Previous day ~7月28日~Previous day ~7月28日~
誰にだって悩みの一つや二つ、あるもんだ。
それが一見なんの問題も抱えなそうな幸運の持ち主だって、同じ。
GDとの戦いに勝利し、アレッサンドロのオヤジも救出した。俺はCR:5のボスになって、万事順調とはいかないまでも随分と豪華な椅子に尻が馴染んだ。周りを固める幹部達との関係も良好。私生活も充実して――世界中の誰にも負けないような、最高の恋人まで手に入れた。
ラッキードッグの面目躍如。
そんな人も羨む境遇にいる俺だが、悩みの種というのはいたるところに転がっている。
そう、俺は悩んでいた。
「うー、あー」
間抜けな唸り声を上げて、机に突っ伏す。今日中に処理しなくてはいけない書類がくしゃりと歪んで、けれど直すのも面倒になってそのまま眼を閉じた。
光をさえぎる瞼裏の闇に、俺の脳みそは一人の男を映し出す。
穴が開くほど見たツラだ。同時に、そのまま絵に描けそうなくらい何度も何度も思い描いた顔。
ルキーノ・グレゴレッティ。
ゴージャスなライオンヘアの男前。CR:5の幹部の一人で、いくつもの店を経営する辣腕家で、傲慢なくらい自信家で、女好きで、世界中の女が皆惚れたっておかしくないピッカピカのイイ男で、なのに時々ありえないくらい変態な、俺の恋人。
こいつだ。
こいつが、俺の悩みの種。
俺と同じ男だとか、変態だとか、そういうことじゃない。
性別は、アレだけいい男なんだから俺が惚れたっておかしくねぇじゃねえかと吹っ切った。変態なのも――いや、変態は困るんだが。大いに困ってるんだが、今は置いておく。
今の、俺の悩みは全く別の事だ。
悩み始めて約一月。いや、日にちも正確にわかる。俺が頭を抱えてから、今日でちょうど28日目。そして今日で最後ということもわかっていた。
悩むのは今日で最後――悩んでいられるのは今日で最後。
「くそ……なんでこんなことで俺がこんなに悩まなきゃならねーんだよ……」
ガシガシと頭を掻き毟った。朝あいつに弄繰り回されてセットされた髪型が崩れるだけで、なにも解決しなかった。
深々と溜息をついた。やっぱり何も解決しない。……当たり前だけど。
俺は諦めて顔を上げる。
余裕と色気がこれでもかと溢れ出た男前が消えて、目に映るのは見慣れた仕事机の上の景色。幾筋かの折れ跡がついた書類の束。転がったペンは、インク壷にぶつかって少し離れた場所で止まっている。そして、ペンの向こう側に置いてある、手のひらサイズの卓上カレンダー。
July――と、大きく月の名前が書かれた下には、シンプルな日付欄。機能性だけを追及したレイアウトの中で、インディペンデンスデイにひとつ、控えめな赤丸がついている。
人差し指を伸ばして、俺はひとつの数字を突っついた。
六月のカレンダーをめくってから今日までの28日間、にらみ続けた黒い文字。
7月29日。
明日に迫った日。何の変哲も無い、簡素な数字の日付。ただの平日。
けれど俺にとっては何よりも重大な。
俺の恋人が、生まれた日。
なんの祝い事も記載されていないその日の欄に、赤々とド派手な花丸を書き込むか否か。
それが目下の俺の悩み事だ。
……笑うなよ。俺だって恥ずかしいんだから。
それでも、困ってるもんは仕方がないだろ?
