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    chicappoino

    @chicappoino

    【取り扱い】
    グラブル(主従/トーアグ/アグトー/グラドラ/グラパシ)ほか。

    ピクブラ
    https://pictbland.net/625_chika
    手ブロ
    https://tegaki.pipa.jp/292113/
    ましまろ
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    chicappoino

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    【トーアグ】
    他小説のベースとなるお話です。
    忠義心と恋心に揺れるトー視点の話(CP未満)。
    理想道後日談な内容です。
    アグ&トーフェイトエピに関する微量のネタバレ有。
    モブ騎士やウェールズ城間取り捏造などの要素があります。
    (他にも想像で補完している部分が過分にあります)

    ##トーアグ
    ##主従
    ##小説

    午前零時のスパイラル「え……な、何と仰いました?」
     思わず取り落としそうになった書類を抱え直しながら、トーは主であるアグロヴァルへと視線を向ける。午前の業務を終えて退出するところに掛けられた言葉は意外すぎるもので、動揺を隠すことができなかった。

    「二度は言わぬ……ふっ。まあ、よい。この階へ居を移せ、と言ったのだ」
    「あの、私などが住まわせていただいてよいのでしょうか……?」
     ウェールズ城四階。玉座の間や執務室、そして王の居室があるこの階は城内だけでなく国にとっても最も重要な場所である。ここに居住するとなれば、生活設備の整った居室内の一室を使う以外に手段はない。
     臣下として仕えるようになって既に一年が過ぎていたが、城内においての決まりやしきたりについて未だ疎い部分があった。しかし、血縁者でもなんでもない自分がそこに住むのは分不相応であるとしか思えずトーは困惑する。

    「毎日この階まで通ってくるのも難儀であろう?」
    「それはまあ……そうですが」
     現在トーが居住しているのは、ウェールズ城正面に広がる中庭の両翼に建てられた館のひとつで、そこは騎士の寄宿舎となっている。この執務室に来るまでには中庭に沿って伸びた回廊を進み三階分の長い螺旋階段を登らなくてはならず、行き来をするのはかなりの体力を消費する。
     アグロヴァルの執務を補佐する役目を与えられているトーは、鍛錬だと己に言い聞かせ遠い道のりを毎朝通ってきていた。単にその労力だけを考えれば願ってもないことではあるのだが……。

    「――不服か?」
    「い、いえ。滅相もございません」
     思考を断ち切るように向けられた主の言葉に、トーは内心では慌てつつも返答する。
     もしかしたら、朝から疲れた顔を見せてしまっていただろうか……と自身を顧みれば思い当たる節しかないのが情けない。
    「お前が側に居てくれるとなれば我も心強い。枕を高くして眠れるというものよ」
    「……承知いたしました」
     上機嫌にそこまで言われてしまっては了承する他ない。そもそも、主の命令であれば拒否する理由などある筈もないのだった。


     食堂で軽く昼食を摂るとトーは自室に戻り荷物をまとめ始めた。衣類だけならば初めに持ち込んだ鞄に入り切れる程度の量だったが、新たに増えた書物なども移動させるとなるとひと仕事だろう。溜息交じりにそう考えていたところで、コツコツと扉を叩く音が耳に届く。振り向けば甲冑を着込んだ男がひょいと覗き込んできた。

    「私に何か御用でしょうか?」
    「アグロヴァル様より、引っ越しに手を貸せとの仰せで参上した」
     冗談めかして言いながら部屋に入ってきたのは、剣の訓練の相手をしてくれる騎士の一人だった。彼は床に積み上がった書物を手慣れた様子で縛り上げると、あっという間に二つの束にしてしまった。重い甲冑を身に着けているとは思えない身のこなしでそれを軽々と両手に提げると、トーを部屋の外へと促した。

