毒を仰ぐ「プレゼント?」
思わず聞き返した言葉に、樟美は無言で頷いた。控え室にたった二人でいるのは珍しかった。普段であれば他の幼馴染や先輩であったり、彼女のシュッツエンゲルがいるのだけれど、各々の予定の都合で先に控え室に来たのはわたしたちだけだった。
「ソラ姉様と、いっちゃんに……」
「日頃のお礼ってこと?」
目を伏せて小さく頷くその姿は、噂に違わず妖精みたい。それにしても突然の試みだ。大人しい性格だけど、樟美は意外と突拍子もない言動をすることがある。今回もその類なのかもしれない。
「何をあげようか、考えたんだけど……あんまり思いつかなくて……」
「それでわたしに相談ね」
相談する相手としてはあかねぇか依奈様かわたし辺りに絞られそうだし、その中だったら一番話しやすいわたしになるわね、と納得する。
それにしても、天葉様も壱さんも、樟美のあげるものなら何だろうと喜ぶと思うけどな。樟美がくれた、と二人してわざわざ自慢しに来るところまで想像がついて、少しだけ乾いた笑いが漏れた。首を傾げる樟美に何でもないと告げ、視線を依奈様の水槽に向ける。中には熱帯魚が泳いでいる。名前は……あんまり覚えていない。
「亜羅椰にはあげないの?」
「亜羅椰ちゃんは、その……」
困ったように眉を顰めて言い淀む。きっと何かあげれば、お礼だ何だと理由をつけて迫ってくるのだろう。亜羅椰のことだから、あげなくても迫るけどね。
「お菓子は……いつも作ってるものね」
「うん。かわり映えしないかなって……」
「なら何か別のもの、ねぇ」
それが思いつかないらしい。とはいえ、壱さんはともかく、天葉様に関してはわたしよりも樟美の方が圧倒的によく知っているのだから、力になれそうにない。
「今度一緒にどこか、見に行く?」
ショッピングモールか、雑貨屋さんか。天葉様には花屋さんもいいかもしれないけど。その辺りは樟美に任せよう。
いいの? と遠慮がちに尋ねる幼馴染にもちろんと返せば、安心したようにその灰色がかった茶色の目がゆっくりと細められる。一人で行くには敷居が高いだろう。
「次の非番でいい?」
「うん……あの、弥宙ちゃん」
「どうしたの」
おずおずと名前を呼ぶ樟美に、できるだけ優しく返事をした。日ごろ、壱さんを揶揄っているけれど、幼馴染に甘いのはわたしだって大差なかった。
「ひ、秘密にしてね……」
しぃ、と人差し指を唇に当てて、ちょっとだけ眉を下げて笑う。その様子にどこか昔を思い出すような心地がして、釣られて顔が緩んだ。
「もちろん。誰にも言わないわ」
ありがとう、と途端に嬉しそうに笑う。
そこで外が少し騒がしいことに気がついて、揃って口を噤む。聞き覚えのある声だと横目で目配せすれば、樟美もそれは分かったらしい。
「……あら、弥宙と樟美だけ?」
「えぇ、みんな遅れてるみたい」
ドアを開けてやって来たのは辰姫と壱さんだった。珍しいことに、どうやら二人だけらしい。案外集まりが悪いことに片眉を上げた壱さんに対して、辰姫はいつも通りマイペースなものだ。
「……ところで、今日って何の集まりなの?」
「次の外征についてって、壱さん言ってなかった?」
「言ったわよ。何ならここに来る途中にも言った」
「そうだったかしら」
「人の話はちゃんと聞きなさいよ」
ため息を吐く壱さんに、辰姫は我関せずといった顔をする。どうせ別のことを考えていたのだろう。こういうことにまるで興味がない。
「みんなが揃ったあとにまた説明があるだろうし、せめてその時くらいはちゃんと聞いてなさいよ」
「どこへ行っても、辰姫のすることは一つしかないんだから」
「あんたね……」
どうせ全部殺すんだから、別に作戦なんて必要ないと。辰姫の考えはそれだけだ。わたしはそういうことを言ってるんじゃないのよ。
思わず言い返そうとして、けれど何も言わなかった。それすら馬鹿らしい。わたし一人がムキになるのも、格好が悪い。幼馴染の前でそんな醜態を晒したくはなかった。つまりは見栄だ。
「……ま、何でもいいけど」
「二人とも、ほどほどにね」
ふんと息を吐いて顔を背けた。何故か壱さんに窘められる始末。こんなつもりじゃなかったんだけどな。
