カルナさんがわし様に賠償金を支払う話「おまえがわし様に贈り物とは珍しいではないか」
ドゥリーヨダナの言葉にカルナは珍しく視線を落とした。
召喚されてまだ間もないというのにドゥリーヨダナの部屋は優美な家具で溢れている。
そのひとつのカウチソファに腰を下ろしているドゥリーヨダナにカルナは包みを差し出した。
「マスターに帯を贈ったと聞いた」
「ふむ」
カルナらしくない華やかな包装を開いたドゥリーヨダナは出てきた帯を広げて眉をしかめる。
「…カルナ。おまえ、これをどう注文した?」
「おまえに贈ると」
「それだけか?」
「他は必要ではあるまい」
「ばっかもーん!! 必要ありありだ!!」
急に立ち上がったドゥリーヨダナにカルナは視線を上げた。花のような瞳と目が合う。
「おまえに与えた家臣団は何を教えとったんだ!! この調子で外交をしておったのか!?」
ドゥリーヨダナの手で平民から王に取り立てられた男はその言葉に生前の記憶を手繰り寄せた。王としての彼を支えてくれた人々の言葉を思い出す。
「向き不向きがある、と」
「──つまり、家臣団が代行しておったのだな?」
頭を抱えたドゥリーヨダナが唸る。
「わし様が選考した家臣団が有能過ぎたのが悪かったのか。くぅ! わし様の見る目がありすぎた故にこの結果とはっ!!」
「────」
何も言わないカルナにドゥリーヨダナは目を眇めた。
「何が悪いか分かっておらん顔だな。──買ったのはあの鶴と妖精の店か。今から行くぞ」
帯を持って歩き出したドゥリーヨダナの後をカルナは追う。
彼にはドゥリーヨダナが何を言っているのか見当もつかなかった。
◆
「返品かい?」
「いいや、リメイクだ」
カルデアの一角に構えられた霊衣縫製室。その作業台の上に帯を広げたドゥリーヨダナの指定にハベトロットは目を丸くした。
「一度も使ってなさそうだけど?」
その質問にドゥリーヨダナは何故か胸を張った。
「わし様は最強で最優のサーヴァントだぞ。そのわし様に相応しい帯か?」
「……カルナさんがお話されていた方とはずいぶんイメージが違うようですが?」
ミス・クレーンの戸惑ったような表情にドゥリーヨダナはカルナを振り返った。
「分かったか?」
「いや」
ドゥリーヨダナが何を分からせようとしているか理解出来なかったカルナは首を振った。
それにため息をついてドゥリーヨダナは広げた帯の上に手を滑らせる。
品良く大人しい模様だ。質も良く織りも刺繍も凝ってはいる。王族が持つにはふさわしいだろう。だが、ドゥリーヨダナという個人が持つにはそぐわなかった。
「わし様が召喚されてまだ間もない。ここにいる職人達がわし様を深く知る時間などなかっただろう」
注文主の言葉足らずのせいとは言え、不完全な品を納品してしまった彼女達を擁護する言葉に三人の視線が集まる。
「この仕立てからみて、普段使いで通年使えるものだろう?」
「あ、はい! その通りです!! 贈り物だと伺いましたので」
ミス・クレーンがそう答えると、ドゥリーヨダナは指先で生地を軽く叩いた。
「この色合いならば、わし様の衣装とも調和する。いい仕事だ。ただ、問題は──これはわし様の趣味ではない」
でしょうね、とふたりの職人は思った。
遠目で見た印象とカルナからの話だけで推測した人柄と、目の前の男の人柄は一致しない。これは職人の調査不足だ。注文主が言葉足らずだと分かった時点で、独自に調べておくべきだったのだ。
この不手際をどう対処するか。視線を交わす二人の意識を遮るかのようにドゥリーヨダナが軽く片手を振る。
「そもそも一口に贈り物と言っても千差万別。誕生祝いには柔らかい布を、子供の成長祝いには丈夫な布を、成人の儀には華やかに、結婚式には吉兆の模様を入れる。──カルナ、おまえはどのようなつもりでわし様にこれを贈ったのだ?」
職人ふたりがぐるりとカルナを振り返った。