――あいつと俺とがそういう関係になってから、誕生日というイベントを迎えるのは初めてだ。
去年はあいつは俺を知らなかったし、俺は知ってはいたがまさか自分と面識ができるような奴だとは思っていなかった。生きる世界が違う男。時折豪華なキャデラックから降りてくるこいつを見かけると、当たり前のようにそう思っていた。まさかこんな、生きる世界どころかベッドや風呂まで同じになるとは思ってもいなかった。――ちなみにトイレは別がイイ。
恋人同士になって初めて迎える、所謂ところの定番イベント。
28日前、花嫁達が浮かれる月が終わったことに気付いてこの小さなカレンダーをめくって、真っ先に目に飛び込んできたのが問題の日付。
多分、あいつに惚れてる何人……いや、もしかしたら何十人ものレディ達が、その日をあいつと過ごすことを夢見ているんだろうな、とか。派手好きで豪勢な男のことだから、きっと毎年豪華なパーティーでも開いて豪遊していたんだろうな、とか。そんなことを思い浮かべて思わず口元が緩んだ時に、ふと目に入ったのが7月4日――独立記念日の小さな丸印。
イタリア系の人間ばかりのCR:5にいて、多分俺達の帰属意識はアメリカではなくイタリアという国にある。国というか、イタリアの血の流れを汲んだこの組織にだ。アメリカという国への愛国心なんぞ無い。それでも、この国に暮らしていれば、その日を特別に祝う習慣は自然と身についていく。シャンパンを開けて乾杯などしないけれど、カレンダーについた丸印をみて、ああ今日はめでたい日なんだ、と考える。
誰もが祝うことを前提として印字された、その小さな赤い丸が、不意に癇に障ったのだ。
独立記念日が祝われていることが、じゃない。
何百年も前の戦争に勝った日なんかが祝われて赤く印が付けられているのに、あいつが生まれためでたい日がなんの飾りも無く味気ない黒い文字で枠の中に埋もれていることが、だ。
わかってる。
「アホらしい……ぜってー馬鹿にされる……」
どちらもいい年をした男。しかも、泣く子も黙る――俺はともかく、あいつはそうだ――コーサ・ノストラ。お誕生日のパーティーをわくわくと待つ子供じゃない。
ルキーノだって、こんなあほらしいことで悩まれても困るだろう。きっと好きにすりゃいいじゃねえかと、呆れたように溜息を疲れるのがオチだ。
だが、それでも。
「畜生」
俺は監獄の中にいたころのぼさぼさ頭みたいになるまで、ガシガシと頭をかき混ぜた。視界にまばらに落ちてくるざんばらの前髪が懐かしい。でも、あの頃の俺の髪はこんなにきんきらきんに磨かれてはいなかった。埃をかぶってくすんだ金で、こんな、甘い香りもしなかった。ふわりと香るのは、クラクラ来そうな甘いムスク。撫で回されて抱きしめられているウチに染みこんだ、あいつの移り香。自分の体に残った強い香りが、まるでマーキングされているようで――嬉しいと、思った。
つくづく思う。俺はあいつに惚れている。たかが誕生日で馬鹿みてぇに舞い上がるほど。だから。
そうだ、俺は祝いたいんだ。
独立記念日? アメリカの始まった日?
知ったことかよ。
ルキーノ・グレゴレッティという、最高の男が生まれた日のほうがよっぽどメデタイ日じゃねぇか。
そう言って、29日をでっかく、太く、真っ赤な花丸で囲みたい。
俺はカレンダーを睨み、ペンの代わりに指先でぐるぐるぐると丸を書いた。十数回。もしも赤いインクで書いていれば、相当派手な印がついただろう。けれど指先が混ぜる空気は無色透明で、その数字は地味なままだ。ううと唸って赤いインクのペンを手に取り、そろそろと近づける。ペン先はうろうろと空中を彷徨って、
「――って……キメェよ馬鹿……」
力なく落っこちた。
できるか、馬鹿。どこの夢見がちなお嬢様だ俺は。
乾いた笑いがはっはっはと空疎に響いて、余計に気を滅入らせる。
浮かれてテンション上がってアホみてぇに騒ぎまわって薔薇の花束でも贈っちまいそうな自分がいる。恋人の誕生日を花丸で囲って、日付が変わる瞬間をドキドキと待っちまいそうな俺がいる。
でも同時に、そんな恥ずかしいことが出来るか! と歯を剥く自分もいた。仕事場のカレンダーにんな真似をすれば、ここに来る機会も多い幹部様なルキーノはすぐに気付くだろう。私室なんて尚更だ。じゃあ俺の仕事場と私室以外のカレンダーにでも丸をする? 余計怪しまれるだけだ。
頭にお花を咲かせて、馬鹿になって。
きっと余裕のツラをして笑うだろうあいつの前で、そんなかっこ悪く舞い上がった姿なんて見せられるか。
「冗談じゃねぇよなぁ」
「何が冗談じゃないんだ?」
「俺一人だけ浮かれてるなんてかっこ悪いじゃねー……か……――っ、ってお、おわあああああああ! る、ルキーノお前、いつのまに入ってきやがった!!?」
思わず声をひっくり返しちまった俺の目の前には、ルキーノが。
今日もまた頭の天辺から爪先までピッカピカに輝く男前が、へたばっている俺を見下ろしてにやりと笑っていた。
ボスの部屋に入る時はノックしようね! ねえルキーノ!?
