星の引力とアシュヨダの話「旦那っ!!」
腹部に衝撃を感じるより早く体が吹っ飛んだ。嵐の中に放り込まれたように何度も体中に痛みが響き渡る。防御する間もなく転がるようにして地べたに叩き込まれた。
ドゥリーヨダナの口から血が迸る。
背中を中心に焼けるようだ。動くのは手足と首。顔を巡らせると、鬱蒼と茂る森の中、折れた木々が道を作っていた。
その道の果てで打撃音が聞こえる。天に届くような巨人が武器を振り上げていた。
その下にはアシュヴァッターマンがいる。
レイシフト先で巨人の群れに遭遇し、殿を務めたはいいが。バーサーカーとアーチャの二人きりではランサーのこの巨人をなかなか倒せず手こずっていた。
巨人が武器を振り下ろす、振り下ろす、振り下ろす位置が変わらない。
ドゥリーヨダナは口の中の血を吐き捨てた。
「馬鹿者、」
アシュヴァッターマンは身軽だ。跳躍して攻撃を避ければいいものを、わざわざ巨人の前に立ち塞がっているのだろう。この先にドゥリーヨダナがいるから、と。
(何か出来ることはないか?)
辺りを見回す。棍棒は近くに落ちていたが手が届かない。足で地面を蹴るが重い体は動こうとしない。声をあげようと口を開けたがすぐ閉じた。
今アシュヴァッターマンの気を逸らすべきではない。
カルナのように目からビームが出せれば、……ビーマのように無双の怪力があれば。
いつものように手の届かぬことを羨んで、ドゥリーヨダナは空を見上げた。
星が一面に輝いていた。
(生前最期に見た空は霞んでいて禄に見えなかったな)
ビーマとの決闘に敗れた後、ひとり瀕死のまま森に捨て置かれてこの上もなく憤慨したものだが。アシュヴァッターマンたち3人が駆けつけてきてそれも吹っ飛んだ。
――世界の王であった貴方がどうして。
ドゥリーヨダナの状態に涙を流して怒るアシュヴァッターマン。
彼に抱きしめられたドゥリーヨダナが、壊滅したカウラヴァ軍の中で彼が生きていてどれほど安心したか。きっとこの青年には伝わらないだろう。
――おまえが生きてくれて嬉しい。
それだけをアシュヴァッターマンに告げて。
ドゥリーヨダナは生き残った3人の中のひとり。バラモンであるアシュヴァッターマンの叔父に頼んで、アシュヴァッターマンの任命式を行った。
頭に水を注がれて、何もない森の中でアシュヴァッターマンは誇らしげに顔をあげた。
――必ず報復を成し遂げてきます。
アシュヴァッターマンの宣言にドゥリーヨダナは笑ってみせた。
そうしてドゥリーヨダナは最後の力を振り絞り、カウラヴァ軍総司令官に任命したアシュヴァッターマンが飛び出して行くのを見送ったのだ。
ひとり残ったアシュヴァッターマンの叔父がドゥリーヨダナを看取ろうと腰を下ろす。そんな彼をドゥリーヨダナは手招きした。
告げる。
――あいつを適当にだまくらかして寺院に連れて行ってくれ
アシュヴァッターマンの叔父の顔が驚きから納得に変わる。
3人しか残っていない敗軍の司令官を任命する意味などない。それは放っておいたらこの場から離れそうもない青年への大義名分でしかなかった。
ドゥリーヨダナたちと違ってバラモンであるアシュヴァッターマンなら、寺院に逃げ込めばその血筋もあって確実に匿われるだろう。パーンダヴァの連中もこれからの事を考えれば寺院を敵にまわすことはないはずだった。
「行ってくれ」
ドゥリーヨダナの言葉に最後の礼をして、アシュヴァッターマンの叔父は立ち去った。
最後のひとりになったドゥリーヨダナは空を見上げる。
霞んだ視界に星が連なっていた。
――星は互いに引き合っているという。
だからこそ、引き合っていた片方の星が消滅するともう片方の星はそれまでの軌道を離れどこかに行ってしまうのだ。
サーヴァントは舌を噛んだぐらいでは退去出来ない。
重荷であるドゥリーヨダナが退去すれば、いくらアシュヴァッターマンでもランサー相手の無理な戦いを継続する理由はないはずだった。
あの時もドゥリーヨダナがその場で死んでいれば、アシュヴァッターマンの結末は変わっていただろう。
地響きが轟く。
顔を向けると、金属の甲冑がすぐ側に降り立った。
体を起こされる。
「旦那、掴まってくれ。――振り切る」
アシュヴァッターマンの片腕は潰れていた。巨人の武器が掠ったのか頭部からも血が流れている。
アシュヴァッターマンはそれに構わずドゥリーヨダナを背中におぶった。
その首にドゥリーヨダナは手を回すのを、ためらう。
「旦那?」
「――わし様思いついたのだが。一緒に逃げるよりおまえが陽動してくれた方が生き残る確率が高くなるだろう?」
アシュヴァッターマンの背中が強張った。
息を吐く。
「……旦那。俺は同じ手に二度も引っかからねぇよ」
「バレたか。――そりゃ三千年もあれば気づくよなぁ」
諦めてアシュヴァッターマンにしがみついたドゥリーヨダナにため息が返される。
「何だってこんなろくでもない事を思いついたんだ?」
ドゥリーヨダナをおぶって立ち上がったアシュヴァッターマンには説明しにくくて、ドゥリーヨダナは言葉を濁す。
「うーん。あれだ。星がな」
引っ張る力がなくなれば、星といえども離れていくものだと聞いたからな。
アシュヴァッターマンは走りながら、ドゥリーヨダナの言い訳に笑った。
「そりゃ、小せぇ星の話だろ。――もっと大きい星は死んでも周り中の全てを飲み込むって話だ」
アシュヴァッターマンは木々を飛び越え、森を走り抜けていく。
「わし様は大きな星か」
「俺にとっては特大の恒星だ。――だから」
二度と先に消えないでくれ。
アシュヴァッターマンの祈るような呟きにドゥリーヨダナは空を仰いだ。
サーヴァントとして召喚された者には確約出来ない望み。かといって偽りを口にする事は出来なかった。
「アシュヴァッターマン。愛しておるぞ」
「あんたの愛を疑ったことはねぇよ」
ドゥリーヨダナと重なるようにアシュヴァッターマンは駆け抜ける。
空には引力で結ばれた星が連なっていた。