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    ベルジャン

    Omnia sol temperat 04「お前に引き合わせたい奴がいる」

    古参幹部の名代として他市へ赴いていたベルナルドは、デイバンへ戻るなりアレッサンドロの招集を受けた。コートの埃も落とさないまま、慌しく馳せ参じた彼に、アレッサンドロはよう、と気軽な挨拶を寄越した後、そう単刀直入に告げる。
    引き合わせたい人物? ベルナルドは首を傾げた。
    デイバンの有力者のほとんどとは、既に面識があった。ここの所、今日の様に古参幹部の名代として様々な組織や人物との折衝を行ってきている。それは随分な老齢である古参幹部の一人から、カポ・レジームの地位を次代に――ベルナルドに、引き渡すための地盤作りだ。幹部から直々に全権を委任されて渉外係として働く。それは即ち、内外にベルナルド・オルトラーニと言う年若い男が相応の信頼を受ける存在であり、またCR:5の幹部の名を背負って立てるだけの実力を持っていると示す事だった。
    これまで精力的に仕事をこなして来たおかげで、今やデイバンでベルナルドの名を知らないものはいないほどだ。――知っていながら、敢えて無視を決め込む男たちも、少なからず居はしたが。
    だから、ボスであるアレッサンドロがわざわざ引き合わせたいと言い出すような大物の心当たりがつかずに、ベルナルドは戸惑う。
    他所の土地の人間、ということも考えられるが、ベルナルドの情報網は他市の要人がデイバンを訪れるなどという情報を拾ってはいなかった。

    「その相手とは、どちらに……?」
    「ん? ああ、そのうち来る」
    まあ座れ、とアレッサンドロは豪華な革張りのソファを指し示した。アレッサンドロ自身も腰を下ろすのを見て、ベルナルドは向かい側のソファに身を沈める。頃合を見計らったかのようにアレッサンドロの部下がドリンクをトレイに乗せて運んできて、丁寧な仕草で二人の前にそれぞれの容器を置いた。ベルナルドの前には芳しい香気を放つコーヒーを、そして、アレッサンドロの前には美しい琥珀色のウィスキーを。
    真っ昼間からの飲酒に思わず呆れた顔をすれば、少しぐらい許せ、と悪い顔で笑われた。
    「許すも何も、ボスの行動に口を挟めるほど俺は偉くはありません」
    「でも小言いいたそうな顔をしていただろう。お前、その年から細かいことばかり気にしていると、将来ハゲるぞ?」
    「俺の心配はしていただかなくても大丈夫です。ボスこそ、真っ昼間から美酒美食で、卵の王様みたいに真ん丸になっても知りませんよ」
    アレッサンドロが酒好きの健啖家なのは周知の事実だ。時折彼の食卓に招かれる度、豪快な食事姿に圧倒される。今は引き締まっているけれど、とベルナルドは人の悪い笑みを浮かべた。アレッサンドロは呵々と、年若い部下の生意気を笑い飛ばす。
    「ダイエットに協力してくれる女は山と居るからな、要らん心配だ。――しかしお前も、ボスに向かってそれだけ言えれば充分かも知れんな」
    「申し訳ありません、つい本音が」
    小さな針を含んだ言葉を口にして、直後、僭越だったかと心中で眉根を寄せた。勿論公の場では礼節を欠いたことはないし、CR:5のボスとして彼を崇拝している。けれどこうしてふとした瞬間に、近しくグラスを掲げられるとつい、距離感が眩んでしまう。アレッサンドロはそれを若さだと笑い飛ばすが、組織の一員として左腕に刺青を刻んだ際、自ら見定めたはずの距離を踏み越えてしまっているのではないかと、不安になる。
    だが、ここで唐突な謝罪をしても場を不快にさせるだけ。弁えねばならない。自分の如き若造がボス相手に生意気な口を叩いて、愉快な顔をする役員は居ないだろう。それ以前に、オメルタの定める序列を乱すような行いを、ベルナルド自身が許せはしない。