    「本当に助かります。何度往復すればよいか考えていたところです」
    「なに、これくらいお安い御用だ」
     荷物を抱えて城内へと向かう道すがらに、トーは今後のことを思案し小さく溜息を零した。
     玉座の間から続く広い廊下を進んだ先、その突き当りが王の居室への入り口だということはトーも把握していた。衛兵が左右を固めた大きく豪奢な扉。その内部はプライベートな空間であり、基本的に兵の立ち入りは禁じられている。唯一許されているのは身の回りの世話をする女官や使用人くらいで、それも決められた時間や急遽呼び出しがあった場合のみである。

    「重い……ですね」
    「うん?その鞄、そんなに重いものが入っているのか?」
    「いえ、荷物のことではないのですが……責任重大だと思いまして」
     これでまた一歩、主の傍に近付くこととなる――その重み。
     信頼と期待を寄せられている事実を誇らしく思えばこそ、時にその重責に押し潰されそうにもなる。政に関することも戦いのことも少しずつ身に付けてきたけれど、まだたったの一年なのだ。
     ただの商人であった若造が異例とも思える短期間で王の補佐をする役職に就いていることを、面白く思わない者もいるのではないだろうか。

    「お前に期待しているのは、なにもアグロヴァル様だけじゃない。自信を持て」
    「……ありがとう、ございます」
     騎士の激励が胸に染み入る。先読みをすることが習慣づいていて、悪い癖だとわかっていても時に物事を悪い方向へと考えてしまう。待遇について異を唱える者があるとすれば、もうどこかから耳に入ってきていてもおかしくはないというのに。
    (今更、立ち止まるわけにはいきませんね……)
     トーは俯きがちだった顔をしっかりと上げ、一歩一歩と踏み締めるようにして再び歩き始めた。


     悪夢のように長い螺旋階段を登り切り、息を切らせながら居室の入り口に辿り着く。既に話が通してあるようで衛兵に咎められることはなかった。扉をくぐり進んでいくと右手に見えていた壁が途切れ、長く伸びた廊下が現れた。その左右の壁にはいくつもの扉が並んでいたが全て閉ざされているように見えた。

     視線を左に戻すと奥にぽつんと開け放たれた扉があるのが目に入った。遠慮がちに覗き込むと中は二間続きになっていて、奥に大きなベッドが置かれている。内装は執務室などと比べれば質素だが、先程までトーが居住していた寄宿舎の一室よりも格段に豪華で広い。しかし、家具はあってもどこかがらんとしていて、誰かが住んでいるような気配は感じられなかった。

    「ここのようだな。側近が寝起きするための部屋があると聞いている」
    「なるほど……どうりでこの部屋だけ入り口が奥まっている訳ですね」
     備え付けの机の前に書物を運んでもらい、トーは職務へ戻るという騎士に丁寧に礼を言って見送った。午後は自由にせよ、と言われていたので有り難く荷解きに宛てることにする。とは言え、頃合いを見計らって顔を出さない訳にはいかないだろう。


    「なんだ、このような部屋でよいのか?」
    「ア……アグロヴァル様?!」
     本棚に書物を詰め込む合間に、ついつい読みふけっていたところを背後から声を掛けられてトーは飛び上がって振り向いた。どこか楽しむような笑みをたたえてアグロヴァルが小首を傾げる。その動きに合わせて長い金の髪がさらりと揺れた。一瞬、見惚れてしまったトーが言葉を継ぐよりも早くアグロヴァルは奥の寝室へと足を向けていた。
    「我が昔使っていた部屋が空いておるのだがな……どうだ?」
     どっかとベッドに腰を下ろし、足を組む。そんな動作のひとつひとつが華麗で無駄がない。言っていることはトーにとって到底承服しかねる内容だったが。

