累何となく、何となくでしかないけど、私を見つめるその目が、いつもと違う気がした。
日曜日の午後。模擬戦や訓練を午前中にして、特に予定もないゆったりとした時間。
窓の外は綺麗に晴れて青空。遠くに聞こえるのは、午後から訓練を始めたのであろう生徒の声。絵に描いたような穏やかな日だ。
一柳隊で揃ってランチを取ってから解散になり、自室に戻ってきたのが多分2時間くらい前のこと。
ルームメイトの神琳は図書館へ行って不在。私一人だと部屋ががらんとしているように思えるのは、いつも隣にいる神琳が華やかな人だからかな。手入れの行き届いた柔らかそうな亜麻色の髪に、目が覚めるようなオッドアイ。彩のある彼女がいないと、部屋は無機質に見える。
何をしようかな。読書をしてもいい。こんなにいい天気だから、近くを散歩してもいい。時間の使い方に悩むというのは、贅沢なことだ。
頭の中でしたいことをポンポン浮かべて、絵が描きたいと思ったから、そうすることにした。
それが確か、2時間前。
あれも描きたい、これも描きたい。手が動くのに従っているうちに、目の前に置いていた時計の短針が2つほど進んでいた。
……もうこんな時間。窓の外を見ると青空の明るさが眩しくて、思わず目を細めた。伸びをすれば同じ姿勢でいたからか、腰の骨がパキッと音を立てる。
眩しさに白んだ視界を室内に向ければ、部屋に色が戻っている。視界の真ん中で、神琳がローテーブルに向かって本を読んでいた。
「神琳、戻ってたんだ」
「少し前に帰ってきたばかりですわ」
神琳の言う少し前がどれくらいかは分からないけれど、帰ってきたことに気がつかないくらいに集中していたらしい。
集中しすぎて周囲が見えなくなることは、自分でも治さなければいけないと分かっている。だけど、そう上手くいかないのも事実。
「……ごめんね、気がつかなくって」
素直に謝れば、神琳は瞬きを3回した。それから、口元に手を当てて微笑む。
「集中力が高いのは、雨嘉さんの長所ですもの」
私がコントロールできていないことを知っている彼女は、気を遣っているのだ。だから、教導官に以前指摘されたことをわざわざまた言うことはしない。
「うん……そうだね」
気遣われていることに嬉しさを覚えつつ、コントロールする術を考えないといけないことにはため息を吐いてしまいそう。何でこう、上手くいかないのかな……。
「少しお茶にしませんこと?」
休息も必要ですわ。そう言って本を閉じて立ち上がる神琳。制服の裾の真っ白いフリルが揺れた。
「そうしよう。手伝うよ」
私もノートを閉じる。そういえば言っていないことがある。ポットに水を入れていた神琳の名前を呼んだ。
「どうしましたの?」
「その……おかえり。まだ言ってなかったから…」
普段は自然に言っている挨拶も、改まると照れくさい。尻すぼみに消えていった言葉。別に悪いことはしていないのに。
「……えぇ。ただいま帰りました」
神琳は別に恥ずかしがったりしない。微笑んで、いつもと同じようにただいまを返してくれる。
だけどその目がいつもと違うように見えたのは、気のせいかな。
普段から穏やかな垂れ目が、今は目尻にいっとう優しさを乗せているような。そうして細められたオッドアイに、今まで向けられたことのない感情を見つけた。
「…さぁ、お湯が沸きましたわ」
「……お茶菓子、持っていくね」
その感情が顔を見せたのはほんの一瞬。お湯の沸いたポットをお盆に乗せた神琳は、もういつもと変わらない。
二人で微笑みあう。神琳の返事はほんの少しだけ躊躇ったような歯切れが悪さが含まれていたし、私の返事はもう少し遅かった。
神琳が淹れてくれるお茶は美味しい。私がこの前買ってきたお茶菓子も。
神琳の中に見つけてしまった感情を、私に向けられるそれを、神琳がもう見せてくれないことに寂しさを感じた。
まだ熱くて少しずつしか飲めないお茶。ぼんやり眺めていても、なかなか冷めない。
「神琳」
名前を呼ぶ。神琳が私を見る。
「どうかされましたか?」
「……なんでもない。言いたかったこと、忘れちゃった」
「そうですか…」
笑ってみせると、神琳はふ、と笑ってお茶菓子を摘む。
言いたいことがなかったわけじゃない。だけど、言おうと思ってもいない。
ただ、名前を呼んだら私を見てくれるかなって、それだけ。
……見てくれたから。だから今は、神琳が見せようとしないものを、見せてとは言わない。