それが聞きたかったのだ。
彼女達に注文した時は告げようとしなかったその内容も、贈られる当人が問いただせば明らかになるだろう。
果たして、カルナは気が進まない様子で口を開いた。
「賠償金だ」
「はぁ!??」
想像さえしていなかった単語にドゥリーヨダナが声をあげる。そんな彼にカルナはゆっくりと視線を合わせた。
「オレは生前、おまえに五王子を倒す事を期待されて王位を与えられた。だが、オレは母に頼まれてアルジュナ以外の四人を見逃した。──契約不履行だ。賠償金を払うべきだろう」
カルナの言葉にドゥリーヨダナの表情が抜け落ちる。
「────おまえがカウラヴァに与えた損害が、帯一つで足りるものだと?」
空気を凍らせるような冷ややかな声に、傍で聞いていただけの彼女たちが凍りついた。
だが、カルナは変わらない様子で答えた。
「もちろん足りないだろう。その分はオレの全てでもって支払おう」
「ふざけるなっ!!!」
作業台が真っ二つに割れる。ドゥリーヨダナが手を叩きつけたのだ。
ドゥリーヨダナは勢いのまま口を開け、そして何かを飲み込むかのように口を閉ざした。拳が握られる。
「カルナ、おまえとは絶交だ」
いっそ静かな声にカルナが目を見開いた。
それを一瞥すらせずドゥリーヨダナはドアへと向かって歩き出す。
「友ではない者からの趣味に合わない贈り物などいらん。捨てておけ」
カルナとすれ違いざまにそう言い捨てて、ドゥリーヨダナは霊衣縫製室から出ていった。
一度も振り返らずに。
◆
──神を喚ぶマントラを知るクンティーの三男、ビーマセーナに罪は無かった。
ただ彼は霊衣縫製室からひとりで出てきた宿敵にいつものように声を掛けただけだった。
「よぉ、トンチキ。今日はカルナの後ろに隠れてねぇんだな。──うぉ! なにしやがる!!」
無言で打ち込まれた拳を避けて、ビーマはドゥリーヨダナに向き直り、絶句した。
拳を握りしめて立つドゥリーヨダナの表情は怒りのようでもあり、今にも泣き出しそうでもあった。
それは、ビーマがこの男に毒を盛られ川に流される直前に、一度だけ見たことのあるものによく似ていた。
幼い子供のようなその顔で唇が震える。
「いつもそうだ。──お前達は俺の大切なものを奪っていく」
謂れもなく責められてビーマの眉が跳ね上がる。
「ふざけんなよ、ドゥリーヨダナ。俺達から奪ったのはてめぇの方だろうが!」
毒を盛られ、家を燃やされ、故郷から追放され、家族すらも戦で傷ついた。
それは全部目の前の男のせいだというのに。
「被害者面してんじゃねぇ!!」
渾身の殴打は絶妙のタイミングで避けられる。踏み込んできたドゥリーヨダナの体にビーマは足を蹴り上げた。
鈍い音が響く。
両腕でビーマの蹴りを防いだドゥリーヨダナがそのまま足を掴んだのを軸に、ビーマはもう片方の足を振り上げた。
その瞬間、ビーマの背中が床に叩きつけられる。
ビーマを抑え込むドゥリーヨダナの側頭部を殴りつけ、ビーマはいつもより精彩を欠くドゥリーヨダナを──。
「……素手の勝負に槍で加勢するのか、」
ビーマとドゥリーヨダナの間を貫いたインドラの槍。その持ち主を非難すると槍の穂先が無言で寄せられる。
騒ぎに駆けつけたのだろうカルナの促しにビーマは舌打ちして立ち上がった。
「言っておくが、先に喧嘩を売ってきたのはそこのろくでなしだぞ」
その言葉に、いつもは煩く反論するドゥリーヨダナが無言で体を起こした。それどころか助勢したカルナと目線を合わせようともしない。
「──喧嘩でもしたのか。俺を巻き込むなよ。関係ねぇだろ」
槍を手元に戻したカルナを確認し、ビーマはため息をついた。
その言い草にいつもなら喚き立てるドゥリーヨダナは唇を引き結ぶ。そこにカルナが口を開いた。
「お前達とオレは同じ母をもつ」
その関係性は事実ではあったが、ビーマは首を振った。