    「何を仰います……そんな、畏れ多すぎて眠れません。他の方にも示しが付きませんし」
    「ふむ。我の決めたことでトーが肩身の狭い思いをするのは気の毒であるな」
     ただの戯れを口にしているのだと分かっていても、思わず生真面目に返してしまう。そんな反応を面白がられていることも理解しているけれど、こればかりは生まれ持った性格なのでどうにもならない。
    (ですが……アグロヴァル様が笑ってくださるのなら、それが何よりです)
     くつくつと笑いながら立ち上がると、アグロヴァルは扉へ向かって歩き始めた。廊下の前で足を止めトーの方を振り返る。

    「どれ、我が居室の中を案内してやろう。終わったら茶でも淹れてもらおうか」
    「はい!よろしくお願いします」
     ピシリと背筋を伸ばして礼の形を取ると、トーは颯爽と前を行くアグロヴァルに付き従うようにして部屋を後にした。


    (それにしても、本当に広いんですよね……)
     トーはベッドの上に寝そべってぼんやりと高い天井を眺めていた。
     既に一年以上もウェールズ城に住んでいるが、城下町から見ていた印象と比べると実際はずっと広大なのだと初めは驚いたものだ。先日アグロヴァルに案内され初めて見て回った居室の内部も、実家が幾つ入るだろうと思うほどの広さなのだった。

     畏れ多くも入室を許されたアグロヴァルの私室は、応接室と居間を兼ねたような小部屋と寝室、更衣をするための衣装部屋があり、それでひとつの部屋となる。
     初めてトーがこの居室に足を踏み入れた際に目にした、中央廊下の左右に配された扉――それらの向こうにはこれとほぼ同様の造りの部屋が存在しているとのことだった。王と、その家族一人ひとりに部屋が割り当てられるのだろう。

     魔術の研究をしていた次男ラモラックは一階にも部屋を持っており、捜索の手がかりを求めそこには何度か訪れたことがある。また、今は城を空けているが末弟パーシヴァルの自室もすぐそこにあるのだと教えられた。
     白を基調とした広く明るい浴室はトーの部屋の側面に隣接しており、アグロヴァルの部屋の斜向かいに位置していた。側近用の浴室もちょうどその隣にあるのだが、そこへは側近の部屋からしか行くことができない。同じ居室内ではあっても不意に顔を合わせないよう配慮がなされているのが見て取れた。

     廊下を進んで左に折れた先には食堂と居間があった。扉で隔てられたその二つはどちらも中庭に面していて、窓からは城門とその向こうに広がる城下町を一望できた。
     食堂奥にはこじんまりとした厨房が設けられており、戸棚には美しい装飾の施された食器が並べられている。水や火を使うための設備は一通り揃っているが、調理は料理人の働く一階の厨房で行われ出来上がった料理が壁面に設置された運搬機で運ばれてくるのだという。

     トーが何より印象的だったのは居間の壁に掛かった大きな肖像画だった。先王ガハムレットとその妃ヘルツェロイデ――アグロヴァルの両親である。書物などでその顔立ちは見知っていたが、肖像画となれば少し印象が違って見えた。
    「アグロヴァル様のお母上は本当にお綺麗な方だったのですね。それに、とてもお優しそうで……」
    「ああ……」
     そっと隣に目を向けると、アグロヴァルは一心に肖像画を見上げていた。その表情はどこか物憂げで、トーは掛けるべき言葉が見つからなかった。

     かつてアグロヴァルが語ったヘルツェロイデの最期は想像を絶するほどに悲惨なもので。彼が失った存在の重さ――そして辛さを思えば、どんなに言葉を尽くしても救いにはならないのかもしれなかった。

    ++

    「時にトーよ。ここでの暮らしにはもう慣れたのか?」
     湯気の立つティーカップを口元に運びながら、アグロヴァルが問い掛ける。午後の執務室に爽やかなペパーミントがふわりと香った。
    「はい。以前よりも時間がゆっくり取れますので、その分、剣の練習や勉強が捗っております」
    「ふっ……お前は本当に一所懸命だな」
    「まだまだ力及ばず、ですから。アグロヴァル様をお助けすることは難しいかもしれませんが、せめてお邪魔にならないくらいには、と」