    静かに硬さを増した表情を眺めていたアレッサンドロが、琥珀色の液体で濡れた唇をにぃ、と持ち上げる。猛々しくも狡猾にも色を変えることのできる老獪な瞳には、懐かしげな色が宿っていた。
    「お前、親父に似てきたな」
    「は……父に、ですか?」
    「口は悪いのに生真面目で、俺相手に毒舌吐いてのける気概はある癖に組織には忠実。面白いほど似てきやがった」
    深い笑みの浮かんだ口元、唇に残った酒の味わいを舌先が舐めとる。カラリ、と音を立てた氷を見下ろして、アレッサンドロは手慰みにウィスキーのグラスを転がして遊んでいた。彼がグラスを回すたびに、中で氷が角度を変える。時折照明を反射して光るそれを眺めながら、ずっと昔、彼は自分の父とも酒を酌み交わしたことが合ったのだろうかと思いを馳せた。
    記憶にある父の姿は、黙々と時計の手入れをしているときのもの。幼かったあの頃の自分が見ることのできた父の姿は、きっと彼の一面でしかないのだろう。ベルナルドは、アレッサンドロが似ていると言った父の姿を知らない。知り得るだけの時間を過ごす前に、父は凶弾に倒れた。

    ――懐かしげな顔をする、目前の男の妻とともに。

    「あいつはもっと容赦が無かったがな。ぐさぐさと遠慮容赦なく人の痛いところを突き刺してくる天才だった。トーニオよりも細かくて口煩くてなぁ……」
    「俺の覚えている父は、帳簿と睨めっこしてばかりの堅物でしたよ」
    「そりゃあれだ、あいつ、息子の前で猫被っていやがったんだ」
    愉快そうに、アレッサンドロは杯を傾ける。空になったグラスに手酌で二杯目のウィスキーを注ごうとする手からボトルを奪い取り、代わりに注いだ。仕事中は飲むなって顔をしてやがった癖に、と唇を尖らせるが、仮にもボスたる男に手酌などさせられるはずが無い。
    ベルナルドの酒を受けたアレッサンドロは、和やかな表情のままグラスを見つめ――そしてまた、中の酒を一息に呷った。
    「丁度、今のお前くらいの時が一番煩かった。財布の紐を握られて、俺はウィスキー一本買うにも苦労したもんだ。年をとってからの方が、お互い随分と落ち着いた」
    「――お互い、ですか?」
    「なんだ、俺が落ち着いてないとでも言いたいのか、その顔は? やっぱりお前、親父にそっくりだぞ。 ……落ち着いたさ。あいつも、俺も。年を喰って、女に惚れて――ガキが生まれてな」
    「――ボス?」
    たかが二杯のウィスキーで、この男が酔うはずも無い。けれど、アレッサンドロが吐く言葉には酒精に乗じて零れ落ちようとしているなにかが混じっていた。
    子供が、と彼は言った。
    公式には存在しないことになっている、アレッサンドロの一人息子。
    幹部の中にも存在を知らぬ者もいるような機密事項を、ベルナルドが知っているのは縁があるから。自分に似ているという亡き父が、その命と引き換えに守った子供であるからだった。
    母を喪い、父の傍にいては危険だと判断された子供は孤児として修道院に預けられることになった。
    身の安全のため、徹底的に存在を秘されたその子の名を、アレッサンドロが口にしたのは過去たったの一度きり。父の死を直々に伝えにきた彼に、助かったと言う子供はどうなったのかと問うた時だけ。修道院に預ける、と簡潔に教えてくれたアレッサンドロは、以後まるで彼に息子など存在しなかったかのような素振りを貫き通した。
    その沈黙の掟を、アレッサンドロはたった二杯のブランデーで破ってしまった。いや、もしかしたら意図して扉を開いたのかもしれない。――酔いという、都合のいい鍵を自ら作って。

    空のグラスを突き出された。
    ベルナルドは、黙ってそのグラスを酒で満たした。
    溶けて、小さくなった氷が水面に浮く。
    揺れるその表面に映る光が、その一瞬、金に光った。