出て行くかと思ったけど、辰姫は黙ってソファに座ったままだ。それに若干の安堵をおぼえつつ、特に理由もなく壱さんの顔を眺めていた。今は辰姫の顔を見れそうにもなかった。
自分のことばっかり考えて、わたしの心配も責任も義務も、何も知らない。
そこまで考えてそっと目を伏せる。こんなのは日常茶飯事で、それに一々噛み付いていても仕方がない。それに、こんなのは押し付けがましい。頭で理解しているけれど、僅かな苛立ちに首を振った。
◇◆◇
「こういうの、どうかな……」
樟美の手の中にあったのは、小さめのストラップだった。先には木製の狐や猫がぶら下がっている。いくつか種類があるらしい。
「へぇ、可愛いわね。木製って珍しい」
約束通り、非番の日に樟美と訪れた雑貨屋さんは、木製の品を多く取り扱っていた。店内も落ち着いた雰囲気で、わたしは普段立ち寄らないけれど、樟美が好みそうではあった。
「わたしが決めるわけじゃないからね。どれにするかは樟美が考えるの」
わたしが決めたら意味がない。樟美は少し不安そうな顔をする。変な受け取られ方をされないよう、できるだけ言葉を選ぶ。
「樟美が選ぶからいいのよ。わたしがアドバイスしたら、樟美が選んだとは言えないでしょう?」
「でも……」
「天葉様も壱さんに何かもらって、嫌だったことがあるの?」
「それは、ないけど」
「それと一緒じゃない?」
樟美の不安もよく分かるけど。プレゼントって、難しいもの。形に残るものなら、尚更。
「……弥宙ちゃんは、辰姫ちゃんにあげないの?」
「え?」
どうしてそこで辰姫の名前が出てくるのだろう。首を傾げると、樟美は日常会話と同じ声音で言う。
「この前から、ちょっとだけぎこちない」
「えーっと……」
的確な指摘に、思わず言い淀む。この前のミーティングに端を発したぎこちなさは、外征の時も、何なら今も若干引きずっている。もちろん、わたしだけ。辰姫は多分、何も考えてない。
よく見られているわね。樟美はもともと、そういう人の感情の機微に敏感すぎるきらいがある。それをわざわざ言ってくるのは、珍しいけれど。
気まずさに視線を逸らせば、樟美の肩越しに店員がこちらを見ているのが見えた。客の少ない店内の隅で二人、こそこそと話しているのは不審だったかしら。
店員が話しかけてくるかと思ったけれど、そんなこともなく、相変わらずわたしは樟美に追い込まれていた。
「別に、わたしが辰姫に何かあげなきゃいけない理由はないわ」
自分に言い聞かせるように話すわたしの顔を、樟美は黙って見つめている。その視線を感じながら、苦虫を噛み潰したような気持ちになった。だって、わたしだけなのだ。苛立ったのもぎこちないのも、それらを引きずっているのも全部。
単なる八つ当たりだと、自覚はしている。それでもどうしてか、今回はいつもみたいに元に戻れなかった。
「わ、分かった! ちゃんと、話すから……」
その視線に耐えかね、慌てて口を開く。言い繕うようなわたしに、樟美は緩やかに微笑んだ。
「樟美は、二人が仲良くしてるのを見るの、好きだよ」
「……別に、仲良くなんてないけど」
樟美から視線を逸らす。そのまま、机の上に陳列されていた木彫りの置物を手に取った。サイズの割には重い。茶色であれば見慣れたものだけれど、これは白く塗られていて……シロクマ?
シロクマは初めて見たわね。
小さく呟こうとしてやめた。直前でちょっと樟美に気を遣った。故郷のことを思い出させるのは、望んでいない。木彫りのクマって北海道のイメージが強いから。
「いろんな種類があるんだね」
「そうね」
机の上に並んでいるのはシロクマだけではなかった。リスや鹿、犬、猫など、一面に並べられている。なにあれ、ゴリラ?
「これ、天葉様みたい……」
「狐?」
「うん……」
淡い黄色の狐を手に乗せて樟美は微笑んだ。天葉様に似ているというよりは、色味の話かもしれない。その辺りは樟美のみぞ知ることだし、わたしも深入りする気はなかった。
つられるように、わたしも手の中のシロクマをじっと見つめる。涼しげな色味にちょっと丸くてくりくりした目。これも誰かに似てる?
