綺羅星の車窓、ファーストキスの味「ようこそ、我が家へ。アベンチュリン」
「お招きどうもありがとう、星」
ピノコニーの一件が落ち着いて数か月後。
星はようやく時間ができたアベンチュリンを星穹列車に招待していた。本当は泊まってほしかったが、仕事の都合もあり彼の滞在時間はお昼から夕方まで。
普段であれば会えても2時間以内であることが多いアベンチュリン。多忙な彼にしては時間を作った方だった。
自分のために時間を割いてくれた彼に、一段と張り切る星。普段であれば客人が乗車した場合、乗車歴の長い姫子やヴェルトが案内するのだが。
『列車の案内は私にさせてほしい………お願い』
と星が恐る恐る頼み込むと、意外にも4人は快く了承してくれた。
星は他の4人よりも後から乗車した末っ子。当然彼らよりかは列車、ナナシビトについてそれほど詳しくはない。
もちろん、4人ともよく教えてくれるし、列車の事であればパムもハイテンションで説明してくれる。列車の知識はそれなりにあるつもりだ。
だが、把握しきれていないこともある。特に列車の歴史は不明な点も多い。過去にどんなナナシビトが乗っていたのか、星はピノコニーで知った彼らぐらいしか知らない。
それでも、星は自分で案内したかった。自分でこの大好きな列車を、好きな彼に紹介したかった。
「いつもの服じゃないんだね」
「プライベートな時間だからね。あれは仕事着さ」
出迎えると見えたのは翠色のシャツにスラックスという至ってシンプルな服のアベンチュリン。いつもの幹部らしい派手な服を着てくると予想していたのだが、今日は随分と落ち着いていた。
シンプルながらも端正な彼の魅力をさらに引き出している。見慣れないアベンチュリンの姿に、星は嬉しくなり鼓動が早くなる。
「今日は私が案内するね」
「へぇ、てっきりナビゲーターがしてくれるのかと思ったけど、マイフレンドにガイドをしてもらえるなんて」
「………嬉しくない?」
「ははっ、嬉しいに決まってるじゃないか。とっても楽しみだよ」
「期待はしないでね」
そうして、星はアベンチュリンに自慢の列車を案内する。途中で姫子にコーヒーを貰ったりして休憩しながら回った。
拙い説明ながらも、アベンチュリンは星の話に静かに耳を傾けてくれて、星は「もっと知ってほしい」と列車の小話や姫子たちについて教えていく。
客室車両に移動するとそれぞれ誰の部屋なのかを説明し、なのかと丹恒は部屋を見せてもいいというので案内してあげた。
「ねぇ、星核ちゃん」
「ん? なに?」
「君の部屋は見せてくれないのかい?」
「………うん、ごめん」
肩を落とししょぼりするアベンチュリン。その顔は雨の中捨てられた子犬のようで、「あ、違うの」と星は慌てて否定する。
別にアベンチュリンに見せたくないわけではない。見せてあげたいのはやまやまだが………今はまだ自分の部屋には案内できない。
ゴミ屋敷はちょっと………ね?
