    行きに手に持っていた、小振りな鞄はもうその手にはない。普段財布さえ持ち歩く習慣のないジャンは、空いた両手の解放感と、代わりに重くなったポケットに上機嫌に歩いていた。

    故買屋。
    要するに盗品を盗品と知りながら素知らぬ顔をして店先に並べる、裏の世界に片足を突っ込んだ商売だ。いや、片足どころか裏に回れば地元のマフィア、CR:5とがっちりと繋がっている。
    ジャンの仕事はその店主の使い走りとして、取引相手に商品を届けたり、受け取ったりの仲介をすることだった。
    それだけの簡単な仕事だが、商売自体の後暗さのおかげで随分と実入りが良い。口止め料込みの賃金に、訪問先での駄賃。ついでにどうやらジャンを気に入ってくれているらしい店主が上乗せしてくれる色の分、かなりの金額を稼いでいる。
    ドケチで有名な親父のパン屋や、駄賃などを払いたくても払えないような貧乏な雑貨店で働いている仲間たちはこぞってラッキードッグ・ジャンの強運を羨んだ。偶然とタイミングで手に入れたこの仕事は、自分でもラッキーだったと思っている。
    唯一の問題点をあげるとすれば、奪うなかれとの教えに背くこの仕事に、あの恐怖の権化のようなタフネス・テレサが良い顔をしないことぐらいだった。




    「うわ、もうこんな時間かよ」

    ものぐさな性格のために、ジャンは自分の時計は持っていない。利き腕にはめられている時計は、約束の時間に遅れぬようにと店主に貸してもらったものだ。
    吹き抜けた風が夕暮れの冷たさをはらんでいる気がして、ジャンは盤面をのぞき込んだ。果たして短針は下に傾いていた。あと少しで空が色付き始める時刻であることを知って、ジャンは思わず両腕をさする。
    持ち込んだ商品の検品と、老翁の長話につきあわされて随分と遅くなってしまったようだ。ひゅうと吹いた木枯らしに公園の針葉樹が揺らされるのを見て、ジャンは足を早める。
    そういえば、あと少し先には数時間前に足を止めたあのカフェテリアがある。
    テラス席で長めの髪を風に揺らされながら、何かをじっと見つめていたあの男はもしやまだいるのだろうか。ふと思い、けれどそれはないだろうと首を振った。さすがにもういるはずがない。

    眼を引く男だった。
    顔を見るだけで「こいつ、絶対有能な男なんだろうな」と思わせる怜悧な面差し。あの男が、あんな思い詰めた表情で睨みつける物がなんなのか。見てみたかったが、仕方がないだろう。

    妙に自己主張の激しい好奇心に苦笑しながら歩き続ければ、カフェテリアの看板が見えた。
    きっとその席は空席だろう。そう想像して、先ほど男が座っていたその席に視線をやった……けれど。

    「嘘だろ? まだいる」

    思わず声を出してしまった。
    バリバリに働いていそうな顔をしていて、実は暇なんだろうか。その席には、あの眼鏡の男が座っていた。しかも、数刻前に通りかかったときと全く同じ、手の中のなにかを睨み据えた険しい顔のままで。
    まるで変わらない男の様子は、まるで絵の背景だけを入れ替えたかのような錯覚を覚えさせた。ジャンは目を丸くして、けれど何故だかふらふらと、引き寄せられるようにその店の入り口へと近づく。好奇心が疼いていた。
     
    テラスへと足を踏み入れる。
    男の死角にある入り口からこっそりと進入したジャンに、彼は気づく気配もない。コツリと響いた足音に気づかれるだろうかとびくついただけに、完全に集中しきっている男にわずかな悔しさが沸き上がった。
    なにをしているのだろうか。
    彼の手の中にあるものが何であれ、自分にはまるで関係のない事のはずなのに、無性に心に引っかかって仕方がない。
    そっと、近づく。
    数歩の距離を覗き込んだその先でちょうど、男は握りしめた指先をゆっくりと、ひらいた。その手の中に在ったのは、

    ――時計?

    針の止まった、古びた腕時計だった。
    長針と短針は重なりあって天を指し、時の流れから置き去りにされている。

    ありふれた型の時計だった。ジャンが使いを頼まれる商材のような、宝石のような値で取り引きされる高価なものではない。使い走りとはいえ、様々な品物を眼にしていれば、その程度の目利きはできるようになる。高価なものではない。むしろ型遅れの、随分と古いモデルだ。
    少しばかり意外に思って、ジャンは眼を丸くする。
    けれど古いと言うことは、それだけ長い年月誰かの腕で時を刻み続けていた時計だということだ。
    大切な物なのだろうか。いや、これほど長い間、じっと見つめ続けているのだからどうでもいいものであるはずがない。興味を持って覗き込むジャンには気づかぬまま、男は時計をそっと手放し、卓上に置いた。そしてひどく疲れきったように、仰のいた瞳に手のひらを被せる。

    止まった時計。
    壊れた時計?

