夜の挨拶 ひとりとひとり ハーデスは普段、一般的に健康的とされる生活サイクルを維持するようにしている。
例外は今夜のようにエーテルが少し騒がしい夜で、そんな時はついつい深い時間まで視てしまうことがあった。それは身についた癖のようなものであり、習慣に近い趣味でもあり、エメトセルクの座にあってからは仕事のひとつでもある。
観測した波形の特筆すべき部分を資料にまとめ終わり、所感を書き添え、今夜の作業は一段落。
そのタイミングでエーテル端末が着信を告げた。今はアーモロートを遠く離れてアゼムの職責に励んでいるはずの、彼女自身が設定した奇妙に気の抜ける……これは、メッセージ着信音だ。
直接の通話ではないことを、少し残念に思いながら端末を手に取る。
『ハーデスお疲れ様 お仕事きりのいいとこで寝てね』
彼女は本当は千里眼なのではないかと、たまに思う。
時折あるのだ。こういった、やけにタイミングのいい、他愛もない連絡が。
これから床に就くところだった、おやすみと返事を打ち込もうとした矢先、新しいメッセージが表示される。
『おやすみ』
短い夜の挨拶に続けて、瞬時に届いたものがあった。
一枚の画像データだ。
正確な表現をするならぱ、エーテル端末の記録機能で撮影された、彼女自身の画像だった。なんといったか……確かこういった趣きのものは、自撮りとか言うものだったか。
エーテル端末を持っているらしき片手は突きだす形でフレームアウトし、ややいたずらっぽい表情を浮かべた上目遣いの彼女を捉えた一枚だ。共にいる時にもよく見る表情からは甘ったるい含み笑いが聞こえてきそうで、ああ、よく撮れているなとハーデスは思った。
問題は画像の中の彼女のくちびるが、ローブの裾を咥えていること。それから、たくし上げられたローブの下、彼女の肌を覆う布地の少なさだった。
『耐熱装備っていうんだって』
黒く、やけに艶のある小さな布地が、彼女の健康的な肌にぴったりと貼り付いて、際どいところを申し訳程度に隠している。
耐熱装備ってなんだ。そんな布切れでなんの熱に耐えようというんだ。ハーデスにはわからなかった。そんなことより、そんな姿を誰にも見せていないだろうな?
続けてメッセージが届く。
『いまひとりだから誰にも見せてないよ』
ハーデスは心を読まれたのかと思った。
というか、着ているのか、今、それを。
『帰ったら、ほんもの見てね』
「…………」
今度こそおやすみ、というメッセージが表示される。
顔色など持たないはずのその文字列が、どことなく彼女の恥じらいを感じさせたのは、自分自身の欲望によるものだろう。ハーデスはそう理解しつつ、無意識に詰めていた息をゆっくりと吐く。エーテル観測とそれに伴う作業で生じていた夜ふかしの疲れと一緒に、余分な力が抜けていく。
よく眠れそうだった。
ベッドに入る準備はもう済んでいる。
ハーデスは作業机の上を軽く片付け、少しおぼつかない足取りで寝室に向かう。数歩進んだところでふと歩みを止め、葛藤に似た考え事をほんの数秒。数歩分をやや早足ですたすた戻り、一度は机に置いたエーテル端末を手に取った。
彼女が自分で撮影したばかりで、受信したばかりの『耐熱装備』の画像を改めて保存し、厳重に保護をかけ、万が一にも流出しないよう高度に暗号化する。
その一連の作業をやり終えたハーデスを見る者がいたら──それがヒュトロダエウスだったなら、何かをやり遂げたという顔だと評しただろう。そしてこれから、何か重大事を為そうとしている顔だとも。
ハーデスは今度こそ寝室に向かった。
エーテル端末は、しっかりと握りしめたまま。
もう少しだけ続いた夜ふかしが大変充実したものになったのは、彼女にも伝えていないハーデスだけの秘密である。