彼の来訪は事前に分かっていたのに、なぜ自分は掃除をしていなかったのか………星は1人後悔した。
「別にアベンチュリンに見せたくないわけじゃない。ただ………」
「ただ………?」
「その、あのっ…汚いから………本当に汚いから………だから、また今度来た時に見せるね?」
そうだ。次来た時には絶対入れてあげて、自分の宝物を教えげよう。2人だけの秘密も作れる。
「それは次の約束かい?」
「うん、そう」
「じゃあ、それで許してあげよう。次来た時に絶対入れてね」
「うんっ!」
次も来てくれる――――そう思うだけで星の胸は高鳴る。嬉しくって口がにやけてしまいそうだった。
そうして、列車中を歩き回り、星が最後に案内したのはラウンジ。家族みんなで団らんできる星のお気に入りの場所だった。
「ここからの景色、綺麗でしょ?」
窓際に立った2人の前に広がる綺羅星。息を飲むほど美しい銀河。星々が静かに煌めくその車窓からの景色は絶景。アベンチュリンは思わずため息をついていた。
彼も数多の星々を駆ける1人の人間。しかし、タイトなスケジュールを持つ彼に窓の景色を眺める暇はなかった。こうして、落ち着いて銀河の車窓を眺めていたのはもう遠い昔の話。
「ああ、綺麗だ…………」
「気に入ってくれた?」
「ああ、最高の景色だよ。いくら払ったらいいかな?」
「感想をくれるだけで十分」
「そっか」
と分かった風に返事をしながらも、星のポケットに信用ポイントを突っ込んでくる。全く本当にそういうのはいいのに。
「星はこの星空が好きかい?」
「うん、大好き。見てたら、どんな嫌なことがあっても安らげるから」
確かに落ち着く。こんな広大な銀河を眺めていれば、抱えていた悩み事だって小さく思える。家族の復讐だって忘れてしまいそう。
「ああ、僕も好きだ………」
星々は宝石のように色鮮やかに煌めく。ハイライトのないアベンチュリンの瞳に、満天の星空が映っていた。
隣を見れば、真っすぐこちらを見つめる彼女。彼女が向けてくる好意には何となく気づいていた。でも、不思議と嫌ではなくって。
月を埋め込んだかのような虹彩がきらりと円を描いて輝く。琥珀の瞳に映るのはアベンチュリンだけ。
「星、あそこ見て。流れ星」
「えっ?」
アベンチュリンが適当な場所を指さすと、星はそちらへ視線を向ける。その隙にアベンチュリンは顔を近づけ、目を閉じ、彼女の小さな唇をそっと重ねた。
「――――――――」
触れた瞬間、見開く月光の瞳。ゼロ距離に大好きな人がいた。彼から唇を奪われていた。
数秒唇が触れただけ、ただそれだけの子どものような可愛いキス。
「………」
もう少し触れていたいと思いながらも、唇を離すアベンチュリン。だが、星は黙ったままでフリーズ。銀河の向こうに意識が遥か彼方へと飛んでいた。
「星?」
「………」
声をかけても意識が戻ってくることはない。石像のように固まっている。
………もしや嫌だったのだろうか。てっきり星は自分に好意を向けてくれていると思っていたのだが、それは勘違いだったのだろうか。
申し訳なさと後悔でいっぱいになりそうだったが、彼女の様子に気づいたアベンチュリンはふふっと笑みを漏らした。
「星の耳真っ赤だ………可愛いね」
「っ………」
星はさっと両手で耳を隠すが、意味はなくって。頬も袖から覗く手首もリンゴのように真っ赤。初心な反応。小さく震えて照れている彼女は小動物のようで可愛らしい。
アベンチュリンはぽんぽんっと頭を撫でると、星は顔を俯ける。その照れ隠しに抱き着きたくなるが、ぐっと堪えた。
「今日は僕を招待してくれてありがとう」
「………ど、どういたしまして」
「じゃあ、またね。次も近いうちに来るよ」
「……………うん」
コクリと頷く星。彼の顔を見たいけど、こんな見苦しい顔は誰にも見せたくなくって、俯いたままアベンチュリンに手を振り見送った。
彼の姿が見えなくなると、星はアベンチュリンにキスされた窓際へと戻る。触れられた唇は熱いまま。
「『可愛いね』って言われた……」
あんなの反則だ。只得さえ彼は綺麗な顔で、すでにこっちは惚れている。あんな優しい笑みで言われたら、爆発してしまうに決まっている。反則だ、レッドカードだ。
熱は収まりそうにない。心臓もバクバクとずっと跳ねている。鼓動の音がうるさい。
それに、それに………キスされちゃった……………。
「~ぁ~~~」
柔らかい唇を思い出して、座り込んで顔を腕で隠して悶える銀河打者。
マシュマロみたいに柔らかくって甘かったファーストキス………そう、初めてのキス。好きな人に初めて奪われた。
キスはあんなにも甘いのだろうか。なぜあんなに優しい笑みを自分に向けてきたのだろうか。アベンチュリンのことを考えれば考えるほど熱が全身へと広がる。
あんなことされたら彼に会う度に赤面してしまう。恥ずかしくって仕方ない。
「ねぇ、アベンチュリン…………」
――――――これからどうやってあんたを見ればいい?