……辰姫?
「……そんなわけないし」
辰姫の名前が浮かんだのは気の迷いだった。色から違う。共通点なんてない。クマみたいにずんぐりしてない。
我ながらくだらないことを考えてしまった。自嘲しながらかき消す。さっき樟美と話していたから、それに影響されただけのことよ。
隣の樟美が壱さんの名前を口にしながら犬の置物を手に取る様子を眺めつつ、手中におさめたシロクマの首を指で撫でた。
「何これ」
「あげる」
檜組の教室から出てきた辰姫を捕まえ、その手に強引に袋を握らせる。
会話のキャッチボールを意図的に途切れさせれば、辰姫は怪訝そうに眉を顰めた。
「怪しいものなんて入ってないわよ」
「……?」
珍しく難しい表情で、渡した袋を眺めている。そんな顔されるとは思ってなかった。
「いらないなら返して」
「……いらないとは言ってないわ」
「あ、そう……」
わたしとしてもそんな反応をされるとは予想していなかっただけに、妙に困ってしまう。
あっさりと袋と包装を解いた辰姫は、あら、と目を瞬かせた。
「ペンチの3点セット」
「この前失くしたって言ってた気がしたから」
「覚えていたの?」
「なんとなくね」
結局、わたしは実用的なペンチをあげることにした。毒にも薬にもならないものだ。個人的には毒にならなければ何でもよかった。そして、彼女にとってそういうものは意外と多い。
「弥宙が物をくれるだなんて、いきなりどうしたのかと思ったわ」
突き返されなかったことに内心で安堵していたら、核心をつくような発言をする。そう、ペンチをあげたのは目的ではなく、あくまでも手段なのだ。
「……別に…」
わたしは素直になれない性質だ。今だってそうで、言葉にできるはずなのに目を逸らしてしまう。
「……ま、精々そのペンチできっちりチューニングしなさいよ」
「辰姫が手を抜くわけないでしょ」
限界まで本音の濃度を濃くした薄っぺらいわたしの言葉に、辰姫は当然のように答える。それは知っている。別にこの子は手を抜くわけじゃないし、戦闘に対して他のリリィやアーセナルとは別のベクトルで真面目に向き合っていることも分かっているつもりだ。
つまり、辰姫はこの前わたしがちょっとした癇癪を起こしかけたことをすっかりさっぱり忘れている。わたしがいきなり物をあげる人間として捉えている。
そのことも別に予想していなかったわけじゃない。寧ろそうくるだろうなと思っていた。予想通り、わたしの努力はふいにされたけど。
「……じゃ、わたしはこれで。一度部屋に帰るわ」
「え? そう、ごきげんよう」
妙に不可解そうな声。これは本当にわたしの意図に気づいてない。けれど、わたしは物をあげたし、別に辰姫がこの間のことを微塵も気にしてないと分かったので長居するつもりもない。
ミーティングまで時間があるから、一度部屋に参考資料を取りに帰るつもりだった。
無人の寮室で、本棚からミーティングに使えそうな本をいくつかピックアップする。そうして、何気なく自分の机を見やれば、見覚えのあるくりくりした目がこちらを見ていた。
机の上にあるそれを手に取って眺める。少し大きな木彫りのシロクマ。結局買ってしまったのだ。気の迷いで、他意はない。辰姫には似ていないし、別に辰姫のことを考えて買ったわけでもない。ちょっとずんぐりしているのが可愛かっただけのこと。
ぶん、とポケットに入れた携帯が震えた。メールが1通、田中壱から。添付ファイル付き。
樟美のプレゼントかな、と予想をつけながら開けば案の定、一緒に行ったって聞いたからという本文とともに犬の置物の写真。わたし以外には多分送ってない、と思う。
ふと、樟美と同じようにこれを辰姫に渡していたらどんな反応をされていたかなと考える。あんまり興味なさそう。その辺に雑に置かれて、見向きもされないような気がした。
そう考えるとちょっとおかしくなる。十中八九そうだろうから。渡さなくて正解だったわと思いながら机の上に置き直して、部屋を後にした。
毒にはならないはずのペンチだけれど、あれを使う辰姫を見るたびに自分があげたことを思い出すことを考えれば、わたしには毒なのかもしれない。辰姫にとっても毒になればいいのに。