    男の手を離れたその時計を見た瞬間、何故だか不意に、直せるんじゃないか、なんて思った。
    時計屋で働いていたとしても、別に時計を組み立てているわけじゃない。時計の構造なんて、ほとんど知らない。素人に毛が生えた程度のジャンにできることなんてたかが知れている。そして本人もそれを十分承知しているはずなのに、なぜか突然そう思ったのだ。
    そして突拍子もない思考に頭の中で突っ込みを入れるよりも早くに、するりと口のほうが先に動いていた。

    「なあ、それ、俺が直してやろーか」

    何を、いきなり声をかけているんだ。ていうか、直せるわけがないだろうが。まったく無意識に動いていた唇に、自分で驚いてしまう。唐突に見知らぬ子供に声をかけられた男は眼を見開いて、こちらも負けずに驚いていた。そりゃそうだろう。覗き込んだ自分を見上げてぽかんと口を開いた男の目が、落っこちそうに見開かれているのを目にして、思わず笑いがこぼれた。
    そして口の端が緩んだ瞬間に、意外とできるんじゃないかだなんて妙な自信がわいてくる。動いてしまった口は、こぼれてしまった声はもう戻らないのだからと、弾みをつけるようににやり、強く笑んでジャンはその手を差し出した。

    貸してみろよ、直してやるから。
    自信満々、差し出した手を男はしばし眺めて、何故だか時計を持たない空の拳を、ぽん、と乗せる。

    「いや、《お手》じゃないんだからあんたの手置かれても困るんだけど」
    「……あ、……ああ、すまない」

    壊れてるのはあんたじゃないだろう。突然話しかけてきたジャンに面食らっているのか、男は酷く奇妙な顔をしていた。木枯らしに晒され続けて冷えきった彼の手に、自分の手のひらから熱が流れた。眼鏡の奥、見開かれたままの青リンゴ色の瞳に苦笑を返して、おずおずと引き戻された手のひらからジャンは時計を受け取る。時計屋の店主がする仕草を見よう見まねに、真似て目を眇め時計を睨んだ。睨んでみても、まあ当たり前だがどこがおかしいのかなんて見えてはこない。修理のための道具も持っていなくて、あ、やっぱり駄目かと早々にお手上げだ。ジャンにできることといったら精々がリューズを巻くことくらいのものだろう。けれどそんな事で動くのならば男もあれほど手が冷たくなるまで風に吹かれてはいないはず。いいやウチの店紹介してやれば時計も直るし客を紹介したって事で俺も小遣い程度はもらえるかもしれない。現金に考えてから、ジャンは駄目元で小さな突起に指を這わせる。

    キリキリキリ、リューズを巻く。
    カチカチカチ、ゼンマイが回る。

    わずかな凹凸が回る様を、男は凝然と見つめている。飛びぬけて器用な訳ではないが眼も当てられないほど不器用なこともない指先は何の問題もなくリューズを操る。そしてたっぷりとネジを巻かれた時計はカシ、と。

    「あれ、なんだこの時計。どこも壊れてねーじゃん」

    何事もなかったかのように、あっさりとその針を動かした。

    「……もしかして、この時計壊れて困ってた訳じゃ、なかった?」
    「いいや」
    「でも、時計どこもおかしくないじゃん」
    「……いいや。ありがとう」

    首を傾げたジャンに、男は首を振り、それからぽつりと礼を言った。なんだよあんた、リューズの巻き方も知らなかったのか? 茶化して笑えば、わからなくなっていたんだ、と奇妙な答え。変な奴。肩を竦め、ついでに時間も合わせてやろうかと申し出た。男がこくりと素直に頷くのを見て、ジャンは自身の腕時計に視線を落とす。とうに過ぎた真昼の時間を指し示していた針を進めて、自分の時計の針に揃えた。
    ほいよ、と。もう止まっても遅れてもいない腕時計を差し出す。受け取った男は、感触を確かめるようにその時計をぎゅうと手のひらに握りこんだ。
    顔はいいのに、変わった男だ。ふわりと緩んだ表情。硬く強張っていた顔が、ゆるりと笑みに和らぐ。穏やかな表情はとても綺麗で、ジャンは男相手に綺麗だなんて感想を抱いた照れくささをごまかしながら、鼻の頭をぽりと掻いた。
    絵に描かれた人のようだ。座り込んでいた男を見て、ジャンはそう感じた。けれど今、目の前で笑う男は絵ではない。描かれたように美しい顔をしていても、絵の中の人物はこんな血の通った笑顔を浮かべない。
    ついさっき、奇妙なとぼけ方と共に男が重ねた手は冷たかった。けれどもう一度その手を取ることがあったなら、その手はきっと暖かいのではないだろうか。時計を握りこんだ手のひら、長い指がきつく結ばれるのを眺めて、ジャンは思う。

    チクタクと、秒針が音を立てる。
    耳に馴染む綺麗な音だ。どこかで聞いたことがあるような、懐かしい、優しい音だなと耳を澄ませた。









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