     強大な魔力と鍛え抜かれた剣技を使いこなすアグロヴァルにとって、護衛など必要ないのかもしれない。事実、人ひとり守って戦うなど容易いことだ――そう、口にしていた。戦いについて未だ疎いトーでも、それが通常どれほど困難であるかは容易に想像がつく。と同時に、アグロヴァルには十分可能であることも。
    (それでも、いつかは私が守って差し上げられるくらい強くなりたいのです)

     主と共に颯爽と戦場を駆ける自分の姿を脳内で思い浮かべていたトーが、はっと我に返る。少しだけ慌てて戻した視線の先では、アグロヴァルが空になったティーカップの底をただじっと見詰めていた。
    「アグロヴァル様?」
    「ああ……精進するがよい」
     アグロヴァルの言葉に、はい、と小気味良く返事を返し、トーは軽くなった茶器を載せたトレーを携えて部屋を後にする。そうして、そっと閉じた扉の外で小さく息を吐き出した。

    (アグロヴァル様……お疲れなのでしょうか……)
     ここのところ、時折沈んだ様子を見せる――主を思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
     最近は国内のことだけでなく、隠遁先が判明した次男ラモラックの件もあり休む暇もないほど慌ただしく西へ東へと日々奔走していた。すんでのところで捕り逃したのだと告げるアグロヴァルの苦々しげな表情がありありと思い出された。

     トーの前では少しずつ本心を語るようになってきたアグロヴァルだったが、痛みや苦しみ、悲しみを隠してしまう性分はそう簡単には変えられないのだろう。君主として臣下に弱味は見せられない――当然のことなのだと分かっていても、それがトーにとってはもどかしくて仕方がない。

     初めて相対した頃の極めて冷淡な印象は既に過去のもので。緩やかに融けていった氷壁の奥にあった温かさや脆さに触れてしまえば、無関心を装うことなど到底できなかった。誰よりも一番近くでその心に寄り添って、支えになりたい。どんなに些細な悩みでも共有させて欲しい。
     ――それが主君に対して持つ感情をとうに超えているのだと、薄々気付いてしまっていたとしても。


    「う、ううん……」
     寝返りを打った額にこつんと固いものが当たる。
     トーは目を擦ってベッドの上に身体を起こすと、開いたままになっていた書物を閉じ小さく欠伸をした。どうやらうたた寝をしてしまっていたらしかった。

     不甲斐ない自分を改めたいと決意を新たにしたトーは、職務以外の時間を体力強化や剣の訓練に充て、夜は戦術に関する書物や文献を読み漁る毎日を過ごしていた。
     全ては、名実共に立派な近衛騎士になるため。非力でも構わぬと言われてはいても役職上は王の護衛である。何より、可能な限りどこへでも同行したいと強く願うようになったからだ。もう、その背中を見送るのは嫌だった。主の身を案じて待つことしかできない自分ではいたくなかった。

     初めは極めて打算的で、利害の一致による相互協力関係というだけの間柄だった。それが今ではお互いに必要な存在となっていた。王に仕える一人の臣としてだけではなく、アグロヴァルただその人の傍に居たい。

     引き寄せて抱え込んだ枕に顔を押し当ててトーは溜息をついた。こうして夜、自室に一人で過ごしていると、いつの間にかアグロヴァルのことばかりぐるぐると考えてしまう。目を落とすとシーツの上に蓋を開けたままの懐中時計が転がっていて、重なった針が頂点を指していた。
    (アグロヴァル様……今頃お休みになっておられるでしょうか……)
     疲れたような顔が思い出されて、それが気がかりだった。目の下にうっすらと浮いた隈は眠れていないためかもしれない。