    『引き合わせたい奴がいる』
    ――その言葉の真意が、解った。

    「……お前も可愛くなくなったなあ」
    「遺伝です」
    「じゃあ俺の息子はきっと可愛いはずだな」
    「母方の遺伝でしょうね」
    「そりゃあヤバいな。あんないい女に似ちまったら、世の男共がこぞって息子に惚れちまう」
    「……ボスに似たら似たで、きっと大変ですよ」
    「ふむ、世界中の女もより取り見取りか。クソ、息子め、乳のデカい美女と尻のプリプリした美女は俺のもんだぞ」
    「本当に、苦労しそうですね」

    機嫌よく笑い声を上げながら、アレッサンドロはベルナルドのカップにどぼどぼとウィスキーを注ぐ。
    まだ半分以上コーヒーが残っていたカップからは二種類の香りが入り混じって立ち上り、ベルナルドの顔を顰めさせた。
    まあ呑め、と無理難題を押し付ける酔っ払い。
    その酔っ払いへの忠誠を、魂に刻んで誇りとする男はそっとカップを手に取って、

    「じゃあ、あれだ。お前、面倒見てやれ」
    「――――はい」

    答えとするように、一息に飲み干した。
    ――死ぬほど不味かった。





    ジャンカルロ――あの少年に出会うまで、恐ろしい事が山のようにあった。
    夜の闇、狭苦しいあなぐら。拭えない過去の記憶と、それを抱えたベルナルドの内側を見透かそうとするかのような、無数の瞳。
    まるで被害妄想の行き過ぎた気狂いの様だった。
    そして、恐怖を押し隠していた日々の中、一際恐ろしかった瞳の持ち主。

    それが、アレッサンドロだった。

    彼への忠誠を、違えたことは一度もない。
    今は確信を込めて誓えるその言葉を、あの頃のベルナルドは信じることが出来なかった。
    彼に対する感情とは、敬愛と畏怖であるべきだった。けれど、あの頃のベルナルドが抱いていたおそれは、畏怖ではなく恐怖だったのだ。
    ジャンカルロの手が止まった時計を直してくれて、オメルタに誓って捧げた忠誠は壊れてなどいないことを証明してくれて、ようやくだ。ようやく、ベルナルドは彼の前に立てるようになった。
    出所後、初めてまともに彼の眼を見返すことができた日。アレッサンドロは、成功の報告に訪れたベルナルドの顔とその腕の時計をまじまじと見比べた。
    下位の構成員や、街の人々などにも衒い無く声をかけるアレッサンドロ。ベルナルドと顔を合わせるたびに、二言三言、からかう様に話しかけてくるはずの彼は、その日は黙ったまま――思わず声を上げてしまうほどの強力で、バシン、と背を叩いてきた。
    迷子になって帰りが遅くなった子供を迎えた父親のようなその腕の強さに、ベルナルドは多少の気恥ずかしさをもって苦笑し、歩き去る背中に向けて、深々と帰還の礼をした――

    暗闇や閉所への恐怖は、情けなくもまだ拭えてはいない。
    だが、明けないままであった夜が、明けた。
    世界は明るく照らされるようになり、恐ろしいものは、随分と減った。
    その、代わりのように。

    金の髪の少年と出会い、壊れた時を取り戻した日。
    ばらばらだったいくつものピースがするりと噛みあって、ジャンカルロというその名を知ることができた日。
    彼が取り戻してくれた誇りを胸に、本当の意味でCR:5へ、戻ることができたあの日。

    時計の針が動き出してから、次々と忘れられない日が増えていった。
    カレンダーに記念日の赤丸をつける事に執念を燃やす女のようだ。頭を掻きながら、過ごした日々を反芻する。
    そして――針の音と共に積み重ねられていく年月の中、忘れえぬ日が、またひとつ増えようとしている。





    カツ、カツと足音。
    扉の向こうで立ち止まり、数拍置いて、戸が叩かれる。

    「ジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテです」

    ああ、やはり――
    名乗りを上げた声は、忘れもしない、あの少年のもの。一年近く前のあの日よりも、少し低くなって、そして緊張に硬くなっていた。
    アレッサンドロの応えを待って、カチャリ、とノブが廻る。