「今更そんな事を言われてもな。──俺達はそれをずっと知らなかった。お袋とクリシュナが余計な交渉をした事もな」
カルナが母クンティーの命乞いに応じたために見逃されたビーマの言葉に、ドゥリーヨダナの口が開いた。
「──お前たちは本当に気づいてなかったのか?」
異父兄弟の視線を浴びながら、カウラヴァの王子は口元を歪めた。
「神の子を産める女がそうそういるはずがなかろう? カルナが川に流された頃あの女がどこに住んでいたか。調べれば簡単に分かることだ」
カルナが槍を握りしめた。
「知っていたのか。知って、いたんだな」
繰り返された言葉にカルナの最大の理解者と名乗っていた男は嘲笑した。
「気付かない方が馬鹿なのだ。──さっさと兄弟の元へ帰るがいい」
言い捨てて、ドゥリーヨダナは今度こそ早足で去っていく。その背中を異父兄弟達は無言で見送った。
ビーマが口を開く。
「──で、こっちに来るのか?」
「愚問だ」
ドゥリーヨダナが立ち去った方をいつまでも見つめているカルナにビーマは苦笑した。
「だろうな」
静かなビーマの声が聞こえたのだろうか。霊基縫製室のドアがそっと開き様子を見ていたふたりの女性が顔を出した。
◆
それから一ヶ月。カルナとドゥリーヨダナの仲違いはカルデアの誰もが知ることとなっていた。
あれほど親密だったふたりが、距離を置く──正確にはドゥリーヨダナがカルナを避けるようになり。最低限の会話も抑揚なく他人行儀に交わすようになったとなれば目立たないはずがない。
英霊の中には主や友と仲違いして、そのまま死別した者もいる。そんな彼らに、拒否されてもドゥリーヨダナを追い話をしようとするカルナを援護する者は多かった。
今も。包みを抱えて食堂に入って来たカルナを見て、席を立とうとしたドゥリーヨダナにランサーのディルムッドがさりげなく道を塞いだ。
何人かのサーヴァント達も微妙に立ち位置を変えたために、逃げられないと分かったドゥリーヨダナが顔をしかめて椅子に座り直す。
「感謝する」
軽く頭を下げて、カルナはドゥリーヨダナの向かいに立った。
白いテーブルの上に包みを置く。
「オレの誠意だ。可能ならば受け取って欲しい」
衆人環視の前で『誠意』を拒否出来なかったのだろう。ドゥリーヨダナは不愉快そうに包みを開いた。
「…価値が上がっているな。だが、賠償金としてはとても足りん」
ドゥリーヨダナの手に広げられた帯は以前カルナがドゥリーヨダナに贈ろうとしていたものだ。だが、それは今、金糸の刺繍が一面に縁取られている。
金属刺繍と呼ばれるそれは純金の糸が使われているのだろう。艶のある輝きを放っていた。
「足りないのは承知している。──これはオレの誠意に過ぎない」
カルナの言葉に黙っていたドゥリーヨダナが、不意に眉を寄せた。
手の中の帯と正面に立つ男を交互に見比べる。
「……なぜ、おまえの魔力を帯びている?」
普通、英霊の魔力は自身かその持ち物ぐらいにしか付与されない。だと言うのにその帯にはカルナの魔力が込められていた。
ドゥリーヨダナの疑問にカルナは当然のように答える。
「オレの鎧を溶かした糸を使ったからだ」
「ばっ、!!」
叫びかけてドゥリーヨダナは言葉を飲み込んだ。
ふたりの様子を伺っていたサーヴァント達のうち、カルナと同じ編成になった事がある者が顔色を変える。
カルナの黄金の鎧は皮膚に癒着している。宝具発動の度にそれを引き剥がすが、カルナの苦鳴がそれがどれほどの激痛かを伝えていた。
そのカルナがドゥリーヨダナに語りかける。
「おまえは言った。贈り物は千差万別。どのようなつもりでこれをおまえに贈ったのかと」
ドゥリーヨダナは無言で先を促す。
「その布を織った彼女達はオレに問うた。贈り物とは願いだと。オレはおまえに何を願うのかと」
カルナの指先が刺繍をなぞる。
「オレはおまえに無事でいて欲しい。──例えオレが側にいなくても、この不死の鎧の糸がおまえを守るだろう」