    「いけませんね、私も……ちゃんと休まないと」
     連日の疲れが降り積もった身体は鉛のようにずっしりと重い。このままでは職務に差し支えてしまう。そんなことを考えながら再び小さく溜息をついたところで、トーはぎくりと身体を強張らせた。突如として襲いかかってきたのは、疲労感とは別の奇妙な感覚だった。

     誰かに名を呼ばれているような――それも、随分と切迫した鬼気迫るもの。しかし、どんなに辺りを見回しても当然ながら誰かが潜んでいるような気配はない。いや、そもそも人の声とも思えない――何かもっと感覚的なものだ。
     胸騒ぎがして居ても立ってもいられずベッドを降りると、視界の隅で壁に立てかけていた剣がぱたりと倒れた。いつも帯びているそれは士官する際に主より直々に下されたものだった。僅かに周囲の空気が歪んでいるような気がして柄にそっと触れる。

    (これは……!)
     瞬間、トーは考えるよりも早く部屋を飛び出していた。指先に感じたのは紛れもなく冷気だった。主の身に、何かが起きている。裏付けも確信もなかったが、その直感に突き動かされるように広い廊下を駆ける。角を曲がり、アグロヴァルの私室の前に辿り着くと躊躇いなく扉を開いた。もし何事もなかったのだとしても、そんなことは後で幾らでもお叱りを受ければ良い。トーは注意深く壁際を進み、静かに寝室へと踏み入った。

    「アグロヴァル様っ?!」
     目に飛び込んできたのは、ベッドの上で身体を折り曲げるようにして突っ伏した主の姿だった。さあっと血の気が引いていくのを感じる。竦む足をなんとか宥めて駆け寄ると、シーツに広がった金の髪が僅かに震えている。
    「……トー、か……?」
     弱々しく覇気のない声が名を呼んだ。無礼を承知でベッドへと上がり、苦しげに上下する肩に手を添える。見上げてくる双眸は濡れて鈍く光り、ここではないどこか遠くへと向けられているように思えた。その息遣いは切ないほどに荒々しく、トーは胸を掻き毟られるような思いで手を伸ばすと夢中で腕の中に抱き込んだ。

     寝巻きの胸元がじわりと汗と涙で濡れ、くぐもった嗚咽が引っ切り無しに零れていく。シーツを固く握りしめていた手が背中に回され、爪を立てるほど強く抱き締められた。
    「大丈夫です。私がついております……」
     威厳に溢れた主の姿はここにはなく、まるで悲しくて泣きじゃくる幼子のような痛々しいその様子に、トーはただただ震える背中をあやすように撫で続けることしかできなかった。

    「アグロヴァル様……落ち着かれましたか……?」
     ようやく平静を取り戻した主に、トーはゆっくりと声を掛ける。縋り付いていた腕から力が抜け、ぴたりと密着していた身体がすっと離れた。俯きがちに長い溜息をつく主の表情を窺い知ることは叶わなかったが、乱れた髪の間から見える頬は僅かに赤みが差しているようだった。

    「……すまなかった。無様なところを見せてしまったな。許せ」
     いえ、と短く返したトーの視線の先でアグロヴァルが濡れた目元を袖口で拭う。その顔には自嘲めいた笑みが浮かんでいた。
     駆け付けた時には急病かと思いもしたが、どうやらそういう訳ではなさそうでトーは一先ず安堵した。しかし、主が病とは別の問題を抱えているであろうことは、火を見るより明らかだった。

    「さあ、お休みになってください」
     問い質したい気持ちをぐっと堪えて促すと、アグロヴァルは静かにベッドに身体を横たえた。捲れたシーツを肩まで引き上げて退出しようとした裾が、ぐいと背後へ引かれる。見れば白く長い指がトーの寝巻きを掴んでいた。
    「……アグロヴァル様が眠るまで、お傍にいてもよろしいでしょうか?」
    「そうしてくれ」
    「では……」
     シーツを持ち上げて身体を滑り込ませる。ベッドは大きく広々としているというのに、二人の距離は息がかかるほど限りなく近い。妙に意識してしまいそうになる自分を追い出すように咳払いをして枕に頭を載せた。