    開いた隙間から、明かりを背負って――ひょっこり、顔を出す金色。
    好奇心の強い瞳が室内を見渡し、わくわくと煌いている。
    「これ、ジャンカルロ。まずは挨拶をせんか」
    「――いでっ!」
    後を追うように入ってきたドン・カヴァッリが、ステッキで容赦ない一撃を贈る。脛を強打されたジャンカルロは、涙目で鞄持ちを務める老幹部を睨みあげた。
    「ふん、活きのよさそうな小僧だ」
    「サンドロ、これは活きがいいのではない、礼儀がなっとらんと言うんじゃ」
    やれやれ、と首を振るカヴァッリ。隣で頬を膨らませたジャンカルロが、顔を背けて何事か呟く。何を言ったのか、ベルナルドの元へは聞こえなかったが、すぐさま鋭いステッキの攻撃が叩き込まれたことから察するに、礼儀のなっていない一言を言ってしまったのだろう。
    悶絶するジャンカルロを見て、アレッサンドロが大笑いしている。

    「ちっくしょー、俺もうただのガキの使いじゃなくて、ちゃんとした構成員なんだぜ? 犬ッコロみてえに杖で殴んのやめろよジジイー」
    「構成員になったと言うのなら、それらしい態度をせんか馬鹿者!」

    仲のよい祖父と孫のようなやり取りに、ベルナルドもまた、微笑を誘われる。そして同時に、彼に呼びかけたくてうずうずとする唇を押さえるのに一苦労だった。
    ジャン――ジャンカルロ。呼びかければ、彼はこちらを向いてくれるだろうか。あの日のように、鮮やかな笑みを浮かべてその瞳にベルナルドを映してくれるのだろうか。そんな他愛ない想像で、信じられないほど心が躍る。鼓動が跳ねる。
    腕の時計がチクタクと鳴る。変わらないはずのリズムが、うきうきと弾み早鐘をうっているような錯覚を覚えた。

    ボスの前でなんたる態度だ! と大喝を浴びせられたジャンカルロは、豪快に笑い転げている男がCR:5のボスだということを思い出して慌てたように背筋を伸ばした。カヴァッリは大きな溜息を吐くが、その顔には隠しきれない少年への情が滲んでいる。アレッサンドロの息子ということを差し引いても、カヴァッリはジャンカルロを気に入っているのだろう。まったく、なっておらん、と小言を溢しながらも、瞳の奥はあくまで優しい。
    直立すると、どうにもスーツに着られている感の残る未成熟な少年に、笑いを収めたアレッサンドロが面差しを正して向き直る。
    「ジャンカルロといったな」
    「はい」
    「カヴァッリやその他の年寄り連中には気に入られていると聞いたが、若いのにはまだあまり面識が無いだろう」
    ベルナルド――と呼ばれ、一歩踏み出す。
    「ベルナルド・オルトラーニだ」
    名乗りながら、ただ自分の名前を相手に知ってもらうだけのことがこんなにも喜ばしく感じることがあるのかとベルナルドは驚く。
    「右も左もわからんうちは、解らないことがあればこいつに聞くといい」
    アレッサンドロの言葉に、ジャンカルロの瞳が、ベルナルドを射る。興味深く見つめる瞳の奥に、自分がいる。
    心を躍らせた想像は現実となり――想像よりも尚、胸を高鳴らせた。

    「ベルナルド、おまえにこいつを預けるぞ。生意気な若造で、街じゃ……えーと、なんだったっけな」
    ベルナルドは、首を傾げるアレッサンドロの言葉を継いで、少年のあだ名を口にする。

    「ラッキードッグ・ジャンカルロですね。知っていますよ――」

    手を伸ばした。
    握り返された。
    あの日、ジャンカルロの手に触れたとき、暖かいのは彼ばかりだった。
    冷たく、熱の奪われきった自分の手は硬く、氷のように固まっていた。けれど、今は違う。
    一回り小さいその手を、強く、握り返すことができる。
    自分の手に通った熱をあらためて知って、ベルナルドは微かな驚きと、溢れるような喜びを噛み締めた。

    「――よろしく、ジャンカルロ」





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