沈黙が流れた。
「それがおまえの誠意か」
「そうだ」
ドゥリーヨダナは帯をテーブルに置いた。指を組む。
「──お前がビーマ達を見逃した時。俺はお前が裏切ったのだと思った」
「そうだろうな」
肯定する言葉に、組まれた指がわずかに震える。
「だがお前が死んだ時。──俺はそれが勘違いだったのだと分かったのだ」
ドゥリーヨダナは息を吸った。
「お前が裏切っていたなら、あんな殺され方をされるわけがない!! ──どうして俺はもっと早くお前に話しておかなかったのか!!」
告解にカルナは目を見張った。
ドゥリーヨダナはろくでなしだ。小悪党でお調子者で計算高い。それでも──家族想いな男なのだ。
家族に愛され愛し育ったドゥリーヨダナが、カルナの本当の家族を知った時に何を思ったのか。
そして、カルナが死んだ事によって、家族よりもドゥリーヨダナを選んだと分かった時に何を思ったのか。
ドゥリーヨダナがカルナの死を嘆いたと、カルナは知識では知っていた。でも理解してはいなかったのだ。
「──友よ」
呼びかけたカルナとドゥリーヨダナの目線が合う。久しぶりに見る花の色の瞳にカルナの目が熱く潤んだ。
「かって、おまえが自死を選ぼうとした時、オレは己の無力さに我を失った。周辺国を平らげたのはその副産物に過ぎない。──おまえはオレの甘き光。裏切りなど出来ようはずがない」
カルナの告白にドゥリーヨダナは答えず、テーブルの上から帯を取り上げカルナに差し出した。
「友よ。お前の友情を纏いたい」
「ああ」
ドゥリーヨダナのためだけの刺繍を施した帯をカルナは受け取る。
テーブルをまわり込み、ドゥリーヨダナの傍らにたどり着くと。カルナの友は立ち上がって彼を待っていた。
絢爛と金糸が輝く帯を広げる。両腕を広げて協力してくれた友の体にそれを巻いていく。御者の家庭で育ったカルナはこんな高価な帯を着付けたことなどなかったが、見様見真似で男の体を飾っていく。それがおかしいのかドゥリーヨダナがくふくふと笑った。
「──仕方がない。わし様を無能だと貶したことを許してやろう」
囁くような小さな声にカルナは息を飲む。
カルナはカウラヴァ軍の総司令官だったが、その上にいたのはドゥリーヨダナだ。カルナの行いはドゥリーヨダナの行いであり。カルナの裏切り行為はカルナの本当の家族を知っていたドゥリーヨダナの見通しの甘さだった。
それでも、カルナが死ぬまでカウラヴァ軍の総司令官だったのは。──ドゥリーヨダナの信頼の証だったのだろう。
「オレは愚かだ」
損害ならば物品で補える。だが、信頼を裏切った事を物品だけで贖おうとするのは恥を知らないにも程があった。
「まあ、おまえはそのあたりの機微は向いておらんからなぁ。──わし様が今、何をしているのかも分からんだろう?」
「帯を着せられている、ではないのか?」
カルナの疑問にドゥリーヨダナは幼子を見るかのように目を細めた。
衆目の前で相手の宝具の一部を傅くように自分の体に纏わせる。一見、ドゥリーヨダナがカルナの恩寵を受けているように見える。それも嘘ではないが。
意味が分かる何人かの英霊が気の毒そうにカルナを見ていたが、ドゥリーヨダナが視線を向けるとさっと目を逸した。
にまにまと笑うドゥリーヨダナに気づかず、カルナが手を止める。ドゥリーヨダナは自分の体を見下ろした。不器用な着付けに概ね満足して顔をあげる。
「わし様のカルナ」
分かりやすく両腕を広げると、友の体がそこに収まった。
カウラヴァに与えた損害を、足りなければ自分の全てで払うと言った男を抱きしめてドゥリーヨダナは薄く笑う。
賠償金だろうが何だろうが構うものか。ここまですれば生前のような横槍を入れられることはないだろう。
「──俺の、カルナ」
「ああ」
違いが分からない男の返答に、ドゥリーヨダナは笑みを深めた。