    「何も、聞かぬのだな……」
    「私からお聞きしてよいものか、と思っておりました。お話しいただくことで、アグロヴァル様のお心が軽くなるのでしたら是非に」
     至極穏やかな声音で紡がれたトーの言葉にアグロヴァルは小さく頷くと、目を伏せて重々しく口を開いた。
    「……夢を、見るのだ」
    「夢、ですか……」
    「母を――喪った時の、夢だ。時折こうしてうなされる……幼少の頃よりずっと、な」
     アグロヴァルの口から淡々と告げられたその事実に、トーは言葉を失う。

    「お陰で、あの時のことは忘れることができぬ。目を閉じれば、まるで今そこで起きているのかと思うほど鮮明に思い出せてしまうのだ」
    「そんな……なんと酷い……」
     二十年もの間、悪夢に苛まれて続けていた――それはトーの心に重く響いた。
     まだ幼かったアグロヴァルの眼前で起きた、惨劇。きっと忘れたいほど辛い経験である筈なのに、何度も繰り返し見せつけられるその場面は色褪せることない記憶として焼き付いてしまっているのだろう。
     以前、それを語ったときのアグロヴァルの苦しそうな表情がトーの脳裏をよぎった。今思えば、それは無理もないことだったのだ。

    「このようなこと、誰にも言わずにいたのだがな……」
    「アグロヴァル様……っ」
     ただ名を呼んで、トーは白く冷たい手を握りしめた。
     そんなにも長い間、繰り返し襲い来る悪夢に苦しみ抜いて――耐え続けて。こんなにも広い部屋で、たった一人きりで。
     終わりのない苦痛に囚われるアグロヴァルを思うと、ただただ悲しくて胸が締め付けられるようにズキズキと痛んだ。

    「お前に、そのような顔をさせるつもりはなかった……」
    「すみません……」
     一体、自分はどんな顔をしているのだろう。困ったような笑みを浮かべたアグロヴァルの指先が頬を滑り、落ちかかった髪を優しく撫でた。
    「トーよ。……我の傍を、離れないでくれるか」
    「はい。仰せのままに……」
     震える声で告げると、アグロヴァルは安心したようにその目を閉じた。体温を分け合うように寄り添って眠りにつく。今のトーにできることはそれしかなかった。

    +++

     朝早く目を覚ますと、傍らのアグロヴァルは安らかな寝息を立てていた。乱れた金の髪を恭しく梳くように撫で付けるとトーはベッドを抜け出した。

     向かった先は居間だった。幾つものテーブルと肘掛けの付いた椅子、ゆったりとしたソファが並ぶ。きっとここには穏やかな日常があったのだ。それも、今は昔の話。幾重にも重なったカーテンに遮られて室内は薄暗く、まるで死んだように静まり返っている。

    「ヘルツェロイデ様……」
     トーは呆然と立ちすくむように、壁に掛かった肖像画をただただ見上げていた。
     以前アグロヴァルと共に見たその肖像は、少しも変わらず柔らかな微笑みを浮かべている。
    「お願いです。もう……アグロヴァル様を解放してはいただけませんか」
     口をついて出たのは懇願だった。どんなに願っても彼女に届くことはないと知りながら――決して彼女のせいではないのだと分かってはいても、そうせずにはいられなかった。
     もう、十分過ぎるほどに苦しんだのだ――忘れることで、人は前に進むことができる筈なのに。

    「……我の母上を、そう悪く言うでないわ」
     静かな声に振り向くと、扉に寄り掛かり苦笑を浮かべるアグロヴァルの姿があった。しかし、その声に咎めるような色は含まれてはいなかった。
    「うぅ……申し訳ございません」
    「構わぬ」
     あの日のように二人並んで肖像画を見上げる。永遠とも思えるような、長く静かな沈黙が続く。普段と少しも変わりなく見えるアグロヴァルの横顔が、昨夜の姿と重なる。それだけで呼び戻されたように胸が痛んでトーは奥歯を噛み締めた。