「そうだな、『なんでこんなことで俺がこんなに悩まなきゃならねーんだよ』とか言って人がセットしてやった髪をぐしゃぐしゃにしやがったあたりからか」
「ほとんど最初からじゃねーか! 声かけろよ!」
「かけたっての。なんだか知らんが勝手にいっぱいいっぱいになって悩んでたのはそっちだろうが」
「うっ……」
そういわれると言葉もございませんが。ていうかこの存在感の男に気付かないって俺どれだけ鈍いんだ。
とりあえず自分で自分を殴ってやりたいところだが、これ以上不審な挙動も出来ない。ぐっと歯を噛み締めて、俺は平静を装おうとした。
ダイジョウブ、ダイジョウブ。だって妙なことは口走ってなかったはずだし。バレテナイ、バレテナイ……
「で? お前は俺のお誕生日に赤ペン近づけて、ぐるぐると何をしたかったんだ?」
訳が無かった!
「何でもねぇよ!」
叩きつけるように赤ペンを引き出しにしまいこんで、ついでにカレンダーを机の端っこ、ルキーノから遠い場所に投げるようにして移動させた。
ルキーノは大きな口の片端を持ち上げて、機嫌よさそうに笑っていた。大方ばれていそうだ。俺が考えてた恥ずかしい内容までは知られて無いと思いたいけど。
「何しに来たんだよ。仕事か?」
顔が熱いのを必死で押さえ込んで、俺はボスのツラをしようとした。この話はもう終わり。数ヶ月のボス生活で鍛えられて、それなりに雰囲気の出る顔をできるようになったと思っている。つい先日も、いい面構えだとこいつにお墨付きを貰ったばかりだ。
だが、そんな俺の努力をひょいと、まるでレースのカーテンを開くみたいにあっさりとひっぺがすようにして、ルキーノは俺の前に一つの包みを置いた。
「ナニコレ? やたら綺麗にラッピングしてあるけど、誰かにプレゼントでもすんの?」
「おいおい、なんで他人へのプレゼントをお前に渡すんだよ。お前にだ、お前に」
苦笑したルキーノは、ワインレッドのリボンが巻かれたその包みを、俺の手元に滑らせる。
え、俺に?
俺がお前に、じゃなくて、お前が俺にプレゼント?
なんかおかしくねえ? と、――あれ?
疑問符と、それと同時に、何か酷く大事なコトを――忘れちゃいけないことを忘れているんじゃないかという感覚。
だがその正体を掴む前に、開けてみろよ、と促されて思考が分散してしまう。
とりあえず後で考えることにして、俺は言われるままに包装を解く。
出てきたものは――
「あんた……さぁ……」
「どうだ? 色っぽいだろ」
「ホント、つくづく変態だよな。どこで育ち方間違ったの?」
俺の手の中にちょこんと納まっている小さな紅い布切れ。俺は知ってる。この小さな布にはね、男の夢とロマンがたっぷりと詰まっているんだ。夢とロマンと、ついでにちょっとばかりの欲望の結晶――その名はガーターベルト。
……もしもーし、ルキーノさぁーん?
これを俺にどうしろと?
『――ガーターベルトでもつけてみたらどうだ?』
デイバンホテルでこいつと最初にヤった後、こいつが言っていた台詞を思い出した。つけてきたら、またヤってやるよとかなんとか。幸いにもこれまで夢とロマンの結晶をつける機会は無く、無かったけれどヤられた。ヤられた、っていうか、ヤった。
次のときのショックが強すぎて、すっかり忘れていたけれど。
「つまりあれか? にょっきりが見たいと」
「にょっきりとか言うなよ、萎えるじゃねぇか」
萎えてくれるんなら何度でも言うんですけど、にょっきり。しかし、言ったルキーノの顔は、裏腹に酷く楽しそうだ。
「まあ、率直に言えばそうだな。見たい」
「変態」
「ひでぇな。誤解するなよ? にょっきりが見たいんじゃない。それを着けてるお前の全部が見てぇんだよ。恥ずかしがる顔も、お前の白い肌と紅い生地とのコントラストも、そっから見えるモノも、全部」
「やっぱり変態じゃん」
まごうことなく変態だ。でも、そう返す俺の顔は妙に熱い。なんでこんな変態を、かっこいいとか思うんだ俺。惚れた弱みか。
馬鹿、という言葉が振ってきた。砂糖菓子まみれになったみたいに、甘くデコレーションされた台詞と一緒に大きな手が頭を撫でて、乱れた髪を梳いて整えていく。
ルキーノは無駄に男臭い笑い方で俺を見下ろして、再び撫で付けられた頭をぽんぽんと叩いた。そして耳元へ口を近づけられ、
「――いいじゃねぇか。誕生日くらい、甘やかしてくれよジャン」
「――っな……」
ぞくぞくする声が、直接耳に差し込まれる。
ふざけんな、これ以上甘やかしたら俺はどうなるんだ。開けてはいけないマニアックな扉を、一体いくつあけることになるんだと慄いた。でも残念なことに、俺はこいつのこの声に弱い。非常に弱い。思わず指先にひっかけるようにして持っていたガーターベルトをぎゅっと握りこんでしまい、ルキーノは笑って俺は赤面した。
誕生日プレゼントを自分から強請りに来る奴なんて聞いたことねぇ。
俺は深々と溜息をつく。
別に夜も眠れないくらい楽しみにしろとかいわねぇよ。でもさ、せめてこちらがサプライズで渡すのを待ってくれるぐらいはいいんじゃねえのか? なんで前日に予約しにくるんだアホ。そしてなんでコレなんだ。
俺だって、もう何日も前から凄く悩んで――悩んで?
