特異点のアシュくんが夢から醒める話 大きな戦も終わり、川辺で火を焚いていると会いたかった人がやってきた。
「息災にしておるな、アシュヴァッターマン!」
片手を上げて笑うその人に俺も笑う。
「旦那も元気そうで良かった」
本当にそうだ。
青空の下で広がるあの森を、遠くに見える王宮を、探しても探しても揃わなかったこの人が何の不自由もなく火の中を覗き込んでいる。
「旦那、危ねぇから。──こういうのはバラモンの仕事だ」
「わし様なんだから穢れとか大丈夫だろう?」
なんでも興味を示す子供のような旦那の足元でばちり、と薪が弾けた。俺は火の中に手をつっこみ薪をかき回して肉片を並べ直し炎を整える。
「熱くないのか?」
旦那の質問に俺は苦笑する。
大切な人の体を探して獣の腹の中をまさぐった時の方が熱かった。
「旦那、腕を触ってもいいか?」
「んー? 好きにしていいぞ」
こちらに伸ばされた腕は重い棍棒を振り回す戦士の腕だ。手にとってその瑕疵のない輪郭をたどっていると、旦那がくすくすと笑う。
「おまえ、ちょっとやり過ぎたようだぞ」
突然の指摘に瞬きすると、旦那が困ったように笑う。──この顔は俺がやらかしてしまった時のものだ。
俺が宴の席で紹介された娘をその場で断った時にも旦那はこんな表情をしていた。
「おまえが森の獣を裂いてまわったせいで飢餓が広がっておる。こんな時に対処すべき王族、生き残ったパーンダヴァの連中もおまえが殺しただろう? おかげでクル国は滅亡の危機だ」
俺は首を傾げた。
「でも、もう旦那がいねぇんだから、──旦那をあんな方法で殺したんだからしょうがねぇだろ?」
「こら、」
ぺしん、と額の宝珠を叩かれて俺は顔をほころばせる。子供の頃はよくやってくれたが、大きくなってからはこんな事はしてもらえなかった。
「まあ、わし様も数ある特異点のひとつやふたつ、ぶっちゃけどーでもいいのだが。──カルデアに観測されてしまったからな」
「カルデア? 特異点?」
聞き覚えがない単語に炎が揺らめく。熱に炙られて心が震え俺は旦那を見つめた。
旦那は俺に両の手のひらを広げる。
「持っておるだろ。聖杯。それをわし様に預けてくれんか?」
「旦那が欲しいなら」
もともと食い散らかされた体を探していた森の中で偶然見つけた物だ。パーンダヴァの連中を皆殺しにした時には役に立ったがもう使うこともない。
それ以前に、旦那が欲しいと言ったのなら。俺は両の目玉だって渡すだろう。
魔力の塊を胸から出して渡すと旦那は安心したかのように何度か頷いた。
「うむうむ。これでなんとかなる」
旦那の手が俺の頬を撫でた。
「アシュヴァッターマン。わし様はちょっと用事がある。おまえはここで火の番をしていてくれるな?」
頷くと旦那は嬉しそうに笑って去っていった。
変な旦那。言われなくても俺はここから離れない。やっと、全部集めたのだ。綺麗に焼いて川に流さないと。──旦那が天の国へ行けなくなる。
大変だったのだ。森の獣全ての腹を裂いて、パーンダヴァの連中を問いただして。
「だが。そもそもてめぇが間に合わなかったから、旦那はそんな目にあったんじゃねぇか」
聞いたことのない声に振り返ると、そこには。
「俺、なのか?」
赤い髪、額の宝珠、その装束。澄んだ水面に映ったのと同じ姿がそこに立っていた。
そいつが顔を歪める。
「旦那が聖杯を持って何しに行ったか教えてやろうか? ──命乞いだ」
「命乞い?」
旦那が誰の?
「俺達のマスターはお人好しだ。『額の宝珠のせいで餓えを知らないから』『バラモンは肉を食べる習慣がないから』『獣を殺し尽くしたら飢餓が起きるとは分からなかったのだ』あたりの事を言われたら、まあ聖杯も回収したし、と特異点の主を見逃すぐらいはしてくれるだろうさ」
「──俺のことか?」
「他に旦那が命乞いしてくれる奴なんて数えるほどだろ?」
俺の姿をしたそいつは頭を振った。それが燃え盛る炎の中を見つめて止まる。
「『俺』が獣の腹を裂いてまわる理由なんか、ひとつしかねぇ。──おまえ、間に合わなかったな!!」
炎が大きく噴き上がる。その中でバラバラに食い散らかされた旦那の体がごとりと揺れた。
俺が駆けつけた時、旦那はすでに森の獣に食い散らかされていた。
旦那程の戦士ならばむざむざ獣ごときに負けるはずはない! ならばこれはパーンダヴァの仕業だろう。
卑劣な策に怒り狂いながら獣を追い払い、持ち出された旦那の肉片を探して森中全ての獣の腹をかき回した。だって、体が無いと、体を清めないと天の国には行けないのだ。
それでもどうしても足りなくて。足りなくて。足りなくて。足りなくて。
俺はパーンダヴァの連中を問いただしたのだ。
『旦那の体をどこにやったのか?』
誰も答えられなかった。だから殺した。それを知らないならあんな真似をしたやつらを生かしておく理由なんてない。
そうして集めた体を荼毘に付していると『旦那』がやって来たのだ。
『俺』が俺の首を鷲掴みにする。
至近で目が怒りに燃え盛っていた。
「てめぇ!旦那をこんな目に合わせやがって!!」
怒るのは当然だ。
俺だって何度自分を責めただろう。
──どうして間に合わなかったのか、と。
成すすべもなく獣に襲われるのは恐ろしかっただろう。獣の牙は痛かっただろう。どんなに助けを呼んだだろうか。
なのに。
「どうして、あの人は俺を責めなかったのだろう」
炎の中を覗き込んだ『旦那』はそこに自身の無残な骸を見たはずだ。だというのに、間に合わなかった俺を責めるではなく、それどころか命乞いに行ってしまった。
どん、と突き飛ばされて俺は炎の中に座り込んだ。
「分からねぇのかよ」
哀れむような眼差しを受けた俺に、旦那の骸がごとりと寄り添う。炎が俺の服に燃え移った。
「てめぇは『そこ』がお似合いだ」
そう吐き捨てて『俺』は何故かクリシュナのチャクラムを取り出した。
「技巧戦闘 ──戦輪、起動!!」
巨大なチャクラムが炎を巻き上げて回転する。
やっと悪夢が終わる予感に俺は炎の中で散らばった旦那を抱き寄せた。