    「……悪夢を見ると、言ったな」
    「はい」
     長い静寂を破ったのはアグロヴァルだった。普段通りの、しかし少しだけ掠れた声。
    「実は少し前までは、見なくなっていたのだ――お前が、我に仕えるようになって……しばらく経った頃からか」
    「そう、だったのですか」
    「信じられる者の存在を得て、我も変わることができたのだと思えた――しかし、な」
     言葉を切ったアグロヴァルが僅かに顔を伏せた。肩に掛かっていた長い髪がさらりと滑り落ちる様を見詰めながら、トーは静かに次の言葉を待つ。

    「例の結社の件で潜伏先に乗り込んだ際に、敵の中に降霊術師がいたのだ。彼奴は――我の両親を術を使い、呼び出した」
    「な……それは……!」
     初めて聞く話に、その内容にトーは絶句した。
     血縁者を抱えた込んだ敵は、ウェールズの事情にも明るい筈だ。襲撃した兄弟の弱点を熟知していてもおかしくはない。何を恐れ、厭うのかをも。
     敵の戦意を失わせ戦力を削ぐことは、戦いにおいて重要で戦術としては至極正しい。けれど、結社の者が取った手段はあまりにも卑怯で、人道に反する行為に他ならない。

    「パーシヴァルは冷静だったが、我は――愚かにも取り乱した。両親の姿に剣を持つ手が震えた」
    「無理もないことです……」
     実の弟であるラモラックを連れ戻すことが叶わず敵対関係となってしまった。その事実だけでも、アグロヴァルにとって耐え難い苦痛だったに違いない――それなのに。苦々しげに語る横顔は苦渋に満ちていた。

    「我はそれを――斬り捨てた。両親の姿と声をした者たちを。いくら偽物であると確信を得たとしても、弟にそのようなことはさせられぬ」
    「そんなことがあったのですね……」
    「ふっ……そのせいなのだろうな。またあの夢を見るようになったのは」
     深く嘆息し、アグロヴァルは落ちかかった前髪をくしゃりとその手に握り込んだ。白い指先が僅かに震えていて、トーは主の痛々しい姿に胸が潰されるように苦しくて堪らなくなっていた。
     どうして、彼ばかりがこんなにも辛い思いを味わわなければならないのか――やりきれない思いで傍らの主をただただ見詰める。そんな無力な自分が情けなくて、悔しくて、悲しかった。

    「アグロヴァル様が苦しんでおられるのに、私には――何もして差し上げることができないのでしょうか……」
    「そんなことはない」
    「ですが、」
     言い募るトーの肩をアグロヴァルが優しく掴んだ。何度か目を瞬かせると、滲んだ視界に映る表情はどこか晴れやかで、清々しかった。見下ろす紅色の瞳が真っ直ぐにトーを映し、切れ長の目がすっと細められる。
    「昨夜、お前は我の元に駆け付けてくれたな」
    「あれは……アグロヴァル様に名を呼ばれたような気がして、夢中で――」
    「……嬉しかった」
     噛みしめるように言われて、トーの胸に温かいものが込み上る。そこには先程までの重苦しさはなく、ゆるゆると穏やかな空気が満ち始めているように感じられた。

    「またあの夢を見るやもしれぬ。だが、トーよ。お前は駆け付けてくれるのであろう?」
    「アグロヴァル様が私を呼んでくださるのなら、夢の中へでも馳せ参じます」
    「夢の中へでも、か……。ふっ。それは頼もしいことよ」
     壁面を背にしてトーを見詰めるアグロヴァルの表情は、肖像画のヘルツェロイデによく似て――優しく穏やかな微笑みを湛えているのであった。



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