周りに誰もいないことを確認してから、植え込みの角を曲がる。それから噴水や寮を横切って、さらに進む。もう少し。
大きな木の下が私の目的地。そこには予想通り、先客がいた。
「今日もいるんだ」
声をかけたつもりはなかったけれど、私の存在に気がついたのかゆっくりと尻尾が揺れた。薄い茶色の毛並みは穏やかな日に照らされて、きっと触れれば心地いいのだろう。
木陰に腰を下ろす。日差しが心地よいのか、動く気配はない。ただ、尻尾がゆるゆると動いているだけ。
私も何をするわけでもなく、それを視界に捉える。風の音しか聞こえない。日常を送るガーデンにいることを忘れてしまいそう。
いつだったか、梅様と鶴紗さんに連れて来られたのがここだった。よく猫がいる場所があると言われて、手を引かれて連れて来られた場所。確かにいつ行っても一匹は猫がいて、私が道順を思い出さずとも行けるようになるまでそれほど時間はかからなかった。
「お前もここが好きなの?」
少し離れたところにいる猫に話しかければ、やっとその目が開く。寝てはいなかったらしい。それ以外の反応はなかったけど。
この茶色の毛並みを持つ猫は、私が来ると先にこうしてひなたぼっこをしている。先を越される、というよりはだいたいはここにいるのかもしれない。
のっそりとこちらにやって来たかと思えば、撫でてと言わんばかりに手に擦り寄ってくる。その通りにすれば、その金色の目が満足そうに細められた。
「ふふ……人懐っこいね」
喉を鳴らすのは返事の代わりかな。首輪こそないけれど、かなり人馴れしているし、元は飼い猫だったのかもしれない。
「……ねぇ。また私の話、聞いてくれる?」
この前も、もっと前も、ずっと同じような話をしているから、そろそろ飽きてどこかへ行ってしまうかも。なんて考えて本当にいなくなったらどうしようかと不安になったけど、猫は大人しく座る。早く話せばとじっと見つめる視線に急かされて、私は口を開いた。
「うん、あのね……自分の気持ちを伝えるのって難しいなって」
猫相手になら、こうやってちゃんと話せるのに。
思い浮かべるのは、ルームメイト。もっと言えば、単なるルームメイトではなくなった神琳のこと。
「たった二文字しかないのに、どうして言えないんだろう……」
言いたい言葉は一つだけで、それはたった二つの音しかない。だというのに、私は神琳に言いたいことが言えないのだ。実際に言おうとしたら上手く言葉が出なくって、焦りで余計にまとまらない。最終的に何でもないとだけやっとの思いで絞り出すような惨状。
猫が短く鳴いた。なんて言ったのかな。そんなの知らないよって言われてたらどうしよう。今は猫の言葉が分からなくてよかった。
「好きって言うの、むずかしいな」
頭から首、背中を撫でれば、心地いいのか単なる眠気か、欠伸をする。どこまでもマイペースな猫だ。私は悩んでるんだけどなぁ。
「こんなにむずかしいのに、好きなんだよ。神琳のこと」
入口も出口も神琳が好きだという一点で、考えてみれば堂々巡りだ。案ずるよりも産むが易しという故事を教えてくれたのも神琳だった。考えることは美徳だけれど、前に踏み出すことも大事だと。
「考えすぎるのもよくないね」
話を聞いてくれてありがとう。お礼に喉元をくすぐって、それから立ち上がる。神琳に会いたかった。
もう行くの、とでも言いたげな顔をする猫に、またねを告げる。次は言えたよって話をするから待ってて。