★★★★★★★★
部屋から出てこない丹恒を除く姫子たち3人は、彼らの甘酸っぱい青春を見守っていた。
星に何か悪さをしようとするのであれば、すぐに介入。即刻列車から下車してもらうつもりだった。
だが、案内している時の星は輝いていた。無邪気に笑って、楽し気な声で列車について話す。視線はずっとアベンチュリンを追いかけていた。
キスの時には、星と同様驚く姫子たち。動揺しつつも姫子は、思わず叫びそうになる雰囲気破壊王なのかの口にマフィンを突っ込み、ブラックホールを展開し始めた親バカヴェルトを気絶させ、何とか抑えた。
あれは恋する乙女の瞳――――姫子は知っている。
自分たちがいるこのラウンジでキスをするなど、どういうつもりなのかアベンチュリンに問い詰めたくなるところではあるが、星の恋の邪魔はしたくない。そっと見守ってあげたい。
普段の彼女は自ら前に戦ってくれる頼もしい子だ。自分たちとともに数々の困難に立ち向かい、敵を倒し星を救ってきた。
「ぁ~~~」
だが、彼の前では恋する少女に過ぎない。あんなにも取り乱している彼女の姿は珍しかった。
「ふふっ、ほんと可愛い末っ子ね」
――――どうか彼女の恋が実りますように。どうか彼女が幸せになりますように。
姫子は顔を隠して悶える可愛い末っ子に小さく微笑んでいた。
★★★★★★★★
列車から下車したアベンチュリン。次の現場へと向かうため、着替えを済ませると部下とともに別の列車へと乗車していた。
本当は星穹列車を下りたくなかった。泊まって星と食事をしたかった。が、詰まったスケジュールは待ってくれない。クライアントを待たすことはできなかった。
だが、星と離れるのはやっぱり嫌で、こんな仕事辞めてしまって、ナナシビトに転職しようかとすら思った。
星と別れてテンションだだ下がりのアベンチュリン。銀河の景色を眺められる特等席に座りタブレットで資料を確認しつつ、時折視線を車窓の外へと向ける。
「………」
まだそれほど星穹列車と距離は離れていないため、広がっている景色は星穹列車と同じものだ。
でも、なぜだろうか………物足りなさを感じるのは。
やはり星穹列車からみた車窓の景色が一番綺麗で、車窓の景色だけなく、廊下の雰囲気も何もかもが美しかった。
星が隣にいたことでラウンジが、列車内の景色が輝いて見えていた。自分が思っている以上にアベンチュリンは星に惚れこんでいた。
「ははっ……僕、キスしちゃったんだね………」
ふと思い出し、アベンチュリンは小さく呟く。
彼もまた初めてのキスだった。確かに女性からも男性からも好意を向けられることは多いアベンチュリン。だが、彼自身は恋愛経験はなし、誰かに恋に落ちたこともない。今を生きることで精一杯だった。
もちろん、恋に落ちたのも星が初めてで、キスをした相手も彼女が初めて。星と同じレベルではあった。
知識は彼女よりか持っており、キスの先も十分理解している。でも、知識を持っているのと実際に経験するのは大きく異なる。キスの余熱に、アベンチュリンはかぁと赤面していた。
彼女からの好意には気づいていた。だが、それはあまりにも純粋なもので、こちらが積極的になりすぎると驚いて拒絶されてしまう可能性も十分にあった。
だからこそ、キスは慎重にしたかった。「キスは付き合ってから」とアベンチュリンは全くする気はなかったのだが、気づけば嘘を言って彼女の唇に触れていた。
「………っ」
窓に反射する自分の顔はまだ赤く染まっている。恥ずかしい顔を部下に見られまいと、アベンチュリンは待機する部下とは反対の窓へと顔を背けた。
女子の唇というのはあんなにも柔らかいものなのだろうか。
唇に触れた瞬間頬を桃に染める星の顔。瞳は濡れていて、キスをねだっているようにも見えた。
ああ………もっと触れていたい。琥珀の瞳に見つめられていたい。彼女が恋しい。今すぐ会いたい。
初めてのキスの味――――それは苺飴のように甘く、蕩けそうなほど柔らかいもの。
その味を、2人はきっと一生忘れられない。