「あ」
「どうした」
「あ!」
「あん?」
「あああああああああああ!」
ガーターベルトの入った包みを渡された時にふと感じた違和感。
忘れちゃいけないことを忘れているような。なにか、とてもとても大事なものを――忘れている。
俺はその焦燥の正体を掴み――
「カレンダーに丸するかどうか考えすぎててプレゼントとかパーティーとかなんにも考えてねぇええええ!」
自分のあまりのアホさ加減に、死にたくなった。
素っ頓狂な叫び声にルキーノは一瞬眼を丸くして、次いで、腹を抱えて爆笑する。
畜生、こんなに爆笑するこいつなんて滅多に見られねぇのに。珍しいモノを観察する余裕も無く、俺は顔を真っ赤にしてわめいた。笑うんじゃねぇよ馬鹿。
ぐるぐると眼を回す俺に、ようやく爆笑の波が引いたルキーノは、それでもにやにやと笑みの残る顔をこちらに向けて――ぐい、と俺を引き寄せた。手を取られて引き上げられて、俺は机の上に乗り上げるようにして立っていた。いつのまにか向こう側の縁に腰を乗せて座っていたルキーノの厚い胸板に抱きしめられる。
反射的に息を呑めば、こいつの甘いムスクの香りが鼻腔を埋めた。惚れた男の匂い。ああ、きっとまた俺の身体にこいつの匂いがうつった。残り香が濃くなる度に、俺とルキーノがひとつになっていくような錯覚がして、嬉しくなる。
って、違う。俺が嬉しいことじゃなくて、こいつを喜ばせるものを考えないといけないのに。
そんな俺に、ルキーノは、
「まあ、いいじゃねえか。まだ、今夜があるだろ」
好きだ好きだといってくる、お気に入りの俺の髪に鼻を突っ込んで囁いた。ゾワリと、その声に、こいつの全てに反応するようにいつの間にか作り変えられていた俺の身体に熱が生まれて、身を硬くする。
項に舌を這わせて、俺の心臓がどくどくと早鐘を打つのを楽しみながら、ルキーノは掠れた声で――
「一晩たっぷりと――俺を喜ばせるプレゼントを考えてくれよ、ジャンカルロ」
俺を誘った。
前言撤回しよう。
カレンダーに花丸とか、そんな悩み可愛いもんじゃないか。
メロメロに腰が砕けた自分の体と、いつのまにかなし崩しに受け取ってしまっていたガーターベルトを見比べてから、俺は渾身の力をこめてルキーノから身体を離した。
ガタンと勢い良く引き出しを開いて、俺は赤いペンを取り出す。
そしてそのまま、カレンダーの、散々悩んで悩んで出来なかった場所に、
「最高の誕生日にしてやるから、腰抜かすんじゃねーぞルキーノ!」
でかでかと真っ赤な花丸をつけた。
「――上等だぜ、ジャンカルロ」
手を引かれて、引き寄せられて。あの甘い香りが、胸をいっぱいに埋め尽くす。心臓がひとつ大きく跳ねて、俺はそれを力ずくで捻じ伏せて、噛み付くようなキスをした。
けれど、すぐに火傷しそうなほど熱い舌に、口の中を散々蹂躙されて、腰が砕ける。
ラッキードッグ最大の悩み。
――それはこの男が、エロ過ぎることだ。
(今夜こいつの腕の中で、プレゼントを考える余裕なんてあんのか、俺!?)
2009/06/29
Buon Compleanno LUCHINO GREGORETTI!